日本映画 はの記事 (1/6)
- 2024/10/07 : 博士の愛した数式
- 2024/09/18 : 激しい河
- 2024/08/13 : 番町皿屋敷 お菊と播磨
- 2024/08/12 : 花の長脇差
- 2024/03/16 : 爆破3秒前
#1749「博士の愛した数式」
数式が主役の世にも珍しい物語
製作年:2005年
製作国:日本
製作会社:「博士の愛した数式」製作委員会
監督:小泉尭史
出演:寺尾聰/深津絵里/吉岡秀隆/齋藤隆成/浅丘ルリ子
公開:2006年1月21日
喜寿シリーズ、第三弾は寺尾聰さんです。名優宇野重吉を父に持ち、ミュージシャンとしても活躍してゐます。サングラス時代は父に似てないなと思つてゐましたが、今では良く似てゐると感じます。作品は2005年製作・2006年公開の「博士の愛した数式」。原作は小川洋子さん(カメオ出演あり)の同名小説。第一回本屋大賞受賞作。監督・脚本は小泉尭史、音楽は加古隆であります。
「ルート」と呼ばれる若い数学教師(吉岡秀隆)は、新学期の最初の授業で、なぜ自分がルートと呼ばれるやうになつたかを、挨拶代りに語り始めます。
お話は彼が十歳の頃に遡ります。彼は母子家庭に育ち、母親(深津絵里)は家政婦として働いてゐました。新たな仕事先として、家政婦紹介所から、元大学教授で数学博士(寺尾聰)の家を紹介され、派遣されます。博士の義姉である未亡人(浅丘ルリ子)によると、博士は17年前の交通事故により記憶障害を患ひ、80分しか記憶を保てないと云ふ。彼女も同じ車に乗つてをり、その影響で今でも足を引き摺つてゐます。
博士は未亡人とは別の離れに住んでゐて、この離れでの問題はすべて離れの中で解決して貰ひたい、と彼女は母親に釘をさしました。未亡人の母屋と博士の離れとは木戸で仕切られてゐます。何か訳アリさうな様子。
博士は初顔合せ時に、イキナリ靴のサイズを訊ね、24と知るや「潔い数字」と褒め、誕生日が2月20日と分かると「チャーミングな数字」と評し母親を面喰らはせます。博士は明日には忘れてゐるので、以後毎回同じやうな会話をする事になります。博士の人間性に惹かれ数式の面白さも伝へられた母親です。
或る日彼女に息子がゐると知つた博士、子供を一人にするのは不可ないと、明日から息子を放課後にはここに寄越すやうに申しつけるのでした。息子は頭が平であることから√(ルート)と呼ばれ、皆が阪神タイガースファンである事も手伝ひ、三人は打ち解けて穏やかな安らぎのひと時を得るのでした。しかしそれも長続きしなかつたのであります......
原作では家政婦の「私」による語りで話が進みますが、映画版では成長したルートが数学教師になつてゐて、授業で生徒たちに語る形式になつてゐます。これにより作中に出て来る数学用語を観客向けに解説する役割を担ふ訳です。「友愛数」なんてナイスな名称ではありませんか。ただルート先生の解説はちよつと観念的で分かりにくい。
博士の記憶が80分しかもたないと云ふのは如何なる状態か。この難しい役を寺尾聰が演じます。身体中にメモを張り付けてゐますが、役に立つてゐるのかどうか微妙な感じ。80分を活かしたシチュエイションが無いのは勿体ない。これなら「翌日まで記憶が持たない」くらゐで良いと思ひますが、やはり本作では数字を入れたかつたのでせう。一方で登場人物は「家政婦」「博士」「ルート」「未亡人」などと、多分意図的に固有名詞を廃してをります。お陰で浅丘ルリ子は「義弟」を繰り返す羽目になりますが。
家政婦の深津絵里さんも好演。キャラクタア的には現実味のない人物なんですけど、このファンタジイ世界の住民としては上手くはまつてゐます。少女の心を保つたまゝ家政婦をし、ルートを育ててゐます。
浅丘ルリ子の未亡人は少し怖い。博士とはかつて不倫関係にあつた事を匂はせます。現在は博士を離れに隔離し身の回りの世話を家政婦にやらせてゐます。そのくせ深津家政婦が、病気になつた博士を泊まり込みで看病した事を問題視し一旦彼女をクビにします。これは嫉妬なのでせうか。最後は誤解が解けたやうですが、その心の変遷もはつきりしません。再び彼女を家政婦として迎へ、「すべてを任せますわ」「(母屋と離れの間の)木戸はこれからいつでも開いてをります」と告げるのでした。
未亡人にルリ子さんを起用したからか、彼女の分量が増えて、その分江夏豊のエピソオドが薄くなつてしまつたのは残念。初見時は何だか映画的パンチに欠けるなと感じましたが、その代り小泉尭史監督らしい美しい映像は健在だし、メロドラマ風のオープニングも中中良かつたです。少々の不満は雲散霧消する、ほつとするエンディングでした。
2024/10/07 (月) [日本映画 は]
#1730「激しい河」
18歳のヒデキがドクターを演じる
製作年:1962年
製作国:日本
製作会社:日活
監督:牛原陽一
出演:高橋英樹/和泉雅子/清水まゆみ/清水將夫/内田良平/殿山泰司
公開:1962年10月6日
続いては同じく1962年の「激しい河」。牛原陽一監督作品。脚本は下飯坂菊馬と田坂啓、音楽は小杉太一郎であります。日活の惹句は「病院乗っ取りの陰謀に絡む麻薬紛失の責任を負って巡回医療船の医者となった青年医師が悪徳一味に挑戦する姿を描く」。読点なしは読みにくいが、要するにさいうふ物語です。
白石病院の外科医だつた伊奈修一(高橋英樹)は、医療用の麻薬が紛失した責任を取つて辞職します。病院の資金提供者・西尾(近藤宏)が責任を追及し、人格者の院長(清水將夫)に迷惑をかけないため、自ら身を引いた形です。
やがて巡回医療船で働く事になり、船長(殿山泰司)ほか孫娘の昌江(和泉雅子)と彼女の弟・勇(森坂秀樹)も同船してゐます。すると白石院長の娘・桂子(清水まゆみ)が修一を探し当て、彼女も医療スタッフの一人として乗船を認められました。
しかし機関士が不在で出航出来ず、急遽雇つたのが佃(内田良平)といふ男。彼は以前修一と殴り合ひの喧嘩をした事があるやくざ者でした。佃の目的を探る修一。そんな中、勇が佃の拳銃を見つけ、逆に佃に脅されて口止めをされます。そして桂子宛てに父・白石博士の名で、急遽帰るやうに電報が届きます。
桂子が駆け付けると、白石博士、兄の冬樹(杉江弘)、西尾、西尾のスポンサアで不良外人スコット(ビル・バッソン)が揃つてゐました。西尾が桂子との結婚を迫ります。実は麻薬紛失事件は、桂子を狙ふ西尾が邪魔な修一を追出す為に仕掛けたもので、同時に冬樹もグルにして病院乗取りを画策してゐたのです......
と云ふ訳で、清廉な若い外科医が、暗黒街の麻薬取引、病院乗取りの陰謀に巻き込まれる物語。高橋英樹さんは既に一人前のドクターと云ふ雰囲気ですが、当時18歳の高橋さん、一体何歳の設定だつたのでせう。「博士号目前だつた」との話もあるので、少なくとも25-26歳以上でないと不自然ではあります。
子役からも「をぢちやん」と呼ばれてゐました。医師としての腕も一流で、若くてハンサムで、殴り合ひの喧嘩も滅法強い。更にトランペットの名手と云ふ無駄な設定もあります。如何にもスタアらしいスーパーマンぶりです。
ヒロインは和泉雅子と清水まゆみのダブルで、夫々魅力的です。ヒデキを巡つて、もう少し嫉妬の火花がバチバチするかと思ひましたが、二人とも大人でした。和泉はスクール水着みたいなものを着用するシーンがあり、当時は矢鱈と肌を晒してゐました。その他、船長の殿山泰司や親友の武藤章生も好演。
ワルは暗黒街側に深江章喜、内田良平、木浦佑三、榎木兵衛、柳瀬志郎ら、病院乗取り側に近藤宏、杉江弘、ビル・バッソンら。イマイチ小粒な面面ですな。両者を繋いだのが「麻薬」。流れた資金を近藤が清水將夫に提供し、借金漬けにして雁字搦めにして病院を乗取り、娘の清水まゆみも頂かうといふ構図であります。
計画の綻びの原因は、①何といつても高橋英樹の存在。②内田良平の寝返り。③情婦の上月左知子をカネで捨てやうとした事。事情を知る彼女をそんな事をしたら、暴露されるに決つてゐますし、事実さうなりました。普通は口封じに消すところですが。
如何にも日活暗黒街アクションらしい、痛快娯楽作品となりました。粗製乱造体制の中、脚本が練られてゐない点も多々ございますが。例へば内田良平が味方に付く経緯がイマイチ分からない。高橋に「お前に惚れたやうだ」と云ふけど、一寸唐突感を感じます。宍戸錠的存在にしたかつたのかも知れませんが、ジョーのやうな諧謔性もないので、爽快感も生まれないのでした。丁寧に描けば面白いキャラクタアになつたのに、勿体ないと存じます。
ところで、最後まで見ても「激しい河」の意味が分かりませんでした......
2024/09/18 (水) [日本映画 は]
#1694「番町皿屋敷 お菊と播磨」
悲恋物語の番長皿屋敷
製作年:1954年
製作国:日本
製作会社:大映(京都撮影所)
監督:伊藤大輔
出演:長谷川一夫/津島恵子/田崎潤/東山千栄子/村田知英子
公開:1954年3月3日
将軍家薬草園付近で火災が発生、旗本青山播磨(長谷川一夫)は直ちに現場へ向ひますが、既に大名お抱への火消・加賀鳶が現場を取り仕切り、播磨は通行を止められます。危急の場合だと強引に突破する播磨、それに町火消「や」組も続きました。この事件は予てより険悪な関係の大名と旗本の間に緊張を齎しましたが、「や」組の責任者・巳之吉(田崎潤)が髷を切り、播磨を裁定下るまで謹慎処分とする事で一応の決着はつきました。
そこで水面下で動いたのが播磨の伯母・真弓(東山千栄子)。大久保彦左衛門(進藤英太郎)を動かし播磨を将軍家光(小柴幹治)の鷹野の供にして将軍の覚え目出度くさせ、前将軍秀忠の娘・千々姫(阿井美千子)との縁談を着々と進めます。
しかし播磨には最愛の腰元・お菊(津島恵子)がゐます。「や」組巳之吉の妹です。此の縁談を断り仮令お家断絶の憂目に遭はうとも、彼女との愛を貫く心算でゐました。ところが巳之吉は妹を思ひやる余り、播磨の本心も知らず「播磨は千々姫と結婚する。お前は諦めろ」と懇々と説得するのでした。
心乱れるお菊、播磨の心を確かめたいと、丁度青山邸に運ばれた天祥院拝領の南蛮絵皿セットの一枚を井戸に投げてしまふ! 自分の心を試す為と知つた播磨は激怒し、残りの皿も総て割り、お菊を手討にする槍を手にします。その際に行燈を倒してしまひ、忽ち炎が屋敷を包みます。
巳之吉の手柄とすべく、「や」組に出動を命ずる播磨。しかしそれよりも早く加賀鳶もやつて来ました。今度は播磨が彼らを止めにかかりました。そして炎の中、手打ちにしたお菊を抱きしめ、播磨も自ら槍を......!
といふ事で、番長皿屋敷です。一般的には怪談物語ですが、本作は岡本綺堂が戯曲用に書いた「恋愛悲劇」を原作としてゐます。したがつてお菊さんが亡霊になつて皿を数えるシーンなどはありません。監督・脚色は伊藤大輔、音楽は伊福部昭であります。
長谷川一夫×津島恵子の顔合せ。長谷川は貫禄十分。時々市川右太衛門に見える時があります。津島は少し幼さを感じ、何より泣いてばかりなので折角の美貌が勿体ないのです。
その二人、旗本長谷川と腰元津島の身分違ひの恋愛を描きます。現代の我我からすれば馬鹿馬鹿しい限りですが、封建社会では何よりも家柄・家名・身分が最優先。だから東山千栄子の意見は当時とすれば御尤もで、長谷川の方が非常識といふ事になります。
悲劇の直接の動機は、まづ田崎潤が長谷川の本心も知らず津島に諦めさせる事。これとても妹想ひだからこその忠告なのですが......それを真に受けた津島が、浅墓にも大切な皿を井戸に投げてしまひます。これは一枚欠けても手討となる貴重なもの。最初は誤つての事と、不問に付す長谷川でしたが、馬鹿正直に本当の理由を津島が白状するものだから、長谷川も手討にせざるを得なくなつたのです。
メロドラマに留まらず、伊藤大輔の重厚な演出、火災の場面の迫力など、見所が随所にある一篇と申せませう。尚、後に市川雷蔵主演×田中徳三監督で「手討」としてリメイクされてゐます。
2024/08/13 (火) [日本映画 は]
#1693「花の長脇差」
舞台は東海道池鯉鮒宿
製作年:1954年
製作国:日本
製作会社:大映(京都撮影所)
監督:衣笠貞之助
出演:長谷川一夫/高峰三枝子/市川猿之助/入江たか子/浪花千栄子/進藤英太郎
公開:1954年4月28日
本日の長谷川一夫映画は、1954年公開の「花の長脇差」。監督・脚本は戦前から名コムビの衣笠貞之助、音楽は服部正。
旅芸人一座を率ゐる嵐門右衛門(小沢栄=小沢栄太郎)は、贔屓筋から「三河屋團十郎」と呼ばれる人気を博してゐましたが、或る日上演中に倒れてしまひます。そのまま息を引取り、後を継いだのが若い門次郎(長谷川一夫)。
東海道知立(池鯉鮒)の宿で興行すると云ふその前日、見物衆が寄贈した「三河屋團十郎」の幟がずらりと並びました。其処に通りかかつたのが、何と本物の市川團十郎(市川猿之助)の一行。團十郎はそれをむつつりと見てゐるだけでしたが、弟子たちが怒つて幟を次々と引き抜いて川に投げ込んでしまふ。
門次郎は単身團十郎と会見しその狼藉を問ひ質します。自分たちは自ら團十郎と名乗つた事はないとも弁明しました。天下の名優を前にして臆する事のない堂堂たる態度に感じ入つた團十郎は、詫びを入れるとともに、改めて幟を贈り、門次郎の舞台の初日を見物する事を約しました。
その当日、團十郎目当てに見物客が詰めかけ、周囲の垣根や木に登る人も多数出るほど。「高岡や刈谷くんだりからも来てゐる」とのセリフあり。高岡とは現在の豊田市南部、トヨタの高岡工場があります。この集客ぶりに驚き注目した一人に、土地のやくざ権太郎(進藤英太郎)がゐました。團十郎は門次郎達の芝居を褒めた上で、改善点を的確に次々と指摘します。
ところで知立の宿の女主人・お梶(入江たか子)の妹が、かつての門次郎の許婚者・お藤(高峰三枝子)で、偶然の再会を果たします。彼女の亡父は門次郎に目をかけ、剣の修行に旅立たせましたが、門次郎は役者となり音信不通となつてゐたのです。お藤は門次郎の母・萩乃(浪花千栄子)に知らせ、一緒に門次郎の「弁天小僧」を見に来ますが、萩乃は期待に反して役者ふぜいに身を落した息子を苦々しく見つめるだけでした。
サテやくざ権太郎は、自らのプロデュースで團十郎の興行をしたい。彼をカネの成る木と思つたんでせうね。しかしどうしても團十郎は首を縦に振りません。面子を潰されたと怒つた権太郎、配下の者どもと、当地を去る團十郎を襲撃せんとします。それを知つた門次郎、一座を引き連れて現場へ急行する......!
タイトルはまるで股旅の任侠ものみたいですが、衣笠×長谷川コムビの芸道もの。市川猿之助(二代目。後の初代市川猿翁。最近問題を起こしたのは四代目)が團十郎に扮し、三河の團十郎と呼ばれる長谷川一夫が、芸を通じて成長する物語です。「子狐」を披露する團十郎が素晴らしい。幟を巡つて対峙する最初の二人の会見も迫力が有つて良いですね。
ワルは進藤英太郎一択。團十郎の人気に目を付け、興行を勝手に企画します。断られると今度は入江たか子に手を出さうとします。「いくらお人好しの俺だつて」などと図々しい事を云ふのが愉しい。
ラストでは腹いせに團十郎を襲はんとしますが、我らが長谷川一夫が立ちはだかります。この立ち廻りも、ワルを成敗する意味合ひよりも、團十郎を救ふ事が主眼に思はれ、ドスを持つてゐても斬りはしません。やはりこの辺は任侠アクションではなく、飽くまでも芸道ものと云ふ事を示してゐます。チャンバラは既に解禁されてゐるので、意図的なものでせう。
その分、高峰三枝子とのロマンスや、母親浪花千栄子との関係もやや中途半端に終つた感じで少し残念。浪花千栄子はあれ程役者になつた長谷川を嘆いてゐたのに、最後は笑顔で舞台を鑑賞してゐます。高峰が色々と説得したのでせうが、唐突な感じはします。それでも、名優たちの共演が功を奏し、プログラムピクチュアの一作としては中中の出来と思想する次第なのです。
2024/08/12 (月) [日本映画 は]
#1544「爆破3秒前」
マイトガイ版007かな
製作年:1967年
製作国:日本
製作会社:日活
監督:井田探
出演:小林旭/高橋英樹/高石かつ枝/葉山良二/名和宏/北村和夫
公開:1967年10月21日
またもや小林旭と高橋英樹、二大スタア共演のアクション娯楽作であります。井田探監督作品。原作は大藪春彦の「破壊指令NO.1」。脚本は以後アクションもので名を馳せる永原秀一、音楽は大森盛太郎。マイトガイが歌ふ主題歌はなく、、劇中挿入歌「さよなら桟橋」を出演もしてゐる高橋かつ枝が歌つてゐます。今一人、コロムビアの英四郎さんと云ふ歌手が、劇中で「東京が遠くなる」を歌唱してゐます。この英四郎と云ふ方は、失礼ながら存じません。
マイトガイ旭の役柄は、内務局情報室諜報部の凄腕工作員・矢吹。孤児故に就職が上手くゆかず、内務局の諜報部長・杉山(北村和夫)に拾はれた経緯があります。杉山が次なる指令を矢吹に送ります。戦時中に日本軍の高島(神田隆)が某国から奪つた宝石類を探し処分する事でした。三日後の午前六時には時効を迎へ、それが過ぎると正式に高島の物になつてしまふので、時間との勝負であります。
高島は宝石を狙ふ国際宝石密輸団から守る為に、元秘密諜報員の山脇(高橋英樹)に警備を任せてゐます。山脇は元秘密諜報員で伊吹と共に働いてゐましたが、奈々(高石かつ枝)と云ふ女性と愛し合ひ、人間的な生活を求めてスパイを辞めたのです。皮肉にも、ここで元同僚二人が争ふ事になるのです......
大藪春彦原作だけあつて、中中ハアドな展開であります。葉山良二や名和宏側の国際宝石密輸団は勿論ワルだし、高橋が守る側の神田隆や内田朝雄らも、既得権益を守るだけで元元はワルなので、何方にも感情移入は出来ません。アキラも感情を押し殺すスパイで、女からの誘惑にもびくとしないプロで愛想はありません。堅ゆで卵。
女優陣は神田隆の姪役の伊藤るり子、高橋英樹と将来を約束した高石かつ枝、アキラを篭絡しやうとして失敗する應蘭芳と揃ひましたが、いづれもが非業の最期を遂げるのも1967年と云ふ時代が関係するでせう。無国籍アクションの時代なら有り得ない事です。
全体にシアリアスで真面目に作られてゐるのですが、一方で潤ひが無いと云ふか面白味に欠ける憾みがあります。見どころは結局アキラのアクションとなりませうか。全盛期に比べ肥つてますが、動き自体は悪くない。ワルから逃走するシーンではビルからビルへ渡り、ロープを伝ひ地上へ降る。極めつけは、地雷原を避ける為にヘリコプタアから直接倉庫の屋上へ降り(倉庫は既に炎に包まれてゐる!)、窓から建物内に爆薬を投げつけ大爆発を起す場面ですね。当時の事だからCGなんか無いし生身のアクションでこなしてゐるのが凄いです。
あのジョン・ウーも、アクションスタア・アキラに魅了され、演出中には俳優に「小林旭のやうに」などとアクションの演技指導をしたことがあるさうです。わたくしはかう云ふエピソオドは少し好きなのです。
2024/03/16 (土) [日本映画 は]