ホスピスナースは今日も行く 2014年06月
FC2ブログ
ホスピスナースは今日も行く
アメリカ在住日本人ナースが、ホスピスで出会った普通の人々の素敵な人生をおすそわけします。
住宅事情
 6年ほど前、子供達の通う日本語補習校に、聖路加病院の日野原重明氏を招いて、講演をして頂いたことがありました。先生は4年生(10歳)の子供達に“命の話”を、そして放課後、保護者や地域に住む日本人を対象に、高齢化する日本のヘルスケアについてお話しして下さいました。その際、講義後の質疑応答で、時間ぎりぎり最後に質問をすることができました。と言うのも、お話の中で、日野原先生はホスピスについて触れられたのですが、“人生最後の時を、美しい環境の中、プロのスタッフにケアされ、苦しむことなく安心して過ごす事ができる、素晴らしい場所”であると言うところで、どうしても訊きたいことがあったのです。
 私は、こちらで在宅ホスピスナースをしていると自己紹介してから、“日本では、ホスピスと言う施設に入所して受けるケアが一般的ですが、私個人としては、自宅で死ぬ、と言う事にも大きな意味があると思うのですが、日本における在宅ホスピスの普及の展望について、先生のご意見をお聞かせ下さい”と質問しました。
 アメリカでは、在宅ホスピスが一般的です。と言うのも、保険による医療報酬が、そうせざるを得なくしているのですが、それとは関係なく、“自分の家で家族に看取られて死ぬ”ことは、やはり一番自然であり、理想的でもある気がします。もちろん家族がいない人や、いても状況が許さない、と言う場合もありますが。
 日野原先生は、私の質問に対し、こうお答えになりました。“確かに自宅での看取りというのは、素晴らしいと思いますが、その為には電動ベッドを入れたりして、環境を整えなければならない。残念ながら、日本の住宅環境は、それにはあまり適していないのです。アメリカでそれができるのは、やはり、家の広さが違うからでしょう。”
 私はこの答えに、ちょっと釈然としないものを感じました。つまり、ホスピスケアは、物理的な環境を整える事が大切であり、狭い自宅の布団の上より、海や緑の見える、清潔で何不自由の無い場所の方が、最後の時を過ごすのには理想的である、と言う印象を受けたからです。さらに、“アメリカの家はみんな大きい”、と言うのは“日本人は毎晩寿司を食べる”、と同じくらい誤ったイメージです。確かに、平均したら、アメリカの家のほうが日本のそれよりも大きいでしょう。それは、平均したら、日本人の方がアメリカ人よりお寿司を食べる回数が多いのと同じで(最近は普通のスーパーでも、パック入りのお寿司が買えます)、日本人でもそんなにしょっちゅうお寿司を食べるわけではないように、アメリカでも、とても狭い家に住んでいる人達は大勢います。それでも、その環境の中で、出来る限り安全で快適な状態にするのが、ホスピスチームの役目なのです。
 環境と言うのは、映画やドラマ、コマーシャルのように、美しい自然に囲まれ、きれいで、明るくて、そこにいる人は皆笑顔で優しく...が理想だとは思いません。例えば、散らかっていないと落ち着かない人がいるように、人それぞれ、自分の生活してきた環境があります。そこには、家族がいて、思い出の詰まった家具があり、本があり、壁の模様や天井の色があり、その家の匂いがあります。在宅ケアというのは、病院を家に持ち込むのではありません。それぞれの人の生活の中でケアをする、と言うことなのです。
 ハイテクだとか、便利だとか、イメージだとかに惑わされて、自分にとって大切な事を見失ってしまっては、一体何が理想なのか、わからなくなってしまいます。理想は一人一人違います。もちろん、日野原先生の仰るような環境が理想だと思う人もたくさんいるでしょう。それでも、自宅で看取る、自宅で死ぬ、と言う、本来自然な事が、もっと自然にできるような社会に、日本がなっていけるといいのにな、と、日本人として、切に願うのです。
 
[2014/06/25 20:30] | つぶやき | トラックバック(0) | コメント(0)
プリンセス(2)
 私とソーシャルワーカーのキンバリーが小児ナースのキャロルと一緒に初回訪問をした時、ケリーのお母さんは私たちに向かってこう言いました。「小児病院でホスピスの事を訊いた時、お医者さんやナースの何人かは“どうしてあきらめるんだ”っていう感じだったの。でもね、私達は、ただ、ケリーが苦しまず、普通の子供みたいに、家族と一緒に家にいさせてあげたいだけなの。あきらめるんじゃない。これが、ケリーにとって一番幸せなことなの。」私達は、ホスピスができること、ケリーと家族を完全に尊重し、支援する事を説明しました。お母さんは、「やっとわかってくれる人たちに会えて嬉しいわ。私たちがケリーを見殺しにするんじゃないって事を。」と言い、安心したようにこれまでの事を話してくれました。
 私とキャロルがケリーのアセスメントをしている間、キンバリーはホスピスのボランティアが作った毛布とキルトを、ケリーとお姉ちゃんにプレゼントしました。ケリーにはディズニーのプリンセス、お姉ちゃんには妖精の物を用意していたのですが、偶然にも、ケリーの部屋はプリンセス、おねえちゃんの部屋にはティンカーベルの壁紙が張ってあり、お母さんもお姉ちゃんも大喜びしてくれました。ケリーは呼吸も落ち着いて、熱もなく、とてもリラックスしていました。
 私達は、お母さんに、万が一急変した場合の薬の使い方とホスピスのホットラインを説明し、翌日また訪問する旨を確認してから家を出ました。その時は皆、「じゃあ、また明日」だと信じていたのです。ところが、その約6時間後、夕方4時半頃、お母さんから電話がかかってきました。ケリーが熱を出し、呼吸が少し荒くなっていると言うのです。私は、解熱剤を与えて、酸素量は変えずに様子を見るように指導しました。それから、その晩の夜勤のナースに電話をし、小児のケースの電話は、私がフォローする事を確認しました。そしてその1時間後、ケリーのお母さんから電話があり、ケリーの熱が下がらない事、呼吸が速くなっていること、そして、今夜の経管栄養はどうするべきかを訊かれました。その時、私は“もしかしたら、今夜かもしれない”と感じ、お母さんにこう答えました。「発熱も呼吸の変化も自然な死への過程です。恐らく、ケリーは天国に行く準備を始めているのだと思います。あまり熱いようだったら、アイスパックを当てて、体を冷やしてあげて、それから呼吸を楽にする為、モルヒネをあげて下さい。経管栄養は必要ありません。体に余分な負担を与えるだけです。口が乾いていたら、スポンジで湿らせてあげて。それから、いつでもホスピスに電話して。必要な時は私が行きますから。」
 予想外の急展開に、私も内心どきどきしていました。帰宅して、晩御飯を作りながらもケリーのことで頭がいっぱいでした。一応夫には状況を話し、もしかしたら今夜呼ばれるかもしれないとは言っておきました。7時半ごろ、私からケリーのお母さんに電話をかけ、様子を聞くと、モルヒネをあげてから、呼吸がずいぶん楽になり、今は落ち着いている、と言う事でした。しかし、お母さんも覚悟はできているようで、「これからどんな風になっていくの?」と、心の準備をしようとしていました。私は、ホスピス患者さんに渡すフォルダーの中の、ピンク色のちいさな小冊子を読むようにすすめました。そこには死んでいく人達の身体的な症状がわかりやすく書いてあり、私が電話で説明するよりも理解しやすいと思ったのです。そして、万が一ケリーが亡くなった時は、すぐにホスピスに電話をするように言いました。お母さんは、“わかった”と言い、電話を切りました。そして、彼女から電話があったのは、それからわずか2時間後でした。
 私は電話を受けると、“すぐに行きます”と言って、家を出ました。ところが、やはり普段の死亡時訪問よりも動揺していたのでしょう。途中で死亡診断書を持ってくるのを忘れた事に気付き、大慌てで引き返し、ケリーの家に着いた時は、すでに両親の兄弟たちが何人か来ていました。お姉ちゃんはお友達の所にお泊りで、そこにはいませんでした。
 ケリーはぬいぐるみに囲まれたベッドの中で、静かに眠っているようでした。成人の場合、一目でわかるのですが、子供だからなのか、ケリーは私が朝会ったときと全く変わらず、私はかなり長い間、彼女の胸に聴診器を当てていました。そして、聴診器をしまい、ケリーに向かって手を合わせた時、それまで驚くほど落ち着いていたお母さんが、こらえ切れずに泣き出したのです。お母さんの妹さんが、横に座り、彼女を支えてあげていました。私はお悔やみを言う以外、何も言えず、黙ってケリーの酸素をはずし、薬を処理し、医師に連絡を取りました。しばらくして、お母さんが落ち着くと、妹さんが葬儀社について質問をしてきました。私がそれに答えていると、ケリーのお父さんが、そっとベッドに近づき、ケリーの頭をなでると、“Wake up Kelly (起きなさい、ケリー)”と言ってから、部屋を出て行ったのです。そしてしばらくすると、彼はまたやってきて、今度はケリーのほっぺたをなで、“Wake up my princess (起きて、僕のお姫様)”と言うと、ちいさなケリーにキスをしました。それでもケリーは起きませんでした。
 ナイジェリアの人がそうなのか、この家族がそうなのか、こんなに静かな死亡時訪問は初めてでした。そこにいた全ての人が、静かに、とても静かに、悲しみをたたえていました。わずか12時間にも満たないホスピスでしたが、それでもこの家族にとっては意味があったのだと思います。そして、私にとっても、この小さなプリンセスは、忘れられない人になったのです。
 
[2014/06/21 17:42] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
プリンセス(1)
 うちのホスピスが小児ホスピスを始めて3年、私が小児のケースをを受け持ち始めてから2年が過ぎました。小児のホスピスは、大人のそれとはかなり違います。その理念と目的は同じですが、小児の場合、蘇生措置の如何については、その決断をぎりぎりまで保留にすることも多く、また、場合によっては救急に行ったり、入院する事もあります。
 小児のケースを受け持つホスピスナースは、小児ホスピスを学ぶ三日間のセミナーを受けるのですが、うちの場合、メンバーは成人を看てきたナースですので、最初はホームケアの小児チームのナースの一人とペアになって訪問します。つまり、実際に患者さんのアセスメントをするのは小児ナースで、ホスピスナースは家族への指導と支援を主に担います。そうする事で、ホスピスナースが、小児ナースから小児のアセスメントを学び(逆に小児ナースも私たちからホスピスケアを学ぶ事にもなります)、最終的に、小児ホスピスの専門ナースになっていく事が望まれているのです。
 3年前、ある日のチームミーティングで、“小児ホスピスを始める事になったから、興味のある人は申し出て”と言われた時、私を含む多くのメンバーが、“自分には無理”と思っていました。その理由の一つは、運良く健康な子供を持てた自分が、そうではない人達に、一体何が言えるのだろうか、と言う疑問でした。そしてもちろん、“子供の死”をどうやって受けとめられるのか、と言う不安。しかし、最初に申し出た二人のナース達(60代と50代)のケースの様子を聞いていくうちに、私の考えは変わっていきました。
 子供は生きる為に生まれてきます。しかし、どんなに医療が発展しても、長く生きられない子供はいるのです。そして、長く生きられない子供の親は、どんなに辛くても、その現実を受け入れなくてはなりません。もちろん、どうしても受け入れられない親も大勢います。そして、そういう人達こそ、専門家の支えを必要としているのです。10年以上ホスピスナースをやってきて、少なくとも自分はホスピスの専門家であり、たとえ自分が痛みを共有できないとしても、プロとしてできることがあるのではないか、いや、するべきではないのだろうか、と思い始めたのです。そして、もちろん、子供達自身も、たとえ短い一生であったとしても、命のある限り、少しでも苦しい思いをせずに過ごさせてあげるべきであり、そうする事によって、親を支える事にもなるのだ、と言う事に気付いたのです。
 小児ホスピスのケースはまだまだ少なく、2年間で私が受け持ったのは7人です。(その内2人は現在進行形。)ケリー(仮)は、私にとって4人目の小児ケースでした。ケリーは3歳の女の子で、先天的な染色体異常で、生まれてからずっと、入退院を繰り返してきました。両親はナイジェリア出身で、家の中にはナイジェリアの美しい絵や写真、置物などが飾ってありました。ケリーには年子のお姉ちゃんがいて、お姉ちゃんは、目も見えない、話もできない、食べる事も歩く事もできないケリーを、とてもかわいがっていました。両親は、ケリーが生まれた時から、長くは生きられないと言う事は理解していました。それでも、何かがあるたびに入院、治療を繰り返してきました。しかし、ここ何ヶ月かの間に感染を繰り返し、小児病院でも、ありとあらゆる手を尽くしましたが、残念ながら回復は見られませんでした。両親はこれ以上ケリーに薬を使い、針を刺し、病院のベッドにねかしておくよりも、家につれて帰り、自分のベッドで、最後まで家族と一緒に過ごさせてあげる事を選んだのです。プリンセス(2)に続く
 
 
[2014/06/20 16:01] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
ちいさなヨロコビ
 毎週火曜日の午後2時から、ホスピスのチームミーティングがあります。ミーティングはホスピス病棟の上にあるオフィスで行うのですが、これが、私の受け持ち範囲(つまり、自宅のある地域)から遠い!17、8マイル(27、8Km)はあり、田舎道でも車で40分はかかってしまいます。ミーティングは1時間半から2時間で終わりますが、その後溜まった書類を提出したり、必要物品をそろえたり、もちろんその日の記録も終わらせたい、と、なんだかんだでいつもオフィスを出るのは5時過ぎ。こんな田舎でも一応帰宅ラッシュはあり、家に着くのはたいてい6時を過ぎます。ですので、火曜日は長男がご飯を炊くことになっているのですが、まあ、遊び盛りの15歳、忘れる事もしばしば。我が家の子供達のお小遣いは、減点制で、自分の仕事をしなかったり、親が痺れを切らしてやってしまった場合、その分だけ減らされるシステムになっています(まあ、減ると言っても25セントずつですが)。娘は、たとえ25セントでも減らしたくないので、がんばるのですが、息子達二人、のんびりしていると言うか怠け者と言うか、なかなか親の思惑通りには動きません。おそらく、減らされている事自体に気付いていないのでしょう。
 そんなある火曜日、私とソーシャルワーカーのキンバリーは朝一番で、私達のカバーする地域にある分院の病棟に来ていました。それは、入院中にホスピスケアにサインしたものの、状態が落ち着いたので、自宅に帰って在宅でホスピスケアを継続する患者さんの為でした。患者さんは91歳の男性で、末期の前立腺癌でしたが、痛みはあまり無く、主な症状は全身の衰弱と呼吸困難で、意識もはっきりしていました。80代の奥さんと二人暮しで、息子さんと娘さんがいますが、二人とも事情があり、余り手伝いには来てもらえないようでした。私達は、電動ベッドや在宅酸素の手配、病院から家までの救急車の手配、ホスピスの患者さんには必ず保管してもらう急変時用頓服薬セット(液体モルヒネや、抗不安薬などを含む7種類の薬が入っています)のオーダーなど、とにかく、できるだけ整った状態の自宅にスムーズに退院できるよう準備しました。そして、何よりも、私が一番気を遣ったのは、退院時に、今夜必要な薬の処方箋を、奥さんに渡してもらう事でした。酸素は使っていましたが、それでも呼吸が苦しくなると、液体モルヒネをスポイトで舌下に落として使うので、それだけは絶対に必要だったからです。私は担当の医師にモルヒネの濃度、用量と頻度などのリクエストをし、必ず処方箋を奥さんに渡してくれるよう頼みました。また、受け持ちのナースにも、“ホスピスの頓服セットは明日配達されるので、今夜の分は地元の薬局でもらえるよう処方箋が必要”と説明しました。そして、患者さんの家の近所の薬局何件かに電話をし、運良く一番近くの店に一本だけ、液体モルヒネがある事を確認しました。(薬局によっては麻薬は常備していないのです。)それをキープしてもらうように頼み、必要な情報を教え、あとは、奥さんが処方箋を持っていけば、すぐに渡してもらえるようにしてもらいました。キンバリーと私は、上司に連絡し、今夕の帰宅後に、夜勤のナースの訪問を予定してもらうと、奥さんに退院と帰宅後の流れを説明しました。そして、薬の使い方や、ホスピスホットラインの番号を書いて渡し、“それじゃ、明日お家でお会いしましょう!”と、にっこり笑って別れたのです。
 それから3件訪問し、チームミーティングに出席し、やれやれ今日も無事終わったわい、と思いながら、自宅のガレージが見えたところで、ケータイが...よくある“ご飯何時?”コールかと思いきや、なんと夜勤のナースからではありませんか。これはまずい、絶対にまずい。いやな予感に苛まれながら電話を取ると、予感的中。“今日自宅に帰った患者さんのモルヒネがないんだけど、どうなっているかわかる?”......早い話が、奥さんに処方箋は渡されず、当然薬局は処方箋無しで薬は出せず、おろおろする奥さん以外に手伝える家族もいない状況で、夜勤ナースはにっちもさっちも行かなくなっていたのです。“うーむ、あんなに念を押したのに!”私の怒りは頂点に達し、車をUターンすると、夜勤ナースに、“今から病院に電話して処方箋書いてもらうから。私がそれをピックアップして(本当はいけないんだけど)薬局で薬も貰って届けるから、そこにいて自分の仕事してて!”と言い、病院に向かってアクセルを踏み込みました。
 病棟に着くと、12時間シフトぎりぎりで残っていた、朝話したナースが処方箋を持って、“ごめんなさい、私のミスだわー”と言いながら出てきました。明らかに時間外なのに現れた私を見て、さすがに気まずかったらしく、彼女もしきりに謝ってくれたので、“まあ、これからは頼みますよ。”程度で引き上げ、今度はドラッグストアに向かい、薬を受け取って患者さんに届けた時は、すでに1時間がたっていました。
 まあ、こんな事ができたのも、その患者さんがわりと近くに住んでいたからで、そう滅多にあることではないのですが、それでも家に着いたらすでに8時近く。夫は“一体どうしたの?”子供達は、“ご飯いつ?”“ご飯何?”....そんなの、私が訊きたいわい!と思いつつ、ふと見ると、ご飯が炊けている。そして、気がつくと、ゴミ箱のごみが捨ててあるじゃないですか。私は夫に、“ご飯炊いてくれたの?”と訊くと、“いいや”“じゃ、ゴミ出してくれたの?”“いいや”と。私達は顔を見合わせると、“まさか...??”そう、ご飯は長男が、ゴミは次男が出していてくれたのです。とくに、次男が言われないでゴミ出しをした事は未だかつてなかったので、私はそれまでの怒りも全て吹っ飛び、次男をハグすると、“ありがとー!!今日はデザートにアイスクリームね!”と叫んでいました。
 ...と言う、ある日のちいさなヨロコビの話でした。
 
[2014/06/12 14:55] | つぶやき | トラックバック(0) | コメント(0)
決断の時
 本業のホスピスナースの他に、時々日本人の友達の紹介で、通訳のバイトをすることがあります。日本から短期研修に来る、医療従事者のための通訳なのですが、これが結構勉強になるのです。もちろん、忘れていたり、知らない日本語(特にこちらでナースになってから覚えた専門用語は、英語で頭に入っているので)を勉強し直すよい機会でもあるのですが、それ以上に、その研修内容が非常に興味深いのです。ナースだけでなく、ありとあらゆる医療関係者が来るので、内容もグループ毎にかなり専門的で、通訳をしながら、内心“なるほどなるほど”と感心しています。そして、時には“あ、これはホスピスケアに使えるぞ”と、チェックする事もあります。
 最近、とても役に立ったのが、ある医師が研究開発した“患者さんの自発的な決断を促すプログラム”で、治療方針を決める際に、二つの選択肢がある場合、患者さんが納得した上で自分で決断できるように援助する、と言うものでした。まあ、二つに一つ、どちらを選ぶ?という状況は、日常茶飯事ですが、これが自分の人生、特に命に関わってくると、そう簡単に決められるものではありません。ホスピスに紹介されてくる患者さん達の中には、その決断を下すまでに、言葉には言い尽くせない葛藤を強いられる人も多いはずです。また、パリアティブケアとホスピスケアの選択も微妙であり、私たちホスピスナースも、そのアプローチには苦心するものです。ですから、このプログラムの事を聞いたとき、英語と日本語の交錯の中でさえ、“これだ!!”と膝を打ったのです。
 早速上司に話したところ、“次のチームミーティングの後で、ぜひみんなに紹介して欲しい”と言われ、1時間のプレゼンテーションで聞いたプログラムを、なんと10分で説明しました。要するに、このプログラムは“患者さんにとって何が一番大事なのかを明白にし、本人が理解、納得した上で自分で決断できるように援助する”というもので、その方法は意外とシンプルなのです。例えば、AとBの選択肢があったとします。まず、それぞれの説明をしてから、Aの魅力を3つ、逆に“ここが嫌”という懸念材料を3つ挙げてもらいます。同じようにBの魅力を3つ、懸念を3つあげてもらい、そのあと、それぞれの魅力度、懸念度に、スコアをつけてもらうのです。つまり、魅力度0から10のうち何点、懸念度0から10のうち何点、というように。そして、A、Bそれぞれの魅力度と懸念度の合計を出します。もちろんスコアだけで選択するわけではありませんが、こうして目に見える数字にすることによって、患者さんが、改めて“ああ、自分はこういう事を望んでいるんだな”と気づく事ができるのです。また、懸念材料が、時によって患者さんの知識不足による思い込みであったりする事もあり、正確な情報を与える事で、誤解による判断を防ぐ事もできるのです。
 これは、スコア表などもあるれっきとしたプログラムなので、私たちが勝手に使う事はできませんが、基本的なアイデアと方法だけでも充分活用できます。実際、同僚の何人かは早速このメソッドを使い、効果があったと言っていました。たとえば、ホスピスケアを選んだ患者さんでも、DNR(Do Not Resuscitate:蘇生措置拒否)を選ぶかどうかで躊躇する人が時々います。もちろん、蘇生措置が実際にどういうものなのか、その結果がどういうものなのかは説明しますが、そこでこのメソッドを使うことによって、より納得した決断ができるのです。
 皆さんも、人生の岐路に立ったとき、この方法を使ってみるといいかもしれません。(別に、そんな大げさな事ではなく、今夜のおかずを決めるのにも使えるかもしれませんが...)
[2014/06/04 19:59] | ホスピスナース | トラックバック(0) | コメント(2)
| ホーム |
プロフィール

ラプレツィオーサ伸子

Author:ラプレツィオーサ伸子
アメリカ東海岸で在宅ホスピスナースをしています。アメリカ人の夫、子供3人、犬一匹と日々奮闘中。

最新記事

このブログが本になりました!

2冊目の本がGakkenから出版されました。 「それでも私が、ホスピスナースを続ける理由」https://gakken-mall.jp/ec/plus/pro/disp/1/1020594700 「ホスピスナースが胸を熱くした いのちの物語」と言うタイトルで青春出版社から発売されました。 http://www.seishun.co.jp/book/20814/

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

フリーエリア

フリーエリア

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR