その後も安定した日が続き、カリーナさんは、やはりソファーで一日の殆どを過ごしてはいましたが、時々ヴァーリさんと一緒に料理をするなどして、周りのみんなを驚かせていました。ただ、胆管チューブが漏れ始め、私はその木曜日にIRに電話をしました。カリーナさんは意識もしっかりしており、本人もチューブの交換を希望していました。カリーナさんをよく知っているIRのナースは、“S先生は来週の火曜日までいませんけど、ほかの先生でいいなら明日できますよ”と言い、カリーナさんとご主人は少し躊躇しましたが、結局翌日に予約を入れることにしました。ところが、月曜日に訪問すると、ご主人が開口一番、“金曜日にチューブを入れ替えたんだけど、どういうわけか、いつも貼っている固定用のテープをつけてくれなかったんだよ。しかも、入れ替えたその日から漏れてて、その事は言ったんだけど、様子を見ろって言われてさ、土曜日は大丈夫だったんだけど、夕べからまた漏れ始めたんだよ”と、不安を隠しきれないように訴えてきました。確かに、挿入部を覆っているガーゼは漏れた胆汁ですっかり濡れていましたが、ドレナージバッグ(流れ出た液をためておく袋)にもきちんと溜まっていました。チューブは二針の糸で固定され、ズレてはいませんでしたが、私は念のために、固定用の特別なテープでチューブをしっかりととめました。そして、再びIRに電話をし、いつものナースに状況を説明すると、“もう一日様子を見て、漏れ続けるようだったら明日朝一番に電話して。明日ならS先生もいるから”と言われたのです。私は、カリーナさんとご主人に、その事を伝え、とりあえず皮膚が荒れないようガーゼをこまめに取り替えるように指導しました。そして、「明日の朝電話しますから、もしまだ漏れるようだったら、念のため、夜中過ぎから痛み止めの薬以外は、何も飲んだり食べたりしないでください。そうすれば、明日の午前中にIRでチェックしてもらえますから。」と言い、なんとなくいやな気持ちで、サヴァティーナ家を後にしました。翌朝一番にご主人の携帯に電話をすると、やはりチューブは漏れており、夜中に一度換えたガーゼがもうぐっしょりだ、という事でした。私はIRに電話すると、昨日のナースに“わかりました。今日の午前中にS先生で予約を入れます。ご主人にはこちらから電話して時間を言いますから”と言われ、すぐにご主人に電話でその旨を伝えました。ご主人はホッとした様子で、“よかった。じゃあ、それまで何も飲んだり食べたりしなければいいんだね”と言い、電話を切りました。私もとりあえず一安心し、翌日の水曜日にカリーナさんの訪問をずらしました。ところが、その午後、チームミーティングのためにオフィスに行くと、上司に“明日新しい小児のケースをオープンするから、スケジュールがちょっと変わるわよ”と言われ、カリーナさんは別のナースが訪問することになりました。私はカリーナさんを訪問する予定の同僚に一連の状況を説明し、フォローを頼みました。そして、スケジュールの都合で、結局その週はそれ以降、私がカリーナさんを訪問することはなかったのです。 日曜日の晩、私は週末の報告をチェックしながら、カリーナさんの記録を何度も読み返しました。何度読んでも私が理解できたのは、こう言う事でした。“IRの医師に何も出来ることがないと言われ、夫は大変憤慨している。チューブは漏れたり漏れなかったりだが、患者の状態は急激に悪化している。” 月曜日の朝、カリーナさんはいつものソファーに横になり、口と眼を半開きにしたまま、浅い呼吸をしていました。黄疸が出て、枝のようだった両脚が浮腫んでいました。ご主人とヴァーリさん、お義姉さんが、沈痛な顔で私を待っていました。私が、“一体IRで何があったんですか?”と訊くと、ご主人はゆっくりと話し始めました。「あの朝、あんたと話した後、いくら待ってもIRから電話はなかったんだ。カリーナはおなかが空いたので、Nobukoに電話してどうなっているのか訊いてくれって言ったんだけど、それより直接IRに訊いた方が早いと思って、10時過ぎになってIRに電話したんだ。そしたらさ、“ああ、サヴァティーナさん、S先生に話したんですけど、先生は 、我々に出来ることは何もないから、あとはガーゼを換えて、かぶれない様にして、もし熱が出たら受け持ちの医師に連絡するように、ということなんです。”なんて言うんだよ。信じられるかい?それでも、次の日別のナースが来た時はあんまり漏れていなかったからよかったものの、その後また漏れ出してさ、金曜日にナースが来た時には妻はもう起きなかったよ。オレはさ、ただの庭師だし、英語も下手だけどよ、何かがおかしいって事くらいはわかるよ。出来ることはないって、どういう意味なんだよ?あの時はまだ、妻は歩いてたんだよ!」 怒りと悲しみと医療者に対する不信感でいっぱいの家族を前にし、私は言葉を選びながら、自分自身の怒りを抑えるように、こう言いました。「まず、IRが電話をしてこなかったのは、完全に怠慢です。そして、何も出来る事がない、と言うのがどう意味なのか、例えば、前回の交換の時に何かわかっていたのなら、その説明をするべきでした。もしかしたら、病気の進行が漏れの原因であり、だからできる事がないのかもしれない。交換する事によるメリットがなかったのかもしれない。どちらにしても、少なくとも診察はするべきだったと思います。そうすれば、サヴァティーナさんだって納得できたでしょうから。」それから、「今からIRに電話して、どういうことなのか訊きましょう、」と言い、馴染みの番号を押しました。いつものナースが出ると、私は、単刀直入に本題に入りました。なぜ電話をしなかったのか、なぜ“何も出来ることはない”説明をしなかったのか、そして、今のカリーナさんの状態と、家族が受けている精神的苦痛を説明しました。彼女は、“あの日はご主人が電話をしてきたので、S先生の言った事を伝えたまでです。漏れているのは固定のせいじゃないし、患者さんの容態が変わったのなら、ER(救急)に行って下さい。”と言い、終わらせようとしましたが、私は“あなたを責めるつもりはないけど、それでは答えになっていません”と食い下がりました。すると、“でも、水曜日にホスピスのナースが電話してきた時は、漏れていないと言っていたし、ご主人だって何も言っていませんでしたよ。でも、どうしても家族が納得しないと言うなら、うちのナースプラクティショナー(NP)と話しますか?”と言い、ぜひそうしたい、と言うとさっさと電話を切り替えてしまいました。そして、電話を替わったNPに改めて状況を説明すると、“こちらからすると言った連絡をしなかった不手際は、上司に報告し、今後そのような事がないよう善処します。チューブの交換をしなかったのは、状況的にその必要性と患者さんが受ける恩恵と負担を考慮した結果であり、放棄したわけではありません。患者さんはホスピスケアを受けているそうですが、それでもご家族が希望するのなら、ERに行くしかないですね。”と言われ、私が“今私に言った事を、患者さんのご主人に説明してください。このままじゃ、どうしても納得されないと思うんです。”と頼むと、“いいですよ、それで少しでも助けになるのでしたら。”と言い、ご主人と話しをしてくれました。NPと話し終えたご主人は、それでもまだ納得できない、と言う表情で、こう言いました。「妻の病気が良くならないのはわかっていたし、この間の事で、覚悟はできてたよ。でも、これじゃあやっぱりすっきりしないんだ。もしもチューブがちゃんとして、それでもこうなったのなら、仕方ないよ。癌がそうしたんだ。せめてドクターが診てから、交換できないって言うなら仕方ないよ。そしたら、オレだって納得するよ。諦めるよ。受け入れるよ。でも、こんな状態の妻を今からERに連れて行って、どうなるって言うんだ!」すると、横でずっと黙っていたヴァーリさんが、堰を切ったように、殆ど叫ぶように訴え始めました。「こんな無責任な事ってある?!あの人達にとって私の母は人でもなんでもない、ただの数に過ぎないのよ。あの日、母はまだ歩いてたわ。でも、あの人たちの怠慢のせいでチューブが漏れ、そのせいで黄疸も出て、状態が悪化したのよ!そしてそれを病気のせいにして、何もできないなんて言うのよ。どうしてだかわかる?母がホスピスの患者だからよ!どうせもうすぐ死ぬんだから、そんなの無駄だって思ってるのよ!もしかしたら、保険がおりないのかもしれないわ。だって、交換してすぐもれたって事は、あっちのミスかもしれないじゃない。どっちにしたって、あなたの病院の落ち度だわ!母がどうなろうとあの人達には関係ない。母が死んだって、あの人達は家族と一緒に、笑ってサンクスギビングのご馳走を食べるのよ!だから平気であんな事が言えるのよ!!」 私には、返す言葉がありませんでした。恐らく、IRの判断は正しかったでしょう。しかし、一旦奇跡のかけらを見てしまった彼女にとって、魔法がとけてかぼちゃに戻ってしまった馬車を受け入れるのは、至難の業でした。翌々日、“母は嫌いだったから”と言って反対していたヴァーリさんを説得し、私はエイドさんと一緒に、カリーナさんをソファーから電動ベッドに移しました。エイドさんがカリーナさんの体をきれいにし、ベッドを整えると、彼女はずっと快適そうでした。ご主人とヴァーリさん、お義姉さんに体の向きの変え方や、床ずれができないようにする枕の使い方などを指導し、今一度、緊急時の薬の使い方、そして、亡くなった時の手順を説明しました。その後ご主人は、静かに眠っているカリーナさんの手を取り、私に向かってこう言いました。「実はさ、こうなる前に、妻はオレに言ったんだよ。“もう、うちに帰る”って。“あなたや子供たちの事、ずっと想ってる”って。彼女はわかってたんだよ。もう、時間だって。」 帰り際、私はご主人とヴァーリさんに最後の挨拶をしました。私は、ご主人に、「去年、カリーナさんが、私のレシピのビスコッティを焼いてくれたのが、ついこの間みたいです。きっと、一生忘れません。」と言うと、彼は涙を流しながら、「あんたは出来る事全てをしてくれたよ。妻だって、きっと感謝してるよ。」と言い、ハグしてくれました。そして、ヴァーリさんに、「お母さんはいつもあなたの傍で、見守ってくれると思う。辛いけど、心配しないでって、大丈夫って、言ってあげて。」と言うと、彼女は大きな瞳を濡らしながら頷き、「長い間、どうもありがとう。」と言い、そっとハグしてくれたのです。 カリーナさんは、翌日のサンクスギビングに亡くなりました。ご主人と、3人の子供たち、かわいい孫、そして大勢の義兄弟姉妹に囲まれ、眠ったまま、静かに逝ってしまいました。 カリーナさんのお葬式で手渡されたメモリアルカード(故人の名前、生年月日と没年月日などを書いた小さなカード)には、ヴァーリさんの結婚式の時の、紫のドレスを着て微笑んでいるカリーナさんの写真と、こんな詩が印刷されていました。
あなたの心を痛みと悲しみでいっぱいにしないで。そのかわり、明日はいつも私を思い出して。 喜び、笑い、そして笑顔を忘れないで、私はちょっと休んでいるだけ。 私の離別は痛みと悲嘆を与えるかもしれないけど、私の旅立ちは私の苦痛を軽くし、安らかにしてくれる。 だから涙をふいて、私をおぼえていて、今の私ではなく、今までの私を。 だって、私はあなたたちみんなをおぼえているし、笑顔で見ているから。 わかって、あなたの心の中で、私はほんの少し休みに行っているだけ。 私があなたたち一人一人の愛を持っている限り、私はあなたたちみんなの心の中で生き続けることができるから。
Fill not your heart with pain and sorrow, but remember me in every tomorrow. Remember the joy, the laughter, the smiles, I've only gone to rest a little while. Although my leaving causes pain and grief, my going has eased my hurt and given me relief. So dry your eyes and remember me, not as I am now, but as I used to be. Because, I will remember you all and look on with a smile. Understand, in your heart, I've only gone to rest a little while. As long as I have the love of each of you, I can live my life in the hearts of all of you.
まるで、カリーナさんの声が聞こえてくるような詩でした。家族を愛し、家族に愛され、その想いだけで肉体の限界を超え、奇跡を垣間見せてくれた彼女の、優しさに満ち溢れた詩でした。私は涙を拭き、カリーナさんに言いました。“あなたのことは忘れません。毎年ビスコッティを焼くたびに、私は、あなたの事を想うでしょうから”と。
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