ホスピスナースは今日も行く 2017年01月
FC2ブログ
ホスピスナースは今日も行く
アメリカ在住日本人ナースが、ホスピスで出会った普通の人々の素敵な人生をおすそわけします。
びっくりハウス
 長い間訪問看護をしていると、それはもう、ありとあらゆる家を訪れます。それは、ある意味楽しくもあり、また、恐怖でもあります。そして、世の中には本当にいろんな人がいるものだ、と驚いたり感心したりして、全然飽きる事がありません。あちこち運転しているうちに、どうしても気になる家や、その佇まいから仲間内で有名な家なども自然にできてきて、偶然訪問先がその家だったりすると、もう、内心わくわくしてしまうのです。もちろん、中に入るのに勇気がいるような家や、見てびっくり、触ってがっくり、と言うような家もありますが。
 今回は、私がこの20年近くの間に訪問した、おそらく何百軒と言う家の中でも、いろんな意味で印象的だったおうち、びっくりハウスベスト10を紹介したいと思います。

では、第10位から。
〈チェスナットヒルの豪邸〉
これは、精神科の女医さんのお宅で、その女医さんのお父さんが患者さんでした。チェスナットヒルと言うのはフィラデルフィアの北西地区にあり、昔は避暑地だったという、石造りの大きな家が沢山ある、古くからの高級住宅地です。この家もそうした歴史のありそうな石造りで、まず、観音開きの重たいドアから入ると、玄関ホールには大理石の市松模様の床が広がり、高い天井からぶら下がったシャンデリアが天窓から入る光を受けて煌いていました。そしてその奥には、グレース・ケリー(フィラデルフィア出身)でも下りてきそうな階段がゆったりとしたカーブを描いて、吹き抜けの上階へと続いていました。その患者さんと奥さんは3階の屋根裏に住んでいましたが、屋根裏部屋といっても、ちょっとしたホテルのスイートルームのようでした。窓やドアの枠、天井にも素敵な意匠が施してあり、とにかくありとあらゆるものがアンティークの美術品のようなおうちで、私は訪問する度に、他の部屋は一体どんな感じなのだろうかと、興味津々でした。もちろん、お客ではない私は、残念ながら玄関から屋根裏までの往復に終始したのですが、それでもこれは、びっくりと言うよりも、うっとりハウスナンバーワンでした。

第9位
〈猫屋敷〉
これはさほど珍しい部類ではありませんが、典型的な、独り暮らしの老女と10匹以上30匹以下の猫たちが暮らすおうちでした。私はアレルギーもないし特に猫が嫌いというわけではないのですが、さすがにこれはちょっと困りました。と言うのも、まず、どこもかしこも猫の毛だらけ、玄関を開けただけで匂ってくる猫臭、家のあちらこちらから感じる“視線”、訪問鞄やコンピューターを覗き込んだり手を出してくるモノ、アセスメント中に足元にすり寄って行ったり来たりするモノ、気配もなく突然ラップトップの上に飛び乗って来るモノ、などなど。この家を訪問している間は、いつも“コロコロ”を持ち歩き、車に乗る前に全身をコロコロして猫毛取りをしていました。

第8位
〈ホーダーハウス〉
これは今の職場ではなく、最初に勤めた小さなホームケア事業所にいた時の患者さんで、70代後半の独身女性の家でした。ホーダー(hoarder)とは、不必要な物を捨てられず溜め込んでしまう人のことで、ひどくなると強迫観念に近い、一種の精神的な障害とみなされます。サリー・フィールドが演じた『Hello!My name is Doris』の主人公がそうで、“いつか使うかもしれない”“大切な思い出の品”“もう片方が見つかったときに必要”などと言った理由で、とにかく家中がモノで溢れ、誰かが無理やり片付けようとするとパニックになるというのが、典型的なホーダーです。その女性は長い間、司法書士として弁護士事務所で働いた才女でしたが、一度も結婚したことはなく、30年以上住んでいる小さな家は、その家に住んでいる年月と同じだけの新聞紙、広告やダイレクトメール、レシート、雑誌や本、スーパーマーケットの紙袋など、とにかくありとあらゆる紙類が、床、椅子、テーブル、ソファー、ベッド、キッチンカウンター、廊下、本棚、トイレ、バスルーム、マントルピースの上、窓枠の上、ラジエーターの上、キッチンの電気コンロの上まで覆い尽くしていました。唯一の家族である姪御さんによると、何度も片付けようとしたし、カウンセラーの所にも行ったけれど、結局どうにもならず、近い将来ナーシングホームに行くしかなくなるので、それからすべて片付ける予定だとのことでした。ホーダーハウスはその後も何軒か経験しましたが、あれほどまでに紙類に埋もれた家は後にも先にもあの家だけでした。

第7位
〈ムービーハウス〉
この家はアンブラーという町にあるツインで、リビングルームの壁が四面全て作り付けの棚になっており、それが一部の隙もなく映画のビデオとDVDで埋まっていました。80代前半の夫婦二人で住んでおり、実は二階の寝室にも入りきらないビデオがしまってあると言う事でした。一体全部で何本あるのか、ご本人達も見当もつかないらしく、患者さんのご主人は「子供達や孫達に残せるのはこれくらいしかないからねえ。ま、大した価値もないけどな」と言って笑っていました。確かに、今更VHSのビデオをもらっても、困るかも...

第6位
〈壁なし)
これは、私の受け持ちではなく、一度だけ訪問した家です。外から見た分にはごく普通のコロニアルスタイルの、よくある家なのですが、中に入ってびっくり。一瞬、工事中かと思ったほどで、床も壁も打ちっぱなし。一部などは壁もなく、パイプやコードが見えており、階段には手すりがなく、水道はパイプのコックを直接ひねって使っていました。患者さんは70代前半くらいの女性で、30代独身の、ちょっと変わった感じの娘さんが介護していました。寝室にも壁紙は貼ってなく、窓にはカーテンの替わりにシーツが掛けてありました。それでも、娘さんはそれがごく当たり前のように振舞っていたので、私も何も訊けませでした。あとで受け持ちのナースに聞いたところ、娘さんは精神障害を持っており、すでにソーシャルワーカーが入っているとのことでした。それにしてもどういう経緯を経てあの状態になってしまったのか、未だに謎のままです。

第5位
〈森の中へ〉
これは以前、忘れられない人々のエピソード(「ラットレディー」)として書いたのですが、とても小さな平屋に旦那さんとアルコール依存症の息子さん、そしてラット二匹と住んでいた70代の女性の家で、そのリビングルームは大小さまざまな作り物の動物や植物でいっぱいでした。特に彼女のお気に入りはねずみで、木の枝や松ボックリ、どんぐり、布や糸、毛糸、ビーズなどで作られた置物、ねずみをモチーフにした陶器、時計、お皿、カップ、スプーン、砂糖入れ、コースター、ナプキン立て、薬入れ、などなどが木の切り株でできたテーブルの上に所狭しと並んでいました。キツネ、リス、フクロウ、アライグマ、などの剥製が小さな切り株と一緒にあちこちに潜んでおり、壁にはムササビ(モモンガ?)の剥製が張り付いていました。天井からは造花やプラスチックの観葉植物が垂れ下がり、薄暗い部屋はまるで森の中のようでした。そして、時々その森の中をペットのラットちゃんたちが運動不足解消のために駆け回っていたりした日には、一体自分が何をしに来ているのか、一瞬忘れてしまうほどでした。ちなみに、あの部屋にあった全てのものは、リサイクルショップで買ったものに彼女が自分なりの手を加えた、セミ手作りだったそうです。

第4位
〈鳥かごの部屋)
これも、私の受け持ちではなく、一度だけ訪問した患者さんでした。60代の男性バイカー(バイク野郎)で、ここも廊下の床や壁が打ちっぱなしだったり、所々穴が開いていたりするとても小さな家でした。しかし驚いたのはそんな事ではなく、案内してくれた妹さんがまず先に入り、30秒ほどしてから「ハイ、どうぞ」と言って私を入れてくれた患者さんの部屋でした。そこは、部屋全体が大きな鳥かごに占領されていたのです。妹さんが先に入ったのは、鳥が逃げないように確認するためで、寝室の中に鳥かごがあると言うよりは、むしろ、鳥かごが寝室になっているような、そんな錯覚を起こすくらいの、まるで動物園の鳥コーナーの檻の中に入ってしまったような感じでした。肝臓癌の末期で、黄疸なのか日焼けなのか一瞬考えてしまうほどオレンジ色の彼は、タトゥーに埋まった腕も痩せ細り、頭にはバンダナを巻いていました。鳥かごの隅のベッドに横になり、自分はなんとしてでもこの部屋で死ぬのだと宣言しました。おそらく受け持ちナースやソーシャルワーカーが、オプションとして、場合によってはホスピス病棟も利用できる、と言ったのを警戒したのかもしれません。確かに、衛生や安全と言う面では理想的な環境ではありませんでしたが、彼にとってあの鳥たちは何ものにも代えがたい存在だったのでしょう。そして、無事、彼はその希望を叶えたそうです。

第3位
(モーテル*)
これは、50代の夫婦で、奥さんが患者さんでした。この二人はアーティストで、旦那さんは絵を描き、奥さんは石やビーズなどを使ったアクセサリーを作って、アメリカ国内だけでなく、世界各国を旅していました。二人で住んでいた家を売り、旅する生活を始めてから5年目の事で、激しい腹痛のために行った救急で、末期の卵巣癌であると言われたのです。すでにあちこち転移があり、患者さんもみるみる弱っていった為、ホスピスケアを選んだのですが、帰る家もないため、そのままここでモーテル住まいを続ける事にしたのでした。その頃はまだ今のホスピス専門病棟がなく、本院のいちフロアの半分をホスピス専用ベッドとしてホスピス病棟にしていました。しかしこの患者さんの保険はホスピス病棟の利用をカバーしなかった為、モーテルを“家”とみなして、在宅ホスピスケアを受けたわけです。こうした例は私達にとっても、モーテル側にとっても初めてのことで、特にモーテルのマネージャーはとても神経質になっていました。私も、モーテルのマネージャーや従業員に死の過程を説明するのは初めてでしたが、考えてみれば、誰だって職場を離れれば一個人であり、家族だっているし、私生活でホスピスと関わることもあるかもしれないのです。そして、モーテルの従業員達は事情を知ると、いろいろと融通を利かせてくれたり、差し入れをしてくれたりしてご主人を感動させ、想像以上にスムーズで快適なケアを行う事ができました。ホームヘルスエイドにとってもモーテル訪問は初めてで、最初は戸惑っていましたが、いつの間にか従業員達とも顔見知りになって、不思議な連帯感も生まれるほどでした。幸か不幸か、この患者さんがホスピスケアを受けたのはわずか2週間ほどでしたが、家族でも友達でもない、旅の途中で出会ったアカの他人たちが、まるで家族のようにこの女性の看取りに関わったと言う、ちょっといい話でした。*モーテルは、日本のビジネスホテルに駐車場がついたような、簡易ホテルの事です。

第2位
(ぶたぶたくん)
これは、ホスピスナースになって、1-2年目だったと思います。患者さんは50代前半の男性で、脳腫瘍でした。バツいちで子供はなく、脳腫瘍と診断された時点で、70代の両親が住む実家に戻ったのです。よく手入れされた、ごく普通の一軒家でしたが、車回しに車を停め、玄関に向かいながら、私は何か違和感を覚えたのです。それは、家の周りの植え込みから漂ってくる、匂いでした。春先になるとあちこちで撒かれる堆肥にも似た、昔々、まだ実家の近所が皆汲み取り式だった頃、時々見かけたバキュームカーを髣髴させるような、そういった類の匂いでした。そして、ドアを開けてくれた患者さんのお母さんの後について居間に入っていくと、ちょうど正面から、背の高い男の人がゆっくりと歩いてきました。“ハロー”と言いかけた時、その人の後ろからついてくる巨大なピンク色のものが目に入りました。私は立ち止まり、彼よりも、そのピンク色のものを凝視し、自分の見ているものが豚である事を認識するために、全身全霊を注がなくてはなりませんでした。一度、黒いチベタンマスティフ(超大型犬)を飼っている家を訪問した時、熊かと思ってぎょっとした事がありましたが、それさえもこの時の衝撃には敵いませんでした。私が絶句しているのに気付いたお母さんが、苦笑しながら患者さんに「ちゃんと紹介しなさい」と言うと、患者さんは笑って「ああ、これは僕の友達のジョージだよ。豚は見たことあるかい?」と言いました。私はなんと返事をしたのか憶えていませんが、室内で、成人(?)した豚を間近で見たのは初めてで、トコトコと患者さんのあとをついて歩く様子は、意外とかわいかったのですが、普通にしていても結構鼻息が荒く、それがやけに気になったものでした。そして、あの匂いの元は、お母さんが肥料代わりに撒いていた、ジョージ君の落し物だったのです。

そして、みごと第1位に輝いたのは、
〈小動物園)
この家は小さな平屋で、70代後半の女性が私の患者さんでした。アパートで一人暮らしをしていましたが、肺癌が進行したため、娘さん一家と同居して、ホスピスケアを受ける事になったのです。その家は一応住宅地にありましたが、裏側は林になっており、小さな小川も流れているような所にありました。ガレージの前には小型トラックと、ボディーに派手なハンディーマン(住宅のメンテナンス、リフォームその他を行う便利屋)のサインが描かれたヴァンが停まっており、玄関を含む家の正面はリフォームの途中のようでした。その玄関のベルを押して待っていると、ガレージの方から娘さんが出てきて「ごめんごめん、こっちから入って」と声を掛けられました。言われた通り、ガレージの方へ戻って挨拶をし、彼女について中に入りました。ガレージを抜けるとファミリールームで、そこには広さが一畳、高さは2m近い鳥かごがあり、中には何十羽ものセキセイインコがひしめいていました。その横にはドラムセット、エレキギターとアンプ、そして赤と緑の照明用ランプが立っていました。庭に出られる大きな引き窓の外には小さなひょうたん池があり、その池には小さな橋がかかっており、池には小さめの鯉が泳いでいました。そして、ファミリールームからダイニングキッチンに入ると、まず目に映ったのはテーブルの上、椅子の下、キッチンカウンターの上、窓枠などなどに寝そべったり行き交ったりしている数匹の猫でした。娘さんは、「猫は大丈夫?良い子達だから気にしないで大丈夫よ」と言い、奥の方へ進んで行くと、次に現れたのは、大きなゴールデンリトリーバーでした。私が、「すごいですね、一体何匹動物がいるんですか?」と聞くと、娘さんは「えーとね、猫は6匹だけど犬は2匹だけ。パグがね、どっかにいるはずなんだけど。あと、馬とロバとヤギとニワトリとウサギが外にいるわ。私ね、動物病院で働いていたのよ。ああ、あと、カメと鯉が池にいて、下の息子の部屋にハムスターがいるわ」と、ニコニコしながら教えてくれました。そして、その下の息子さん(10歳)の部屋を、ハムスターと一緒にシェアしていたのが、患者さんだったのです。4畳半ほどの部屋は10歳の男の子の部屋らしく乱雑で、患者さんはスパイダーマンのベッドで丸まっていました。ハンディーマンはじつは娘さんのご主人で、バンドをやっているのは16歳の上の息子さんだと言う事でした。家の中も外も、雑然とはしていましたが、環境はどうあれ、二人の10代の男の子とこれだけの動物達の世話をしながら、母親を引き取って看取ろうとする娘さんに、私はただただ感服したものです。ただし、これだけの動物がいると、一体どんな虫やら菌やらがいるかわからないため、訪問する時は必ず使い捨てのガウン、キャップ、靴カバーを着けなければならず、毎回ガレージでこれらを着たり脱いだりしたのでした。

...と、これが今までのトップ10ですが、まだまだ、外には未知の世界が広がっています。家は人なり、とはよく言われますが、まさにそこに住む人を象徴していると思います。だから、訪問看護はオモシロイ。これからもどんな人に会えるのか、どんな家を見れるのか、楽しみはつきません。
[2017/01/14 16:46] | つぶやき | トラックバック(0) | コメント(0)
モルヒネミステリー
 「モルヒネ」という名前を聞いて、パッと頭に浮かぶのは、どんなイメージですか?「麻薬」「中毒」「ガンの痛み止め」「死ぬ間際に使う薬」あるいは「モルヒネを使ったら最後」と言ったところでしょうか?
 こうしたマイナスのイメージは、おそらく万国共通と思われますが、先進国の中でも医療用麻薬使用量が最も多いアメリカでさえ、このような固定観念が定着しており、医療従事者の中でも呼吸抑制や依存を恐れる傾向はまだまだ強いのです。ちなみに2012年の国立がん研究センターの統計によると、一年間に使用された100万人一日当たり医療用麻薬(モルヒネを含む)の量は、アメリカがトップで、カナダ、オーストリア、ドイツと続き、ずっと下の方にある日本は、なんとアメリカの18分の1となっています。
 ご存知のように、モルヒネはホスピスで最もよく使われる秘薬です。鎮痛だけでなく、呼吸困難を軽減したり、咳を抑えたり、と言う効果もあります。そして、痛みと呼吸困難は、ホスピスの患者さんが最も恐れる症状であり、“苦しみたくない”と言う言葉には、往々にして、“この二つを経験しながら死にたくない”と言う意味が含まれているのです。それでもモルヒネを使うことに抵抗を感じる人は多く、私達ホスピスナースはその壁を打ち破る為に、日々この社会通念とバトルを繰り返しているのです。
 先日もこんな事がありました。私の受け持ちの患者さんの妹さんが、夜の9時過ぎに、ホスピスのホットラインに電話をしてきました。その患者さんはまだ50代なのですがナーシングホームに入っており、アルコール依存症や、鬱、原因不明の慢性的な下肢の疼痛、その他諸々の既往歴に加え、つい最近肺に扁平上皮癌が見つかり、ホスピスを選んだ人でした。非常に複雑なケースで、私も彼の疼痛コントロールにとても難渋していたのですが、その理由の一つが彼がそのナーシングホームにいる、と言うことでした。その夜、妹さんが患者さんのお見舞いに行くと、彼は妹さんに痛みを訴えたのだそうです。この患者さんはいつも能面をつけているかのように無表情な人で、傍目から見ると激痛に耐えているとは露ほども思えず、ナーシングホームのスタッフも見逃しがちでした。それでも本人が10段階のうち最悪であるレベル10の痛みを訴えているのですから、妹さんはスタッフナースに、2時間毎にオーダーされている頓用のモルヒネをあげるように頼んだのです。すると、そのナースは「もう定時のモルヒネをあげたから。いくらオーダーがあったって、2時間ごとにモルヒネなんかあげられない。そんなことしたら、あなたのお兄さんは死んじゃうわよ」と言ったのだそうです。それでびっくりした妹さんが、ホスピスホットラインに電話をかけてきた、と言う次第でした。その晩の夜勤だったナースのジムは、まず、妹さんにそのナースが言った事は正確ではない事、彼はすでにモルヒネを使っており、更に酷い痛みがある時に頓用の5mgの液体モルヒネを、必要に応じて2時間毎に投与する事で命を縮める事はない、と説明し、それから直接そのスタッフナースと電話で話をしたのです。ところがそのナースはジムの説明に耳を貸さず、それどころか「これだからホスピスは...」と、まるでホスピスが殺そうとしている患者さんを自分が守らなければ、とでも言いたげな勢いだったのだそうです。もちろん、これはこのナースの個人的な偏見と思い込みであり、翌朝この一件を知った私が、ナーシングホームの主任ナースと話したところ、彼女も慌てていましたが、残念な事にスタッフの教育レベルや経験年数などによる知識の格差は、その施設ではなかなか埋める事ができないようでした。
 また、こんな事もありました。別のナーシングホームで、こちらは環境的にもケアのレベル的にも前述の施設よりかなり良好で、スタッフのホスピスに対する理解も統一されていました。そう言う施設だと私も仕事がしやすく、お互いに協力して患者さんがより快適に過ごせるように、相乗効果をもたらす事も可能なのです。その患者さんは90代で、アルツハイマーの末期の女性でした。近所に住む娘さんは毎日会いに来ており、その日私が部屋に入ると、娘さんのほかにもう一人お見舞いに来ている人がいました。その女性はインドかバングラディッシュ出身らしく、独特のアクセントを持っていました。どういう知り合いなのかはわかりませんでしたが、娘さんもその人に会うのは初めてのようでした。私がホスピスナースだと分かると、その女性はあるホスピスの名前を言って、私がそこからきたのかと尋ねました。私が違うと言うと、彼女はつい最近自分の母親を亡くしたと言い、そのホスピスの人たちが無理やりお母さんをホスピスに入れようとした、と言ったのです。私と娘さんはびっくりして、お悔やみを言ってから、娘さんが「それで、お母さんはホスピスケアを受けたの?」と聞きました。するとその人はまさか、とでも言うように首を振り「断ったわよ」と言い、私が「どうしてですか?」と聞くと、「だって、ホスピスはモルヒネを使うでしょ?モルヒネは母を殺すもの」と言ったのです。一瞬部屋の空気が凍りつき、私は何を言うべきか言わないべきか、考えを巡らせました。ここでこの傷心の女性に「そんな事はないんですよ」と言うのもはばかられ、かと言って娘さんに誤った印象を与えたくもなく、そうして私が逡巡している間、その人は続けました。「だからホスピスは断ったけど、結局お医者さんはモルヒネを使って、そしたらすぐに母は亡くなったの。だからモルヒネはいやだったのに。」すると、娘さんが「お気の毒に。大変だったのね」と言ってから、私に目で〔大丈夫〕と伝えてきました。私はホッとして、空気をかえる為に患者さんに声を掛け、アセスメントを始めました。幸い、この娘さんとは訪問の度にいろいろと話をしていたので、私が心配するような誤解を植えつけることはありませんでしたが、あの女性がこの先もずっと、お母さんはモルヒネのせいで亡くなったのだと思い込んでいくのかと思うと、なんとなく落ち着かない気持ちになったのでした。
 なぜモルヒネはこんなに悪名高くなったのでしょうか?その歴史を遡ると、実に紀元前まで戻るらしいのですが、近代のモルヒネと言うものになったのは19世紀だそうです。元々は痛み止めのほかに、麻酔薬、そして、アルコールやそのほかの薬物依存症の治療に使われたのですが、わりとすぐにモルヒネ自体に強い依存性があることがわかりました。特にアメリカでは、南北戦争で負傷した兵士達の痛み止めや麻酔薬として使われ、そのまま依存症になった人が多く、"Soldiers Disease"(兵士病)と呼ばれたそうです。その後、より精製されたヘロインが出現するまで、モルヒネは医薬品以外の目的で多く使われたため、麻薬中毒のレッテルがべったりと貼られてしまったのです。また、第二次世界大戦では、シレットと言われる針付きの小さなチューブに入ったモルヒネが負傷兵の痛み止めに使われ、映画などでもよく負傷兵に「今楽にしてやるからな」などと言ってシレットをぐさりと刺す場面があり、まるで安楽死を思わせるような印象を与えた事もあったのだと思います。こうした依存性の高さや、過剰投与による呼吸抑制を恐れるがあまり、いつの間にかモルヒネを使うのは、依存も呼吸抑制も気にせずにすむ、“カウントダウン”の状態になったら、と言うパターンができてしまったのではないでしょうか。本当なら適切な量を適切なタイミングで使うことで、痛みや呼吸困難を緩和しながら安らかな最期を迎える事ができたはずなのに、そうする代わり、苦しんだ最後の最後にモルヒネを使い、おかげで呼吸や痛みは楽にはなったものの、同時に全ても終わってしまう、そしてそれがあたかもモルヒネを使ったためだと思われてしまうのです。
 別にモルヒネの肩を持つわけではないし、確かに初めて使う人や、喘息や腎、肝機能障害のある人に使う場合などは、特に注意が必要だし、もちろん依存症や呼吸抑制は気をつけなければならない事に違いないのですが、要するに使い方次第であり、両刃の剣ではあるけれど、名刀でもある、と言うことなのです。
 ちなみに、夫に「モルヒネと聞いて、何が思い浮かぶ?」と聞いたところ、即座に帰ってきた答えは「ローリングストーンズ」でした。

[2017/01/02 19:14] | ホスピスナース | トラックバック(0) | コメント(0)
| ホーム |
プロフィール

ラプレツィオーサ伸子

Author:ラプレツィオーサ伸子
アメリカ東海岸で在宅ホスピスナースをしています。アメリカ人の夫、子供3人、犬一匹と日々奮闘中。

最新記事

このブログが本になりました!

2冊目の本がGakkenから出版されました。 「それでも私が、ホスピスナースを続ける理由」https://gakken-mall.jp/ec/plus/pro/disp/1/1020594700 「ホスピスナースが胸を熱くした いのちの物語」と言うタイトルで青春出版社から発売されました。 http://www.seishun.co.jp/book/20814/

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

フリーエリア

フリーエリア

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR