去年の今頃を髣髴とさせる大雪の中、次の訪問先を目指してノロノロと運転しながら、私はある女性の事を思い出していました。リンダさん(仮)は、60代前半の元ナースで、一棟に8世帯、15棟ほどが建ち並ぶ、アパートメント・コンプレックスと呼ばれる集合住宅地に、一人で暮らしていました。彼女は思春期の頃より、多発性のう胞腎という慢性の腎臓病を患い、ずっと病気と付き合ってきたのですが、1年近く前から人工透析を受けていました。同時に、腎性貧血もあり、その治療もしていました。彼女は最初の結婚で、腎臓病にもかかわらず二人の娘さんに恵まれましたが、彼女たちが成人してから離婚しました。暫らくしてから再婚し、二度目のご主人ととても幸せに暮らしていましたが、3年前、結婚して3年目に、彼は動脈瘤破裂で急死してしまったのです。それ以来、彼女はナースとして働きながら、そのアパートで独り暮らしをしていました。 リンダさんのアパートには、建物に入る為の鍵のかかったドアがあり、訪問者は自分が尋ねる人のアパートのブザーを押して、中から自動的に解錠してもらうシステムになっていました。ところが、リンダさんの建物は、外のドアの呼び出しブザーが壊れていた為、毎回建物のドアの外から私が電話し、彼女が自分のアパートから廊下を抜けて、ドアを開けに来てくれたのでした。 初回訪問の時、ソーシャルワーカーのキンバリーと私は、あまりにも彼女がホスピスに似つかわしくない様子だったので、かなり詳しくホスピスを選ぶに至った経過を訊きました。彼女ははっきりと、「もう、透析はいやなのよ。週に三日もあんな思いをして、疲れきって、この先あとどれ位時間があるのか分からないけど、こんな風に残りの人生を生きたくないの。」と言い、もう透析は受けないと言う意思表示をしたのです。彼女は何の躊躇もなくDNRにも同意し、清々しい顔でホスピスケアにサインすると、ホッとしたように、「これで安心。」と言いました。 リンダさんの娘さん達は、二人とも結婚して、近くに住んでいました。それぞれ二人ずつ子供もいて、かわいらしい孫達の写真が、部屋のあちこちに飾ってありました。ところが、2年前に突然次女がリンダさんに絶縁宣言をし、その直後、長女も同様に縁を切ると言って、以来、娘さん達とお孫さん達には会っていないと言うのです。キンバリーと私は、衝撃的な事実を悲しげに、しかし淡々と話す彼女に、一体何があったのか尋ねましたが、リンダさんは、「それが、私にも全く分からないのよ。」と私達を見てから、こう言いました。「だからね、死ぬ前に、なぜなのか、それだけはどうしても知りたいの。」 ホスピスケアを受けるにあたり、必ず必要なのが“Primary Care Person”(プライマリーケアパーソン:主要介護者) となる人で、大抵は直接介護する家族の一人、或いは“Durable Power of Attony”(永続的委任状:家族、他人に関係なく、その人の法的、医学的、財政的決定権を持つ人、またはそれを明記した法的書類)を持っている人がなるのですが、リンダさんの場合、娘さん達は無理なので、親友に頼む事になりました。その親友は学校の先生で、日中は仕事をしているのですが、何かあったらいつでも連絡が取れるようにしてくれている、と言う事でした。私達は、リンダさんに、これから考えなくてはならない事、特に、状態が悪くなり、一人では暮らせなくなった時の事、24時間の介護が必要になった時の事、そしてお葬式の準備の事などを話しました。彼女は、遠いような近いような現実問題を突きつけられ、ショックと言うよりも、“ああ、そうか、そうよね”という感じで、しっかりとメモを取っていました。そして、私が、「何か他に質問はありませんか?」と訊くと、こう言いました。「透析をやめてから、大体どれ位もつものなの?」私は、内心“この人に本当に当てはまるのだろうか?”と思いつつ、「週3回透析を受けていた人がやめた場合、大体2週間だと言われていますが、ひと月近い人もいます。ごくたまに、“もしかしたら、透析の必要がなかったのでは?”と思わせるような人もいるので、一概には言えませんが。」と答えました。するとリンダさんは、「私がその“ごくたま”な人かもしれない可能性もあるのね。」と言ってから、私を見て、「ありがとう。」と言いました。 リンダさんは、少しずつ息切れが強くなり、ドアを開けに来てから部屋に戻ると、しばらく座って、息を整えなくてはなりませんでした。しかし、透析をやめてから一週間経っても、尿の量も減らず、皮膚のかゆみや吐き気などもなく、ほぼ普通の生活を保っていました。私は、娘さん達が、リンダさんがホスピスケアを受けている事を知っているのか、尋ねました。すると、答えはこうでした。「知っているも何も、ホスピスを勧めたのはあの子達なのよ。私が透析センターで、これ以上透析を続ける意味がわからないって先生に話した後、センターのナースが長女に連絡したのね。そしたらあの子から2年ぶりに電話がかかってきて、こう言われたの。“透析をやめるって言う事がどう意味かわかっているでしょ。だったら、ホスピスに行くしかないわね”って。“でも、私達には何も期待しないで”って。」 私は、「そんな...」と言ってから、言葉が出ませんでした。リンダさんは、こう続けました。「前の夫と離婚してからも、あの子達とはいい関係だったのよ。孫達とだって。ベビーシッターだってよくやってたし。本当に愛してるのよ。でも、最初はプレゼントの事だったわ。次女が、私が子供たちに物を与えすぎるって言い出したの。私だって、やたらめったら物をあげてたわけじゃないし、いくらかわいくたって、それくらいわきまえてるわ。誕生日とクリスマスくらいよ。そしたら今度は、子供達にはもう会わないでって言われたの。私は訳がわからなくて、どうしてなのか訊いたわ。でも、はっきり言わないのよ。でもね、どうやら彼女は長女に相談していたらしいの。それから彼女たちの父親にもね。それでしばらくしたら、今度は長女から電話があって、“妹はもうあなたとは会わない、自分は妹の味方だから、自分ももうあなたとは会わない”って言われたの。私はもう、何がなんだかわからなくて、私が何をしたのか、何を言ったのか、教えて欲しいって言ったのよ。でも、何の説明もしないで電話を切ったわ。その年のクリスマスも、このクリスマスも、少しだけでもと思って、子供たちにプレゼントを贈ったんだけど、それも全部送り返されてきたの。一体私は、どんなに悪い事をしたのかしら。誰か、教えて欲しいのよ。」 私が知っている限り、リンダさんは親切で優しく、賢くて落ち着いた、料理好きの素敵な女性でした。そんな彼女が、実の娘二人から絶縁される理由とは、一体なんだったのでしょうか?そしてなぜ、彼女達はその理由を話さないのでしょうか?もしかしたら、彼女達は何か大きな誤解をしているのではないか、父親に何か言われたのではないか、それとも、リンダさんが無意識に、彼女たちをそこまで追い込むほどの何かをしたのか、私がいくら考えても答えがわかるわけではないのですが、それでも、考えずにはいられませんでした。そして、何とかリンダさんが娘さん達と和解できる方法はないものかと、ない知恵を絞るのでした。 そうして2週間経ち、3週間経ち、ひと月たっても、リンダさんは息切れ以外は症状もなく、誰もが“もしかしたら、これは例の、『ごくたまケース』かも...”と思い始めたのです。リンダさんは、学校の先生をしている親友のほかに、買い物などを手伝ってくれる友人がいました。その友人は実は私と同じホームケアの、小児チームのナースでしたが、私は会ったことはありませんでした。私達は、リンダさんの状態が悪化した時の準備をする反面、やはり、ホスピスにサインしたのは時期が早すぎたのでは?と言う思いを強くしていきました。そして、長かった冬も終わりに近づき、日差しが柔らかくなってきた頃、第一認定期間の90日終了と共に、リンダさんはホスピスケアを一旦中止する事にしました。息切れはおそらく貧血の為であり、家庭医に戻って貧血の治療を再開し、腎臓の方はそのまま様子を見ることにしたのです。 リンダさんは、予想だにしなかった現実に、戸惑いながらも、悦びを隠せずに言いました。「あとどれくらい生きられるのかはわからないけど、これは神様からの贈り物だから、決して無駄にはしないわ。ああ、夏が来るのが待ち遠しい。私、プールが大好きなのよ。もう一度夏を過ごせるとは思っても見なかったわ。」そして、私の手を取ると、「本当に、いろいろありがとう。あなたに会えなくなるのは残念だけど、今度その時が来たら、また、あなたに担当してもらいたいわ。」と言いました。私は、どんな症状が出たら医師に連絡するのか、と言う事を確認してから、「できれば、ずっと会う必要がない方がいいんですが、必要になったら、また来ますね。それまで、毎日を楽しんで下さい。そして、いつか娘さん達と会えるよう、祈ってます。」と言うと、リンダさんは、「どうもありがとう。」と言い、ギュウっとハグしてくれました。 それから10ヵ月ほど経ったある日、小児ナースのキャロルと一緒に訪問した後、彼女に「そう言えば、メラニーから伝言があったんだわ。」と言われました。私が、「メラニーって?」と訊くと、キャロルは、「うちのチームのナースよ。“リンダが亡くなった”って。」と言ったのです。私は一瞬考えてから、それがあのリンダさんのことだとわかると、思わず息をのんでしまいました。キャロルはそんな私を不安そうに見て言いました。「メラニーは、そう言ったらわかるって...。」私は我に帰ると、キャロルに説明しました。一年近く前に受け持った人で、状態が良くなって、ホスピスを中止したのだと。それから再依頼がなかったから、ずっと元気にやっているのかと思ってたのに、と。メラニーからの伝言はそれだけで、どこで、どうして、と言う事はわかりませんでした。 私の脳裏に浮かぶのは、最後に会った、優しい笑顔でハグしてくれた、ふっくらとしたリンダさんでした。あの後、アパートのティーンエイジャーに傷をつけられた車は直したのだろうか、夏のプールを思い切り楽しんだのだろうか、友人たちとバーベキューをしたのだろうか、そして、娘さん達とは、和解できたのだろうか。そんな事が、頭の中をぐるぐる回り、いっそのことメラニーに訊いてみようか、とも思いました。しかし、メラニーは個人的な友人の死を、受け持ちだった私への厚意で知らせてくれたのであり、私が立ち入る事ではない、と思い直したのです。私にできるのは、ただ、リンダさんが娘さん達と和解し、心安らかに人生を終わらせられた事を願うよりありませんでした。それでもやはり、一度は関わった人の最後を見届ける事ができなかったのは、置き忘れた大切なものを二度と取りに戻れないような、そんな心残りとなって、記憶されていく気がするのです。
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