私が住んでいる地域は、アジア系(中国、韓国、インド、バングラディッシュ、ベトナム、フィリピンなどなど)がわりといて、それぞれ小さなコミュニティーを作っています。そんな中、日本人はと言うと、駐在の方、国際結婚の方、留学からそのまま残って仕事をしている方など、結構いるはずなのですが、親しく付き合いがあるのはだいたい同世代に限られてしまい、外では滅多に会うことがありません。近所にあるアジア系スーパーマーケットに行っても、飛び交うのはわからない言語ばかり。ところが、世間と言うのは意外と狭いもので、ある時、こんな偶然があったのです。 何年も前の事ですが、私がそのアジア系スーパーの冷蔵棚の前で、厚揚げか何かを選んでいた時、「日本人の方ですか?」と声をかけられました。振り向くと、小柄な老婦人が立っており、「はい、そうです。」と答えると、「何かね、日本の物を見ておられたようなので、もしかしたらと思ったんですよ。」と、きれいな日本語で話し始めたのです。その人は、美智子さん(“美智子様のミチコよ”、と教えてくれました)と言って、今はここから北に60Kmほど行った、アレンタウンと言う町に住んでいるのですが、娘さんがこの近くにいるため、時々お孫さんのベビーシッターをしに来るという事でした。しかもこの辺は昔住んでいたので、とても懐かしいのだと、嬉しそうに話してくれました。彼女は戦後、日本で会ったアメリカ兵と結婚して渡米し、娘さんも生まれたのだけれど、いろいろあって別れてしまい、でもお互い再婚して、それぞれの家族と幸せに暮らしているという事でした。最初の旦那さんは、何度も表彰された優秀な警察官だったとも教えてくれました。「ほら、Hストリートってあるでしょ、あの角の石造りのお家に住んでいたのよ。あの通りの名前は、彼のラストネームからとったのよ。」 冷蔵棚の前で、しばらくそんな立ち話をしてから、美智子さんは「久しぶりに日本語を話せて嬉しかったわ。お時間とってしまって、ごめんなさいね。」と言うと、話の中で偶然にも発覚した共通の知人(日本語の上手なアメリカ人)にも、是非よろしく伝えてくれ、と言ってから、連絡先も交換せずに別れました。 それから半年ほどたった頃、私はホスピスの初回訪問で、フィリップさん(仮)に会いました。彼は末期のうっ血性心不全でしたが、背が高く、80代にしてはがっちりとした体格をしていました。しかし、体力はなく、静かにリクライナーに座っており、奥さんと娘さんがかいがいしく世話をしていました。途中からシェフをしている息子さんや、近くに住んでいるフィリップさんの弟さんもやってきました。初回訪問だけでも、フィリップさんがいかに人望の厚い、家族に愛されている人かということが充分にわかりました。壁には彼の受けた数々の表彰状や楯が飾ってあり、社会的にも功績のある人のようでした。 訪問を終え、帰り際に、奥さんがふと、「あなた、出身は?」と訊いてきました。「日本人です。」と答えると、ぱっと顔を輝かせて、「そうじゃないかと思ったのよ!私の娘も半分日本人なのよ!」と言ったのです。一瞬、言われた意味がわからず、何か聞き間違えたのではないかと思い、思わず「は???」と聞き返してしまいました。フィリップさんも奥さんも、どう見ても西洋人で、そこにいる娘さんも金髪碧眼の典型的な白人で、一体どこに日本人の血が混じっているのか、きっと、その時の私の顔には?マークが張り付いていたのでしょう。娘さんが笑いながら、「そりゃわからないわよね。私の父は再婚で、父の最初の奥さんが日本人だったのよ。だから、私の姉が半分日本人だって言う意味なの。」と説明してくれました。「でもね、“アンティーミチ”(ミチおばさん)は今でも仲良しだし、私たちは彼女の作るお料理が大好きなの。」そう言った所で、タイミング良くその“半分日本人”の娘さんがやってきたのです。奥さんが、「この子、この子よ!」と紹介してくれ、その娘さんも、なにやら盛り上がっているけど、何々?という感じで会話に参加してきました。そして、話の流れで、そのアンティーミチはアレンタウンに住んでおり、娘さんは私の隣町に住んでいる、と言う事が判明した時、私の頭の中で何かがクリックしたのです。“ん?ミチ?アレンタウン?娘はノースウェールズ?そういえば、彼のラストネームはHストリートと同じではないか!!” 「もしかして、アンティーミチの名前って、“ミチコ”って言うんじゃないですか?」「そうだけど?」「もしかして、これくらいの身長で、眼鏡をかけていて、XXさんって言う知り合いがいて、昔Hストリートの石の家に住んでました?」「そうよ!!どうして知っているの??」「その人、私、半年前にスーパーで話したことがあります!」 奥さんと娘さん達は、“Oh my God!!”を繰り返しながら、私をフィリップさんの所へもう一度引っ張って行くと、彼に向かって言いました。「彼女、ミチに会った事があるんですって!ノースウェールズの家も、知っているんですって!」うとうとしていたフィリップさんは、奥さん達の勢いに驚きながらも、「そうか、そうか」と嬉しそうに言うと、「あの家は古いファームハウスで、私がいろいろ手直ししたんだよ。」と懐かしそうな眼をし、それから奥さんの手を取ると、もう一度「そうか、そうか」と言いました。思いがけない偶然に、一家は興奮していました。この家族にとって、美智子さんの存在は、何か特別なものだったようで、私はその時、半年前のあの短い出会いが、もしかしたら、ただの偶然ではなかったのかもしれないな、と、なんとなく思ったのです。
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