私が今の職場に就職した時、訪問看護部では唯一のアジア系、病院全体でも唯一の日本人でした。今は病院に二人も日本人のナースが働いており、フィラデルフィア近辺で働いている日本人ナースの数もずいぶん増えました。しかし、訪問看護、特にホスピスケアをしている日本人ナースは少ないようで、いまだにうちの訪問看護部では、日本人は私だけです。 初回訪問では、まず、電話をして訪問時間を確認するのですが、その時に名前を言った時点で、すでに相手の戸惑いが伝わってきます。そして実際に会ってみると、往々にして“中国人?韓国人?”ときかれます。たまに“出身は?”と訊かれたり、ごく稀に、“日本人?”と言われる事もあります。そういう人は、たいてい日本に行った事があったり、日本人の知り合いがいたりする人で、大体名前で判断するようです。どちらにしても、私が日本人だとわかると、殆どの人が好意的な反応を示してくれます。日本に縁があった人も年代によって、終戦直後だったり、仕事で日本に行った事があったり、軍隊の基地にいたことがあったりと、知っている日本はさまざまですが、その人達に共通しているのは、みんないくつかの日本語を覚えていること、日本人がどんなに親切でまじめな人たちか、日本がどんなに美しい国であるか、と言う事を話してくれることです。もちろん、日本人の私に向かって、わざわざ悪い事を話す人もいないとは思いますが、そんな風に、自分の国に良い印象を持っていてもらえるのは、素直にうれしいものです。同時に、ここで私がその印象に傷をつけたらどうしよう、と、なにやら日本人を代表しているような気にもなってきます。 時々70代以上の韓国人で、英語を話さない患者さんに会うことがあるのですが、私が日本人だとわかると、日本語で話し始める人もいます。そういう人は、とても丁寧な日本語を使うのですが、私としては複雑な気持ちになります。人それぞれに歴史があり、思い出は一人一人のものなので、一概には言えませんが、やはり辛い記憶であるだろう日本語を、懐かしそうに話してくれる人に会うと、時間の力とか、人の心の深さというものに無限の大きさを感じます。 一度、戦争花嫁でアメリカに来た日本人の女性を受け持った事がありました。ご主人は、私が日本人だとわかると、天の助け、と言わんばかりにすがりついてきました。「日本語で話してやってください。この頃、何を言っているのか、よくわからないのです。」その女性は、かなり衰弱しており、ベッドから起き上がる事もできなくなっていました。私が「こんにちは」と言うと、信じられない、と言うように私の顔を見ました。「日本人の方ですか?」「そうです。日本人です。」彼女は、“ああ”と言うと、とても安心したように私の方に手を伸ばしました。日本語が全くわからないご主人は、ずっと横に立って、奥さんの様子を見ていました。私は、彼女の手を取ると、日本語で自己紹介をし、アセスメントも全て日本語で行いました。彼女はきれいな日本語で、「こういう事をですね、皆さんはどんな風に仰るのでしょうか。なにかしらね、上手く言えないんですよ。ですから、主人も困ってしまいましてね、申し訳ないんですよ。」と言うと、言葉に詰まってしまいました。50年以上もアメリカに住み、英語を使って生活してきたのに、一番辛く助けが欲しい時になって、一番わかってもらいたい人に、気持ちを上手く伝えられない。そんな思いが、一気にこみ上げてきてしまったのでしょう。私の手を取ったまま、さめざめと泣く奥さんを見て、ご主人は気の毒なほどおろおろしていました。私は彼に奥さんが言った事を訳すと、ご主人は奥さんの頭をなでながら、“I'm sorry, I'm sorry”と言って泣きました。 言葉がなくても伝わる事は沢山あります。しかし、言葉が持つ力も、やはり大きいのです。アメリカで、日本人ナースとして働いていて、分が悪いな、と思う事は沢山あります。けれど、日本人の私だからこそできる事もあるのです。沢山いるホスピスナースの中で、よりによって外国人の私が担当になってしまった人達に、“あなたでよかった”と思ってもらえるよう、自分の中の“日本人”を失くさないでいたいと思います。
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