稽古場日記 http://gekikousya.blog22.fc2.com/ 劇工舎プリズムの稽古場日記です ja http://gekikousya.blog22.fc2.com/blog-entry-1166.html 同じ人だけど、同じ人じゃない  皆様、凡そ半年ぶりです。作演出を務めさせていただきました、ヒイラギと申します。 「では皆様、またいつかどこかでお会いできるのを楽しみにしております。」 そう稽古場日記の締めの言葉をつづったのは今年の5月でした。 あれから半年もたたないうちにまた、作演出をしているとは。しかも、今回は本公演。舞台も、照明も、音響も、全て零から作ることができる。まさに可能性の海。 しかし、零から作ることができるという
 「では皆様、またいつかどこかでお会いできるのを楽しみにしております。」

 そう稽古場日記の締めの言葉をつづったのは今年の5月でした。
 あれから半年もたたないうちにまた、作演出をしているとは。しかも、今回は本公演。舞台も、照明も、音響も、全て零から作ることができる。まさに可能性の海。
 しかし、零から作ることができるということは、裏返すと零から作らないといけないということでもありました。新歓公演以上に考えることが盛りだくさん。その中でも、変形舞台や、光る提灯、劇中での衣装替えなど、新しい試みを織り交ぜていきながら作品を紡いでいきました。

 23代にとっては最上級生として、24代にとっては本格的にかかわれる、それぞれにとってたくさんの初めてに囲まれた公演であったと思います。そして、われらが舞監の引退公演でもありました。
 しかも演目は、具象劇のど真ん中。我ながらなかなかに困難な道を選んだものだなあと振り返ると感じさせられます。

 そんな前途多難な道を最後まで歩めたのは、ひとえに座組のみんなのおかげでした。今回の稽古場には演出助手が3人いたことで初役者や久々の役者へのフォローアップ・演技の掘り下げもしっかりできたし、頼もしい同期からの引継ぎを受けたフレッシュでやる気に満ちた後輩達のスタッフワークも素晴らしかった。そしてもちろん、頼もしい同期達も随所でこの公演をともに創り上げてくれました。次の新人公演に向けての引継ぎとの両立という難題を抱えながらそれぞれが最善を尽くしてくれました。

 翻って作演出としての自分はどうだったでしょうか。もっとうまくできたと感じることも多くありました。まだまだ考え続けていかなければならない。日々、自分の未熟さを感じさせられました。
 でも、まだまだ伸びしろがあると感じているということは、まだまだ演劇をあきらめていないということでもあるのかもしれません。戯曲が書き終わるたびにもう書けないと感じ、公演が終わるたびにまだやり残したことがあると感じるあたり、演劇の虜なのかもしれませんね。



 うーん。僕の前に稽古場日記を書いてくれたお姉ちゃん(楓)の形式をまねようという意図はなかったんだけど…。まあ、公演4日後の自分の文章を消すのももったいないから出しちゃいます。でもなんか、真面目で堅苦しくていい子ちゃんな文章ですね。あんま面白くないし。
 そんなこんなで、ここからは公演からちょうど1か月が過ぎ、すっかりヒイラギさんが眠りについた私、ホンダが書かせていただきます。

 さて、今回の稽古場日記のテーマはずばり「ふたり」。
 「『S A I』のエッセンスは何だろうか」、と役者の発声を聞きながら考えるなかで、このテーマをきめたなぁと思い出しました。この物語は自分の中のある種の「原風景」の話であって、かつ、ほとんどが「ふたり」で進んでいく形でした。実は、「S A I」という作品自体は、コンセプトとして「彩」「祭」「差異」を意識していました。(全部読みが「S A I」なんです!)

 僕は「ふたり」という関係性はお互いの「差異」を強く意識することになる関係性だと思っています。だって、自分のほかにはたった「ひとり」しか居ないから。相手のことを意識しちゃう。それってとても素敵なことですよね。
 ただ意識の仕方はすこし気を付けないといけないなと最近感じています。「自分がどうみえるか」を意識しすぎるのは、少なくとも僕にとっては精神衛生上よくないらしい。あくまでも相手のことを知りたいっていう意識っていうのが自然なのかな。
 「ふたりぽっち」なんだから、ほかでもない「もうひとり」にちゃんと目を向けるのがいいような気がしますね。お互いを見る行為がお互いの目を通した自分を見る行為に変わってしまわないように。お互いを見ているつもりになってしまわないように。そのためには同じ方を向いてぼーっとしている時間も必要なのかもしれませんね。

 この話はきっと「ふたり」にとどまりませんが、やはり自分のことばっかり考えてると人間関係って辛いものになってしまうなあと。最近で一番身に染みたことかもしれません。
 さて、この話がどこにつながるのかというと、ヒイラギという人物についての話につながっていくことになります。ヒイラギは当然僕自身なのですが、同時に、作演出という役割を前提とした存在でもあると僕は認識しています。僕にとってヒイラギは別人ではありません。ですが、与えられた役割を全うするという目的を、そして「自分がどう見えるか」について強い意識をもった存在であったことはおそらく事実です。

 劇作家ヒイラギの書く作品には必ず僕自身の劣等感とか願いとかそういうものが込められてます。まあ、当然と言っちゃ当然ですね。意識的にそういう部分を探しながら書いてますし。それが、ほかの人にもちょっとエンパシーしてもらえたらうれしいなあって思っています。(以下、「エンパシーする」という動詞を多用します、ニュアンスを零したくないので。)
 ちなみに、今回も僕はあてがきをしようという心づもりはなかったし、そもそも、ほかの人のことをあてがきできるほどよくわかっている確信もないです。それでも、毎回意図せずとも一部の役者と役の境遇が似ていたりするのは、きっと役者が僕自身の劣等感とか願いとかそういうものにエンパシーしてくれているのだと思います。もしかしたら僕の方が潜在的に役者とエンパシーしているのかもしれませんが…。たぶんそれはうぬぼれですね~、うん。うぬぼれるとそれ以上成長はないのでうぬぼれないでおきます!

 あと、色々な解釈を聞かれることがありますが、見てくれる人が感じてくれた(特にエンパシーしてくれた)ことはすべて正解です、僕にとっては。今回の作品は、どことなくあったかさがある(ホッカイロみたい)というような感想をよくいただきました。僕もそんな人間になりたいですねぇ。

 演出家ヒイラギは今回かなりがんばってましたね。振り返るとですけど。やっぱり演出の言うことってある程度の強制力を伴ってしまうからこそ、言葉遣いとか態度とかが強くなり過ぎないように、っていうことはすごく意識していました。まさに、「自分がどう見えるか」を問い続けた日々でした。「より善い自分でありたい」っていう意思の結晶でもあったと思います。役者のうちの数人から居心地の良い稽古場だったといってもらえたので頑張った甲斐はあったと思います。

 そうだ、あれ(自称:仏のヒイラギ)を見ていた座組のみんな、ごめんね。普段のホンダはもうちょっと雑な対応しちゃうかも(舞台の同期はいつもちょっと雑に扱ってるわ。嫌わないでくれてありがと。)。あれはかなりの努力の成果なので、たぶんずっとは続かないっす。急にサバサバ系のホンダがこれから顔をのぞかせるときがあると思うけど、みんなが嫌いになった訳じゃないので…。驚かせない程度の落差に留めるように善処するぜー。
 あと、ホンダとヒイラギは意識的には区別あるので、できれば普段はホンダと呼んでもらえると嬉しいかもなあとか思ったり思わなかったり。

 ああ、次はもっと広い意味で演出をやりたい!!稽古場を超えた演出をしたい!!
 未来への宿題です。

 稽古場日記のテーマって作品のテーマに近いから作品を書き終えた時点で少しその興味が発散されちゃってる気がします。なので、毎回徒然なるままに文章を書きながら、書くことが少しずれていきます。まあ、書きたいこと書いていい場所だと思うんでそこまで気にしてはないけどさー。最近は、作業場日誌とか稽古場日記とかって座組の外の人間よりも座組の中の人間にあてて書いてるなあとか思ったりしてます。

 はい。なんか、戯曲を書いてる時期からはもう二か月もたったわけで人間ちょっとずつ変わっていくよねという話でした。もうこんなにしんどいことは二度とやらんぞ、と終わった直後からつい最近まで思ってたけれど、今は「次どうしよっかなあ…。」って考えてしまっているホンダのなかのヒイラギさんを傍目に、またしばらくは舞台のホンダとしてがんばります。
 あ、今度サークル内でやる役者体験会では、なんと作演じゃなくて役者やるらしいよ。その結果、今度は役者に目覚めたりして…。まあ人生何が起こるかわからんのです。一寸先は闇だけど、三寸先は光かもしれない。ちょっと前は次も具象劇のつもりだったけど、今は抽象劇が書きたいって気持ち。半月前は病んでても今は案外元気。いろんなものが時間の波に流れていってしまう…。酸いも甘いも。

 そういえば、自分の戯曲を見返すのは、過去の自分との「ふたり」での対話なのかもしれませんね。自分の戯曲じゃなくても、その時の自分の情熱がこもったものなら何でもか。なんて、しぶとく「ふたり」というテーマを忘れているわけじゃないと主張しながら今回の稽古場日記を終えようかな。

 ではでは、皆様、またどこかでお会いできるのを楽しみにしております。またね。
 「S A I」終幕!!

 劇工舎プリズム 第83回公演「S A I」 作演出 ヒイラギ / ただのホンダ]]>
未分類 2024-11-01T18:02:12+09:00 劇工舎プリズム FC2-BLOG
http://gekikousya.blog22.fc2.com/blog-entry-1165.html 一か月間の同居 楓役を務めました、立夏です。楓は多分唯一劇中のすべての人物とふたりで話した気がします。それぞれに思う事や語りたい事は沢山あるのですが、すべて話そうとするととてつもなく長くなってしまいそうだしそもそも語りきれる気がしないので、代わりと言ってはなんですが楓と「私」というふたりについてこの場を借りて少し書かせていただこうと思います。配役が決まってからしばらくは何とも言えない気持ちでいたのを覚えています。
配役が決まってからしばらくは何とも言えない気持ちでいたのを覚えています。楓と私はとても似通った人間に思えたからです。
私は神社の家系みたいに由緒ある生まれではないですが、彼女と同じく長女です。下の子との歳の差も同じく5歳。地元はおおよそ舞台と同程度の、ギリギリ限界を免れているくらいの田舎だと思います。大学のために地元を離れ、教員という道が将来の選択肢に入っていることも同じでした。
ここまでプロフィールが自分と共通する役を演じるのは初めてで驚いたのも束の間。脚本が徐々に出来上がっていくにつれ、楓の内面がひどく見覚えのあるものなことに気が付きました。作演はあて書きをしないと言っていたので偶然だと思いますが、意図を疑うくらいもうなんか似てたんです。性格というか思考回路というか、既視感。あまり他人に頼れないところとか限界を迎えたら一人になろうとするところとか寝たら案外けろっとしてるところとか、他にも言語化して他者に知らせたくないようなパーソナルの面なんかまで認識させられました。
楓を演じるということは即ち自分と向き合うということだと分かりました。それがちょっぴり怖かった。でもせっかく役を貰えたんだから、と挑戦しました。

もちろん楓と私は似ている部分はあれど別人なので、異なる点はいくつもあります。大きなところでいうと感情の出力の仕方が違いました。私だったら切なる思いでも胸の奥に閉まってしまいがちなところを彼女はぽつりぽつりと少しずつでも吐露できる。その違いが決定的で、最後まで悩み続けるほど追求できたのは楽しかったです。

しかし、稽古をしていると悲しくて情けなくてやるせなくて、いろいろな感情が心の内に湧き上がってきてどうしようもなく苦しくなってしまうことが多々ありました。役の心情に共感して自身の身体に仮託して表現できれば健全だったのかもしれませんが、結局私は最後まで楓と自分を分離しきることができませんでした。舞台上に立つ楓の中と現実の私の中それぞれに、ふたりが融合した人格があったように思います。稽古場で作演と対話する際に「私」を主語にすることが多くなってしまったのも、家に帰ってからふとおセンチな気分になる時間が増えたのもこのためだったでしょう。
今まで役者として何人かを演じてきましたがいつも脳内では自分と役の人格はきっぱりと分かれていてだからこそどこか他人事のように感じてしまって、自分の感情が役に引っ張られることも少なかった。今回のような感覚は初めてだったので貴重な経験をさせてもらえたと思います。

千秋楽当日、感情の波に襲われ情緒が不安定になってしまったとき、心優しい同期がかけてくれた「楓は(私の名前)に演じてもらえて幸せだろうね」という言葉に深く深く救われました。傲慢に聞こえるかもしれません。でも、その一言が心にじわっと染み渡るようにありがたく感じられたんです。同時に、楓も桜の「楓じゃなきゃ」という言葉にこうやって救われたのかなあ、とぼんやり考えました。言葉は違えど受け取れたメッセージは同じだったと思います。あの瞬間、最後の最後に本当の意味で彼女を理解できたような気がしました。ありがとう。




という文章を終演翌日、この日記が公開されるちょうど一か月前に書いていました。締め切りに追われる他の役者たちを気にしつつ呑気に待っていたらいつの間にか自分の番。時が過ぎるのって早い。

今の私からは楓はほとんどいなくなっていてあの時の激情はすっかり他人事です。でも、学校が始まって都会の真ん中でひとり過ごす私とは別に、どこか静かな町の神社に楓は存在していると信じています。

一か月という決して長くない時間を、彼女とふたりで生きられて良かった。楓に幸あれ。]]>
未分類 2024-10-29T16:00:07+09:00 劇工舎プリズム FC2-BLOG
http://gekikousya.blog22.fc2.com/blog-entry-1164.html 対話がしたい こんにちは。元調理部のくせに料理が苦手な紅葉の中の人です。調理部は料理ができるものというのは偏見であり、僕は去年料理の中でもおそらく簡単であろうパスタを作ろうとし、レシピを見ているのに二人前のソースと六人分のパスタを生み出しました。味がしませんでした。そういうこともあります。ということで本題へ。今回のテーマは「ふたり」 、なるほど無縁だ、寝よう、を繰り返していたら締切日、、、を過ぎ、仕方なくテーマに


 僕は大人数と比べて二人でいることが好きです。例えば四人で遊びに行って三人とはぐれても向こうは三人いるので別に一人がいなくても構わないし、四人で話している時一人の発言をガン無視しても他に二人話し相手がいるので構わないのです。その点二人で過ごしている時、自分と相手しかいないわけですから、お互いのペースに合わせようとしてくれるし、僕が何か言えば別に内容に中身がなくともそれに答えてくれます。



二人で過ごすことが好きではあるのですが悲しいことにそのような相手がほとんどいません。二十年生きていたら親友や恋人の一人や二人くらいできるものだと思っていましたが、実際二十年生きてわかったことは自分には人間としての魅力が絶望的にないらしいということです。今年の夏休みは中高の人達から遊びの誘いもなければ、ライブの特典が欲しくて招待枠で来てくれないかという連絡以外全くありませんでした。うーん、あまりにも都合のいい奴扱い。



今までも広く浅くの人間関係を構築してきたので学校生活を送る上でクラスの誰とでも仲良くできはしたのですが、誰とでも仲いい反面、特にこの子と仲がいいということはありませんでした。



 そもそもの話僕は人と向き合うことが苦手なのです。だから浅い関係しか築けないのでしょうね。僕が行うのはきっと会話であり対話ではありません。誰にでも当たり障りのない話題を投げ、浅い会話をします。



その上人と目を合わせて話すという行為が苦手で、会話の最中に目が合うと得体のしれない恐怖に襲われます。日常生活を送る上であまり困ることはなかったのですが舞台に立つうえで目を合わせられないということは致命的でした。怖いからといって舞台上で目を見ずに会話するのは論外です。稽古当初は相手を見るふりをしながらちょっと横の空間をぼんやり眺めていました。でもそれではダメだと思い、だいぶ頑張りました。頑張ってみたら思っていたよりできて、もしかしてやる気になればできるのでは?と希望を持ち小屋を後にしましたが、後日後輩とご飯に行き、すぐ不可能を悟り三時間ほど虚空を見つめて帰宅しました。誰でも無理なのかとなるとそうでは無いらしいです。その人に対しての恐怖心=目の合わなさなのでしょうね。昔は誰でも無理だったので少しずつ克服できている、やったねと思うことにしましょう。フォローしておきますが後輩は仲良しです、威圧感があるのは否定しませんがわざわざ誘ってまでご飯に行くくらいには大好きですよ。



公演の話題が出てきたこの流れで秋公に関して軽く振り返ってみることにします。稽古場でも小屋の中でも一番のびのびしていた自覚はありますが、実は一番緊張していたのは僕だと思います。僕は元々舞台に立つことに対して前向きな感情がありませんでした。自分で手を挙げておきながら何度も後悔しましたし、実際に小屋入り一週間前にストレスで体調を崩し小屋を出るまで治りませんでしたし、ゲネはとんでも頭痛と息苦しさで何一つ余裕はありませんでした。でも変に強がりなので余裕ですがって顔で後輩を小馬鹿にする。本当に何がしたいのでしょうね。パネル裏で一人になると舞台屋が描いてくれた落書きに手を当て深呼吸し、そろそろ誰か来るとなるとケロッとした顔で座っている。舞台裏にカメラ一台置いたらきっと面白い映像が撮れたでしょう。



さて色々書きましたがなんだかんだ秋公演は楽しかったですし、役者をやってみて良かったなと思います。この一か月で舞台に立つことが怖いことから楽しいことに変わりました。座組全員に感謝感謝。誰か一人が欠けたらこの公演は別物になっていたでしょうし、この座組だったから楽しかったって笑って言える公演になったと思います。



そんな大好きな座組だからみんなともっと仲良くしたいなと思ってます。浅い関係では終わらせたくないです。物理的に向き合うことはまだ僕にはハードルが高いのですが、ちょっとずつ顔をあげていつかみんなと向き合って話が出来たらいいなと思います。]]>
未分類 2024-10-26T14:11:32+09:00 劇工舎プリズム FC2-BLOG
http://gekikousya.blog22.fc2.com/blog-entry-1163.html カケラ どうも!!第83回公演「S A I」で弟の葵役を務めさせて頂いた、高木と申します。まず稽古場日記を書くにあたって、僕の溢れんばかりの感謝を、綴らせていただこうと思います。作演のヒイラギさん、演助の御二方、他の役者の皆さん、各セクションで己が役割を果たしていた皆々様、映像チーフの方、いつも真っ先に稽古場に着き部屋を開けてくださっていた方、僕にラーメンを奢ってくださった先輩、本当にありがとうございました!! まず稽古場日記を書くにあたって、僕の溢れんばかりの感謝を、綴らせていただこうと思います。作演のヒイラギさん、演助の御二方、他の役者の皆さん、各セクションで己が役割を果たしていた皆々様、映像チーフの方、いつも真っ先に稽古場に着き部屋を開けてくださっていた方、僕にラーメンを奢ってくださった先輩、本当にありがとうございました!!
皆さんのおかげで、本当に楽しい、思い出した時にふっと笑ってしますような、そんな素敵な時間を稽古場で過ごすことができました。この感謝は言葉では表せません。がしかし、この世は残酷、僕のこの想いを誰かに伝えたいと思った時、その手段は行動と発言の二種類しか究極ないのです。行動に関しては、稽古場期間中の態度で、今回の作品に向き合う真剣さでそれなりのものをお伝えできたのではと考えているので、ここはありったけの言葉で伝えさせていただきます。本当にありがとうございました!!みんなのこと、マジ大好きだぜ★
さて、今回の稽古場日記のテーマは「ふたり」ということで、私の稽古場での津々浦々を、この「ふたり」というキーワードをもとに語らせていただこうと思います。どこにでもいる大学生の主観的なひとり語りとなりますが、それでもよろしければ皆様のお時間をちょっと拝借。

今回私は人生で初めて役者をやらせていただきました。人生初ということで右も左もわからず、まず僕が直面した課題は「そもそも演じるって何?」というものでした。先人曰く「セリフを正しく言うこと」だったり、「その人物のことを深く理解し、なぜそのセリフを言ったのか、なぜその行動をしたのかに理由づけをする」だったり、「『はきはきと噛まずに喋る人間』『(意味のない)癖がない人間』『(シナリオ的な)存在意義がある人間』というフィクショナルな存在になりきる」だったり。色々意識すべきこと、努力すべきことを教わりましたが、自分は要するに自分の中にもうひとりの人物を作り出し、その人に体を明け渡すこと、つまり自分と登場人物の「ふたり」を自らの中に宿すことだと解釈しました。
まあこんな偉そうなこと書いておいてなんですが、今回自分はガチで基礎中の基礎でめちゃめちゃ苦戦しましたね。舞台上でフラフラしない、セリフを覚える、正しく動く、もうこれだけでいっぱいいっぱいでした。いやーマジでほんといろんな方にお世話になりました。改めてありがとうございます。迷惑もいっぱいかけましたが、おかげで及第点ぐらいは出せるようになったのでは?と自分の中では思っております。
そんなこんなで、いろんな箇所で苦労した初役者の僕ですが、実は上記の基本だけにとどまってはいられない事情がありました。何かって?もちろん、共に演技する役者仲間の皆さんの存在です。この四人がまあレベルが高い。皆さん何かしらで役者経験がおありで、かつ声も良くノウハウもあり、暇があればセリフ読み、動作確認をするほどの勤勉さ。とにかくレベルが高かったんですよね。こんな中で、僕だけ舞台の基本をなぞるだけじゃどうしても浮いちゃうじゃないですか!!みんなに追いつこうと、めちゃめちゃ考えましたね。どうしたら、舞台で「葵」になれるだろう、どう動くのが自然、つまり葵っぽいだろう、葵にはどんな過去があって、今どんな気持ちでこのセリフを言っているのだろう、みたいな。
一人で考えてるだけじゃ足りなかったんで、色々アドバイスをもらいました。幸い稽古場にいる人たちがみんな優しい人たちばかりで、快く相談に乗ってくれましたし、全体の雰囲気というか?気兼ねなく話せる関係だったので、お話もしやすかったです。ここに関しては改めて、役者の皆さん、作演、演助の二方に感謝ですね。HUGE LOVE❤️

そしてなんやかんや月日は流れ、あっという間に小屋入り期間が終わり、人生初の舞台の日はいつの間にか来ていました。その日の僕の様子を先輩の一人はこう語っております。「見ていてかわいそうになるほど緊張してた笑、めっちゃ手冷たくて面白かった笑笑」まあアホみたいに緊張しましたね。直前になってこの先輩筆頭に色々と励まして頂きました。優しい世界。でも終わってみるとこれがどの瞬間も楽しんでいた記憶しかないように感じるからびっくりですよね。本当に楽しかったなあ。人生でもトップ10に入るくらい濃い一ヶ月ちょいだったかもしれません。「終わりたくないんだが?」って叫んでた先輩を見て笑ってましたが、案外僕もそっち側だったのかもしれません。本当に本当に良い時間でした。

さて、長々と主観に満ちたエピソードトークをしてきた訳ですが、話を「ふたり」に戻したいと思います。先ほど演技をする上で自分と登場人物の「ふたり」を自らの中に宿すことを意識すると書いたと思いますが、こうして一応曲がりなりにも役者というものを一通り経験し、感じたことがあります。それは本質的に自分の中に「ふたり」を共存させるというのは不可能に近いということです。なぜなら、どれだけ登場人物の解像度を高めようと、それは所詮僕という主観から見たその人物の評価にすぎない上に、仮にそれで登場人物の人格を高い精度で再現できたとしても、それが僕という身体を媒介して出力される以上、どこかにノイズが乗ってしまうからです。しかし現に役者は登場人物の存在に近づき、あたかもそこにその人物がいるかのような錯覚を覚えるまでにその解像度を上げてきています。じゃあ何をしてるのか?僕が思うにその登場人物を構成する要素を部分部分獲得して、自分に切りはりしてく感覚に近いと思うんですよ。自分の中にもうひとり、登場人物という人格を宿すんじゃなくて、心の中の登場人物との幾重にもわたる問答の末、得られたカケラを使って、自分の形を登場人物の形に近づけていっているのではと僕は感じました。大事なのは「ふたり」を宿すことではなく、「ふたり」で話すことなのかもしれません。

何を書いてんでしょうね。僕は。ちょっと疲れてるのかもしれません。後でこの文章を読んで死にたくなるかもしれませんが、まあそん時はそん時ですね。気楽に行こうと思います。
書いてて思ったんですけど、多分僕は一対一の対話が好きで、そこからたくさんのものを得て生きてきたんだと思います。ニ人。一人でないので、思考が内側だけにとどまることもなければ、大人数でもないのでその場の流れとか空気感みたいなのが発生しにくい。お互いの関心がお互いだけに向いている不思議な空間。二人ってなんか特別ですよね。人と人とが繋がっている最小単位。人間の集団とは究極数多の二人の結晶みたいなものなのかもしれませんね。二人だからこそできること、つまり対話という行為に、思えば僕は何度も救われてきている気がします。作演ことヒイラギさんとの対話、同期の役者との対話、ことあるごとに僕をおもちゃにしてきた先輩との対話、演技とはなんぞやみたいな僕のフワッとした質問にも体験を交え懇切丁寧に答えてくださったベテラン先輩との対話、舞台で失敗し、バカ落ち込んでる時に言葉をかけてくれた皆一人一人との対話、僕がプリズムに入った理由である先輩との対話、僕が次期チーフを務めるセクションのチーフの方との対話、人として尊敬でき在り方そのものが好きな先輩との対話、北井さんとの対話。僕はきっと今までのたくさんの対話からカケラをもらっていて、それらを不器用ながら自分にくっつけて、全部抱えて今生きてるんだと思います。今回の公演はそんな中でも、とびきりキレイで素敵なカケラがいっぱい自分の手元に残ったような、そんな気がします。

要するに何が言いたいのかって?つまり、えーと、だから「ふたり」が……じゃなくて、うーん、だからその、、、、、、



あーもう!!!
みんなと演劇ができて超超超超超超超超超楽しかったって、それだけです!!!!!!]]>
未分類 2024-10-23T20:39:04+09:00 劇工舎プリズム FC2-BLOG
http://gekikousya.blog22.fc2.com/blog-entry-1162.html 台本ないと会話が下手すぎる プリズムで文章を書くのは2回目、稽古場日記は初めてです!桜先生を演じました24のものです。 言語化はあまり得意ではありませんが、最近あった残しておきたいできごとについて書きますね。日記ってそういうものだって同期が言ってくれたし。 好きな俳優さん(以下推し)が写真集発売記念イベントとしてお渡し会を開催してくれたんですね。普段そういった機会があるわけではないし、そもそもファン(以下オタク)の対応がそんなに 言語化はあまり得意ではありませんが、最近あった残しておきたいできごとについて書きますね。日記ってそういうものだって同期が言ってくれたし。
好きな俳優さん(以下推し)が写真集発売記念イベントとしてお渡し会を開催してくれたんですね。普段そういった機会があるわけではないし、そもそもファン(以下オタク)の対応がそんなに得意ではないかたなんだろうなという印象を持っていたもので。開催が発表されたときは負担にならないかな、と推しからしたらお前誰やねんな心配をしつつも、オタク心理としてはそりゃあ参加したいわけです。しかも3冊買えばサイン入り写真集になるし5冊買えばツーショットチェキを撮れるとな。なるほど。ソロチェキなら買ってたごめんと思いつつ3冊券をしっかり購入してしまいました。5年ぶりの写真集、演技はもちろんのことビジュアルも大好きな推しの写真集、本人から受け取れちゃう写真集!予約当初はるんるんでした。それがどうしてイベント当日が近づくにつれて行くのやめた〜〜〜いになっちゃうんでしょうね、オタクって。本当は行きたいんですよ、でも行くのやめた〜〜〜い!推しの目に映っていいような存在じゃな〜〜〜い!というか写真集発売おめでとうございます。まあそんなこんなでギリギリ前日にイベント用の服を購入し、せかせかとネイルを整え、朝から悩みつつメイクをし、なんとか腹をくくり、会場へと向かいました。今とっても日記っぽい!すごい!
イベントスペースがどこにあるのか一頻り迷いましたが無事到着。3冊券を提示し緊張しつつ待機列に並びます。ここで前後に並んでいるオタクたちと会話して和めるようなコミュニケーション能力は持ち合わせていないため、ひたすら列に身を任せておりました。共通の趣味を持つ友人、ちょっと憧れます。イベントのあと一緒にご飯行ったりとか。とは言ってみたもののわたしは1人でしあわせを噛み締めるタイプであったことを即座に思い出し、ぼっちで現場に直行直帰でもまあいいかと呑気に考えていたわけです。そんなとりとめのない思考をしているとあっという間に自分の番がやってきました。荷物を置いて、パーテーションのそばで待ちます。こ、声が聞こえる〜!!そこにいる〜!!!あたふたしていたらスタッフさんからのゴーサインが出てしまいました。壇上に上がって、顔を上げたらそこには推しの姿が。電波やマイクを媒介とせずこの目と耳直で認識しちゃいました。推し。結論から言いますと、既に記憶が曖昧。なにが起こったかわからない。すごい笑顔でこちらを見てらっしゃった気がするんですけどちょっと眩しすぎてましたね。ありがとうございます〜!って写真集を差し出してくださったのでおうむ返しでありがとうございます〜!しました。お伝えしたかったこと全部飛ばしちゃったんですが意地で大好きです(信じられないほど高いトーンの声)だけは言えました。公演でセリフを飛ばさずに済んだのは何度も稽古したからで、そうなると今回もたくさん稽古しておけばよかったんでしょうか。それはそうと輝きがすごすぎて、一般的には「お時間でーす」まで留まってていいはずなんですけど即ハケました。その間およそ3秒。人生分の3秒わたしにくれて本当にありがとうございますの気持ちです。その3秒間で未だしあわせなんですからすごいです。ちなみに、推しを見上げられたことすなわち背の高さを実感できたことと右の口角がきゅってあがる笑顔をこの目で見られたこと、覚えておきたいポイントですね。おぼろげだけど。そうして命からがら帰宅しましたが、手元には推しが渡してくれたサイン入りの写真集があるわけで。わたしの記憶を担保してくれる唯一の存在ですね。一度じっくり見てその後触らず保管してあります。めでたしめでたし。
なんだ、ふたりっていうテーマにそぐわないじゃないか。そう思った方もいるでしょう。でもお渡し会チェキ会お話し会その他もろもろの接触イベントって、ふたりの時間に惹かれたオタクたちが円盤などを積む構造になっているとは言えませんか。そしてあの3秒間、わたしと推しは確実にふたりの空間を共有していましたし、そう思い込んだ方がしあわせです!3秒をデートと定義し舞いあがっちゃうタイプのオタクでごめん推し!1人でしあわせを噛み締めるタイプだとも言いましたが、そのしあわせの根源、1人じゃ成り立たなかった〜!!
たぶんきっと公演の振り返りをすべき場でなにをやっているんだ、限界オタクの部分を世に出すのか、という葛藤があるにはあるんですがまあええやろ。夏公演の日誌をかなり真面目に書いたのでこれでバランスが取れました。でもね。公演、すっごく楽しかった、です!悩んでるとき、どうしようもないとき、先輩方はたくさん助けてくださったし同期はたくさん励ましてくれた。ありきたりかもしれないけど、みんなのおかげで出来上がった桜先生でした。今回の公演ができて、どんなに向いてなくてもわたしはお芝居を続けたいって強く思いました。プリズムのみんなと足を運んでくださったみなさんに心からのありがとうを伝えさせてください。
長々と失礼しました。今から新人公演が楽しみな24がお送りしました、ありがとうございました!]]>
未分類 2024-10-19T23:57:23+09:00 劇工舎プリズム FC2-BLOG