新しい患者さんが依頼されると、基本的に、受け持ちになるナースが初回訪問をします。初回訪問は大体2時間ほどかけ、既往歴や薬、家族構成など、さまざまな情報を収集するので、相手のバックグラウンドを知るにはとてもいい機会なのです。しかし、さまざまな理由で受け持ちナースが初回訪問を出来ない場合もあり、そういう時は初回訪問のサマリーで大体の様子を把握します。 その週末、私は日曜日に働いていました。そして、金曜日にホスピスにサインし、土曜日にも訪問を受けたテリーさん(仮)と言う、私が受け持ちになる患者さんのサマリーを読んだ時、名字を見てどこかで聞いた事があるな、と思ったのです。住所を見て、やはり、あれ?と思い、子供が10人と言う記述を読んで、やっぱりそうだ、と確信しました。20年以上前の夏、勤めていた病院をやめて留学し、最初のESLのサマーセッションを取った時に教わった先生の、ご主人でした。 土曜日に訪問したナースのレポートでは、容態が急激に悪化している事を、奥さんが受け容れられず、病状の説明と精神的なサポートが必須、とありました。日曜日、予想通り、テリーさんの家の前には何台もの車が停まっており、家の中は人でいっぱいでした。ベルを鳴らすとすぐに息子さんの一人が開けてくれ、自己紹介をすると、“こっち、こっち”と、リビングルームへ案内してくれました。玄関からリビングに行くまでに、何人かの息子さん達と娘さん達が自己紹介してくれましたが、名前も顔も、とても覚えられませんでした。 リビングルームでは、電動ベッドに横になったテリーさんと、隣のソファーに座った娘さんが二人と、テリーさんの弟さんが待っていました。テリーさんは声をかけるとうっすらと目を開けましたが、それ以外の反応はしませんでした。長女で、ご自身もナースのマリアさんがソファーに座ったまま、「父は水曜日には歩いてたのよ。水曜日に最後の化学療法をして、木曜日に具合が悪くなって、金曜日はまだしゃべっていたのに、昨日からはこんな感じなの。」と言い、「あなたはどう思う?」と、まっすぐに訊いてきました。私はアセスメントを終えてから、マリアさんにこう答えました。「たぶん、“日”単位だと思います。」ちょうどその時、教会から帰ってきた奥さんが部屋に入ってきました。スレンダーだったあの頃より少しふっくらしていましたが、一目で先生だとわかりました。一緒に入ってきた息子さんが、私の事をホスピスナースだと紹介してくれ、先生は「まあ、そうなの、そうなの。それで、主人はどうですか?」と言うと、テリーさんのベッドに駆け寄りました。私は言葉を選びながら、テリーさんの状態と、それが薬のせいではなく、病気の進行によるもので、私達にそれを止めることはできないけれど、薬を使って症状をコントロールし、彼が苦しまないようにする事はできる、と説明しました。先生は、マリアさんの方をちらりと見てから向き直ると、「つまり、もう良くはならないと言う事?」と言いました。「残念ですが、そういうことです。」「だから、あとは彼が苦しまないようにしてあげるだけだと?」「そうです。」先生はもう一度マリアさんを見ると、「今の、聞いた?」と確認しました。マリアさんは頷くと、立ち上がって先生の傍により、肩を抱きました。二人はしばらく抱き合って泣いていましたが、先生は涙を拭くと、テリーさんの手を取り、頬をなでながら、「あなた、心配しなくて大丈夫ですよ。」と言いました。 私はマリアさんに薬の使い方と、ホスピスの番号を確認してから、「あなたはここではナースではなく、ただ、娘さんでいていいんですよ。何かあったら、いつでも電話してくださいね。」と言いました。マリアさんは私を見て苦笑すると、「できるだけそうするわ。」と言いました。それから私は先生を見て、こう言いました。「覚えていらっしゃらないと思いますが、私は21年前に先生に英語を教わった、大勢の生徒の一人なんですよ。」先生は大きな目を見開き、「G大学の?」と言うと、満面の笑顔になり、子供さん達を呼ぶと「彼女、G大の時の私の生徒なのよ!」と言いました。子供さん達も、意外な再会に喜ぶ先生を見て、しばし盛り上がっていました。帰り際、車まで行く間、息子さんの一人が一緒に歩きながら、こう言いました。「君が母の生徒だったなんて、すごい偶然だけど、きっとこれは神の御加護なんだよ。だって、母はきっと君の言う事を素直に聞き入れることができるからね。全く知らない他人じゃなく、どこかでつながっていたんだから。」 翌日は平日のせいか、家の中はひっそりとし、テリーさんの傍には先生と、休みを取ったマリアさんと、息子さんが一人ついていました。テリーさんは静かに横たわり、呼吸が浅く、時々無呼吸も見られていましたが、苦痛の様子はありませんでした。人が少ないと、部屋に飾ってある家族の写真が次々と目に入ってきました。若き日の二人の結婚写真、10人の子供達に囲まれた幸せそうなテリーさんと先生、部屋中がこの家の歴史で溢れていました。 私は先生と子供さん達に、これからおそらく見られるだろう症状を説明し、それが自然なプロセスであること、薬でコントロールできること、反応がなくても耳は聞こえていることなどを話しました。それから、「どういうわけか、一人きりになった時に亡くなる人が多いんです。ご家族がずっとそばについていても、ちょっとトイレに立った間とか、コーヒーを淹れ直して戻ってきたら、もう息をしていなかった、と言う事がよくあるんです。理由はわかりませんが、もしそうだとしても、それがその人の“時”である事を知っていて下さい。」と話しました。万が一その瞬間に立ち会えなかった場合、その時の自分の行動を後悔してほしくなかったのです。先生達は“わかった”と言い、私は“では、また明日来ます”と言って家を出ました。 翌朝、朝一番のミーティングに出るため、オフィスに向かっている途中、ケータイが鳴りました。なんとなく予感がしていましたが、やはり、テリーさんが今亡くなった、と言う連絡でした。私はUターンすると、テリーさんの家に向かいました。 先生は、玄関で私を迎えてくれました。無言でハグすると、一緒にリビングルームに行きました。テリーさんのベッドの周りは、すすり泣きでいっぱいでした。私は死亡を確認し、テリーさんに黙祷しました。テリーさん達が敬虔なカソリックである事は知っていましたが、やはり、手を合わさずにはいられなかったのです。先生は思いのほか落ち着いており、赤い目のまま、私に笑いかけてくれました。そして、こう言ったのです。「主人にね、言ったのよ、あなたのナースは私の教え子よって。立派になって、私たちを助けてくれたのよって。」 人の縁と言うのは、一体何が操っているのでしょうか。人生には、数え切れないほどの伏線が敷かれていて、それが不思議な“縁”という力によって繋がっていくのでしょう。そして、そこには必ず、何か、意味がある気がしてならないのです。
|