ドント・ハングアップ
DON'T HANG UP
2016年
イギリス
ダミエン・マセ 、アレクシ・ワジブロア監督
ジョー・ジョンソン脚本
グレッグ・サルキン、、、サム・フラー
ジャック・ブレット・アンダーソン、、、ジェフ・モズリー
ギャレット・クレイトン、、、ブレイディ・マニオン
ベラ・デイン、、、ペイトン・グレイ
エドワード・キリングバック、、、ロイ
シエンナ・ギロリー、、、コルバイン夫人
なかなかよく出来ていた。
とっても怖い(既視感はあるが、怖さはかなりのレベル)。
だが、面白い。
(この傾向の作品が増えている気はするが、増えて良い)。
わたしにとって共感の持てるテーマであることがやはり大きい(作品そのものを超えて)。
一言で謂えば「バカは死ね!」という映画である。いいねえ(笑。
悪辣なマネをすれば、そりゃ報復を受けるのは当たり前。
頭の悪いふざけた魂胆で、人のプライドや尊厳を傷つけておいて(それに留まらず大変な不幸を相手に齎して)ただで済むはずがない。
当然のことだ。
わたしもそれには1000%賛同する。
特にこの手のド低能のド糞バカの滓屑については報いを受けるのは当然。
巷にもいる、いる、ゴロゴロしている、こういう糞ゴロツキが(爆。
屑同士で「お前と俺はずっとダチだぜ」などと熱く友情を語り合ったりして、、、
一緒に地獄の底で未来永劫に渡りのた打ち回ればよい。
この映画でもビデオがフル活用されていたが、上手く計算に乗せれば時間差トリックなど絶大な威力を発揮する。
全て編集力にかかってくる。
リアルタイムにモニタでやり取りしている最中に数時間前のシーンを埋め込んで置いたり、シークエンスを替えて物語を改竄するのだ。それはいくらでも説得力を持った映像となる。
他ならぬ「映画」というものがそれではないか。
これは相手を上手く撹乱し誘導するにはもってこいである。
おまけにここでは、自分の姿ははっきり見せずに相手を俯瞰する視座を設定している。
(ちょっとテクノロジー的に無理を感じる部分はあったが)。
不安と恐怖を与えれば更に操作は容易だ。
これは使える。基本的に(笑。
この世にビデオや写真に撮れないものはない。
そしてそれ自体は意味を持たないが、そこに添付されるキャプションなどで意味や価値~方向性を容易に持ってしまう。
よく遊び(連想ゲーム的なもの)でやったりもするが、その時驚くのは、どれも妙に整合性をもって納得できるのだ。
はっきり意図したメッセージを生んでしまう。
(これが面白くて映画監督やっているのだろうな。写真家もそうだが)。
それがもし悪意のコンテクストに埋め込まれれば、流通したらそれまでだ。
web上にあがれば、消えることなく拡散の一途を辿る。
この危険性と創造性はしっかり押さえておかないとマズイ。
映画で気になったのは、夜の暗さは分かるが、余りに暗くて観にくいところである。
暗闇だぞというのは分かっているので、その闇の中で何が行われているのか、これはしっかり伝えないと。
キャストは、熱演しており全体の雰囲気はまとまっていたが、コルバイン氏の報復が周到な計画を超えたご都合主義的な流れも垣間見れるところが少しどうかと思った。ハッキングが特に、、、911かけても常に氏に繋がるというのも。TVはネットワーク接続なのだろうが。ちょっと作業が(事前も含め)超人的になされている感は強い。
いやそれ以前の問題として、氏の奥さんと娘さんが亡くなったその件は余りに大きな事件であり、それがそのままで済むはずはないのだが。このあたりについて触れられていないのはおかしい。
そしていくら何でも一人生き残った奴にその場の犯罪を全部被せるのは無理があろう。口がきけるのだし。
他にわたしの身の回りの現実に絡めて書いてみたい欲動に駆られるものがあるのだが、、、
それはまた後程に回すことにする。
この映画に絡めるのは、多少無理があるため。
ただし、わたし個人の怒りは指数関数的に増幅している。
これだけは明記して、今日はこれまで。
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