映画から暫く離れるか
元々映画は好きではない上に、一定時間、ペース共々どうしても拘束される、、、
事自体が大変生理的に辛いわたしは、今日はもう観るが起きない。
多くの場合、その押しつけがましくワザとらしい散文的描写に耐えられないところが大きいのね。そのドラマ性に。
(だからタルコフスキーは好きなんだけど)。
本は自分のペースで捲ればよい。
固有時にピタリフィットできる。
圧倒的にこちらの関りの方が心地よいのよ。
絵を描くとなるともうこちらの時間だけ。
何にも拘束されない。
ただ空間が広がるのみ。
(時間は無化される)。
そんな感覚。
音楽は、特有の時間そのものを深く味わうもの。
詩もそうかも知れない。朗読が愉しいし。音の余韻がいつまでも残る。
(散文~描写は、極端に例えれば電報確認する行為に近い。理解すれば消え去るのみ)。
暫く、粘土を弄っていたが、作っている過程は恍惚とした時間を愉しめる。
作品として対象化して見なけrば、それで終わり問題ない。
一度、批評的な眼差しを持ってしまうと、欲が芽生え、厄介な過程に引き込まれる。
きりが無くなるというもの。
この映画を元に自分の謂いたいことを書き付けるルーチンもそれに近いスタンスで続けて来たのだが、、、
この元々違和感のある映画と謂うメディアを取っ掛かりとしたのが適切であったかどうか。
観ると言う行為にこれ程の苦痛を伴うものという認識は確かに足りなかった。
寝てしまうのも、自己防衛機能(本能?)の結果だと思う。
まあ、最近無暗に疲れるのもそれが元になってるか。
只管、運動してみようかと思う今日この頃。
運動して絵を描いてそれでも余った時間をブログ用の映画鑑賞にでもあてるか?
そのくらいでよいか。
それとも暫く離れるか。
明日の気分で決めよう。