「解散命令」評価の問題を曖昧にする既成宗教
昨年の話題になるが、解散命令請求について、メディアが既成宗教法人にアンケートを調査している。
「解散命令請求」に宗教界賛否分かれる…「人を幸せにする宗教と逆の動き」「事実上の宗教弾圧」・・読売新聞オンライン2023.10,31
これによれば、20宗教法人中、「妥当」、「やむを得ない」が5法人、反対の立場が日本キリスト教団、幸福の科学、曹洞宗の3団体、残りは保留?
宗教弾圧と云っているのは幸福の科学のみ。
日本キリスト教団
「旧統一教会や関連する政治団体と自民党などとの問題が明らかにされておらず、解散は『目くらまし』にすぎない」
幸福の科学
「信教の自由の侵害で、事実上の宗教弾圧だ。(請求理由の)『民法上の不法行為』の適用範囲が不当に拡大される恐れがある」
曹洞宗
請求を受けて旧統一教会の信者が居場所を失ったり、過激化したりしないように「信者や家族に寄り添った支援が求められる」
全面的に反対しているのが幸福の科学である。過去に統一教会がオウム施設への家宅捜索を「宗教弾圧」であるとして擁護したように、カルトがカルトを擁護するのは同志を失いたくないという当然の流れである。
「解散命令」はALL or NOTHINGで見るべきではない
私はここで指摘したいのは「解散命令」の評価の問題である。ALL or NOTHING(全てでなければ受け入れられない)という主張が、いかに「解散命令」の評価の問題をおろそかに、運動の流れを無視しているかを指摘しておきたい。
曹洞宗の場合は、信者や家族への支援体制ができれば「賛成」と読めるのである。即ち一定の評価が前提となっていて、全面否定ではないのである。賛成と答えて、但し今後の信者家族の支援体制について明らかではないので、曹洞宗としては、それについては全面的に協力するという答えがあってはよいのでないか。
日本キリスト教団については、カルト問題の窓口を設置し、これまで統一教会問題の相談活動においては中心的役割を担ってきている。そういう団体のコメントとしては、あまりにも評論家的な部外者的な中身のないコメントである。解散命令によって、統一教会関連団体と政治家の関係が闇に葬られるかどうかは、解散命令に問題があるのではなく、それを追及する側の世論を中心とした政治的力量の問題であって、闇に葬ろうとする者がいれば誰がそれを正すのか、それは政治家であり、さらにはこれまでこの問題に深く関わってきた日本キリスト教団もその一人なのだ。
解散命令の次は「反カルト法」
解散命令請求がALLではないことは明らかである。だからといって、そこに至る弁連の先生方の何十年にも及ぶ解散命令請求への苦闘の歴史を全否定するようなコメントがあっていいのだろうか。すでにその後の方向性として、フランスの反セクト法のような、日本に適した反カルト法に向けての準備が進められている。フランスの反セクト法では、脱会者、家族の支援体制が全国的に公費で賄われている。曹洞宗には勉強して頂きたい。
インドの詩人 タゴールの詩より
人生から太陽が消えたからといって泣いてしまえば、その涙で星が見えなくなってしまう。
参照
「旧統一教会に解散命令、カルト対策の法整備を」 全国弁連が国に訴え 2世信者の救済も 2022年9月16日 東京新聞
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