今日はお盆のお中日ということで、母とファニーのお墓参りに行ってきました。
(ご霊前でお線香。失礼ながら撮らせていただきました)もっとしばしばお参りしたいけど、ついつい、こういうときでもないと
行ってあげられない・・・
でも、いつも心にはファニーの場所があって、何かあると思い出します。
ファニーの好物はりんご。
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りんごを切っていると必ず飛んできて足元にこのときばかりは
お利巧におすわり。
バナナとかなしとかより何よりりんごが好きで、
「ファニ、りんご」っていうと、うなってぐるぐる回っているときも
ぴたっと止まるくらいでした。
「たまごちゃんだよ~」よりもすごい威力・・・
あとはいけないのですが、チョコレート。
もちろんあげたわけではないです・・
私のリュックからいつの間にかとって板チョコ丸ごと食べちゃったときには
青ざめました。
でも、様子を見ていても特に吐くこともないし、倒れもしなくて一安心。
すごくチョコレートが好きだったので、生きているときには上げられなかった分、
今日もお供えしてきました。
(お供えはささみジャーキーとチョコとシャーベット)ファニーの体調はやはり毎冬具合が悪くなるのでした。
寒いので、体を縮めて丸めるのが腰に負担なのか、
すごいアーチになって、そろそろかな~と思うと、ある日爬行(はこう)になってしまうので、
そうすると入院です。
1~2週間レーザーを当ててもらって歩行のリハビリをして帰ってきます。
その間、マックスはすごくさびしそうでした。
ケージから出すと裏口のドアに座ってファニーを待っているのです。
ファニーお見舞いに行くとこのときばかりは喜んで、
前足ではいずって擦り寄ってきました。
しばらく待合室で抱っこして、いるとこちらもなんだかすごく癒されました。
普段はこんな心の交流はないだけに、病気は悲しいけど、
貴重なときでもありました。
血行が悪くなって冷えた足をにぎにぎしたりさすったり。
冬場はよくお年寄りの方が使う座れるショッピングカートにファニーを入れて
公園の広場までお散歩しました。
このカートはなかなかファニーのお気に入りでした。
(ウサギコスプレに迷惑そうなファニー)マックスが2歳になったころ、また私の中の悪い虫が・・・
今度はパイボールドの子犬ちゃんに一目ぼれ。
マックスが結構うまくなじんだので、ちょっと悩みましたが、
2頭も3頭も一緒!とうそぶき、ファニーも大分精神面で明るくなっていたので
つい、飼ってしまいました。
でも、この子はティナではありません。
ピアと名前をつけたこの子は連れ帰って3日目からひどい下痢が続き、
あわてて病院に連れて行きましたが、
どんな薬も点滴も効かずお空になってしまいました。
きたときは丸々と太っていたのに、
病院から最後の連絡が来たころには骨が浮き出していて痛々しかった・・・
私がいい気になった罰がこの子に降りかかったのかと思ったりして、
そのすごく軽くなってしまった体を抱きしめて泣きました。
この子の場合、まだ愛着が芽生えるほどではなかったので
ひたすら罪悪感と、小さな命が失われる不条理に対する悲しさでした。
日はおりしもクリスマスイブ・・・
うちでホームパーティーの予定だったので、
キャンセルもできず、ひたすら料理をして、でも自分は食べられなくって
ぼんやりとピアのことばっかり考えてました。
ピアを買ったペットショップが、返金はできないので代わりの子をといってきて、
代わりって何よ!と思いましたが、
仕方なくその提案を受けました。
その代わり、そのこは3ヶ月まで母犬から離さないでくださいとお願いしました。
ピアは早くにショップに出されて、十分免疫力がついてなかったからです。
で、翌年5月にティナがやってきました。
(ベビーティナin手作り簡易バッグ)これがチビなのに超生意気で来た日から女王のように振舞って
ファニーをいらいらさせました。
最後までティナとファニーはあんまり仲良くはなかったな~。
ティナはもちろんファニーに一目置いてちょっかいは出しませんでしたが、
マックスのように寄っていくことはありませんでしたね。
ファニーはティナをどう思っていたんだろう?
やっぱり同性は難しいですね。
(3匹そろって梅の花見)そんなこんなで3匹の生活も落ち着いてきたとき、ティナの妊娠が発覚!
またしても私の不注意でできちゃいました。
そうすると自然とティナばっかりケアをするようになってしまって、
あんまりファニーの相手はしてあげられませんでした。
ファニーはもっと遊んでほしかっただろうにな。
そのころ、ファニーの体調もよかったこともあり、あまり注意をしてあげられなかった。。
もちろんpuppyが生まれてからは
明けても暮れても子犬のお世話に夢中。
マックスとファニーは放置状態・・・
散歩には行っていましたが、ほとんどスキンシップはしてあげられず。
これが大きな後悔のひとつでもあります。
なぜならこの年にファニーは逝ってしまったから・・
(お気に入りの4ショット)4匹になってからは3匹のときとは比べ物にならない大変さ。
サークルも大きいのを二つ設置。
ファニー、マックス組みと、ティナプラム組み。
そして、そのころの私はついまだチビでかわいいティナプラム組みをえこひいきしてました。
(マックスの好き好き攻撃)その年の8月末、ワン友さんたちのグループ旅行を計画していたのですが、
とても4ワン連れて行くのは無理なので、ティナとプラムを連れて行くことにしたのです。
自分の中の言い訳はファニーはあんまり環境が変化するのが好きじゃないから。
でも、本当はすぐにスイッチが入ってぐるぐる回るのを
旅行先でもやられたらたまらないと思ってしまっていたからです。
(問題の旅行先の風景。ファニーのつらさどこ吹く風・・・)そして、行く途中で家から電話が。
ファニーがひどい下痢をしたというのです。
ふぁにーはお腹が弱いので、しょっちゅうそういうことがあったし、
いつものお医者様に注射をうってもらって薬をもらえば治っていたので、
そのときもお気楽に、父にその病院に連れて行くように頼みました。
でも症状は思ったよりも重篤だったのです。
そのとき私が帰っていれば、もっと違ったかもしれない・・・
今でもそのことが悔やまれます。
その前にも結構何度かお腹を壊してあまり調子はよくなかったのはあります。
でもまだ夏だし、今までもそこのお医者様に任せれば大丈夫という、
妙な慣れがあったんです。
翌日帰ってから病院に電話をすると、とりあえず腸内で悪玉菌が増えているので、
抗生物質を投与して、脱水にならないように点滴をしているとのこと。
そのまた翌日詳しく説明を聞くとともにファニーの様子を見に病院へ。
確かにうじゃうじゃと菌が・・・
でも、その時点ではお医者様も菌さえ殺せばすぐによくなるという感じでした。
ファニーは下痢続きでげっそりとやつれ、小さく尻尾を振る元気しかありませんでした。
それから毎日病院通い。
調子がよさそうだったり、逆にぐったりとして目を開けるのがやっとの日もあったり。
でも、必ず帰ってくると信じていました。
入院してから10日位しても症状はよくならず、お医者様も首をかしげる事態に。
血液検査をしたり、ほかの検査をしていただきました。
このころには下半身の血流がかなり悪くなり、
触っても冷たくって生き物の足ではないような感じでした。
最後にあったとき、
ファニーは私の腕の中で半分目を閉じて、涙を流しているようでした。
体重もいつもの半分くらいですごく軽くって、私の生命力を
少しでもあげようとずっと抱いていました。
(元気だったころ。チョイ悪ファニー)そして翌朝早朝・・・
病院から電話が・・・
ファニーは誰にも気づかれないまま明け方に逝ってしまいました。
その日はちょうど私の誕生日の前日。
あれ以来、誕生日はファニーの命日と重なり、私には祝ってほしくない日になっています。
こんなことなら最後に家に連れてきてあげたかった。
でもほかのこのことを思うとそれもできなくて。。。
どんな気持ちで逝ったんだろう。
寂しかっただろうな、一人ぼっちで。。
今までしてあげられなかったこと、時にファニーを憎んだこと、
ファニーにしてしまった過ち・・
いろんなことが頭をぐるぐる回って「ごめんね」しか言えなかった。
泣くのも甘えているようで、その時は泣けませんでした。
先生も、とてもショックを受けていたようで、獣医さんだから
患犬が死ぬこともよくあるだろうけれど、ちょっと涙ぐんでいました。
ファニーを家につれて帰ると、マックスがファニーを横たえたタオルの横にちょこんと座って
離れようとはしません。
マックスもわかっているみたいでした。
そのあと、ファニーと仲良くしてくれたお友達の飼い主さんたちも集まってくれて
花やタマゴちゃんと一緒に火葬に。
ひとしきりファニーの思い出話で元気付けていただきました。
ファニーの苦しみの元だったつながった背骨や、
きれいに残った頭を拾うことでやっともう帰ってこないことが実感されて、
泣きました。
ファニーがなくなってから数日後、生前に注文していた名前入りの
洋服が届きました。
結局1度も着ることがなかった服。
今お骨にかけているのがその服です。
(そして一番のお気に入り写真。)読んでくださった方、最後まで、お付き合いありがとうございました。
こうして書くことで私の中で気持ちの整理ができました。
明日からまた料理の写真も復活です。
長々と失礼しました。