ホスピスナースをしていると、老若男女、いろいろな人に出会います。と言う事はつまり、いろいろな名前に出会う、と言うことでもあります。多分、どの文化圏でも同じなのでしょうが、名前には時代ごとに流行があります。もちろん、伝統的な名前もあり、それらもまた、時代によって、古臭く感じられたり、逆に新鮮に感じられたりするのは、面白いものです。 名前は、親が子供に与えられる最初の贈り物です。私が看護学生だったとき、産科実習で会ったお母さんが女の子の赤ちゃんの名前を決めるのに、“昔から娘ができたら、「香(かおり)」にするって決めてたんだけど、結婚したら苗字が「布施」になっちゃったでしょ。そしたら、「ふせかおり」になっちゃうのよ。学校に行き始めたら、きっと「くせー香」ってからかわれるから、やっぱり別の名前にしたほうがいいのかしら...”と悩んでいたのを、今でも思い出します。女の子の場合は、結婚して苗字が変わるかもしれず、となるとどっちに転ぶ可能性もあるわけで、例えば、「三崎よしの」さんが、「吉野」さんと結婚してしまったり、「吉野みさき」さんが、「三崎」さんと結婚してしまう事もあるわけです。逆に、香さんが「伊井」さんと結婚すれば、「いいかおり」になるわけで、そんな事を考え出すと、全くきりがありません。 欧米では、今でも長男に父親の名前をつける人は多く、名前の後にJr.(ジュニア)とか、III(サード)が付く人もいます。また、イタリアでは長男に母親の父の名前をつける伝統があるそうなのですが、私の義母は“その伝統を守ったら、彼(長男)は一生私を恨むと思ってね、付けなかったのよ”と言って、彼女のお父さんの名前を教えてくれました。その名も、「Pompilio (ポンピリオ)」。意味は「5」。日本語にすると、さしずめ「五助」あたりでしょうか。現在ではイタリアでも全く聞かれなくなった名前らしいです。 “よしの”さんや“みさき”さんのように、英語にも、ファーストネーム(名前)とラストネーム(苗字)のどちらにもある名前はたくさんあります。Lawrence, Mitchell, Thomas など古くからあるものから、Courtney, Taylor, Riley など、最近ファーストネームに付けられるようになったものまで、いろいろです。特に最近は、男の子でも女の子でもどちらにもつけられる名前が増えてきて、さらに混乱してしまいます。また、Williams, Edwards, Richards, Adams のように、ファーストネームの最後にSが付いたり、Johnson, Peterson, Jackson のように、ファーストネームの後にSON(息子)が付くラストネームもよくあります。たまに、William Williams や、Bob(Robert) Roberts、Phillip Phillips など、なぜだろう?と思う名前の方もいますが、もしかしたら、名前を一つ覚えるだけでいい、と言う親心だったのかもしれません。それはともかく、たくさんの患者さんをみる医療従事者にとって、名前と本人が一致するかどうか確認する事は、最も基本的な重要事項なのです。 ホスピスやホームケアでも、同姓同名や、似たような名前の人、ファーストネームとラストネームが入れ替わっている人達がいた場合、必ず“要注意”のマークをつけるようにしています。例えば、Thomas JacksonさんとJackson Thomasさんがいたり、Frances Evansさん(女性)とEvan Francisさん(男性)がいたりすると、上司から“Name Alert”のメールが来ます。同姓同名の場合は、ミドルネームや、誕生日でいちいち確認します。うっかりすると、お互いに全く別人のことを考えて話し合っていたりもしかねないからです。余談ですが、病院の手術室などでは、最近は手術を受ける患者さんの名前を確認するだけではなく、患部、特に手足の場合、マーカーで“こっちの足!”と、足そのものに書くようになっているそうです。ようするに、間違って良い方を切ってしまったりする信じられないような医療過誤を防ごうと言う、笑えない工夫なわけです。 名前とは不思議なものです。それまでなんでもなかったものが、名前をつけられた途端、個性を持って輝き始める。そしてその名前が、その人となり、その人生を生き、死んだ後も、その人が存在した証として残っていくのです。当たり前の事ですが、名前の数だけ、人生がある。そして、そこに籠められた親の思いもまた、名前と共に残っていく。そんな風に考えると、患者さんのリストにあるたくさんの名前の一つ一つが、何ものにも代えられない唯一無二のものであり、“人生の代表”のように思えてくるのです。
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