菅直人首相が弄ぶ「脱原発」。首相は国民の後押しを期待したようだが、理念への賛同は得られても、内閣支持率はむしろ下落してしまった。首相の圧倒的な不人気を改めて証明した形だが、当の本人にさほど落胆の様子はない。しょせん一時的な「延命の道具」に過ぎないからだろう。
もっとも、人類史上最悪の事故を目の当たりにした以上、日本が原発依存を減らすのは当然だ。そこで政府のエネルギー・環境会議(議長・玄葉光一郎国家戦略相)は、短期・中期・長期で「減原発」の道筋を具体的に示すらしい。そして、その前提として発電コストの徹底検証を行うようなのだが・・・。
原則論を言えば、発電と送電を分離して発電分野に新規参入を促し、競争が起こることで自ずとコストの勝負はつく。送電距離次第では、火力発電でもコスト高になるし、再生エネルギーが一概に不利とは言えない。そもそも、こんな机上のコスト論を改めて議論すること自体がお役所仕事であって、発送電分離をさせないための時間稼ぎの疑いすらある。
だいたい、未だに事故を収束させられないのに、原発のコストが安いなどという戯言を誰が信用するのか。政府見解は電気事業連合会の数字をそのまま使っており、1kW時あたり5・3円としているが、立命館大学の大島堅一教授が電力会社の有価証券報告書をもとに試算したところ同10・68円と、政府見解の倍の料金になった。しかも、ここには燃料の再処理費用や廃棄物処理費用、さらには賠償リスクは一切含まれていない。それらを足し上げれば同15・8~20・2円になる。こうなると、もはや原子力の出番は回ってこない。
原発の問題はコスト高だけではない。そのコスト、特に賠償負担を国民に被せることだ。8月3日、原子力損害賠償支援機構法が国会で成立した。名前こそ「損害賠償」と付されてはいるが、実態は紛れもなく「東電救済法」だ。
実は政府提案の段階では東電の株主、債権者、社員などに一定の負担を課すという考え方が入っていた。だが、自民・公明の要求を容れて修正した結果、政府から新たな資金提供を行うなど、徹頭徹尾、東電救済法になったのだ。債権者や株主に責任を取らせる法的整理は、これで一切できなくなった。東電社員の高額な年金も温存された。そして、国民負担が大幅に増えることになったのである。
こうした「改悪」を、大手メディアは法案成立までほとんど報じなかった。その理由の一つに、「東電が債務超過であることを明らかにすべし」などと厳しい姿勢を示していた自民党の河野太郎衆院議員が、自身のブログ(7月22日)でこの修正案を正常化に向けた「大きな一歩」と高く評価したことがあるのではないか。
不勉強なマスコミは修正案の中身を精査せず、誰が賛成・反対しているかを基準に報道する。あの強硬派の河野議員が評価する以上いい修正だ、と思い込んだのだろう。河野議員は5日後のブログで「玉虫色」「一蹴しなければならない」と修正案の評価を一変させたが、時すでに遅し。
結局、労組経由で東電の献金を受け取ってきた民主党も、経営者経由の東電マネーに毒されてきた自民党も、どちらも東電・経産省コンビに抱き込まれ、かくして東電温存法は成立してしまった。
賠償コストは電気料金に上乗せされる。泣くのは国民だ。政治家の責任は言うに及ばず、メディアの無知と不作為も罪深い。
週刊現代2011年8月20・27日号より