ホスピスナースは今日も行く 2017年11月
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ホスピスナースは今日も行く
アメリカ在住日本人ナースが、ホスピスで出会った普通の人々の素敵な人生をおすそわけします。
仮面のむこう (2)
 リオの妹さんは、モナさんと言って、小柄でとても静かな声で話す人でした。MSWのリーが取りまとめてくれ、ナーシングホームのソーシャルワーカーのオフィスに、ホームのMSWのジェーンとリオのフロアの主任ナースのナンシー、ホスピスからはリーと私、そしてモナさんの5人が集まり、リオの状態と今後のケアの方針を話し合いました。ホームのMSWと主任ナースは当然ながらモナさんをよく知っており、ミーティングが始まる前に、リオのベッドサイドの古くなった食べ物などを持って帰るように頼んでいました。モナさんはその日も大きな紙袋を下げ、リオの為に必要なものや、頼まれたものを持って来ていました。モナさんは静かな低めの声で、少し早口に話し、落ち着いたトーンのままではありましたが、リオの為に、ホームやホスピスにどうしてもらいたいのかをはっきりと口にしました。少し神経質かと思うほど細かいところにこだわる傾向はありましたが、モナさんがリオをとても大切にしており、たった一人の兄が少しでも苦しみから解放され、残された日々を安らかに過ごせるように、私達に協力をしてもらいたいのだという気持ちは全身から漂っていました。私たちはそれぞれの役割と立場からできることを説明し、ホームとホスピスがどうやってコミュニケーションをとり、協力してケアを行っていけるかを話し合いました。ホームからの要望は主にホームヘルスエイドに関することで、つまり、ホスピスのエイドが来る日はホームのエイドは清拭などを行わずにすむため、スケジュールを前もって知らせてほしい、と言うようなものでした。そして、私からは、とにかく疼痛コントロールを徹底できるよう、ナースコールを必ず手の届くところに留めておく、2時間ごとの体位交換時には痛みのレベルを必ず口頭で確認すること、薬の効果がない場合はホスピスに電話してほしいこと、などをスタッフに指導してほしいとリクエストしました。また、スタッフに向けたエンドオブライフケアやホスピスについてのインサービス(勉強会)が必要であれば、喜んで協力することも申し出ました。それに対しジェーンとナンシーは、「わかった」と言いながらも、会話の端々に“そんなこと、今更言われなくてもわかっているし、やっている”と言う表現が聞かれ、ナーシングホームに時々見られる“うちはちゃんとケアしてるから、ホスピスはうちの負担が減るように、エイドと物品を入れてくれればいい”というニュアンスがそこここに感じられました。
 ホスピスの患者さんがナーシングホームなどの施設にいる場合、そこのスタッフと良い関係を築く事は、患者さんや家族と良い関係を築くのと同じくらい大切です。一日24時間実際に患者さんをケアしているのは施設のスタッフであり、入居してから長い人の場合、スタッフが患者さんに対し、家族にも似たような親近感を持つことは珍しくありません。また、彼らもケアのプロですから、お互いをプロとして尊重しながら協力し、患者さんに最も効果的で家族も安心できるケアを提供することが、お互いの共通したゴールでもあるわけです。しかし、ナーシングホームも様々で、それぞれ家風というか、カルチャーみたいなものがあり、それを一概に質のレベルとして評価してしまうのは適切ではないのかもしれませんが、数多くのナーシングホームを見てきた結果、やはり自分の中で自然にランク付けができてしまうのでした。それは、主に環境(清潔、安全、照明や自然光などの明るさ、音、臭い、温度など)とスタッフの態度で決まるのですが、このホームは私の個人的ランキングでは文句なしで最下位最有力候補でした。また、患者さんの家族にしても、ナーシングホームのスタッフには日々の世話をしてもらうわけですから、やはりできるだけスタッフとは良い関係を持ちたいと思うのが自然です。人にもよりますが、そのために言いたいことを控えてしまう、と言うことも少なくありません。もちろん、逆に一から十まで気に入らない事を逐一訴えてくる人もいますが。とにかく、そんなところへ言ってみれば第三者であるホスピスのスタッフが、その人のためだけに訪問して来るわけですから、患者さんや家族はここぞとばかり“ぶっちゃけた”本音を漏らしてくるのです。もちろん、私達は患者さんや家族のアドヴォケイト(advocate:支持者、援助者)ですから、施設側にしてみると助かる面もあれば、厄介な存在にもなりうるわけです。そして、後者にならないためにも、プロフェッショナルとしての判断をもとに柔軟な姿勢と真摯な態度を持たなければならないのですが、リオのケースの場合、私にとってなかなか厳しい試練になったのでした。
 モナさんの希望で、ホスピスからはチャプレンも訪問していましたが、チャプレンのビルもなかなかリオに近づくことができず、リオも「来ても来なくてもいい」という様子で、しばらくすると“本人からの要望があれば訪問”という方針に切り替えました。私は週に2回訪問していましたが、いつ行ってもリオはテレビのクイズ番組を見ており、私が今日の調子はどうかと聞くと、必ず「最悪だね」と答えました。もちろん表情は全く変わらず、私と目を合わせることも滅多にありませんでした。痛みのレベルは常に10段階の9で、屯用のモルヒネを頼んだかと聞くと、「ベルが押せない」と言い、定時のモルヒネの後も痛みのレベルは9以下にはならないと言うのでした。そのたびに、私はナースコールを渡し、「痛いときはこれを押さないと、スタッフにはわからないから。屯用の薬は、患者さんが言わないとあげられないの」と言い、実際にボタンを押してもらうのですが、5分以内にナースが来ることはまずなく、私が廊下に出て受け持ちのナースを探したり、ステーションにいる主任のナンシーに言っても「受け持ちナースに言うから」で終わってしまい、リオがなかなかコールを押さない気持ちも理解できました。しかし、何よりも難儀だったのは、リオの完璧な無表情と人を近寄らせたがらないバリアのためか、ホームのスタッフは「ホスピスのスタッフには痛いって言うけど、私達が訊くといつも大丈夫っていうのよ。本人が大丈夫っていうのに薬はあげられないわよ」と言い、しまいには「ホスピスはすぐにそうやってモルヒネを使おうとするのよね」とまで言うスタッフさえいました。私はリオを訪問するときは病室に入る前にスタッフのナースに何か変わったことはないかを聞き、訪問後にはその報告を行い、ホームのチャートにも記録を書きました。ナンシーがいる時はできるだけ彼女と話をして、ケアプランをアップデートしました。
 私はリオのベッドサイドにコミュニケーション用のノートを置き、ホスピスのスタッフ(MSWのリー、チャプレンのビル、ホームヘルスエイド、そして私)とモナさんの連絡帳にしていました。スタッフはその日の訪問の様子を簡単に書き、モナさんも週に2-3回はリオを訪れていたので、その時の彼の様子からの心配事や質問などを小さな文字でぎっしりと書いていきました。リオはモナさんにも痛みを訴えているようで、彼女が見たリオの痛みとスタッフが受け止めているリオの痛みとの温度差は、私にも大きくうなずけるものでした。私はメディカルディレクターのカールに相談し、屯用のモルヒネの適切な投与は期待できないことから、定時の用量を増やし、同時に、リオが両足の痛みを“針で刺すような”と表現していることから、末梢神経障害の痛みに効果のある抗痙攣剤を増やそうということになりました。しかし、ここに一つの難関がありました。というのは、患者さんがSNFにいる場合、ホスピスは薬や処置において“recommendation”、つまり、提案、お薦めはできますが、実際にそれをオーダーするのはSNFのメディカルディレクターなのです。ですから、もしもホスピスの提案を良しとしなければ、それまでなのです。私は主任のナンシーにホスピスメディカルディレクターのRecommendationを説明し、それを書いて渡しました。ナンシーは「わかった。うちのメディカルディレクターに伝えるから」と言いましたが、次の訪問時にはまだオーダーは出ておらず、ナンシーも「ドクターには伝えてある」というばかりで、結局そのRecommendationは幻となって霧散してしまったのです。この辺りから、私はこのナーシングホームに対し、不信感と警戒心、そして何とかしてリオとモナさんを助けなければ、という使命感のようなものを抱き始めたのでした。仮面の向こう(3)に続く。
[2017/11/30 13:00] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
仮面のむこう (1)
 リオ(仮)は50代半ばの独身男性で、Skilled Nursing Facility(SNFと略される高度看護施設:日本の介護療養型医療施設に近い)、いわゆるナーシングホームに入居していました。そこは、全米に様々なレベルのナーシングホームを持つ大きなヘルスシステムの施設の一つでしたが、彼がそこにいたのはその施設がメディケイド〈低所得者に適応する公的健康保険)の為にいくつかベッドを確保していたからでした。メディケイドの人の場合、保険が支払う額が少なく、患者さんの自己負担がかなわないため、ナーシングホーム側としてはあまり嬉しいお客さんではありません。ですから、どのナーシングホームもメディケイドの人を受け入れられるわけではないのです。リオは2年ほど前に、adult failure to thrive(小児の場合は成長障害、成人の場合は老衰と訳されることが多い)で入院していた病院から転送されました。リオの場合摂食障害に近く、長い間アルコール依存症に苦しんでいた彼は、食べることに全く興味を失い、栄養失調の状態で入院し、本人が承諾したうえで胃ろう(おなかから直接胃にチューブを入れ、そこから経管栄養剤を流す)を造設したのです。機能的には口から食べたり飲んだりすることに全く障害はありませんでしたが、本人が食べようとしなかったのです。
 そんな彼が再び入院したのは、胃ろうのチューブが詰まってしまい、ナーシングホームのナースが交換することができず、仕方なく救急に送られ、その際に取ったレントゲンで肺に広がった扁平上皮癌が見つかったためでした。癌はかなり進行しており、治療方針を検討した結果、リオは一切の癌の治療を拒否し、ホスピスケアを受けることにしたのです。
 私が初めてリオに会った時、彼はベッドに仰向けになり、酸素のカニューレを付け、胃ろうからは経管栄養を流していました。二人部屋で、彼は入口に近いほうのベッドでした。私が自己紹介をすると、リオはちらりと私を見て、全く表情を変えずに「ああ」と一言いいました。彼のベッドは乱れ、薄めの髪の毛も梳かした様子はなく、ベッドサイドのテーブルにはピーナッツバターの入れ物や小さなパックに入ったクラッカーやクッキー、チョコレートなどが積み上げてありました。私がアセスメントをしている間も、リオは全く表情を変えず、それでも手や足に触るととても痛がり、「一体何をやっているんだ!」と同じ表情のまま、一本調子の声で言いました。私が、「痛いのはどこですか?」と訊くと、「全部だ」と言い、「0が無痛、10が最悪の痛みだとしたらどれくらいですか?」と訊くと、「9」と答え、「痛み止めは飲んでますか?」と訊くと「あんなもの効かない」と言い、「一番楽な時でどれくらいですか?」と訊くと「9」と言いました。「痛い時はナースを呼んで薬をもらいますか?」「呼んだって来ないし、薬飲んだって効かない。」「そうですか。それじゃ、ナースとお医者さんと痛み止めについて話しますね。いつもそんなに痛かったら辛いですよね。」「そんな事、言ったって無駄だ。誰も何にもしやしない。なんにも変わりゃしない」と、無表情のまま、私と目を合わす事もなく言いました。私はとりあえずナーシングホームのスタッフから情報をとることにしました。リオは仮面を被ったように全く表情を動かさず、一見リラックスしているかのようにも見えました。そして、思った通り、スタッフナースは「定時の痛み止めはもう飲んだし、頓服薬は本人が希望しなければあげられない」と言い、私が「でも、今は痛みが10段階のうちの9だって言ってますよ」と言うと、ナースは「わかったわ。じゃ、(薬を)持っていくから」と言いました。私はリオの所に戻り、「今、ナースに言ったから、頓服の痛み止めを持ってきてくれるそうです」と言うと、彼は「OK」と言って、そのまま宙を見つめていました。私はもう一度ナースステーションに行くと、彼のチャート(カルテ)を取り出し、鎮痛剤のオーダーを確認しました。ちょうどそこへホームのメディカルディレクターであるリオの担当医が、主任ナースと一緒にやってきたので、ここぞとばかりに声を掛け、自分がリオのホスピスナースであること、彼の痛みがうまくコントロールされていないようである事を伝え、一緒に鎮痛剤を見直してくれるように頼みました。二人は忙しそうでしたが、私が指摘した薬の使い方に耳を貸してくれました。と言うのも、リオにはフェンタニールパッチの12mcgを3日毎貼り替え、レスキューにオキシコドン5mgを4時間毎頓服、液体モルヒネ5mgを4時間毎頓服と言うオーダーが出ており、なぜレスキューにオキシコドンとモルヒネの2種類の指示が出ているのかが不明瞭だったのです。主任ナースは「でも、どっちにしてもリオは殆どレスキューは使わないのよ」と言い、私が「でも、本人はいつも痛みが10段階の9だって言ってますよ。確かに表面上は痛がっているようには見えませんが」と言うと、医師は、「じゃあ、モルヒネ一本に絞って即効性5mg錠を6時間毎定時、レスキューは液体5mgで3時間毎にしよう」と言い、私が「じゃ、フェンタニールはどうしますか?」と訊くと、「そうだな、フェンタニールはとりあえずそのままにしておこう」と言い、医師は主任ナースに向って「じゃ、そうしておいて」と言うと、私のほうを見もせずにすたすたと行ってしまいました。
 私は今ひとつ腑に落ちませんでしたが、とりあえず鎮痛剤の全量は約1.5倍(モルヒネ5mgを6時間毎だと、24時間に合計20mgのモルヒネ摂取となり、等価換算でフェンタニール12mcgの半分くらい)になったので、これで様子を見てみようと思いました。そして、何よりもまず、リオの既往歴や何故手足に強い痛みがあるのかを知りたく、私は彼のチャートを最初からめくっていきました。すると、彼が入所した当時、つまり約2年前の写真があり、私は自分の目を疑いました。一瞬別の人のチャートかと思い、思わず名前を確認したほどで、そこにはさっき会った彼とは全く別人としか思えない老人がいたのです。痩せてシワだらけの顔にザンバラの髪を振り乱し、目は半分ほど閉じたまま背中を丸めて車椅子に座った彼は、どう見ても70代以上にしか見えませんでした。そして、既往歴にはアルコール依存症の他、うっ血性心不全、脊椎管狭窄症、末梢神経障害、うつ、歩行障害、などなど、細かいものを入れたら両手いっぱいになりそうなほどの病名や状態が書かれていました。そして、緊急連絡先には妹さんの名前があり、彼女が唯一の家族のようでした。私は何か分厚い壁のようなものを目の前に感じ、その壁を崩す為に、一体どこから手を着けたらいいのか途方に暮れながら、まずは妹さんと連絡を取り、ナーシングホームのソーシャルワーカーと主任ナース、そして、ホスピスのソーシャルワーカーと私の5人でミーティングを行って、統一したケアプランを立てることが先決だと思い、とりあえずソーシャルワーカーのリーに電話をしました。リオにまだ会っていなかったリーは、私の話からかなり複雑なケースである事を感じ取り、早速ミーティングをセッティングすると言ってくれました。私はナースステーションにいた主任ナースに、近々ケースカンファレンスを行なうようにセッティングする事を伝えると、彼女も賛成しました。それからもう一度病室に戻り、テレビのクイズ番組を見ていたリオに「薬はもらいましたか?」と訊くと、彼は無表情のまま「NO」と言い、「痛みは少し楽になりました?」の質問にも目だけ私の方を見て「NO」と答えました。私は、「もう一度ナースに言いましょうか」と訊くと、今度は前を見たまま「ああ」と言いました。私は薄暗い廊下に出ると、担当のナースを探して行ったり来たりしながら、心の中で「こりゃ、キツイ闘いになるわ...」と呟いていました。仮面のむこう(2)に続く。
[2017/11/13 05:56] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
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ラプレツィオーサ伸子

Author:ラプレツィオーサ伸子
アメリカ東海岸で在宅ホスピスナースをしています。アメリカ人の夫、子供3人、犬一匹と日々奮闘中。

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2冊目の本がGakkenから出版されました。 「それでも私が、ホスピスナースを続ける理由」https://gakken-mall.jp/ec/plus/pro/disp/1/1020594700 「ホスピスナースが胸を熱くした いのちの物語」と言うタイトルで青春出版社から発売されました。 http://www.seishun.co.jp/book/20814/

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