スワロウテイル
着想が面白い。
円を求めてやってくる移民たちの危うい次元の社会。
これは夢か現かその間のような仮想空間に想える。
うまいところを突いてる。
宮崎駿より現実感はあるが、やはり物質的な実態が希薄だ。
しかし、円-金という物自体がそのようなものである。
ブレードランナーを思わせる光源がここにも見つかった。
レンブラント光線に煙った空間。
監督が物語というより映像を作りたいのだな、という気持ちがよくわかる。
映像と音楽の流れを細心の注意を払って紡いでいるようだ。
それは何であろうか。
2時間半のPVであるか。
Charaも主人公だし。
極上のPVである。
尺の長さは気にならない。
言葉も日本語、中国語、英語が交錯し、そのどれもがたどたどしく怪しい。
登場人物全員がコミュニケーション不全である。
なかでも日本語しか喋れない外人の胡散臭さ。
その内容のない明朗な饒舌さ。
それが空虚な物語いっぱいに充満していた。
伊藤歩のアゲハが唯一、寡黙に無骨な言葉を放って、淡々と物語を進行させていた。
動きでは、特にアクション場面などに伝統芸能のような見得が目立った。
その中で、江口洋介の凄みは際立っていた。
また、渡辺篤史のスタイリッシュな目に付くシーンも、自然な動きとは異なる印象が残る。
全て絵であった。
起伏のやたらに激しい三上博史-フェイホンの虚しさはそのままYenTown(円盗)の象徴か。
喧騒の割にとても静かな映像である。
桃井かおりはそのままで存在そのものがアーティフィシャルである。
あの蛹の内側に入ったかのような仄暗い阿片街やその中の総合病院など極致であるが、すべてがアーティフィシャルで夢の断片の繋ぎあわせのようだ。(ミッキーカーチスの怪演は心地よい)。
YenTown自体が書割的な淡い幻想だし、それは社会派的な言葉を端から寄せ付けない。
内実を生まないイメージの世界を周到に作っている。
ちょっと指で啄くと小道具のようにパタパタ倒れたり、あの看板のようにドスンと落ちて壊れる脆弱性に全体が支えられている。
監督の趣味的な物が空間にパズルのように次々にはめ込まれてゆく。
いつも以上に作りこまれた(準備された)音楽だけではなく、サブカルチャーの玩具たちが今回は殊の他役割を担う。
紙幣の偽造とその破り捨て。小学生のバイト。
紙幣の磁気情報を忍ばせたMyWayのカセットテープ。(どうせならシドヴィシャスのMyWayにして欲しい)。
それが屍体の腹からパラサイトのように絡まり出るなど、、、。
ホラーモノまで色々と。
イメージの連鎖のように現れる。
大塚寧々もそのひとつのように。
動くアゲハ蝶も精巧な作り物か。
アゲハの胸に刺青として彫られるスワロウテイルはやけに禁欲的な美しさであった。
ただアゲハやChara-グリコたちの「想い」だけは、仄かに染み渡っていた。
アゲハのフェイホンに対する淡い恋など、この辺の雰囲気は岩井監督のラブレターからから脈々と流れてきている、瑞々しさとリアリティがある。(「4月物語」も想わせる)。
それは繊細さとか柔軟とかいうものとは違い、、、。
しかしひとつの確たる強度である。
エンディングのYenTownBandの”Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜”は、この映画を見る前から 耳に馴染んでいた。
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