稽古場日記 - 2024年11月
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同じ人だけど、同じ人じゃない

 皆様、凡そ半年ぶりです。作演出を務めさせていただきました、ヒイラギと申します。

 「では皆様、またいつかどこかでお会いできるのを楽しみにしております。」

 そう稽古場日記の締めの言葉をつづったのは今年の5月でした。
 あれから半年もたたないうちにまた、作演出をしているとは。しかも、今回は本公演。舞台も、照明も、音響も、全て零から作ることができる。まさに可能性の海。
 しかし、零から作ることができるということは、裏返すと零から作らないといけないということでもありました。新歓公演以上に考えることが盛りだくさん。その中でも、変形舞台や、光る提灯、劇中での衣装替えなど、新しい試みを織り交ぜていきながら作品を紡いでいきました。

 23代にとっては最上級生として、24代にとっては本格的にかかわれる、それぞれにとってたくさんの初めてに囲まれた公演であったと思います。そして、われらが舞監の引退公演でもありました。
 しかも演目は、具象劇のど真ん中。我ながらなかなかに困難な道を選んだものだなあと振り返ると感じさせられます。

 そんな前途多難な道を最後まで歩めたのは、ひとえに座組のみんなのおかげでした。今回の稽古場には演出助手が3人いたことで初役者や久々の役者へのフォローアップ・演技の掘り下げもしっかりできたし、頼もしい同期からの引継ぎを受けたフレッシュでやる気に満ちた後輩達のスタッフワークも素晴らしかった。そしてもちろん、頼もしい同期達も随所でこの公演をともに創り上げてくれました。次の新人公演に向けての引継ぎとの両立という難題を抱えながらそれぞれが最善を尽くしてくれました。

 翻って作演出としての自分はどうだったでしょうか。もっとうまくできたと感じることも多くありました。まだまだ考え続けていかなければならない。日々、自分の未熟さを感じさせられました。
 でも、まだまだ伸びしろがあると感じているということは、まだまだ演劇をあきらめていないということでもあるのかもしれません。戯曲が書き終わるたびにもう書けないと感じ、公演が終わるたびにまだやり残したことがあると感じるあたり、演劇の虜なのかもしれませんね。



 うーん。僕の前に稽古場日記を書いてくれたお姉ちゃん(楓)の形式をまねようという意図はなかったんだけど…。まあ、公演4日後の自分の文章を消すのももったいないから出しちゃいます。でもなんか、真面目で堅苦しくていい子ちゃんな文章ですね。あんま面白くないし。
 そんなこんなで、ここからは公演からちょうど1か月が過ぎ、すっかりヒイラギさんが眠りについた私、ホンダが書かせていただきます。

 さて、今回の稽古場日記のテーマはずばり「ふたり」。
 「『S A I』のエッセンスは何だろうか」、と役者の発声を聞きながら考えるなかで、このテーマをきめたなぁと思い出しました。この物語は自分の中のある種の「原風景」の話であって、かつ、ほとんどが「ふたり」で進んでいく形でした。実は、「S A I」という作品自体は、コンセプトとして「彩」「祭」「差異」を意識していました。(全部読みが「S A I」なんです!)

 僕は「ふたり」という関係性はお互いの「差異」を強く意識することになる関係性だと思っています。だって、自分のほかにはたった「ひとり」しか居ないから。相手のことを意識しちゃう。それってとても素敵なことですよね。
 ただ意識の仕方はすこし気を付けないといけないなと最近感じています。「自分がどうみえるか」を意識しすぎるのは、少なくとも僕にとっては精神衛生上よくないらしい。あくまでも相手のことを知りたいっていう意識っていうのが自然なのかな。
 「ふたりぽっち」なんだから、ほかでもない「もうひとり」にちゃんと目を向けるのがいいような気がしますね。お互いを見る行為がお互いの目を通した自分を見る行為に変わってしまわないように。お互いを見ているつもりになってしまわないように。そのためには同じ方を向いてぼーっとしている時間も必要なのかもしれませんね。

 この話はきっと「ふたり」にとどまりませんが、やはり自分のことばっかり考えてると人間関係って辛いものになってしまうなあと。最近で一番身に染みたことかもしれません。
 さて、この話がどこにつながるのかというと、ヒイラギという人物についての話につながっていくことになります。ヒイラギは当然僕自身なのですが、同時に、作演出という役割を前提とした存在でもあると僕は認識しています。僕にとってヒイラギは別人ではありません。ですが、与えられた役割を全うするという目的を、そして「自分がどう見えるか」について強い意識をもった存在であったことはおそらく事実です。

 劇作家ヒイラギの書く作品には必ず僕自身の劣等感とか願いとかそういうものが込められてます。まあ、当然と言っちゃ当然ですね。意識的にそういう部分を探しながら書いてますし。それが、ほかの人にもちょっとエンパシーしてもらえたらうれしいなあって思っています。(以下、「エンパシーする」という動詞を多用します、ニュアンスを零したくないので。)
 ちなみに、今回も僕はあてがきをしようという心づもりはなかったし、そもそも、ほかの人のことをあてがきできるほどよくわかっている確信もないです。それでも、毎回意図せずとも一部の役者と役の境遇が似ていたりするのは、きっと役者が僕自身の劣等感とか願いとかそういうものにエンパシーしてくれているのだと思います。もしかしたら僕の方が潜在的に役者とエンパシーしているのかもしれませんが…。たぶんそれはうぬぼれですね~、うん。うぬぼれるとそれ以上成長はないのでうぬぼれないでおきます!

 あと、色々な解釈を聞かれることがありますが、見てくれる人が感じてくれた(特にエンパシーしてくれた)ことはすべて正解です、僕にとっては。今回の作品は、どことなくあったかさがある(ホッカイロみたい)というような感想をよくいただきました。僕もそんな人間になりたいですねぇ。

 演出家ヒイラギは今回かなりがんばってましたね。振り返るとですけど。やっぱり演出の言うことってある程度の強制力を伴ってしまうからこそ、言葉遣いとか態度とかが強くなり過ぎないように、っていうことはすごく意識していました。まさに、「自分がどう見えるか」を問い続けた日々でした。「より善い自分でありたい」っていう意思の結晶でもあったと思います。役者のうちの数人から居心地の良い稽古場だったといってもらえたので頑張った甲斐はあったと思います。

 そうだ、あれ(自称:仏のヒイラギ)を見ていた座組のみんな、ごめんね。普段のホンダはもうちょっと雑な対応しちゃうかも(舞台の同期はいつもちょっと雑に扱ってるわ。嫌わないでくれてありがと。)。あれはかなりの努力の成果なので、たぶんずっとは続かないっす。急にサバサバ系のホンダがこれから顔をのぞかせるときがあると思うけど、みんなが嫌いになった訳じゃないので…。驚かせない程度の落差に留めるように善処するぜー。
 あと、ホンダとヒイラギは意識的には区別あるので、できれば普段はホンダと呼んでもらえると嬉しいかもなあとか思ったり思わなかったり。

 ああ、次はもっと広い意味で演出をやりたい!!稽古場を超えた演出をしたい!!
 未来への宿題です。

 稽古場日記のテーマって作品のテーマに近いから作品を書き終えた時点で少しその興味が発散されちゃってる気がします。なので、毎回徒然なるままに文章を書きながら、書くことが少しずれていきます。まあ、書きたいこと書いていい場所だと思うんでそこまで気にしてはないけどさー。最近は、作業場日誌とか稽古場日記とかって座組の外の人間よりも座組の中の人間にあてて書いてるなあとか思ったりしてます。

 はい。なんか、戯曲を書いてる時期からはもう二か月もたったわけで人間ちょっとずつ変わっていくよねという話でした。もうこんなにしんどいことは二度とやらんぞ、と終わった直後からつい最近まで思ってたけれど、今は「次どうしよっかなあ…。」って考えてしまっているホンダのなかのヒイラギさんを傍目に、またしばらくは舞台のホンダとしてがんばります。
 あ、今度サークル内でやる役者体験会では、なんと作演じゃなくて役者やるらしいよ。その結果、今度は役者に目覚めたりして…。まあ人生何が起こるかわからんのです。一寸先は闇だけど、三寸先は光かもしれない。ちょっと前は次も具象劇のつもりだったけど、今は抽象劇が書きたいって気持ち。半月前は病んでても今は案外元気。いろんなものが時間の波に流れていってしまう…。酸いも甘いも。

 そういえば、自分の戯曲を見返すのは、過去の自分との「ふたり」での対話なのかもしれませんね。自分の戯曲じゃなくても、その時の自分の情熱がこもったものなら何でもか。なんて、しぶとく「ふたり」というテーマを忘れているわけじゃないと主張しながら今回の稽古場日記を終えようかな。

 ではでは、皆様、またどこかでお会いできるのを楽しみにしております。またね。
 「S A I」終幕!!

 劇工舎プリズム 第83回公演「S A I」 作演出 ヒイラギ / ただのホンダ

Trackback [0] | Comment [0] | Category [未分類] | 2024.11.01(Fri) PageTop


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