ホスピスナースは今日も行く 2014年12月
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ホスピスナースは今日も行く
アメリカ在住日本人ナースが、ホスピスで出会った普通の人々の素敵な人生をおすそわけします。
ビスコッティ (2)
 カリーナさんは、50代でしたので、メディケアではなく、私的な健康保険に入っていました。アメリカの健康保険制度はとても複雑です。いわゆる“オバマケア”の導入により、ますます複雑に、そして多くの人達がほぼ強制的に、今までよりも高い保険料を払い、しかもカバーされるものは減ると言う、“ちょっと話が違うんじゃないの?”と思わざるを得ない状況になっています。年末になると、保険会社のケースマネージャーと言う、各顧客の担当者から、翌年の保険のカバーをどうするか連絡が来ます。そして、1月1日付けでカバーされる内容や、保険会社を変更する人も多く、私たち訪問看護師は、必ずそれを確認し、変更があれば新しい保険番号を控え、医療事務に連絡します。これを忘れると、報酬の支払いが滞ると言うとんでもない事態になり、大目玉を食らう事になります。カリーナさんも、年が明けて保険のプランを新しくしました。ご主人は、“内容はあまり変わらないって、ケースマネージャーは言っていたよ”と、特に詳しい話はしませんでした。そして、私も週に2回の訪問、毎月合計8回の訪問認可のリクエストを、カリーナさんの状態の報告と共に保険会社に申請し、それまで通り特に問題なく承認されていました(この事前承認がないと、報酬が支払われません)。しかし、実は、変わらないどころか、新しいプランではホームケアのスタッフ(ナース、ソーシャルワーカー、PT、ホームヘルスエイドなどなど)の訪問毎、一回60ドルの自己負担を支払わなければならなくなっていたのです。ご主人は“そんな事、ケースマネージャーは一言も言っていなかったぞ...”と驚きと怒りでいっぱいでしたが、結局ケースマネージャーの説明だけを鵜呑みにし、詳しい内容を自分で確認しなかったわけで、英語を外国語とする彼にしてみれば、忸怩たる思いだったと思います。ですから、本当に必要な時に必要な人だけが訪問するようにと考えると、結局受け持ちナースである私の訪問のみになってしまうのでした。
 カリーナさんは少しずつ痛み止めの量が増えていき、一日の殆どを、リビングのソファーで横になって過ごす様になっていきました。それでも、夏には姪っ子の結婚式があるので、それには必ず出席するのだ、と決めていました。化学療法も三週間に一度のペースで続けていましたが、同時に例の栄養士さんのサプリメントも飲み、もしかしたら起こるかもしれない奇跡を、自分の体から癌が消え去る日が来る事を信じて、一日一日を必死に生きていました。長女のヴァーリさんは1歳になる息子さんを連れて、ほぼ毎日来ていましたし、長男のトニーは学校を終え、お父さんの造園業を手伝っていました。ご主人は私の訪問日は必ず家にいて、彼女の状態を聞き、それについての質問をした後、おいしいエスプレッソを淹れてくれました。そして、決して良い状態とはいえませんでしたが、カリーナさんは念願通り、結婚式に出席することができたのです。
 ところで、胆管に入っているチューブは、4週ごとに取り替えなければなりません。IR(Interventional Radiology:インターヴェンショナル ラディオロジー、日本の略はIVR)と言う、画像下で体内に管を入れたりする治療を行う外来に行き、そこで行うのですが、カリーナさんの場合は、出血したり、挿入部から胆汁が漏れたりと言う問題が多く、一番腕のいいドクターSと言う先生を指名して予約していました。彼女はIRの常連でしたし、私も問題がある度に電話をしていたので、IRの看護師さん達も私の名前を覚えてしまうほどでした。
 そんな8月のある日、私はカリーナさんの保険から“今年度のホームケアの訪問限度60回のうち、50回を使いました。残り10回です。”という連絡を受けたのです。私にとってはまさに青天の霹靂、同じ頃、カリーナさんのご主人も同じ内容の手紙を受け取り、パニックになっていました。私はすぐにご主人に電話をし、残り10回の訪問を次の4ヶ月の間にいかに効率良く使うかを話し合いました。とりあえず2週間毎の訪問にし、それもその日に特に問題が無ければ電話のみで、緊急時のために訪問日をセーブしておくようにする、と言う事で同意しました。それまでは最低でも週に一度は訪問を受けていたカリーナさんは、少し不安のようでしたが、何かあればいつでもホームケアに電話をするように、と念を押し、また、どういう時はドクターに、どういう時はIRに電話するかを確認すると、“何かあったら、とにかくあなたの所に電話するから”と言って納得しました。しかし、皮肉なもので、それからカリーナさんは眼に見えて弱って行ったのです。私の訪問と訪問の間にチューブが漏れて入院したり、化学療法の副作用で脱水状態になって入院したりと、もしももっと頻回に訪問できていたら、おそらく防げていたであろう事態に加え、癌はどんどん加速しながらカリーナさんを蝕んでいきました。そして、入退院を繰り返す度、ホームケアのケースを終了させ、また、再開のための訪問をしなければならず、残り少ない訪問日数はあっという間に減っていきました。
 10月中旬、カリーナさんは突然意識が混乱、不穏状態になり、再度入院しました。そして、その時点で、彼女の癌専門医が“これ以上の治療は百害あって一利なし”、と宣告し、ホスピスを勧められたのです。入院中、ホスピスのメディカルディレクター(医療監督医)のドクターウェンツが、カリーナさんとご主人に会い、彼女の状態と、ホスピスについて話をしました。カリーナさんは最初、“義父母の様に、ホスピスケアを受けたら、きっと自分はすぐに死んでしまう。私はまだ死にたくない、子供達に悲しい思いをさせたくない、次女が大学を卒業するのを見届けたい、まだまだ家族から離れたくないのだ”と言って、ホスピスを受け入れようとはしませんでした。ご主人は、残念ではあるけれど、彼女が少しでも楽になれるのなら、プロのサービスをもっと受けられるのなら、その方がいいのではないか、と思っていましたが、カリーナさんが自分から決断しない限り、無理に説得しようとはしませんでした。しかし、ドクターウェンツは、何度も、“ホスピスケアを受ける事は、命を縮めるのではなく、身体と心を楽にする事で、より良い時間を生きられると言う事なのだ”と説明し、ついにカリーナさんは、“先生の言う事は良くわかりました。ただし、私がホスピスケアを受ける時は、Nobukoを担当にすると約束してくれますか?”と言ったのだそうです。ドクターウェンツは、“もちろんです”と即答し、すぐに私に電話をかけてきました。そして、“ミセス サヴァティーナが退院したらホスピスケアを受けることになるはずだけど、DNR(蘇生拒否)の事など、まだまだ話すことやサポートする事は沢山あるんだ。でも、君を指名してくるほど信頼しているから、なんとか彼女と家族を支えてあげて下さい。僕もできる限り力になるから”と言われたのです。ドクターウェンツの声を聴きながら、私は、とうとうこの時が来てしまった、と言う落胆と、同時に、でもこれで、訪問回数や自己負担を気にせず、必要なだけ訪問できる、と言う安堵を覚えていました。ビスコッティ(3)に続く。
 
 
[2014/12/25 11:51] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
ビスコッティ (1)
 もうすぐクリスマス。この時期になると、私は毎年、ビスコッティという、イタリアの二度焼きクッキーを大量に焼きます。3種類のビスコッティを、それぞれレシピの4倍ずつ、全部で400個近く作り、家族や友人、ご近所や、お世話になった方々へのギフトにするのです。結婚して最初のクリスマスに、一応イタリア系の嫁になったのだから、何かイタリアンなものを作ってみよう、と思って見つけたのがこのレシピで、これが予想以上に好評だったため、なんとなく恒例になってしまったのです。週末、一日がかりで生地を作り、翌日一日がかりで焼きます。その日はもう、家中クッキーのにおいが充満し、娘は、“クリスマスの匂いがする”と言って喜びます。(要するに、この時くらいしかクッキーなど焼かない、と言う事なのですが...)ただ、今年のビスコッティ作りは、私にとって少し辛いものになりました。
 カリーナさん(仮)は、生粋のイタリア人で、今のご主人と結婚して、アメリカに来ました。まだ50代の半ばでしたが、胃癌の手術の後、肝臓に転移が見つかり、化学療法を受けていました。パリアティヴケアの初回訪問する受け持ち患者さんに彼女の名前を見つけた時、私は“あれ?”と思い、住所を見て“やっぱり”と確信し、同時に、“ああ、これはちょっときついケースになるだろうな”という予感がしました。実は、カリーナさんは、サヴァティーナ家での、私の3人目の患者さんだったのです。サヴァティーナ家は、30数年前に夫婦と5人の息子さん達でイタリアから移住し、造園業で成功した一家でした。兄弟たちは皆スープの冷めない距離に住み、それぞれの奥さんたちも皆イタリア人で、家族のつながりがとても強い、典型的なイタリアンファミリーでした。私の最初の患者さんは、カリーナさんのお義母さんで、お義父さんと一緒にお隣の長男夫婦と同居していました。それが5年ほど前の事で、その1年後にお義父さんを受け持ちました。お義母さんの時も、お義父さんの時も、カリーナさんはよく顔を出し、お義姉さんの手伝いをしたり、パスタ料理や焼き菓子を差し入れていました。お義父さんもお義母さんも英語は話さず、いつもカリーナさんを含む家族の誰かが、通訳をしてくれていました。そして、私が日本人だということや、イタリア系アメリカ人と結婚していることなどもあって印象に残ったのか、訪問していた期間は短かかったのに、カリーナさんの初回訪問では、本人やご主人を始め、同席したお義姉さんも私のことを憶えていてくれたのです。
 もともと小柄なカリーナさんは、4年前に会った時よりもさらに細くなっていました。化学療法の副作用で嘔気が強く、悪液質(癌のために痩せ過ぎて全身が衰弱している不健康状態)になっていた為、一旦治療を中断し、とにかく何とか体力をつけることが当面の目標でした。カリーナさんも家族も、私がホスピスナースである事は承知していましたが、同時にパリアティヴケアのナースである事を知っていましたから、ホスピスについては触れず、“私達はとにかく希望を捨てない”と言う姿勢を崩しませんでした。栄養士やPT(理学療法士)の訪問も行いましたが、3人の子供さんたち(結婚している長女、造園の勉強をしている長男、大学生の次女)もインターネットや知り合いなどから情報を集め、お母さんのためにいろいろなサプリを買ってきたり、スムージーを作ったり、また、自ら癌を克服し、独自のサプリを開発した栄養士さんを見つけてきたりしていました。カリーナさんもご主人も、イタリア訛りの強いブロークンな英語を話しましたが、なぜか私には理解しやすく、向こうも私のゆっくりした英語がわかり易いようでした。そして、私が訪問すると必ず、イタリアにいるカリーナさんの家族が送ってくるコーヒー豆で淹れた、おいしいエスプレッソをご馳走してくれました。
 カリーナさんは一進一退を繰り返していました。暫くすると、黄疸が強くなったため、胆汁を流れ出させるチューブを胆管に入れたのですが、黄疸が落ち着いたと思ったら、そのチューブが漏れたり、また、少しずつ食べられるようになったので化学療法を再開したと思ったら、好中球減少性発熱と言う、白血球の一部が減るために起こる、防ぎようのない発熱を繰り返し、その度に入院しなくてはなりませんでした。
 そんな風にして、1年目はあっという間に過ぎていきました。そして去年の今頃、小康状態が少し続いたカリーナさんは、私が何気なくしたビスコッティの話を聞いて、ぜひレシピが欲しい、と言ったのです。料理やお菓子作りが得意だった彼女は、なぜかビスコッティだけは作った事がなかったのです。私は、次の訪問日に、3種類のビスコッティのレシピに、近所のイタリアンレストランに付随している雑貨店で買った、アニシード(イタリアンクッキーに良く使う香辛料)のおすそ分けを添えて、カリーナさんに“エスピレッソのお礼”と言って渡しました。カリーナさんはとても喜んで、次の週にアニシードを使ったレシピのビスコッティを作り、“あなたが作ったのほどおいしいかわからないけど”と言って、エスプレッソと一緒にご馳走してくれたのです。ビスコッティ(2)に続く。
 
[2014/12/19 23:16] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(2)
やっぱり地図が好き
 訪問看護の仕事は、大雑把に言うと、訪問、記録、電話、そして運転の4つで構成されています。雨の日も、雪の日も、ハリケーンの日も、もちろん気持ちの良い晴れの日も、ハンドルを握り、私たちを待つ人達を目指して車を転がしていきます。こちらには、日本のように日焼け予防の長い手袋など存在しないので、冬の間を除いて、私の左腕と左耳の色は、右のそれとはかなり濃さが違い、左手首の腕時計の白い線が消えるのは、やっと根雪が解ける頃で、でもすぐにまた紫外線はパワーアップしてしまうのです。
 初回訪問をする時は、もちろん住所しかわからないので、知らない地域であれば、まずは地図でどこにあるのか調べます。ところが、最近、それがかなり少数派である事に気づきました。そう、いまどきの訪問看護師は(と言うか、訪問看護師に限らず)みんな、GPSを使っているのです。私がGPSを持っていない(もちろん私のガラケーにGPS機能は付いていない)と言うと、殆どのナースや、患者さんの家族は一様に驚きます。中には親切に、“どこそこで、いくらで売ってるわよ”と、教えてくれる人もいます。そして、私がGPSを買えないのではなく、買わないのだ、と言うと、みんな信じられないと言うように“え!じゃあどうやって行き先がわかるの?”と訊くのです。皆さん、ほら、覚えてますか?かつて私達は“地図”と言うものを使っていたことを!私が、“『フィラデルフィア近辺5郡地図帳』を持ってるから、大丈夫”と言うと、“いるんだねー今時そんな人が...”と、まるで異星人でも見るような顔をされるのです。たまに、“俺もだよー。やっぱり地図だよな!”と喜ぶオジサン(またはオジイサン)もいますが、基本的にいまやGPSを使うのは当たり前の時代になっているのです。
 別に、どんどん進化していくテクノロジーに抵抗しているわけではないのですが、“木を見て森を見ず”的な状態に、私は落ち着かないのです。まず自分の場所と行き先の位置関係、その間にある主要道路、そう言ったものが頭の中に入った上で、細かい道順を選んでいく。その過程で、“あら、こんなところにあの教会が”とか、“あれ、この道はここにつながっているんだ”といった発見があり、それがまた楽しいと言うか嬉しいというか。そして、迷子になったら車を路肩に寄せて、地図帳を開く。まあ、地域によってはそんな事は絶対にしたくない所もあるし、雪の夜中に行かなければならない時などは、神様仏様ご先祖様全てに“どうか迷いませんように”と、お願いしたりもするのですが、とりあえず地図さえあれば何とかなる、という安心感があるのです。また、コンピューターの機械的な声に“次を右”“そこを左”と言われ、気がついたら到着している、と言うのも、便利だけれど、そこに自分の意思がないせいか、なんとなく居心地が悪いのです。
 初回訪問の後は、必ず患者さんのプロフィールの住所に、オフィスからの道順を打ち込みます。そうしておけば、受け持ち以外のナースが訪問する時に困らないし、地域によってはGPSが機能しない場所もあり(!?)、特に夜勤のナースが緊急訪問をする時などは、役に立つのです。ですので、時々右と左を間違えて打ち込んだりしてしまうと、大顰蹙を買ってしまいます。
 GPSの普及のおかげで、地図を買う人が少なくなったせいか、特に広い地域を網羅する地図帳には、それなりの値段がついています。ですから、そうしょっちゅう買い換えるものでもないのですが、問題は、この辺りにどんどん新しい住宅地が開発され、その勢いに付いていけない事です。そういう場合は、背に腹は変えられず、インターネットのマップサービスを使います。そして、私の使い古した地図帳に書き足していくのですが、そんな風に新しい道を書き写していると、改めて、伊能忠敬という人は、すごいなあ、と感心するのです。
 オールドファッションと言われても、私はやっぱり地図が好きです。性格判断などによくある質問で、“もしも無人島に行くとしたら、何を持っていくか?”と言うのがありますが、食料とか、サバイバルキット以外のものだったら、私はきっと地図帳を持っていきます。あとは、電車の時刻表と辞書。この三つがあったら、絶対に退屈しないと思うのですが、こういう話を患者さんにすると、たいていみんな、笑います。“変わってるねえ”と。皆さんだったら、一体何を持っていきますか?
[2014/12/12 13:25] | つぶやき | トラックバック(0) | コメント(2)
君の名は
 ホスピスナースをしていると、老若男女、いろいろな人に出会います。と言う事はつまり、いろいろな名前に出会う、と言うことでもあります。多分、どの文化圏でも同じなのでしょうが、名前には時代ごとに流行があります。もちろん、伝統的な名前もあり、それらもまた、時代によって、古臭く感じられたり、逆に新鮮に感じられたりするのは、面白いものです。
 名前は、親が子供に与えられる最初の贈り物です。私が看護学生だったとき、産科実習で会ったお母さんが女の子の赤ちゃんの名前を決めるのに、“昔から娘ができたら、「香(かおり)」にするって決めてたんだけど、結婚したら苗字が「布施」になっちゃったでしょ。そしたら、「ふせかおり」になっちゃうのよ。学校に行き始めたら、きっと「くせー香」ってからかわれるから、やっぱり別の名前にしたほうがいいのかしら...”と悩んでいたのを、今でも思い出します。女の子の場合は、結婚して苗字が変わるかもしれず、となるとどっちに転ぶ可能性もあるわけで、例えば、「三崎よしの」さんが、「吉野」さんと結婚してしまったり、「吉野みさき」さんが、「三崎」さんと結婚してしまう事もあるわけです。逆に、香さんが「伊井」さんと結婚すれば、「いいかおり」になるわけで、そんな事を考え出すと、全くきりがありません。
 欧米では、今でも長男に父親の名前をつける人は多く、名前の後にJr.(ジュニア)とか、III(サード)が付く人もいます。また、イタリアでは長男に母親の父の名前をつける伝統があるそうなのですが、私の義母は“その伝統を守ったら、彼(長男)は一生私を恨むと思ってね、付けなかったのよ”と言って、彼女のお父さんの名前を教えてくれました。その名も、「Pompilio (ポンピリオ)」。意味は「5」。日本語にすると、さしずめ「五助」あたりでしょうか。現在ではイタリアでも全く聞かれなくなった名前らしいです。
 “よしの”さんや“みさき”さんのように、英語にも、ファーストネーム(名前)とラストネーム(苗字)のどちらにもある名前はたくさんあります。Lawrence, Mitchell, Thomas など古くからあるものから、Courtney, Taylor, Riley など、最近ファーストネームに付けられるようになったものまで、いろいろです。特に最近は、男の子でも女の子でもどちらにもつけられる名前が増えてきて、さらに混乱してしまいます。また、Williams, Edwards, Richards, Adams のように、ファーストネームの最後にSが付いたり、Johnson, Peterson, Jackson のように、ファーストネームの後にSON(息子)が付くラストネームもよくあります。たまに、William Williams や、Bob(Robert) Roberts、Phillip Phillips など、なぜだろう?と思う名前の方もいますが、もしかしたら、名前を一つ覚えるだけでいい、と言う親心だったのかもしれません。それはともかく、たくさんの患者さんをみる医療従事者にとって、名前と本人が一致するかどうか確認する事は、最も基本的な重要事項なのです。
 ホスピスやホームケアでも、同姓同名や、似たような名前の人、ファーストネームとラストネームが入れ替わっている人達がいた場合、必ず“要注意”のマークをつけるようにしています。例えば、Thomas JacksonさんとJackson Thomasさんがいたり、Frances Evansさん(女性)とEvan Francisさん(男性)がいたりすると、上司から“Name Alert”のメールが来ます。同姓同名の場合は、ミドルネームや、誕生日でいちいち確認します。うっかりすると、お互いに全く別人のことを考えて話し合っていたりもしかねないからです。余談ですが、病院の手術室などでは、最近は手術を受ける患者さんの名前を確認するだけではなく、患部、特に手足の場合、マーカーで“こっちの足!”と、足そのものに書くようになっているそうです。ようするに、間違って良い方を切ってしまったりする信じられないような医療過誤を防ごうと言う、笑えない工夫なわけです。
 名前とは不思議なものです。それまでなんでもなかったものが、名前をつけられた途端、個性を持って輝き始める。そしてその名前が、その人となり、その人生を生き、死んだ後も、その人が存在した証として残っていくのです。当たり前の事ですが、名前の数だけ、人生がある。そして、そこに籠められた親の思いもまた、名前と共に残っていく。そんな風に考えると、患者さんのリストにあるたくさんの名前の一つ一つが、何ものにも代えられない唯一無二のものであり、“人生の代表”のように思えてくるのです。
 
[2014/12/05 17:33] | つぶやき | トラックバック(0) | コメント(0)
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ラプレツィオーサ伸子

Author:ラプレツィオーサ伸子
アメリカ東海岸で在宅ホスピスナースをしています。アメリカ人の夫、子供3人、犬一匹と日々奮闘中。

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2冊目の本がGakkenから出版されました。 「それでも私が、ホスピスナースを続ける理由」https://gakken-mall.jp/ec/plus/pro/disp/1/1020594700 「ホスピスナースが胸を熱くした いのちの物語」と言うタイトルで青春出版社から発売されました。 http://www.seishun.co.jp/book/20814/

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