2018-03-25
上信電鉄で巡る絹の遺産・富岡製糸場
高崎駅から上信電鉄に乗り換えて40分で上州富岡駅に到着。
古い建築物が残るレトロな商店街を歩いて10分ほどです。
富岡製糸場
明治5年に明治政府が日本の輸出品の大半を占めていた生糸の品質向上と増産を図るために設立した、官営模範器械製糸場。
富岡製糸場には、蒸気機関やフランス式操糸技術開発等の西欧技術が導入され、ここから日本全国に器械製技術が伝えられた、日本初の本格的製糸工場です。
では、中に入ってみましょう
●東置繭所(国宝):長さおよそ104mにもおよぶ巨大な繭倉庫。
主に繭を貯蔵していた建物。2階に乾燥させた繭を貯蔵し、1階は事務所・作業場。
●繭糸を作る作業のデモストレーション
繭は煮ることによって、糸が取りやすい状態になるそうです(20分くらい)
6個の繭から糸を取り、一本に束ねていきます。
繭糸の構造は、絹繊維になる2種類のたんぱく質によってできており、一方はセリシンという糊の役目をするもの。
生糸の状態ではこの糊状の成分が残っているのでゴワゴワとしています。生糸からこのセリシンという成分を取り除く作業(精錬:せいれん)をすると絹糸になるそうです。
繭玉
煮られて周りの糸も剥ぎ取られて・・・お気の毒な・・・
本物もいますよ~ん
ちなみに、以前、テレビで見たのですが・・・・。
2007年春に誕生した世界初、オスだけの繭から紡がれる夢の生糸があって、それは新蚕品種「プラチナボーイ」というもの。
「オスの繭からはいい糸がとれる」と、昔から言われてきたのだとか。
メスは卵を産みますが、卵を産まないオスの蚕はメスよりも20%ほどの多くの絹を生産するそうです。
オスの場合、身体にあるたんぱく質をすべて糸に吐き出すことができるので、 メスの蚕が作り出す糸に比べて、艶や丈夫さ、糸の長さや細さも特別なのだとか。
そして、ついに日本のある研究者が37年もの歳月をかけて遺伝子レベルの技術で、オスだけが孵化する蚕を作り出すことに成功したのだそうです。
時代は進んでいるのですね~
●木骨煉瓦構造(もっこつれんがこうぞう)
木材で骨組みを造り、壁の仕上げに煉瓦を用いる建築法。
●フランス積み
煉瓦の向きを長い面と短い面を交互に並べていく積み方
いたるところに防火用水が・・・。
国宝「西置繭所」保存修理工事見学施設
製糸場の敷地内には社宅や工女さんたちの寮、診療所などもありました。
社宅
診療所
●繰糸所(そうしじょう)
繭から生糸を作る施設で、製糸工場の中心となる建物。
長さ140mもある、長大な木骨煉瓦建造物。
操業停止時の自動繰糸機が完全な形で保存されています。
1952年(昭和27年)に開発されたばかりの自動繰糸機を本格的に導入し、オートメーション化のモデル工場に。
しかし、1987年(昭和62年)、生糸の世界的な価格競争の影響を受け、富岡製糸場は操業を停止し、115年続いた生糸生産の幕を閉じました。
工女たちの寮
数年前から入場料が上がり、最初は「話題になったからって、上げすぎだろ!」と思ったのですが、やっぱり、あちこちに古さは目立つし、耐震補強などの整備は必要だと思いました。
しかし・・・。
サスペンス小説の舞台になるだけあって「あの建物の裏で・・・ヤレそうだな」と・・・・ふふふ・・・
富岡製糸場 しるくるとみおか
お昼ご飯は、行く時に立ち寄った郵便局の方が教えてくれたお店へ・・・
工女さんたちに愛されていたという、カレー
味は・・・。バーモ〇トのジャワカレーの2日目の味って感じ・・・
でも、あの時代にこのスパイシーさは珍しかったかも?
地元で有名だという七味屋さん。
郵便局の人がおすすめしてくれた大辛を購入。
うどんや蕎麦、味噌汁や白菜の漬物ほかにはなんと、卵かけご飯にかけても美味しいそうです。
ただいま、うちでは3種類の七味を使い分けています・・・。もはや、これは趣味・・・か・・・?
さて・・・次に向かったのは・・・
まさかの無人駅
そこにはいったい何が?!
そして、ある動物にも出会います。
それって何だろうな?うっき~
つづく
古い建築物が残るレトロな商店街を歩いて10分ほどです。
富岡製糸場
明治5年に明治政府が日本の輸出品の大半を占めていた生糸の品質向上と増産を図るために設立した、官営模範器械製糸場。
富岡製糸場には、蒸気機関やフランス式操糸技術開発等の西欧技術が導入され、ここから日本全国に器械製技術が伝えられた、日本初の本格的製糸工場です。
では、中に入ってみましょう
●東置繭所(国宝):長さおよそ104mにもおよぶ巨大な繭倉庫。
主に繭を貯蔵していた建物。2階に乾燥させた繭を貯蔵し、1階は事務所・作業場。
●繭糸を作る作業のデモストレーション
繭は煮ることによって、糸が取りやすい状態になるそうです(20分くらい)
6個の繭から糸を取り、一本に束ねていきます。
繭糸の構造は、絹繊維になる2種類のたんぱく質によってできており、一方はセリシンという糊の役目をするもの。
生糸の状態ではこの糊状の成分が残っているのでゴワゴワとしています。生糸からこのセリシンという成分を取り除く作業(精錬:せいれん)をすると絹糸になるそうです。
繭玉
煮られて周りの糸も剥ぎ取られて・・・お気の毒な・・・
本物もいますよ~ん
ちなみに、以前、テレビで見たのですが・・・・。
2007年春に誕生した世界初、オスだけの繭から紡がれる夢の生糸があって、それは新蚕品種「プラチナボーイ」というもの。
「オスの繭からはいい糸がとれる」と、昔から言われてきたのだとか。
メスは卵を産みますが、卵を産まないオスの蚕はメスよりも20%ほどの多くの絹を生産するそうです。
オスの場合、身体にあるたんぱく質をすべて糸に吐き出すことができるので、 メスの蚕が作り出す糸に比べて、艶や丈夫さ、糸の長さや細さも特別なのだとか。
そして、ついに日本のある研究者が37年もの歳月をかけて遺伝子レベルの技術で、オスだけが孵化する蚕を作り出すことに成功したのだそうです。
時代は進んでいるのですね~
●木骨煉瓦構造(もっこつれんがこうぞう)
木材で骨組みを造り、壁の仕上げに煉瓦を用いる建築法。
●フランス積み
煉瓦の向きを長い面と短い面を交互に並べていく積み方
いたるところに防火用水が・・・。
国宝「西置繭所」保存修理工事見学施設
製糸場の敷地内には社宅や工女さんたちの寮、診療所などもありました。
社宅
診療所
●繰糸所(そうしじょう)
繭から生糸を作る施設で、製糸工場の中心となる建物。
長さ140mもある、長大な木骨煉瓦建造物。
操業停止時の自動繰糸機が完全な形で保存されています。
1952年(昭和27年)に開発されたばかりの自動繰糸機を本格的に導入し、オートメーション化のモデル工場に。
しかし、1987年(昭和62年)、生糸の世界的な価格競争の影響を受け、富岡製糸場は操業を停止し、115年続いた生糸生産の幕を閉じました。
工女たちの寮
数年前から入場料が上がり、最初は「話題になったからって、上げすぎだろ!」と思ったのですが、やっぱり、あちこちに古さは目立つし、耐震補強などの整備は必要だと思いました。
しかし・・・。
サスペンス小説の舞台になるだけあって「あの建物の裏で・・・ヤレそうだな」と・・・・ふふふ・・・
富岡製糸場 しるくるとみおか
お昼ご飯は、行く時に立ち寄った郵便局の方が教えてくれたお店へ・・・
工女さんたちに愛されていたという、カレー
味は・・・。バーモ〇トのジャワカレーの2日目の味って感じ・・・
でも、あの時代にこのスパイシーさは珍しかったかも?
地元で有名だという七味屋さん。
郵便局の人がおすすめしてくれた大辛を購入。
うどんや蕎麦、味噌汁や白菜の漬物ほかにはなんと、卵かけご飯にかけても美味しいそうです。
ただいま、うちでは3種類の七味を使い分けています・・・。もはや、これは趣味・・・か・・・?
さて・・・次に向かったのは・・・
まさかの無人駅
そこにはいったい何が?!
そして、ある動物にも出会います。
それって何だろうな?うっき~
つづく
theme : **暮らしを楽しむ**
genre : ライフ
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comment
No title
こんにちは^^
西洋の文化を取り入れたレンガ造りの建物、やはりこの年代の建物って大好きです。
なんで今みたいな灰色のビルばかりが建つようになってしまったんだろう…。
東置繭所(国宝)←国宝!重みのある言葉。
こんな中で一生懸命仕事をして暮らしている蚕を見ると、
私より立派だなと思ってしまいます(笑)
プラチナボーイという名前だけ見ると非常に軽くて笑ってしまいますが、
説明を見るとなるほどーと、納得&感心です。
>木骨煉瓦構造やフランス積み
そうそう!このレンガ造り最高!
やっぱりこの建物の技術にもちゃんと名前があるんですねー!
地震などで崩れなくて本当に良かったよ;;
流石国宝、しっかり災害対策しているんですね。
うーん、働く女性を見ていると当時結構辛かっただろうなとか、
色々と想像させられます。
寮や社宅は今の時代だと「便利で安くて助かるわ」だけど、
当時は田舎から出てきて稼がなきゃーな状態での生活だったのではと勝手な妄想です。
ただ診療所などもあるし、工女さんたちは安心してお仕事が出来てたんでしょうね(=w=*
そして、愛されていたというカレーもレトロでいいなー。
西洋の文化を取り入れたレンガ造りの建物、やはりこの年代の建物って大好きです。
なんで今みたいな灰色のビルばかりが建つようになってしまったんだろう…。
東置繭所(国宝)←国宝!重みのある言葉。
こんな中で一生懸命仕事をして暮らしている蚕を見ると、
私より立派だなと思ってしまいます(笑)
プラチナボーイという名前だけ見ると非常に軽くて笑ってしまいますが、
説明を見るとなるほどーと、納得&感心です。
>木骨煉瓦構造やフランス積み
そうそう!このレンガ造り最高!
やっぱりこの建物の技術にもちゃんと名前があるんですねー!
地震などで崩れなくて本当に良かったよ;;
流石国宝、しっかり災害対策しているんですね。
うーん、働く女性を見ていると当時結構辛かっただろうなとか、
色々と想像させられます。
寮や社宅は今の時代だと「便利で安くて助かるわ」だけど、
当時は田舎から出てきて稼がなきゃーな状態での生活だったのではと勝手な妄想です。
ただ診療所などもあるし、工女さんたちは安心してお仕事が出来てたんでしょうね(=w=*
そして、愛されていたというカレーもレトロでいいなー。
No title
こんにちは、ラーダさん
レンガ造りの建物 趣きがありますよね
倉敷のアイビースクエアに行きましたが
同じように思いました
アイビースクエアには、ホテルやお店が
ありますが、世界遺産では駄目なんでしょうね
観光地になるには難しいのかな
歴史を伝える事の方が大事ですからね
ラーダさんの七味 趣味ですよ
七味が目的で旅行しても良いですね(笑)
レンガ造りの建物 趣きがありますよね
倉敷のアイビースクエアに行きましたが
同じように思いました
アイビースクエアには、ホテルやお店が
ありますが、世界遺産では駄目なんでしょうね
観光地になるには難しいのかな
歴史を伝える事の方が大事ですからね
ラーダさんの七味 趣味ですよ
七味が目的で旅行しても良いですね(笑)
No title
ブログを読ませていただくと
なにかしら
想像がふくらんできたので
そのうち、超ショート・スパイストーリー
「富岡製糸の女」を
書かせてね。
なにかしら
想像がふくらんできたので
そのうち、超ショート・スパイストーリー
「富岡製糸の女」を
書かせてね。
チヨヨさま
>なんで今みたいな灰色のビルばかりが建つようになってしまったんだろう…。
ホントですね~
いつからか、いろんな色が混じったおもちゃ箱みたいな街になってしまいましたね
西洋文化が入ってきてできたレトロモダンな建築物はやっぱり保存が難しいのでしょうか
>東置繭所(国宝)←国宝!重みのある言葉。
こんな中で一生懸命仕事をして暮らしている蚕を見ると、私より立派だなと思ってしまいます(笑)
せっせと糸を吐いて繭を作っても熱湯で剥がされるなんて気の毒ですけどね~
しかし、繭を糸にするまで気の遠くなるような作業ですね
>プラチナボーイという名前だけ見ると非常に軽くて笑ってしまいますが、
説明を見るとなるほどーと、納得&感心です。
テレビで見ただけですが、プラチナというだけあってホントに綺麗な絹なんですよ。
この絹糸で仕立てた着物はすごいお値段だけど・・・
>そうそう!このレンガ造り最高!
やっぱりこの建物の技術にもちゃんと名前があるんですねー!
地震などで崩れなくて本当に良かったよ;;
イギリスやドイツではハーフティンバーと呼ばれる伝統的な木造住宅の建築様式で、木骨煉瓦造の原型ともいわれるそうです。
地震大国の日本だと残していくのも難しいんですかね~
この際、しっかりと現代技術を駆使して修繕し、この先もずっと残していって欲しいですね
>うーん、働く女性を見ていると当時結構辛かっただろうなとか、
色々と想像させられます。
そうですね
工女たちはまず繭の選別を習得してから西洋式の新技術の繰糸作業の習得。一等工女の下に二等、三等、等下工女と続くそうです
う~ん・・・覚えるのも大変だっただろうし、何かとつらいことも多かったでしょうね
>寮や社宅は今の時代だと「便利で安くて助かるわ」だけど、当時は田舎から出てきて稼がなきゃーな状態での生活だったのではと勝手な妄想です。
そうですね~
でも、当時の富岡製糸場は最新の技術を学べたので、郷里に設立された器械製糸工場で活躍する人もいたそうですよ~
慣れたり覚えるのは苦労しただろうけど、今でいうスキルを持って郷里で活躍できる道があったなら、本人にとっても自信に繋がったのではないでしょうかね~(想像だけど)
>ただ診療所などもあるし、工女さんたちは安心してお仕事が出来てたんでしょうね(=w=*
工女さんも親御さんたちも安心だったでしょうね
あの当時、なかなかそういうケアができる環境の職場って少なかったでしょうしね!(^^)!
>そして、愛されていたというカレーもレトロでいいなー。
カレーって今ほど日常的に食べられてなかったでしょうしね~
たまに外でお洒落にカレーを食べるって感じだったのかな?
ホントですね~
いつからか、いろんな色が混じったおもちゃ箱みたいな街になってしまいましたね
西洋文化が入ってきてできたレトロモダンな建築物はやっぱり保存が難しいのでしょうか
>東置繭所(国宝)←国宝!重みのある言葉。
こんな中で一生懸命仕事をして暮らしている蚕を見ると、私より立派だなと思ってしまいます(笑)
せっせと糸を吐いて繭を作っても熱湯で剥がされるなんて気の毒ですけどね~
しかし、繭を糸にするまで気の遠くなるような作業ですね
>プラチナボーイという名前だけ見ると非常に軽くて笑ってしまいますが、
説明を見るとなるほどーと、納得&感心です。
テレビで見ただけですが、プラチナというだけあってホントに綺麗な絹なんですよ。
この絹糸で仕立てた着物はすごいお値段だけど・・・
>そうそう!このレンガ造り最高!
やっぱりこの建物の技術にもちゃんと名前があるんですねー!
地震などで崩れなくて本当に良かったよ;;
イギリスやドイツではハーフティンバーと呼ばれる伝統的な木造住宅の建築様式で、木骨煉瓦造の原型ともいわれるそうです。
地震大国の日本だと残していくのも難しいんですかね~
この際、しっかりと現代技術を駆使して修繕し、この先もずっと残していって欲しいですね
>うーん、働く女性を見ていると当時結構辛かっただろうなとか、
色々と想像させられます。
そうですね
工女たちはまず繭の選別を習得してから西洋式の新技術の繰糸作業の習得。一等工女の下に二等、三等、等下工女と続くそうです
う~ん・・・覚えるのも大変だっただろうし、何かとつらいことも多かったでしょうね
>寮や社宅は今の時代だと「便利で安くて助かるわ」だけど、当時は田舎から出てきて稼がなきゃーな状態での生活だったのではと勝手な妄想です。
そうですね~
でも、当時の富岡製糸場は最新の技術を学べたので、郷里に設立された器械製糸工場で活躍する人もいたそうですよ~
慣れたり覚えるのは苦労しただろうけど、今でいうスキルを持って郷里で活躍できる道があったなら、本人にとっても自信に繋がったのではないでしょうかね~(想像だけど)
>ただ診療所などもあるし、工女さんたちは安心してお仕事が出来てたんでしょうね(=w=*
工女さんも親御さんたちも安心だったでしょうね
あの当時、なかなかそういうケアができる環境の職場って少なかったでしょうしね!(^^)!
>そして、愛されていたというカレーもレトロでいいなー。
カレーって今ほど日常的に食べられてなかったでしょうしね~
たまに外でお洒落にカレーを食べるって感じだったのかな?
ヨッシィーさま
>レンガ造りの建物 趣きがありますよね
倉敷のアイビースクエアに行きましたが
同じように思いました
私も行ったことがあるけど素敵な建物ですよね~
美観地区の街並みも洗練されていて趣がありますもんね
>アイビースクエアには、ホテルやお店が
ありますが、世界遺産では駄目なんでしょうね
観光地になるには難しいのかな
歴史を伝える事の方が大事ですからね
1972年に世界遺産条約が成立して10年ほど過ぎた頃から登録された遺産の種類や遺産のある地域などに偏りがでてきたそうです。
このため、世界的な戦略(グローバルストラテジー)というプロジェクトが開始されました。
バランスの取れた世界遺産一覧表にするために新たに登録した方が良い文化遺産として「文化的景観」「産業遺産」「20世紀の遺産」という分野があり、富岡製糸場は「産業遺産」に当たるそうです。
倉敷の美観地区もそのうち・・・いつかは・・・かも・・・?
>ラーダさんの七味 趣味ですよ
七味が目的で旅行しても良いですね(笑)
いや~
3種類でもあたふたしますね
賞味期限がありますしねぇ
せめて2種類ぐらいまでですね
倉敷のアイビースクエアに行きましたが
同じように思いました
私も行ったことがあるけど素敵な建物ですよね~
美観地区の街並みも洗練されていて趣がありますもんね
>アイビースクエアには、ホテルやお店が
ありますが、世界遺産では駄目なんでしょうね
観光地になるには難しいのかな
歴史を伝える事の方が大事ですからね
1972年に世界遺産条約が成立して10年ほど過ぎた頃から登録された遺産の種類や遺産のある地域などに偏りがでてきたそうです。
このため、世界的な戦略(グローバルストラテジー)というプロジェクトが開始されました。
バランスの取れた世界遺産一覧表にするために新たに登録した方が良い文化遺産として「文化的景観」「産業遺産」「20世紀の遺産」という分野があり、富岡製糸場は「産業遺産」に当たるそうです。
倉敷の美観地区もそのうち・・・いつかは・・・かも・・・?
>ラーダさんの七味 趣味ですよ
七味が目的で旅行しても良いですね(笑)
いや~
3種類でもあたふたしますね
賞味期限がありますしねぇ
せめて2種類ぐらいまでですね
もりんさま
>ブログを読ませていただくとなにかしら
想像がふくらんできたので
そのうち、超ショート・スパイストーリー
「富岡製糸の女」を
書かせてね。
ふふふ・・・楽しみにしていますよ~
女流作家もりん、の誕生か?!
まずは、ロケ地視察かな?
想像がふくらんできたので
そのうち、超ショート・スパイストーリー
「富岡製糸の女」を
書かせてね。
ふふふ・・・楽しみにしていますよ~
女流作家もりん、の誕生か?!
まずは、ロケ地視察かな?
No title
山田サクラは昭和16年に富岡製糸所に工女として働いていた。
当時の名簿にあるので明確。
太平洋戦争中、工女の数は激減している。
兵隊として取られた男子のかわりに農業の
担い手に女性が駆り出されたから。
だから山田サクラは、逆に簡単に製糸所に勤務が可能となった。
当時は製糸工場ではあったが
軍需用の落下傘向けが主流になっていた。
山田サクラは、真面目に働いて信用も得られていた。
口数は少なく、伏し目がち。三つ編みの
可愛い少女のように見えたが
実ははるかに年上だったということが
後年、明らかになった。
上のブログの写真にあるような場所、場所を歩き、
上司や車の動きを見ながら
落下傘用生地が
どこに流れるかを偵察するのが
役目だった。
山田サクラは、落下傘の搬入場所を突き止めて、その場所に物資を流す商売をする民間人へ情報を売るのが仕事だった。
落下傘が流れる場所は兵士が多くいるはず。
軍が動くだろうから
様々な物資を売りつけるには最高だと考えていた。
この策は、山田サクラが考えたのではなかった。
実は誰あろう、山本五十六海軍大将の密かな考えだった。
山田サクラは甘党の山本五十六が通う和菓子屋の店員であったが見染められたのが、きっかけ。
密かな資金源にするためだった。
予想外に資金は調達できたのだった。
石油が必要だと言われていたが「資源」の前に「資金」だと考えた山本五十六の
知られざる話。
戦時が悪化するころに
いつの間にか山田サクラは富岡製糸場から姿を消した。
昭和18年4月ソロモン諸島の機上で
亡くなった山本五十六の
後ろの席に山田サクラが乗っていたことは
今も語られることはなかった。
その資金は戦後、GHQに没収された。
富岡製糸場の秘密の話。
全部、ウソの内容です。
時代背景と落下傘のこと、山本五十六の名前だけ
ほんとうです。
ラーダさんのお写真をみると
こういう話がぐんぐん浮かんできました。
長々とすみません。
当時の名簿にあるので明確。
太平洋戦争中、工女の数は激減している。
兵隊として取られた男子のかわりに農業の
担い手に女性が駆り出されたから。
だから山田サクラは、逆に簡単に製糸所に勤務が可能となった。
当時は製糸工場ではあったが
軍需用の落下傘向けが主流になっていた。
山田サクラは、真面目に働いて信用も得られていた。
口数は少なく、伏し目がち。三つ編みの
可愛い少女のように見えたが
実ははるかに年上だったということが
後年、明らかになった。
上のブログの写真にあるような場所、場所を歩き、
上司や車の動きを見ながら
落下傘用生地が
どこに流れるかを偵察するのが
役目だった。
山田サクラは、落下傘の搬入場所を突き止めて、その場所に物資を流す商売をする民間人へ情報を売るのが仕事だった。
落下傘が流れる場所は兵士が多くいるはず。
軍が動くだろうから
様々な物資を売りつけるには最高だと考えていた。
この策は、山田サクラが考えたのではなかった。
実は誰あろう、山本五十六海軍大将の密かな考えだった。
山田サクラは甘党の山本五十六が通う和菓子屋の店員であったが見染められたのが、きっかけ。
密かな資金源にするためだった。
予想外に資金は調達できたのだった。
石油が必要だと言われていたが「資源」の前に「資金」だと考えた山本五十六の
知られざる話。
戦時が悪化するころに
いつの間にか山田サクラは富岡製糸場から姿を消した。
昭和18年4月ソロモン諸島の機上で
亡くなった山本五十六の
後ろの席に山田サクラが乗っていたことは
今も語られることはなかった。
その資金は戦後、GHQに没収された。
富岡製糸場の秘密の話。
全部、ウソの内容です。
時代背景と落下傘のこと、山本五十六の名前だけ
ほんとうです。
ラーダさんのお写真をみると
こういう話がぐんぐん浮かんできました。
長々とすみません。
もりんさま
つたないブログからここまでの発想が広がるとは・・・今後ももりん作品を期待したいですね~
山田サクラという工女がひっそりと紛れて働く製糸場。愛する男のために身の危険を顧みることなく・・・
その、男の名は山本五十六・・・
って・・・ロマンチックぅ
最後のまさかのラストもいいですね~
最後の最後まで尽くした女、山田サクラ。
山田サクラって名前も本名じゃ無さ気な感じですね
う~ん。面白い!
山田サクラという工女がひっそりと紛れて働く製糸場。愛する男のために身の危険を顧みることなく・・・
その、男の名は山本五十六・・・
って・・・ロマンチックぅ
最後のまさかのラストもいいですね~
最後の最後まで尽くした女、山田サクラ。
山田サクラって名前も本名じゃ無さ気な感じですね
う~ん。面白い!
No title
富岡製糸場いいですね。
社宅や寮や診療所も敷地内にあったんですね。
ここで工女さんたちが毎日生活していたと思うと感慨深いですよね。
プラチナボーイは初めて聞きました。
悩んだ時は郵便局の人に聞くのがいいですね。地元に詳しいだろうし。
次回も楽しみにしていますよ~(^_^)
社宅や寮や診療所も敷地内にあったんですね。
ここで工女さんたちが毎日生活していたと思うと感慨深いですよね。
プラチナボーイは初めて聞きました。
悩んだ時は郵便局の人に聞くのがいいですね。地元に詳しいだろうし。
次回も楽しみにしていますよ~(^_^)
No title
こんにちは~
あらら、遅くなってしまいましたぁ。
上州編、富岡製糸場ですね!(^^♪
以前何かのドラマで観たここで働く工女さんの姿を思い出します。
かなりの重労働で身体を悪くした人が多かったようですね。
この製糸工場が出来たこともあって、群馬は桑畑がとても多く蚕養業が盛んだったと思います。でも近頃は桑畑も減少し、化学繊維の生産が多くなってしまったのでしょうね。
レンガ造り。。。東京駅や横浜の赤レンガ倉庫などが浮かびますが、この「フランス積み」を取り入れて建てられているのでしょうね。なるほどですわぁ。
それに、工女寮が。。。サスペンス小説の舞台になりそうで。。。昔の小学校にも似て、学校の怪談に良さそうだわぁ(笑)
無人駅ってあの辺りにもあるのですね。
これもドラマに使えそうだわぁ。
この続きにある動物ですか?!
なんだろう?猿かな?それとも??
あらら、遅くなってしまいましたぁ。
上州編、富岡製糸場ですね!(^^♪
以前何かのドラマで観たここで働く工女さんの姿を思い出します。
かなりの重労働で身体を悪くした人が多かったようですね。
この製糸工場が出来たこともあって、群馬は桑畑がとても多く蚕養業が盛んだったと思います。でも近頃は桑畑も減少し、化学繊維の生産が多くなってしまったのでしょうね。
レンガ造り。。。東京駅や横浜の赤レンガ倉庫などが浮かびますが、この「フランス積み」を取り入れて建てられているのでしょうね。なるほどですわぁ。
それに、工女寮が。。。サスペンス小説の舞台になりそうで。。。昔の小学校にも似て、学校の怪談に良さそうだわぁ(笑)
無人駅ってあの辺りにもあるのですね。
これもドラマに使えそうだわぁ。
この続きにある動物ですか?!
なんだろう?猿かな?それとも??
ラムネさま
>社宅や寮や診療所も敷地内にあったんですね。
ここで工女さんたちが毎日生活していたと思うと感慨深いですよね。
同じ敷地内にこれだけの施設が揃っていたのですね
通う側としては便利だけど・・・。
共同の手洗い場などを見るとかつてここで働いた工女さんたちの姿が見える気がします
>プラチナボーイは初めて聞きました。
名前がなんだかな~ですけどね。
しかし、オス・メスの見分けも難しいんでしょうねぇ
なんかわかりやすい模様とかあるのかな?
>悩んだ時は郵便局の人に聞くのがいいですね。地元に詳しいだろうし。
ちょうどご当地フォルムカードを買うので聞きやすいんですよ
場所によっては周辺マップとか用意しているところもありますしね~
観光客が行くようなところでなく、普段お昼ご飯を食べに行っているようなところ・・・と聞くと結構穴場を教えてくれたりしますよ!(^^)!
ここで工女さんたちが毎日生活していたと思うと感慨深いですよね。
同じ敷地内にこれだけの施設が揃っていたのですね
通う側としては便利だけど・・・。
共同の手洗い場などを見るとかつてここで働いた工女さんたちの姿が見える気がします
>プラチナボーイは初めて聞きました。
名前がなんだかな~ですけどね。
しかし、オス・メスの見分けも難しいんでしょうねぇ
なんかわかりやすい模様とかあるのかな?
>悩んだ時は郵便局の人に聞くのがいいですね。地元に詳しいだろうし。
ちょうどご当地フォルムカードを買うので聞きやすいんですよ
場所によっては周辺マップとか用意しているところもありますしね~
観光客が行くようなところでなく、普段お昼ご飯を食べに行っているようなところ・・・と聞くと結構穴場を教えてくれたりしますよ!(^^)!
ノアマルさま
>以前何かのドラマで観たここで働く工女さんの姿を思い出します。
かなりの重労働で身体を悪くした人が多かったようですね。
あれだけの巨大製糸場を埋め尽くすほどの人数がいたとなると何かと大変そうですね~
また、まずは繭の選別から始まって、次々とステップアップしていかないといけないようだし・・・(その位によってお給金も違うのかな?)
>この製糸工場が出来たこともあって、群馬は桑畑がとても多く蚕養業が盛んだったと思います。でも近頃は桑畑も減少し、化学繊維の生産が多くなってしまったのでしょうね。
昔は日本のいろんなところで養蚕業が盛んだったようですね。
埼玉も秩父では盛んだったようです。
私は子供のころに名古屋に住んでいましたが、授業で蚕の生態を学ぶため、教室でも蚕を育てていましたよ~
>レンガ造り。。。東京駅や横浜の赤レンガ倉庫などが浮かびますが、この「フランス積み」を取り入れて建てられているのでしょうね。なるほどですわぁ。
日本も発展するにつれ、外国の技術を積極的に取り入れたのでしょうね~
今や日本は海外に技術を伝える側になってきましたが、地震や災害で苦労した経験も活かされているのかな
>それに、工女寮が。。。サスペンス小説の舞台になりそうで。。。昔の小学校にも似て、学校の怪談に良さそうだわぁ(笑)
ふふふ・・・
一等工女になった方が日記に書いてますが・・・たびたび怪奇現象があったそうですよ・・・ふふふ・・・
この日は曇っていたので、余計にソレっぽく見えますね~
>無人駅ってあの辺りにもあるのですね。
これもドラマに使えそうだわぁ。
無人駅はいくつかあるようです。
なので、車内で乗車券を貰って出るときに改札で会計をします
>この続きにある動物ですか?!
なんだろう?猿かな?それとも??
さてさて・・・何でしょう?
ま「生もの」じゃないですけどね
かなりの重労働で身体を悪くした人が多かったようですね。
あれだけの巨大製糸場を埋め尽くすほどの人数がいたとなると何かと大変そうですね~
また、まずは繭の選別から始まって、次々とステップアップしていかないといけないようだし・・・(その位によってお給金も違うのかな?)
>この製糸工場が出来たこともあって、群馬は桑畑がとても多く蚕養業が盛んだったと思います。でも近頃は桑畑も減少し、化学繊維の生産が多くなってしまったのでしょうね。
昔は日本のいろんなところで養蚕業が盛んだったようですね。
埼玉も秩父では盛んだったようです。
私は子供のころに名古屋に住んでいましたが、授業で蚕の生態を学ぶため、教室でも蚕を育てていましたよ~
>レンガ造り。。。東京駅や横浜の赤レンガ倉庫などが浮かびますが、この「フランス積み」を取り入れて建てられているのでしょうね。なるほどですわぁ。
日本も発展するにつれ、外国の技術を積極的に取り入れたのでしょうね~
今や日本は海外に技術を伝える側になってきましたが、地震や災害で苦労した経験も活かされているのかな
>それに、工女寮が。。。サスペンス小説の舞台になりそうで。。。昔の小学校にも似て、学校の怪談に良さそうだわぁ(笑)
ふふふ・・・
一等工女になった方が日記に書いてますが・・・たびたび怪奇現象があったそうですよ・・・ふふふ・・・
この日は曇っていたので、余計にソレっぽく見えますね~
>無人駅ってあの辺りにもあるのですね。
これもドラマに使えそうだわぁ。
無人駅はいくつかあるようです。
なので、車内で乗車券を貰って出るときに改札で会計をします
>この続きにある動物ですか?!
なんだろう?猿かな?それとも??
さてさて・・・何でしょう?
ま「生もの」じゃないですけどね
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