柴田昌平
天敵に「購入」と「土着」!?
取材をしていて、意味がまったくわからずに驚いた「百姓国語」はたくさんあります。その筆頭が「天敵」です。「天敵とは、ある生物を攻撃して死滅させる習性をもつ生物」という国語辞典的な意味はもちろん知っていました。しかしそれが農業の現場で日常的に使われているとは思いも寄らなかったのです。おそらく僕だけでなく、消費者の99%は知らないのではないでしょうか。
農業における「天敵」に注目するきっかけは、新型コロナの到来でした。2020年4月上旬、最初の緊急事態宣言が出る直前に、『現代農業』編集部の人たちがコロナによって農家にどのような影響が出ているかを緊急調査していました。そのレポートを読ませてもらうと、兵庫県立農林水産技術総合センター・八瀬順也先生が次のような指摘をしていました。
「購入天敵は輸入なので供給危ない、土着天敵なら安心」
この文章の意味がまったくわかりませんでした。「何これ? 『購入天敵』? 『土着天敵』? 何を意味しているの?」プロデューサーの大兼久由美と二人で顔を見合わせ、目を丸くしたのを今でも鮮明に覚えています。それぐらい、衝撃的に意味不明だったのです。
そこで大兼久が八瀬先生に電話で問い合わせると、2時間ぐらいかけてレクチャーしてくださいました。農家の現場で害虫を駆除するために天敵を活用していて、その大部分を輸入しているということに何より驚いたのですが、土着の虫を利用する動きが少しずつ広まっているとか。「生物農薬」という言い方があることにもびっくりしました。
高知から岡山へ、技術は共有される
ルーラル電子図書館で「土着天敵」で検索してみることにしました。『現代農業』のバックナンバーにたくさんの記事があるではないですか! 片っ端から目を通しました。
もっとも驚いたのが、高知の天敵名人、浜田忠光さんを取材した記事で、「ひとり勝ちさせない。害虫をも抹殺せず、互いに生かしあう」。つまり「害虫がゼロになると、天敵である虫たちは食べるものがなくなり、共食いするようになってしまう。だから、あえて害虫もゼロにならないように育てながら、ハウス内のバランスを取る」というものでした。その発想に「今の時代にとても大事な感覚だ」と感動したのです。
この記事を読む前は、農業の技術についてなかなか興味を持つことができないでいましたが、これをきっかけに、『現代農業』で紹介されるさまざまな技術の向こう側にある百姓たちの感覚に耳をすましたいと強く思うようになったのです。
高知の天敵名人たちを撮影に行きたかったのですが、コロナ禍で実現できません。取材を受け入れてくれたのは、岡山県真庭市で20種類以上の野菜をつくる清友健二さん。タバコカスミカメの活用を実践しています。
清友さんは、製材業の盛んな地元の木質ペレットで暖房する冬のハウス栽培を始めました。NHKで里山資本主義の成功事例として紹介されたこともあります。しかし実際のところ、ハウス内にコナジラミ等が大発生し困っていました。地域内の資源を循環させられるし環境にもよいと思って始めた木質ペレットによるハウス栽培でしたが、大量の殺虫剤を使わないとならない羽目に陥ったのです。
そんなとき教えてもらったのが、ゴマやクレオメを使って土着天敵を集める方法でした。「こんなにすごい技術を惜しげもなく教えてくれる高知の人たち、その心の広さにも感動した」という清友さん。この技術を生みだした高知県安芸市のナス部会の人たちを訪ね、お礼を言いに行ったほどです。今では、タバコカスミカメを通して「今まで見えなかったものが見えるようになった」と目を輝かせていました。清友さんのユニークさは文字では表現できないので、ぜひ映画をご覧いただければと思います。
誰でも自分で作れる「えひめAI」
小さくて目に見えない生きものを利用する農業、害虫を絶滅させるのではなく共生していく農業―――そんな百姓たちの技術に感動した僕が次に驚いたのが「菌」の活用でした。いまどきの流行語でいうなら「発酵の力」です。「発酵」は今や食生活を語るうえでのキーワードの一つとなっていますが、農業においても大事なキーワードだとわかり、とてもワクワクしてきました。僕自身がこれまで酒・味噌・醤油などを造る醸造の現場で、顕微鏡撮影もしながら、発酵と長く向き合ってきた経験があったからです。
農家の「菌活」の一つは、よい菌でバリアすることにより、病原菌の発生を抑える技術です。土着菌に始まりさまざまな菌が利用されています。僕が特に興味を持ったのが「えひめAI」でした。愛媛県工業技術センターの曽我部義明さんが開発した発酵液の技術で、誰でも自由に活用できるようにと特許を取らずにオープンソースにした、という点に共感したからです。
そして、山形県寒河江市の苗生産農家、高橋博さんを訪ねる機会を得ました。高橋さんは、えひめAIを独自のレシピに発展させており、「自分で飲んでみると、最初はパンのような酵母の香りが強く、時間が経つにつれ乳酸発酵が進んで酸味が増す」と、まるで杜氏のようなことを言います。
えひめAIを農業に使うのは、接ぎ木した苗の接合を促すためハウス内を高湿度に保つ場面。水で薄めて苗に噴霧するのです。「昔を思い出すとぞっとする。接ぎ木の苗は高温多湿の病気が出て当たり前っていう環境を作っているので、病害菌との闘いだったが、この方法を始めて10年以上経った今では、よい菌がハウス内に住み着いている」(現代農業21年4月号p96)。
農家は平成の大冷害で「菌活」に目覚めた!?
農家の「菌活」の歴史をひもとくと、びっくりするようなことが契機だったと『現代農業』編集部の人から教えられました。百姓が積極的に菌を活用することに目覚めたのは、1990年代の米ヌカの利用が大きなきっかけだった、というのです。
93年に起きた「平成の大冷害」。この年、東北地方を中心に記録的な冷害が発生し、米不足が生じました。減反政策を通して厳しく米の作付制限をしてきた政府が、米が足りないからと簡単に輸入に舵を切ったことに、全国の稲作農家が反発しました。95年には、戦時下から米の生産と流通を管理してきた食糧管理法が廃止され、農家の米販売が自由になります。これらを機に、米の自主販売をする農家が日本中に現われました。
それまで農家は、収穫した米をもっぱら玄米で出荷していましたが、米を自ら消費者などに直接販売するには、精米しなければなりません。そこで自ら精米機を導入するようになったり、農村にコイン精米機の普及が進んだりしたのです。日本の農業史では、それまで米ヌカが大量に百姓の元に残ることはありませんでした。90年代まで、モミガラは手元に残りましたが、米ヌカは自家飯米用などに使う分しか残らなかったのです。
「平成の大冷害」をきっかけに自主販売の農家の手元に大量に残ることになった米ヌカ。どうやって活用したらよいのか。日本中の百姓たちが工夫を凝らしました。『現代農業』のバックナンバーをたどると、90年代後半は米ヌカによる除草効果をねらって田植え直後の田んぼにまいたりしていたようです。
米ヌカで「土ごと発酵」
今はどのように米ヌカを活用しているのでしょう? そんな興味を持っていたとき、農文協の東北支部から、大潟村の斉藤忠弘さんが90年代から一貫して米ヌカを利用した稲作を続けていると教えてもらいました。全国各地からの移住者が集まってできた大潟村は、コロナ禍でも外部から来る取材を嫌がる気配はまったくなく、イネ刈りに合わせて訪ねることができました。斉藤さんも『現代農業』の記事に刺激を受け、除草剤代わりに米ヌカを田んぼにまいたことがありましたが、思ったほど効果は上がりませんでした。
米ヌカというのは、放っておくと自ら発酵して熱を持ちます。斉藤さんは、試しにイネ刈りが終わった後の田んぼに、米ヌカをまいてみました。すると米ヌカについた菌が、冬の間にゆっくりと時間をかけて、イナワラやイネの刈り株などの有機物を分解していきます。そして翌年の田植えに向けて、土壌をよくしていくことに気づいたのでした。これを「土ごと発酵」と農文協では呼んでいます。
当時の『現代農業』の記事にも、似たような試みをするたくさんの百姓たちの様子が書かれています。おそらく全国同時多発的に米ヌカのさまざまな活用法をトライしていったのでしょう。
考えてみると、堆肥も発酵の力を利用するもので長い歴史があります。堆肥は、刈り取ったワラや草と、家畜の糞が合わさって発酵。田畑の外で作ったものを、後から圃場に持ち込みます。「土ごと発酵」が面白いのは、田畑の上でそのまま発酵させてしまうこと。外に持ち出したり、運び入れたりしないのです。省力化が必要な現代にふさわしい方法です。
灯台下暗し…わが家の沖縄の親戚でも
「土着天敵」といい「土ごと発酵」「土着菌」「えひめAI」といい、すばらしいと思ったのは、身近にあるものを活用していくこと。しかもお金がかからない、手間もかからない。害虫や病原菌を絶滅させることはできないけれど、バランスを保っていく知恵の奥深さに、じつに驚かされます。
そんな取材を終え、沖縄で米と野菜をつくっているカミさんの親戚に話したら、「昌平、土着天敵は僕らもやっているよ、環境制御にも取り組んで、低農薬でやっているよ」と言います。あら、灯台下暗し。
28歳の甥っ子は、サラリーマンをしていましたが3年前に就農、親と一緒に田畑に出ています。「農業をやる前は、つらくて大変な仕事だなと思っていたけど、実際にやってみると、親父はすごいことをやっているんだと思った、もっともっと勉強したい」と声を弾ませます。「タバコカスミカメはすごい効果があるけれど、多くの農家は『本当にそんなんでうまくいくの?』と心配している。だから『うちの畑を見においでよ』と呼びかけている。見ればすぐにわかることだから。今では島のほかの地域からも視察に来るようになったよ」。新しい技術を入れるにはみんな慎重になるので、広がるのは、それなりに時間がかかるのですね。
国は「百姓の声」を聞けていない
このようにして百姓たちが工夫して生み出していった知恵を、国はどのように見ているのでしょうか。
2020年、農水省はそれまでの政策を転換し、有機農業や低農薬・低化学肥料化をめざす「みどりの食料システム戦略」を策定しました。その勉強会を僕も聴講させてもらいましたが、そこでわかったのは、政策立案者たちは、具体的なプランがあって戦略を掲げたのではないこと、また百姓たちの知恵についてほとんど知らない、ということでした。この政策が「遺伝子編集(ゲノム編集)品種の普及」などに行ってしまう前に、本来の自然と向き合い共存する「百姓国」の原点へと向いてほしい。そのためには、「百姓の百の声」「百姓たちの百の知恵」を、消費者も含め、多くの人たちと共有していきたい。それをベースに未来を考えるようになったらいいな、と心より思います。
『百姓の百の声』
予告編も見られるクラウドファンディングサイト ※募集は終了しました。
https://motion-gallery.net/projects/100sho
公開は11月。映画館のない地域では、自主上映会で応援いただける方も募っています。
映画『百姓の百の声』公式HP
http://www.100sho.info/
著者紹介
柴田昌平 しばた しょうへい
ドキュメンタリー映像作家。代表作に『ひめゆり』『千年の一滴 だし しょうゆ』『森聞き』など。プロダクション・エイシア代表。
現代農業連載 映画『百姓の百の声』制作秘話
今さら聞けない 農業・農村用語事典
農文協 編
「月刊現代農業」と「季刊地域」で使われてきた384の用語を収録。農家の技術の用語では、「ボカシ肥」「への字稲作」「土着菌」「サトイモ逆さ植え」など「現代農業」で取り上げて一世を風靡した用語から、「pH」「EC」「穂肥」「幼穂形成期」といった基礎用語まで収録のほか、地域の仕事の用語では、「自伐林家・自伐型林業」「空き家」「廃校」など時代を象徴する用語を収録。用語の解説はもちろん、身近な自然の力を借りて肥料や燃料、食べものやお酒などを自給する農家や地域は強いことが読み取れて、地域に暮らすことに誇りが持てる。
天敵利用の基礎と実際
根本久・和田哲夫 編著
天敵「製剤」(農薬)が出揃って一定の技術が確立してきた施設(果菜)栽培と、害虫防除の生態系や資材が大きく異なる露地(野菜、果樹)栽培、また施設の葉菜栽培その他では、天敵防除はアプローチの仕方が大きく分かれる。本書では、このように異なるそれぞれの天敵活用の実際を再整理し、間違いのない活用法、減農薬につながる具体的技術を示す。また、少しずつながら増えている有機栽培や農産物輸出の促進に向けた高品質生産にとってより重要になっている害虫制御。天敵への注目度はそこかしこで増している。
DVDブック えひめAIの作り方・使い方
農文協 編
材料はすべて食品。納豆・ヨーグルト・イースト・砂糖から、誰でも簡単に手作りできる発酵液。中には微生物や酵素がいっぱい。田畑では「病害虫が減って農薬も減って、野菜がおいしくなる」「土着微生物が殖えて土がふかふかになった」と農家に好評。台所やトイレやペットのニオイ消し、油でギトギトの換気扇掃除、お肌つるつるになる入浴剤、川や配水管の浄化など、暮らし場面でも大活躍。月刊「現代農業」の特選記事に、新しい取材記事も加えて再編集。付属DVDでは「超簡単!24時間製造法」や、農家の使いこなし術をたっぷり収録。DVD50分付き。