新しい患者さんを受け持つ時や、初回訪問を行う場合、その人の名前を知るのは、ラップトップの受け持ち患者一覧および、その日の訪問予定を見る時です。が、たまに上司が直接電話で知らせてくることもあります。ザコーヴィッチさんの場合が、そうでした。"ザコーヴィッチさんって、覚えてる?"上司にそう聞かれたとき、私は思わず目を瞑りました。 ザコーヴィッチさんは、骨髄異型性症候群と言う、骨髄機能の異常によって造血障害を起こし、白血病に移行することもある予後不良の病気で、マリアさんが亡くなった直後に、診断されたのでした。骨髄移植などの治療は、年齢的にも不適応だったので、結局対症療法として、輸血と免疫抑制剤、赤血球増殖薬、白血球増殖のための刺激因子剤などの治療を受けていました。その時点では、まだ治療を続けていたので、パリアティヴケアでした。 一年ぶりに彼のマンションを訪れ、どきどきしながらベルを鳴らすと、見覚えのある息子さんが出てきました。彼も私のことを覚えており、“久しぶり!覚えてるよ、母のナースだろ?”と、ニコニコして迎えてくれました。懐かしいリビングルームに入って行くと、ザコーヴィッチさんが、丁度いすから立ち上がるところでした。片手に杖をついており、最後に会った時よりもやせていましたが、声や話し方、何よりもあの笑顔は一年前のままでした。私は自分の立場を一瞬忘れ、「お久しぶりです!」と言って近づくと、お互いにしっかりとハグしました。再会の嬉しさと、こんな風に再会するなんて、と言う気持ちとが交じり合っていましたが、ザコーヴィッチさんに「さてと、今度は僕が君の笑顔をもらう番だ。」と言われたとたん、そこでの自分の役割を思い出したのです。 ザコーヴィッチさんは黄斑変性の方も進行しており、週に一度、図書館からカセットに録音された本を、まとめて借りていました。私の訪問時には、いつも私の子供たちの様子や、日本の事、外の様子などを楽しそうに聞いては、ザコーヴィッチ家の子供たちが小さかった頃のエピソードなども話してくれました。ある時、私はずっと気になっていた一枚の絵について、思い切って訊いたことがありました。その絵は、リビングルームの端の目立たないところに掛けてあったのですが、どう見ても部屋の雰囲気や全体の趣味にはそぐわない、どちらかと言うと“なんか変”な絵でした。私は恐る恐る、ザコーヴィッチさんに「あそこに掛けてある、犬の絵なんですけど...」と言うと、彼は最後まで聞かずに笑い出し、「変な絵だろ。本当はあんなへんてこな絵、掛けたくないんだけどね、当たっちゃったんだよ。」と言って、その奇妙な犬の絵について話してくれたのです。 数あるザコーヴィッチ家の伝統の中に、クリスマスのプレゼント交換がありました。毎年、クリスマスには一家全員が集まり、皆、小さなプレゼントを持ってきて、くじ引きで当たった物をもらうのですが、その中に一つだけ、“誰も欲しがらない醜い物”が混じっているのです。その“ハズレ”が当たってしまった人は、一年間、家のどこかにそれを飾らなければならず、次のクリスマスにはその“ハズレ”を処分し、新たなる“ハズレプレゼント”を持ってくる事になっていたのだそうです。ところが何年か前にこの奇妙な犬の絵が登場し、あまりの醜さにザコーヴィッチ家全員が魅了され、以来、この絵が“永遠のハズレ”となったのだそうです。「それでね、去年のクリスマスに僕がこれを当てちゃったってわけなんだよ。」ザコーヴィッチさんはそう言うと、「でもね、僕にはもうよく見えないから、全然気にならないのさ。」と言って笑いました。 月に一度の輸血が3週間に一度になり、2週間に一度になった頃、一日の殆どをリクライナーに座ってすごすようになったザコーヴィッチさんは、私に言いました。「そろそろですか?」輸血をしても、それまでは楽になっていた呼吸や、なんとなく軽くなっていた倦怠感も、その頃にはもう全く効果が見られなくなっていました。私は、「これ以上輸血を続けても、穴の開いたバケツに水を入れ続けるのと同じで、あとは体の負担になるだけだと思います。ホスピスに切り替えるなら、今がその時だと思います。」と言い、言いながら心の中で、こんな事をこの人に言わなくてはならない自分の立場を、少し恨んでいました。「僕もそう思います。もう、十分です。」ザコーヴィッチさんはそう言うと、目を閉じました。 翌日、ホスピスケアに切り替え、電動ベッドを入れ、緊急時用の薬のセットをオーダーし、ホームヘルスエイドのサービスを始め、昼間は娘さんたちが、夜は息子さんたちが交代でザコーヴィッチさんの世話をし、まるで一年前に戻ったようでした。そしてザコーヴィッチさんもまた、マリアさんと同じように目に見えて弱っていきました。呼吸はモルヒネで楽にはなっていましたが、肌は紙のように白く、声も途切れ途切れになっていきました。 ホスピスケアに切り替えて三日目、その週最後の訪問日、私が、「月曜日にまた会いましょう。」と言うと、ザコーヴィッチさんは、私の目を見て言いました。「それはちょっと、わかりません。」「....」 私は、ベッドのザコーヴィッチさんに最後のハグをすると、「あなたと、あなたの素敵なご家族にお会いできて、本当によかったです。どうもありがとうございました。きっと、これで、さよならですね。」と言いました。ザコーヴィッチさんは頷くと、あの大きな手を差し出しました。一年前に比べると、すっかり青白く細くなっていましたが、まだ暖かさは同じでした。 帰りの車の中で、私は、ザコーヴィッチさんとマリアさんに初めて会った家を、思い出していました。すると、最後にあの家を訪問した時にザコーヴィッチさんが言ってくれた一言が、突然よみがえってきたのです。 “You are our sunshine.(君はね、僕たちの太陽なんだよ。)” 次の瞬間、自分でも驚くほど突然に、涙が溢れてきました。たとえそれが、使い古された言葉であったとしても、ナースとしての私におくられた言葉であったとしても、自分の好きな人達にそう思ってもらえるのは嬉しい事で、そんな優しい人達が二人共いなくなってしまったことが、悲しくて仕方なかったのです。 ザコーヴィッチさんは、その二日後に亡くなりました。今でも、あの有名な歌を聴くたび、ザコーヴィッチ夫妻の事、そしてあの奇妙な犬の絵を思い出して、泣きたいような、笑いたいような、懐かしい気持ちになるのです。
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