塩原の歴史ロマン
この洞窟に隠れ住んでいた源有綱は源平最後の合戦壇ノ浦の戦い(1185年)で、源義経とともに戦った義経腹心の家来であったため、 壇ノ浦の戦いの後、源頼朝軍に義経一族として追われ、大和国(奈良県)方面より塩原へ逃げこんできたと伝えられています。
塩原地内をさまよっていたところを地元の城主であった塩原八郎家忠に捕えられましたが義経一族とわかり、 命だけは助けられこの洞窟内で落人の生活に入りました。
再起を計ろうとしましたが、洞窟内に流れる滝水で米をとぎ、そのとぎ汁が洞窟の外へ流れ出たことにより 頼朝軍に発見され、無念の最期を遂げたと伝えられています。
なお、源三窟という名前の由来は、有綱の祖父源三位頼政の源三位をとり、開業時(明治43年) は源三位穴という名前でしたが、その後源三窟と変わっています。