「訪問の問い合わせかな?」と開封してみると、それは意外な連絡でした。
2011年産馬、今年で6歳になるハーツクライ牝馬が、その方のご主人経営の三重の乗馬クラブにいるとのこと。
クラブのブログに、1歳時の画像を転載した旨の知らせだったのです。
競走馬名は、ドリスバローズ。
一気に懐かしさが込み上げてきました。
メールに記されていたアドレスから、そのページへ行ってみると、今は、マーチという名で登録されていることがわかりました。
偶然、ドリスバローズで検索していたら、このブログを発見されたとのこと。
クラブの記事からは、彼女が昔と変わらず、とても人懐こく、皆さんから愛されて過ごしている様子がわかり、思わずジーンときました。
牧場を巣立ってから4年半になります。
育成牧場にいた頃、期待され、早々と2歳の6月デビューを迎えたものの、9着。
その後もパッとしない成績のまま、いつの間にか引退。
ファンの方から、乗馬になったことを聞いた覚えはありますが、よくあることなので、もうすっかり忘れていました。
「元気でいてくれたらいいな・・・」
そこまでしか、私たちには願えません。
毎年生まれ、毎年デビューし、毎年引退していく生産馬たち。
その1頭1頭がどこでどのように暮らしているか、知りたくもあり、知りたくなくもあり。
それは、この世界の現実を知る人間なら、誰しもが思うことでしょう。
競馬場を去ったすべての馬たちが幸せな余生を送れるのなら、こんなに素晴らしいことはありません。
少しでも、その可能性が残されるよう、生産馬たちには、とにかく人を信頼し、人から愛される馬になるよう、育てているつもりです。
4年半という月日の中で、次第に遠ざかっていた彼女の記憶。
まずは、以前ファンの方からいただいた写真を引っ張り出し、
自分の記事をもう一度開いて思い出していると、こんな文に出会い、ハッと息をのみました。
2012年9月3日の記事。
ハーちゃんが育成牧場へ出発する前日に、私が記していたのは、こんな言葉でした。
”人との出会いもありました。これから先も、そんなふうに人と人とをつなげる馬になってくれたら、と願います。”
「まさに、そうなってくれた・・・」と思うと、涙が止まらなくなりました。
あの頃の仲間たちは、いったいどうしていることでしょう。
同じグループではありませんが、同期の1頭は、ここに戻り、昨日、初めての種付けに行きました。
幼馴染みの1頭は、別の牧場で繁殖入りし、この春牡馬を産んだものの、育児拒否で、乳母が育てていると聞きました。
まだ、なんとか現役続行中の仲間もいますが、あとは、ほとんど行方知れず。
今回の突然の連絡は、これまで育ててきた馬たちからの「忘れないで」という無言のメッセージのようにも思えます。
実は最近も、生産馬が千葉の乗馬クラブにいるとの知らせが入りました。
4歳ハービンジャー牝馬、アウェイキング。
やはり呼び名は変わっていて、たまたま母馬名を見て、わかったそうです。
こうして、たくさんの方々に見守られていることが、馬たちの力になっている気がします。
引退した後の道を導いてくださった方々、そして現在携わってくださっている方々に対しても、感謝の気持ちを忘れてはいけない・・・そう思いました。
まずは、栗毛のフジキセキ牡馬。
4月から5ヵ月預かった育成馬です。
そして、栗毛のキングカメハメハ牡馬。
こちらも5ヵ月育成。どちらも同じ町内の育成牧場へ運びましたが、同じように運ばれてきた馬たちで、にぎわっていたそうです。
午後の一番で、隣町の育成牧場へ移っていったのが、ハーツクライ牝馬。
いよいよ、1年半もの間育ててきた愛馬の出発。最後の手入れにも力が入りました。
厩舎に仲間たちが入っているので、おとなしく、いつものように静かにしているハーちゃん。
馬体重は、450㎏。
少し日に焼けて、毛色が明るくなりましたが、父親に似た体型だとつくづく思います。
さて、馬運車へ向かう友達を見守るのは、幼馴染みのディープインパクト牝馬。
「肢に変なものをつけて、何してるのかしら」と思っていたのでしょうか。
厩舎の裏手につけてある馬運車へ歩いていく様子を、
カンパニー牝馬を始め、ほかのグループの馬たちも皆、少し驚いた顔をして見送っていました。
「さて、乗るかな?」
心配していた馬運車乗り込み。一度立ち止まったものの、二人がかりでお尻を押すと、すんなりいきました。
馬運車におさまったハーちゃん。
後ろの扉がガタンとしまり、いよいよ車のエンジンがかけられた時、大きな声で、ゴールドアリュール牝馬がいななきます。
一部始終を見ていたアリュールの哀しい叫び。
きっと「どこへ行くんだろう?」と思ったに違いありません。
ハッとしたのか、馬運車の中からもいななきが聞こえ、背が高いハーツの鼻先が、後部扉のわずかな隙間から、のぞいていました。
母と離乳したあの日に続き、2度目の別れです。
同行できなかったので、無事に育成牧場に送り届けて帰ってきたリーダーに、その後の様子を聞くと、車内ではとてもおとなしく、到着してからも落ち着いていたそうです。
育成先は、偶然にも、なじみの牧場で、この先も訪問する機会があるのが幸い。
1年後のデビューを目指し、ハーツの挑戦が始まります。
「もう少し一緒にいられると思ったのに、残念・・・ 」
ハーちゃんは、独特の雰囲気を持った、人間味のある馬。なんだか好きな馬でした。
いつも一緒に過ごしてきた仲間と、初めて離れることにもなります。
出発前日の日曜、その仲間との最後の姿をおさめようと、放牧地へ。
「なになに?誰か来たの?」と鶴首のハーちゃん。
夕日を浴びて、輝く5頭の牝馬たちは、颯爽と駆けてきました。
いつまでも、この風景が続くと思っていましたが、そうはいきません。
ゴールドアリュール牝馬と共に先頭を歩いてきたハーツ。
お別れを言いに来た子供たちは、さすがに1歳馬に取り囲まれるのは苦手で、柵の外から最後の挨拶をします。
ディープインパクト牝馬と共に、かわるがわる首を伸ばして、「遊ぼうよ」というハーツ。
しばらく遊んだ後で、こちらに歩いてきました。
いつものように、帽子をいじったり、長靴をかじったり。
相手をしながら、これまでの1年半の出来事を色々と思い出してしまいました。
人との出会いもありました。これから先も、そんなふうに人と人とをつなげる馬になってくれたら、と願います。
ハーツが大好きな親友、カンパニー牝馬と草を食べている間、
まだ牧柵のところで遊んでいる栗毛の2頭は、アリュールとグラスワンダー牝馬。
そのうち子供たちが、放牧地の隅にキタキツネが掘った巣穴を発見し、はしゃいでいると、5頭はまた集まってきます。
ディープと並ぶハーツ。
一匹狼的なディープちゃんと、つかず離れずの微妙な距離感で、共に歩んできたハーちゃん。
向かう育成牧場は別。いつか、競馬場で出会う日が来るといいなと思います。
このグループに後から入ってきた、気の強いワンダーとディープはいい勝負で、
時折こんなふうに顔を突き合わせています。
さて、いつまでいてもきりがないので、「帰ろうか」と歩を進めます。
「じゃあね、元気でね・・・」
無言で見つめるハーツクライ牝馬。
この後、仲間との最後の夜間放牧を、きっと、いつもと変わらず過ごしたことでしょう。
金曜日、太陽がまぶしく光りだした朝、それまでじっとしていた1歳牝馬たちが、嬉しそうに走り出しました。
新雪が積もったところに、放牧地の場所替えをしたため、気分もリフレッシュして大はしゃぎ。
躍動感ある馬の写真が撮りたくて、そっと近付いたつもりでしたが、「みーつけた!」
案の定、ニンジン餌付けの逆効果。
みんなすぐに集まってきてしまい、「ないの?ないの?ニンジンないの?」
帽子を引っ張られたり、服を突付かれたり。近過ぎて、写真も撮れません。
そんなに期待した顔で見つめなくても・・・・。
あきらめたカンパニー牝馬は、雪をペロペロ。
食いしん坊のゴールドアリュール牝馬は、「ねえねえ、隠してるんでしょ?」
みんな動かなくなってしまったので、向かいの1歳牡馬を撮ることにして、移動しました。
しばらくして、振り返った牝馬の放牧地。
「しめしめ、遠くにいったな・・・」
そこで、再び「おーい」と呼ぶと、気が付いたハーツクライ牝馬とカンパニー牝馬が、こちらへ。
ゴールドアリュール牝馬とディープインパクト牝馬も、「負けないわよ!」と、突進。
なんとも元気のいい4姉妹。
これが、翌日の小さな事件の伏線だったとは、誰が考えたことでしょう。
土曜日、ウイルス性の胃腸炎にかかり、前夜入浴を控えた4歳の長男が、「朝風呂に入りたい」と言い出し、しぶしぶ用意。
「外の景色でも見ようか」と、いつもは閉めているロールカーテンを開けると、一瞬、目を疑いました。
「通路に馬がいる・・・・。はあ?なんで!?」
窓から見える放牧地と放牧地の間の通路に、いるはずのない1歳の鹿毛馬が1頭、目に飛び込んできたのです。
「逃げた?」・・・としか考えられません。
そばに軽トラックが置いてあったので、「誰か先に気付いて、つかまえようとしているんだ」と思い込み、助っ人に入るつもりで、急いで防寒服を着ましたが・・・。
現場に駆けつけると、人影なし。
代わりに、向こうから、すごい勢いで1頭の馬が駆けてきて、額の星で、それが”ハーちゃん”であることに気付きました。
「えー?ちょっと、どうするの!」
ハーツクライ牝馬は、放牧地の中の仲間のところに帰りたくて、うずうずしています。
どうやら、出たくて出たわけではなく、何かの拍子に、牧柵の下をくぐったか破ったかして外に出てしまい、戻れなくなった様子。
牧場で、数年に1度は起きるハプニング。私も、つかまえて中に入れればいいということは分かるのですが、何しろ一人。
携帯、不携帯。この場を離れるわけにはいかないし、とにかく、つかまえるしかないか・・・・。
馬は、予測不能の事態が起きると、たいてい興奮状態におちいり、人間ひとりの手には負えなくなるものですが、彼女は思いのほか冷静でした。
「ハーちゃん」と呼ぶと、すんなり近寄ってきて、顔のもくしをつかませたのです。
「あとは、入れればいいんだけど・・・」これが、大問題。
右手にハーツのもくしを持ち、左手だけで、出入り口の3本の馬栓棒を開けなければなりません。
おまけに、ハーツを心配するアリュール、カンパニ、ディープの3頭が、入り口をふさいでいて、開ければ今度はそちらが出てしまう可能性あり。
「Kくーん!Sくーん!」大声でスタッフを呼ぶも応答なし。
意を決して、踏み切りました。
1本ずつ棒をずらし、最後の1本を、迎える馬たちの様子に注意し、慎重に開けた・・・・はずでした。
あとお尻一つ分はみ出したまま、前に進まないハーちゃんに気をとられていると、なんとお尻の向こうから、するりと抜け出した馬が1頭。
「ディープゥゥゥ!!」
がっかりでした。ハーツを入れたと思ったら、今度は、ディープが嬉しそうに脱走。
なんだか意気揚々として、駆け出していきそうな雰囲気。
牧場所有馬のハーちゃんと違い、ディープは”お客様の馬”。「その辺を駆け回り、道路に出て怪我でもしたら?」と身の毛がよだちました。
が、こんなところで、ニンジン餌付けの効果が見事に発揮されるとは!
「ディープ・・・」 その辺りを興味深そうにそぞろ歩いたディープは、思いのほか簡単に私の手につかまり、あっさりと放牧地へ。
全身の力が抜けたのは言うまでもありません。「良かった・・・」
後で牧柵周りを確認したところ、壊れているところはなく、1ヵ所、馬の毛が抜け落ちている雪面を発見しました。
どうやらハーツは、元気良く走っていた時に横転し、そのまま柵の下をくぐり抜けて、出てしまった様子。
胸前の毛がちょっぴり抜けたものの、無傷で、歩様の乱れもなく、涼しい顔をしていました。
無事だったから、笑って言える話。
スタッフは、繁殖牝馬1頭の装蹄のため、厩舎でジェットヒーターをかけていて、まったく気付かなかったこと。
軽トラは、放牧地からその繁殖馬を出すために乗り捨ててあったこと。
普段動きのない時間に、繁殖馬1頭を厩舎に入れたため、他馬が興奮して走ったこと。
など、今回のハプニングの原因を紐解きながら、改めて、馬を管理することの責任を痛感させられます。
新雪の後で、通路がアイスバーンになっていなかったことも幸いし、無傷のハーちゃん、恐るべし。
これからも、心して見守っていきたいと思います。
今回は、3月生まれ中心の6頭。
馬歯科医さんの車が到着したので、1歳厩舎に向かっていると・・・。
1頭だけ連れて行かれたハーツクライ牝馬を心配して、放牧地に残された3頭の幼馴染みが、出入り口付近にたまっていました。
ディープもカンパニもアリュールも、「あの仔だけ、どうしたのかしら?」という顔をして。
晴れて風のない、穏やかな朝。
厩舎に入ると、早速、ブラックタイド牡馬の整歯が始まっていました。
陽気な歯医者さんのトークに笑っているうちに、施術は進みます。
毎回思うことですが、馬の扱いが柔らかく、巧み。
最初は戸惑い、反抗する馬たちが、見事におとなしくなり、涼しい顔で立っているのです。
「怒ることも必要」と言います。
つい最近、有名な現役馬を扱った時、わがまま過ぎて時間がかかった話を、笑いながら話されました。
「スタッフみんな、大事にし過ぎているよね」
よく分かる気がしました。
期待される馬ほど、腫れ物に触るかのようになりがちな、日本人の心理。
相手は、賢い馬ほど、対する人間を見極め、悪さを仕掛けてきます。
生産牧場の人間としては、初期馴致の大切さを考えさせられる話。
ゴールドアリュール牡馬が終わり、シンボリクリスエス牡馬の番になった時、
「この馬、ボス?」と聞かれて、びっくりしました。
「なんで、分かるんですか?」
多分、群れで一番強いので、人間にもその強いところを見せようとするのでしょう。
知らない人に、いきなり入ってこられ、口に手を入れられるわけですから、クリスくんにだって、意地があります。
それでも、種牡馬から現役馬、育成馬と、幅広く手がける馬歯科医さんにすれば、彼なんて、まだまだひよっこの部類。
瞬く間にマジックにかかり、おとなしく口に手を入れられています。
さて、ハーツクライ牝馬の順番がやって来ました。
前もって、「父・ハーツクライ」と言ってあったので、ニヤリと笑った歯科医さんの手順は、ことのほかスムーズでした。
ハーツクライ、恐るべし。
彼女も、クリスと同じくらい時間がかかりましたが、無事に終了。
一番歯の状態が悪かったのが、ホワイトマズル牡馬。
おとなしいフジキセキ牡馬を整歯中に、
放牧地をのぞいてみると、3頭が残された早生まれ牝馬グループでは、
明るい陽射しに眠そうなゴールドアリュール牝馬と、カンパニー牝馬のお尻に頭を乗せる、ディープインパクト牝馬の姿がありました。
「なんか、背高のっぽの仔がいなくなったけど、何してるんだろうね・・・」
という声が聞こえてきそう。
当のハーちゃんは、整歯が終わり、馬房の中で、ボーっとしていましたが、
キセキくんの整歯終了と共に、再び放牧地へひかれていきました。
すると、どうでしょう!
戻ってくる仲間の姿を見つけたディープが、ヒヒヒヒンと鳴き、こちらにまっしぐら。
ハーツもそれに返事をし、カンパニーとアリュールも、すごい勢いで走ってきました。
思っていた以上の、4頭の強い絆に、感動。
「何よ!どこに行ってたの?」と、扉を開けて入ろうとするハーツに、みんなが近寄り、はたで見ていて、なんとも嬉しくなりました。
見えないけれど、心はしっかりつながっている4頭。いえ、4姉妹のようなもの。
まだまだ先になりますが、競走馬として、どんなふうに再会するのか、思いを巡らせています。