毎週火曜日の午後2時から、ホスピスのチームミーティングがあります。ミーティングはホスピス病棟の上にあるオフィスで行うのですが、これが、私の受け持ち範囲(つまり、自宅のある地域)から遠い!17、8マイル(27、8Km)はあり、田舎道でも車で40分はかかってしまいます。ミーティングは1時間半から2時間で終わりますが、その後溜まった書類を提出したり、必要物品をそろえたり、もちろんその日の記録も終わらせたい、と、なんだかんだでいつもオフィスを出るのは5時過ぎ。こんな田舎でも一応帰宅ラッシュはあり、家に着くのはたいてい6時を過ぎます。ですので、火曜日は長男がご飯を炊くことになっているのですが、まあ、遊び盛りの15歳、忘れる事もしばしば。我が家の子供達のお小遣いは、減点制で、自分の仕事をしなかったり、親が痺れを切らしてやってしまった場合、その分だけ減らされるシステムになっています(まあ、減ると言っても25セントずつですが)。娘は、たとえ25セントでも減らしたくないので、がんばるのですが、息子達二人、のんびりしていると言うか怠け者と言うか、なかなか親の思惑通りには動きません。おそらく、減らされている事自体に気付いていないのでしょう。 そんなある火曜日、私とソーシャルワーカーのキンバリーは朝一番で、私達のカバーする地域にある分院の病棟に来ていました。それは、入院中にホスピスケアにサインしたものの、状態が落ち着いたので、自宅に帰って在宅でホスピスケアを継続する患者さんの為でした。患者さんは91歳の男性で、末期の前立腺癌でしたが、痛みはあまり無く、主な症状は全身の衰弱と呼吸困難で、意識もはっきりしていました。80代の奥さんと二人暮しで、息子さんと娘さんがいますが、二人とも事情があり、余り手伝いには来てもらえないようでした。私達は、電動ベッドや在宅酸素の手配、病院から家までの救急車の手配、ホスピスの患者さんには必ず保管してもらう急変時用頓服薬セット(液体モルヒネや、抗不安薬などを含む7種類の薬が入っています)のオーダーなど、とにかく、できるだけ整った状態の自宅にスムーズに退院できるよう準備しました。そして、何よりも、私が一番気を遣ったのは、退院時に、今夜必要な薬の処方箋を、奥さんに渡してもらう事でした。酸素は使っていましたが、それでも呼吸が苦しくなると、液体モルヒネをスポイトで舌下に落として使うので、それだけは絶対に必要だったからです。私は担当の医師にモルヒネの濃度、用量と頻度などのリクエストをし、必ず処方箋を奥さんに渡してくれるよう頼みました。また、受け持ちのナースにも、“ホスピスの頓服セットは明日配達されるので、今夜の分は地元の薬局でもらえるよう処方箋が必要”と説明しました。そして、患者さんの家の近所の薬局何件かに電話をし、運良く一番近くの店に一本だけ、液体モルヒネがある事を確認しました。(薬局によっては麻薬は常備していないのです。)それをキープしてもらうように頼み、必要な情報を教え、あとは、奥さんが処方箋を持っていけば、すぐに渡してもらえるようにしてもらいました。キンバリーと私は、上司に連絡し、今夕の帰宅後に、夜勤のナースの訪問を予定してもらうと、奥さんに退院と帰宅後の流れを説明しました。そして、薬の使い方や、ホスピスホットラインの番号を書いて渡し、“それじゃ、明日お家でお会いしましょう!”と、にっこり笑って別れたのです。 それから3件訪問し、チームミーティングに出席し、やれやれ今日も無事終わったわい、と思いながら、自宅のガレージが見えたところで、ケータイが...よくある“ご飯何時?”コールかと思いきや、なんと夜勤のナースからではありませんか。これはまずい、絶対にまずい。いやな予感に苛まれながら電話を取ると、予感的中。“今日自宅に帰った患者さんのモルヒネがないんだけど、どうなっているかわかる?”......早い話が、奥さんに処方箋は渡されず、当然薬局は処方箋無しで薬は出せず、おろおろする奥さん以外に手伝える家族もいない状況で、夜勤ナースはにっちもさっちも行かなくなっていたのです。“うーむ、あんなに念を押したのに!”私の怒りは頂点に達し、車をUターンすると、夜勤ナースに、“今から病院に電話して処方箋書いてもらうから。私がそれをピックアップして(本当はいけないんだけど)薬局で薬も貰って届けるから、そこにいて自分の仕事してて!”と言い、病院に向かってアクセルを踏み込みました。 病棟に着くと、12時間シフトぎりぎりで残っていた、朝話したナースが処方箋を持って、“ごめんなさい、私のミスだわー”と言いながら出てきました。明らかに時間外なのに現れた私を見て、さすがに気まずかったらしく、彼女もしきりに謝ってくれたので、“まあ、これからは頼みますよ。”程度で引き上げ、今度はドラッグストアに向かい、薬を受け取って患者さんに届けた時は、すでに1時間がたっていました。 まあ、こんな事ができたのも、その患者さんがわりと近くに住んでいたからで、そう滅多にあることではないのですが、それでも家に着いたらすでに8時近く。夫は“一体どうしたの?”子供達は、“ご飯いつ?”“ご飯何?”....そんなの、私が訊きたいわい!と思いつつ、ふと見ると、ご飯が炊けている。そして、気がつくと、ゴミ箱のごみが捨ててあるじゃないですか。私は夫に、“ご飯炊いてくれたの?”と訊くと、“いいや”“じゃ、ゴミ出してくれたの?”“いいや”と。私達は顔を見合わせると、“まさか...??”そう、ご飯は長男が、ゴミは次男が出していてくれたのです。とくに、次男が言われないでゴミ出しをした事は未だかつてなかったので、私はそれまでの怒りも全て吹っ飛び、次男をハグすると、“ありがとー!!今日はデザートにアイスクリームね!”と叫んでいました。 ...と言う、ある日のちいさなヨロコビの話でした。
|