リオの妹さんは、モナさんと言って、小柄でとても静かな声で話す人でした。MSWのリーが取りまとめてくれ、ナーシングホームのソーシャルワーカーのオフィスに、ホームのMSWのジェーンとリオのフロアの主任ナースのナンシー、ホスピスからはリーと私、そしてモナさんの5人が集まり、リオの状態と今後のケアの方針を話し合いました。ホームのMSWと主任ナースは当然ながらモナさんをよく知っており、ミーティングが始まる前に、リオのベッドサイドの古くなった食べ物などを持って帰るように頼んでいました。モナさんはその日も大きな紙袋を下げ、リオの為に必要なものや、頼まれたものを持って来ていました。モナさんは静かな低めの声で、少し早口に話し、落ち着いたトーンのままではありましたが、リオの為に、ホームやホスピスにどうしてもらいたいのかをはっきりと口にしました。少し神経質かと思うほど細かいところにこだわる傾向はありましたが、モナさんがリオをとても大切にしており、たった一人の兄が少しでも苦しみから解放され、残された日々を安らかに過ごせるように、私達に協力をしてもらいたいのだという気持ちは全身から漂っていました。私たちはそれぞれの役割と立場からできることを説明し、ホームとホスピスがどうやってコミュニケーションをとり、協力してケアを行っていけるかを話し合いました。ホームからの要望は主にホームヘルスエイドに関することで、つまり、ホスピスのエイドが来る日はホームのエイドは清拭などを行わずにすむため、スケジュールを前もって知らせてほしい、と言うようなものでした。そして、私からは、とにかく疼痛コントロールを徹底できるよう、ナースコールを必ず手の届くところに留めておく、2時間ごとの体位交換時には痛みのレベルを必ず口頭で確認すること、薬の効果がない場合はホスピスに電話してほしいこと、などをスタッフに指導してほしいとリクエストしました。また、スタッフに向けたエンドオブライフケアやホスピスについてのインサービス(勉強会)が必要であれば、喜んで協力することも申し出ました。それに対しジェーンとナンシーは、「わかった」と言いながらも、会話の端々に“そんなこと、今更言われなくてもわかっているし、やっている”と言う表現が聞かれ、ナーシングホームに時々見られる“うちはちゃんとケアしてるから、ホスピスはうちの負担が減るように、エイドと物品を入れてくれればいい”というニュアンスがそこここに感じられました。 ホスピスの患者さんがナーシングホームなどの施設にいる場合、そこのスタッフと良い関係を築く事は、患者さんや家族と良い関係を築くのと同じくらい大切です。一日24時間実際に患者さんをケアしているのは施設のスタッフであり、入居してから長い人の場合、スタッフが患者さんに対し、家族にも似たような親近感を持つことは珍しくありません。また、彼らもケアのプロですから、お互いをプロとして尊重しながら協力し、患者さんに最も効果的で家族も安心できるケアを提供することが、お互いの共通したゴールでもあるわけです。しかし、ナーシングホームも様々で、それぞれ家風というか、カルチャーみたいなものがあり、それを一概に質のレベルとして評価してしまうのは適切ではないのかもしれませんが、数多くのナーシングホームを見てきた結果、やはり自分の中で自然にランク付けができてしまうのでした。それは、主に環境(清潔、安全、照明や自然光などの明るさ、音、臭い、温度など)とスタッフの態度で決まるのですが、このホームは私の個人的ランキングでは文句なしで最下位最有力候補でした。また、患者さんの家族にしても、ナーシングホームのスタッフには日々の世話をしてもらうわけですから、やはりできるだけスタッフとは良い関係を持ちたいと思うのが自然です。人にもよりますが、そのために言いたいことを控えてしまう、と言うことも少なくありません。もちろん、逆に一から十まで気に入らない事を逐一訴えてくる人もいますが。とにかく、そんなところへ言ってみれば第三者であるホスピスのスタッフが、その人のためだけに訪問して来るわけですから、患者さんや家族はここぞとばかり“ぶっちゃけた”本音を漏らしてくるのです。もちろん、私達は患者さんや家族のアドヴォケイト(advocate:支持者、援助者)ですから、施設側にしてみると助かる面もあれば、厄介な存在にもなりうるわけです。そして、後者にならないためにも、プロフェッショナルとしての判断をもとに柔軟な姿勢と真摯な態度を持たなければならないのですが、リオのケースの場合、私にとってなかなか厳しい試練になったのでした。 モナさんの希望で、ホスピスからはチャプレンも訪問していましたが、チャプレンのビルもなかなかリオに近づくことができず、リオも「来ても来なくてもいい」という様子で、しばらくすると“本人からの要望があれば訪問”という方針に切り替えました。私は週に2回訪問していましたが、いつ行ってもリオはテレビのクイズ番組を見ており、私が今日の調子はどうかと聞くと、必ず「最悪だね」と答えました。もちろん表情は全く変わらず、私と目を合わせることも滅多にありませんでした。痛みのレベルは常に10段階の9で、屯用のモルヒネを頼んだかと聞くと、「ベルが押せない」と言い、定時のモルヒネの後も痛みのレベルは9以下にはならないと言うのでした。そのたびに、私はナースコールを渡し、「痛いときはこれを押さないと、スタッフにはわからないから。屯用の薬は、患者さんが言わないとあげられないの」と言い、実際にボタンを押してもらうのですが、5分以内にナースが来ることはまずなく、私が廊下に出て受け持ちのナースを探したり、ステーションにいる主任のナンシーに言っても「受け持ちナースに言うから」で終わってしまい、リオがなかなかコールを押さない気持ちも理解できました。しかし、何よりも難儀だったのは、リオの完璧な無表情と人を近寄らせたがらないバリアのためか、ホームのスタッフは「ホスピスのスタッフには痛いって言うけど、私達が訊くといつも大丈夫っていうのよ。本人が大丈夫っていうのに薬はあげられないわよ」と言い、しまいには「ホスピスはすぐにそうやってモルヒネを使おうとするのよね」とまで言うスタッフさえいました。私はリオを訪問するときは病室に入る前にスタッフのナースに何か変わったことはないかを聞き、訪問後にはその報告を行い、ホームのチャートにも記録を書きました。ナンシーがいる時はできるだけ彼女と話をして、ケアプランをアップデートしました。 私はリオのベッドサイドにコミュニケーション用のノートを置き、ホスピスのスタッフ(MSWのリー、チャプレンのビル、ホームヘルスエイド、そして私)とモナさんの連絡帳にしていました。スタッフはその日の訪問の様子を簡単に書き、モナさんも週に2-3回はリオを訪れていたので、その時の彼の様子からの心配事や質問などを小さな文字でぎっしりと書いていきました。リオはモナさんにも痛みを訴えているようで、彼女が見たリオの痛みとスタッフが受け止めているリオの痛みとの温度差は、私にも大きくうなずけるものでした。私はメディカルディレクターのカールに相談し、屯用のモルヒネの適切な投与は期待できないことから、定時の用量を増やし、同時に、リオが両足の痛みを“針で刺すような”と表現していることから、末梢神経障害の痛みに効果のある抗痙攣剤を増やそうということになりました。しかし、ここに一つの難関がありました。というのは、患者さんがSNFにいる場合、ホスピスは薬や処置において“recommendation”、つまり、提案、お薦めはできますが、実際にそれをオーダーするのはSNFのメディカルディレクターなのです。ですから、もしもホスピスの提案を良しとしなければ、それまでなのです。私は主任のナンシーにホスピスメディカルディレクターのRecommendationを説明し、それを書いて渡しました。ナンシーは「わかった。うちのメディカルディレクターに伝えるから」と言いましたが、次の訪問時にはまだオーダーは出ておらず、ナンシーも「ドクターには伝えてある」というばかりで、結局そのRecommendationは幻となって霧散してしまったのです。この辺りから、私はこのナーシングホームに対し、不信感と警戒心、そして何とかしてリオとモナさんを助けなければ、という使命感のようなものを抱き始めたのでした。仮面の向こう(3)に続く。
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