2024年11月24日 (日)
2024年11月21日 (木)
本のカバー
新しく買った本があるということは、何となくうれしい気分です。 書店で、「カバーをかけますか?」と聞かれれば、おねがいします、とこたえます。カバーがついている方が、ここに本あり、新鮮な感じがします。 カバーは外す、という人もあるようですが、私はカバー有り派です。どこかよそで買ったときは、また違ったデザインのカバーで、これもちょっとうれしい気分です。 いつも行く書店のものは、飽きがくるので、カバーを裏返しにします。茶色のクラフト紙、無地になり、手触りもいい。読み終わったら、カバーは外 |
します。 大抵は文庫か新書版ですが、最近、写真を印刷して、カバーにしています。A4普通紙がちょうどいい。 これは気に入っています。新しいできごとでした。ちょっとしたアートシリーズの本になります。 |
2024年11月18日 (月)
いたる所にツワブキの花
板敷の階段をおりていけば、うっそうとした森の中、湿地と池があります。木道で囲まれています。 この時期に来たのははじめて、いたる所にツワブキの花が咲いているのでした。枯れた落ち葉が積もって、日も射さず、ちょっと妖艶な雰囲気があります。 でも静まりかえっていい感じで、去りがたい景色でした。 兵庫県知事選は、県議会から全会一致で、不信任を受けた斎藤氏が再選を果たしました。 県議会の判断と斎藤氏と、どちらが道理にあっているのか、よく分かり |
ませんが、なんとなく選挙結果は、国政の影響があったような気がしないでもないです。 やはり、意気上がらない政治には、飽きている。 庶民は、戦う政治家を支持する。その姿に希望をもつ、それがどうした、というぐらいの強い指導者に希望をもつ、そういう新鮮さが、一つの勝因ではなかったのかと思うのですが・・・・・。 (美しの森公園) |
2024年11月15日 (金)
2024年11月12日 (火)
2024年11月 9日 (土)
ウオーターガーデン
四角い花壇が4つ、水面に浮かんでいます。ウオーターガーデン、こういう景色は、初めてみました。 この池は、いつもなめらかなグリーン色をしていて、花の色によく合っていると思います。 浮かべる耕造は分かりませんが、工夫をこらして、創造力と実行力があったのは確かだと思います。花壇が池の養分を浄化するということです。 アメリカの大統領は、トランプさんが選ばれました。二つの対立するものがあるとき、世論はほとんどの場合、正しいほうに味方する、とマキャベリが言っていますから、アメリカの民衆 |
の見る目は正しい結果を出したのだと思います。 がっかりした人が多いと思いますが、それはマスコミのせい。私はトランプさんでよかったとおもいますね。 どこが、と聞かれても答えようがありませんが、世界が、ピッとわれに返るときかもしれません。 (全国都市緑化かわさきフェア・等々力緑地) |
2024年11月 5日 (火)
2024年11月 2日 (土)
2024年10月29日 (火)
2024年10月26日 (土)
紅一点と一つのことば
赤い葉っぱきれいだった。大きな木、名前は知らないけれど、何となく季節の変わり目を感じさせます。 青葉に混じって赤い色が際立ちます。これも紅一点といえましょうか。紅一点と言っても、その他大勢がなければ、紅一点は成り立たず、周りがあっての一点の存在です。 紅一点という言葉は、女性に限らず大切なものの、たとえとしても使われるようです。 ところで、吉高由里子主演大河ドラマ「光る君へ」クランクアップというニュースがありました。携わるスタッフは、150人以上といわれています。 |
いいものを作ろうという、活気があふれていたのではないでしょうか。 挨拶に立った吉高さんは、「一生分の幸せを使ったかな、というくらい幸せでした」と話したということです。 一生分の幸せ。とても新鮮な言葉ですね。 いい仕事をさせてもらった、ということと、スタッフ一同への感謝の言葉として心に響く。そこにいた人は、うれしかったに違いないと思います。 |
2024年10月23日 (水)
メディアの独壇場
広い通りを、人々が行き交います。その眺めは、健康的で自由さがあります。 与党にあっても、土台固めをしっかりしないと、いつ崩れるとも限らない。期待への責任を負って、中々ものいりで、気を使うのでありましょうが、先立つ物は、とかく不浄になりがち、そこに慢心となれば、不覚にも足をすくわれることになりまして、いま衆院選のさ中。いくつかの新聞は、「不記載」で通しているけれど、テレビ、その他メディア、野党ともども、抽象的でありながら、決めつけて、金科玉条のごとく 「裏金」一色で、心地よい |
言葉に酔ってしまって、金輪際手放しはしないのであります。こうなっては、多勢に無勢、いかに志高く政見をみがいていても、涙がにじむ。 どうしようもない様子は、気の毒に、と思うのでございます。 |
2024年10月19日 (土)
公園の丸窓
空が見えて樹木がある、それが公園です。 樹の色は季節ごと、時間ごとに変わります。陰影も、濃く淡く変わります。日常の生活と違った空気感、公園はいいです。 ちょっと気分転換、あるいは一休みできる憩いの場です。 写っていませんが、向うのベンチに女性ひとり、こちらにビジネスマンひとり腰かけている。それぞれに、人生のすき間のひと時でしょう。 はじめての公園ですが、コンクリートでできた、アート作品でしょうか、 |
丸窓がありました。 見方しだいで、その中の景色は、新鮮な感じがします。 ただの丸窓ではありますが、近よれば広角、離れれば、望遠もできます。いまさらの発見でした。 窓はいつでも、人が来るのを待っています。 |
2024年10月16日 (水)
2024年10月13日 (日)
もののあはれ
うーんと手を伸ばして、のびをするように、みずひきが咲いていました。秋ですね。 大河ドラマの影響で、書店には、紫式部や清少納言など古典ものがならんでいます。 「もののあはれ」は、「源氏物語」の眼目だとしたのが、本居宣長の偉大な功績といわれています。 「もののあはれ」とは、なんでしょう。辞書には、しみじみとした情趣や哀愁だとでていますが、それは文学作品の中で味わうには、なんとなくわかるような気もします。 「もののあはれ」という言葉が、受け |
継がれていまにあるわけですが、いま現在にも、それに通じる「もののあわれ」はあるような気がします。 ものを見聞きし、その中で自らも何かしらの動きをして感動する。それもあるでしょうが、その時は気づかなくて、あとになって、じわじわと何かが効いてくる、ということもあると思います。 つまり、過ぎたことが、ふと再現される、よくよく見てみれば、あれは肯定とも否定ともつかず、誰にでもあること、ただ感情に流されたに過ぎなかった、ということもあるでしょう。 |
中々思うようには行かず、心静めて、ことの本質を自問すれば、自分の心もあわれ、人もあわれ、と知ることもあると思います。 何ごとも、行き過ぎは、道をあやまる元といえると思います。いま、「もののあはれ」の心の大切さを、思うのでございます。 |
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