- 作者: 毎日新聞大阪社会部取材班
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2016/11/18
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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内容(「BOOK」データベースより)
なぜ、彼らは最愛の人に手をかけたのか?―家族の絆が悲劇に変わる「魔の瞬間」は避けられなかったのか。当事者取材で明らかになる、在宅介護の壮絶な現実と限界。
「介護疲れ」によって、ずっと介護してきた「最愛の人」を殺めてしまう、そんな事件が繰り返し起きています。
命を奪ってしまうくらいつらいのであれば、施設にあずけるか、公的な支援を受ければいいのに……などと考えてしまうのですが、そんなことは、「罪を犯してしまった」人たちも頭では理解していたはずです。
この本を読んでいると、「介護殺人」の加害者の多くは、長年、身を粉にして「ちゃんとした介護」を続けている、真面目な人たちなんですよね。
「ふだんから虐待していたり、ないがしろにしている」人たちの事例は「介護殺人」とは呼ばれない。
ただ、その生真面目さ、対象者への愛着の強さが「施設ではちゃんとした(自分が満足できるような)世話をしてくれない」とか、「自分で介護するのが当然のこと」というように、介護している人を追い込むことにもつながってしまうのです。
いまの日本では、「年金でまかなえるような公的な介護施設」を待っている人が大勢いて、「順番待ち」が何百人、というレベルになっています。
そして、施設側も人手が足らず、あまりに手がかかってしまうような、介護に抵抗したり、騒いだり、徘徊しているような人は、なかなか受けいれてもらえない。
いまの日本では、高齢化に対して「在宅介護」が推進されています。
でも、在宅で介護することは、介護をする人の経済的な困窮や精神的な行き詰まりを生みやすい。
この本のなかでは、長年介護をしている人の多くが、うつ病にかかっていたり、不眠に悩まされていることが指摘されているのです。
「衝動的な殺人」には、長年積み重ねられた「背景」が存在しています。
認知症の症状によっては、身体が弱っていくだけでなく、性格が変わってしまったり、介護している人を攻撃するような言動を示すこともあります。
2012年に認知症の妻・幸子さん(仮名)を手にかけてしまった木村茂さん(仮名)は、取材に対してこんな話をされたそうです。
幸子は生活の一部分で介護が必要な「要介護1」とされた。介護の必要性の観点からはそれほど重い症状とはみなされず、日帰りで施設に通うデイサービスを利用することになった。
しかし、認知症と診断されてから半年ほどたつと、症状はますます悪くなっていた。
2012年の春ごろ、幸子は人格が変わったみたいに怒りっぽくなった。お腹がすいたら、「ご飯の準備せえ」と茂を怒鳴った。
入浴や着替えも一人でできなくなった。トイレのタイミングが分からないのか、おむつから便や尿が漏れてしょっちゅう部屋が汚れた。
4月になって再び要介護認定を受けると、生活のほとんどの面で介護が必要な「要介護4」とされた。最初の認定から半年ほどしかたっていないのに、要介護の程度は3段階も重くなっていた。
新緑の季節となった5月ごろには、とうとう幸子は茂が誰なのか分からなくなっていた。
「お前は誰や」
「ここはどこや」
「お前は嫌いや」
幸子は家の中で茂に汚い言葉を頻繁に吐いた。
「そんな時はいつも、うんうんとうなずいて、お母ちゃんの興奮が収まるまで、何十分でも優しく背中をさすり続けるんです」
かつて、仕事から疲れて帰ると、包み込むような笑顔で癒してくれた幸子はどこへ行ってしまったのか。目の前にいるこの人は誰なのか……。別人のようになってしまった幸子との日常は大きな石の塊のように茂の心にのしかかっていた。
「お母ちゃんから『お前』と言われるんですよ。あの優しかったお母ちゃんがお母ちゃんじゃなくなってしもうた。生きていて、こんなにつらいことはなかったです」
当時の気持ちを振り返った茂は顔をくしゃくしゃにして泣いた。
「病気のせい」だというのは頭ではわかっているはずだとしても、やっぱりこれはキツいだろうなあ、としか言いようがないんですよね。
なぜ、「こんな人」を介護しなければならないのか、と疑問になっても、おかしくないと思います。
それでも、「いっそのこと……」という気持ちになってしまう自分自身を介護する側の人たちは、また責めてしまうのです。
介護する側の人たちの「社会的な孤立」というのも大きな問題なんですよね。
どうしても自宅にいる時間が長くなり、相談する相手もいなくて、どんどん自分を追いつめてしまう。
僕がこの本を読んで驚いたというか、いたたまれない気持ちになったのは、2006年に京都市伏見区の河川敷で起こった介護殺人の「その後」でした。
長年の認知症の母親の介護に疲れ果て、お金もなくなって、家賃も払えなくなった息子が母親を殺害したあと自分も死のうとしたものの死ぬことができず、罪に問われたこの事件は、介護殺人のなかでも最も広く知られています。
「母の命を奪ってしまいましたが、生まれ変わるのであれば、もう一度、母の子として生まれたい」
裁判では、検察側が竜一(仮名)のこうした供述を紹介し、
「犯行に至る経緯や犯行動機には同情の余地がある」
と竜一に寄り添うような場面もあった。
男性裁判官は被告人質問で、介護殺人が後を絶たない状況に触れ、その背景を竜一に尋ねた。
「できるだけ人に迷惑をかけないように生きようとすれば、自分の持っている何かをそぎ落として生きていかなければならないのです。限界まで来てしまったら、自分の命をそぐしかないのです」
2006年7月、裁判官は懲役2年6月、執行猶予3年(求刑・懲役3年)を言い渡し、確定した。
「被害者は被告人に十分に感謝こそしており、決して恨みなど抱いていない。被告人が厳罰に処されることなく、今後は幸せな人生を歩んでいくことを望んでいるだろうと推察される」
と、執行猶予を付けた理由を説明した。
判決を言い渡した後、裁判官は「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」と、在宅介護を巡るこの国の現状に苦言を呈した。
そして、
「お母さんのためにも、幸せに生きていくよう努力してください」
と声をかけると、竜一は、
「ありがとうございます」
と応え、涙をぬぐった。
この感動的な被告と裁判官のやりとりも含め、かなり話題になった事件、そして裁判ではあったのですが、その後、執行猶予判決を受けた、竜一さんはどんなふうに生きているのか……
この事件の「その後」を読んで、僕は暗澹たる気持ちになりました。
傍からみたら、どんなに「それは仕方が無いよ」と言いたくなるような状況であっても、本人が「自分を許す」ことができるかどうかは、また別の話なのです。
この本では、介護殺人で執行猶予の判決を受けたあとに、うつ病などの検査・治療のために精神科への入院を義務づけられたという事例も紹介されているのですが、傷ついてしまった加害者の「その後」へのフォローまで手が回らない、というのが、多くの場合の現状のようです。
そして、現場で介護を仕事として行なっている人たちも、疲弊しきっているのです。
前述した木村幸子さんの関係者への取材では、こんな話が出たそうです。
幸子のショートステイを拒んだ施設はほとんどが取材に応じなかった。ただ、ある施設の担当者は苦渋の表情を浮かべてこう話してくれた。
「多くの方から『1日でも1週間でもええから預かってほしい』と頼まれます。みなさんを受け入れてあげたいが、症状によってはお断りせざるを得ないんですわ。うちの場合、夜中の宿直職員1人当たり、20人近い入所者を担当している計算です。夜中に騒いだり、徘徊したりする方を預かるのは一晩でも無理なんですよ。
心身ともに限界まで追い込まれていた茂のケースは、決して特異な例ではない。白石が取材で強調したことの一つだ。
「あの事件を経験して気づきました。介護に疲れ、危険な状態に追い込まれている人は私が担当している家族にもかなりいるということです。ほんまは私らケアマネージャーがもっとじっくり話を聞いてあげられるとええのですが、残念ながらそんな余裕はないんです。
白石はいつも30以上の要介護者や家族を担当している。どこかの家族だけにのめり込んでしまうと、ほかの人たちをケアする時間が削られてしまう。そもそも、月1回の家庭訪問やケアプランなどの書類の作成だけでも多忙を極めているという。
追いつめられた茂を間近に見ていた白石だが、ケアマネージャーの彼女だけに事件を防ぐ手立てを求めることはできないだろう。
「悲しい事件をなくすには、行政などが介入して緊急に短時間でも施設に入ることができる制度や仕組みを作るしかないと思います。私たちもがんばりますが、国や行政がもっと、在宅介護でがんばっている人を支えてほしいです」
国は、基本的に「お金がないし、人もいないから、家族に在宅介護を求めている」のです。
それが「核家族化、少子化が進んでいるいまの世の中の流れに逆行している」のは承知のうえで。
介護殺人の報道を耳にするたびに「ずっと介護してきた人」は有罪で、介護に関わらなかった人は罪に問われることはない、ということについて、考えてしまうのですよね。
介護はもう、「触らぬ神に祟り無し」みたいなものではないのか。
もっとも、家族がいる人なら誰でも、「次は自分の番」になる可能性はある。
ただ、その立場になってみないと、実感するのが難しいのが「介護」というものなのです。
親がいつまでも元気で、自分のことは自分でできるなんてことは「ありえない」のは、みんなわかっているはずなのだけれど。
- 作者: 藤田孝典
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2015/06/12
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