マザーハウス 恐怖の使者
La casa del fin de los tiempos THE HOUSE AT THE END OF TIME
2013年
ベネズエラ
アレハンドロ・イダルゴ監督・脚本
ヨンカルロス・メディナ音楽
ルディー・ロドリゲス
ゴンサーロ・クベロ
ロスメル・ブスタマンテ
ギジェルモ・ガルシア
2011年11月11日の11時11分11秒である。
ここからの怒涛の展開に唖然とする。
ちょうど後30分で終わりという時点である。
それまでに敷かれた細やかな伏線全てが見事に回収されてゆく。
鮮やかにブーツストラップされる。
非常に丁寧に構成された作品であることが分かるところだ。
時系列を入れ替えつつ展開するドラマはよくあるが、それらは主人公の回想をその都度差し挟むような形式であることが多い。
この物語は、家の中で文字通り、その時間流が唐突に現れる。
そして、上記の時間に、何と1981年11月11日と今現在2011年11月11日と1981年11月の初旬に怪しい侵入者に怯えたその夜、
この(3つの)時間流がひとつの家のなかに鬩ぎ合う。
家族はその流れに怯え翻弄される。
その過程で衝撃の事実が次々に明かされてゆく。
観ているこちらとしても、最初のシーンの謎から全てが解かれてゆくのだ。
もっとも意外な真相は、1981年11月11日、弟の葬儀の夜、夫を殺したのが2011年に生きる老母であった、というもの。
(彼女~まだ若い母は何も分からず夫と息子殺害の罪で逮捕され終身刑となったのだが、実は30年後の自分が手を下したのだった)。この女性は過酷極まりない30年間もの服役を予め済ませた後に罪を犯したのだ。
老母は、迷った挙句、息子の先天性の心臓病の治療の為、彼を1981年から2011年の世界に自ら連れ去る。
この辺の動きは全て序盤の動きの対象構造である。
そして涙なしには観られない、司祭と少年レオの関係を明かす握手と更に、例のムーンストーンを持つ若い女性との出逢い。
ここには思わず感動した。見事にやられた。
この点において、この物語は、チャチなご都合主義的な物語を組むためのタイムワープファンタジーとは全く異なるものである。
個人の超能力で自在に時間を駆け巡る類のものではなく、登場人物はごく普通の市井の人で、主体は「家」というブラックボックスと謂えるか。
敢えて言えば歳をとった者の方が時空を俯瞰する立場にはあると言えるが、(空間化した時間を)自在に振舞える人などいない。
行為は、自分の意思でそうした、というより、そのお膳立てが成されたところで、選択を迫られる形で彼らは突き動かされている。
そしてある意味、全ては仕組まれている。ここに自由意志や偶然の入り込む余地などない。
しかし「家」の磁場みたいな物質性が今一つ感じられない。
司祭がこの家の歴史を調べると、イギリス人のイブラハム・エックハルトの建てた家であることが分かった。
彼は、「生命体の絶対的な真実を突き止める」為にこの地に屋敷を建造したという。
「この地」に拘ったということは、「家」はこの地の特殊な力を発動させる装置なのか?
この家は異なる時間流が交錯する「場」のようだが、その構造~作りに説得力が欲しい。
(これまでにも居住者が失踪を繰り返してきたようだ)。
その辺の説明が、その設計者の記録・思想・研究・設計図、いずれかの形で(オカルティックな疑似理論でもよいから)少しは欲しい所ではある。
ホラーテイストを演出に利用しているが、ホラー映画ではない。
この邦題ではまずわたしの触手は動かない。
Amazonプライムで、何故か出逢ってしまったので、観てみたというところ。
絆と愛情(そして憎しみ)を巧みな切り口で描く斬新な映画であった。
こう書いてしまっては身も蓋もないが、、、。
SF映画として観た方が良いか。
複雑な構成の噺の為、ポイントのみを備忘録として記して置きたい。
1981年。ドゥルセは、夫ホセと長男レオを殺害した罪で終身刑を言い渡される。
30年間の服役後、高齢の為、自宅に戻される。
警官監視のもと、司祭がカウンセリングの形で定期的に家を訪れる。
失業して久しいファン=ホセにもう匙を投げている妻ドゥルセは、彼と激しい言い合いとなり険悪な関係は深まる。
ドゥルセは子供には愛情を注いでおり兄のレオにムーンストーンを手渡し「怖いときにこれを握ればわたしが助けに行く」と告げる。
(ホセも子供思いの普通の父親である)。
その夜、不審な侵入者が部屋に押し入ろうとする。
その不審者は息子レオにも接触したようであった。
レオはロドリゴと遊ぶな(3日ほど)と言われ、母宛ての手紙も託された。
レオは親しい遊び仲間(恋心も抱いていたか)であるサライがロドリゴと恋人気分で付き合っていることに嫉妬を覚える。
ロドリゴは子供らしい愛の証としてサライにムーンストーンを握らせ、怖いことがあったらこれを握れば助けに来ると言う。
(幼い子供の心理でありどちらにどのような思いを抱いたのかは定かではないが、レオは攻撃性の矛先を弟に向けてしまう)。
野球の試合でレオの打球がピッチャーのロドリゴを直撃し倒れた際に後頭部を強打し弟は亡くなる。
その葬儀でレオとサライはムーンストーンをそれぞれが持っている!
(量子のような振る舞いで、ひとつのムーンストーンが二人の手にある状態である)。
これが1981年11月11日である。
葬儀の後でレオはマリオに「いつまでも親友でいてくれ」と頼む。彼ははっきりと同意して彼らだけの握手を固くする。
この日の夜。映画の冒頭の悲惨な事件が起きる。
それまでの実情をドゥルセから聞いた司祭は、この不吉な家について徹底して調べる。
すると特異な理由で建てられ、すでに何度も失踪事件が続いている曰く付きの物件であったことを突き止めた。
その後、司祭は自殺を試みるドゥルセを思いとどまらせ、11月11日の11時11分11秒に何かがある。それまで待てと説く。
この「11 11 11 11 11 11」というメッセージは老人の姿をした亡霊が鏡に残したものであった。
2011年11月11日の11時11分11秒。
悲しみに沈むホセがひょんなことから、妻の隠していた手紙を読んでしまい、レオが心臓病で死んだ男とドゥルセとの間に出来た子供であることを知ってしまう。
妻は離婚を迫り言い争いが絶えないうえに、実の息子を事故とは言え死に至らしめた長男が実子でなかったことを突き付けられ、ホセは完全に精神のコントロールを逸してしまう。彼は激情しレオに強い殺意を抱く。
(これについては、ドゥルセは託された手紙「父がレオを殺そうとする」により知ってはいた。更に占い師からも同じことを聞かされていたのだ)。
ドゥルセが部屋に入るとなかには若い自分がいた。
タイムワープを悟った彼女は、すぐにレオに遭い、自分の素性を明かし、例の伝言を伝え手紙を託す。
つまりふたりとも死なずに済むように、と。
それからレオは死んだはずのロドリゴに再会する。「お前が大好きだ」と言って抱きしめ母から貰ったムーンストーンを彼に手渡す。
「怖いことがあったらこれを握ればすぐに助けに来る」と言って。
この時貰ったストーンをロドリゴはサライにあげていたのだ。
その直後、レオは家で出逢った父に「ロドリゴは生きていたよ」と伝えるが、父は「お前は俺の息子ではない」と包丁を振り回し彼に追いすがる。懸命に逃げ回るレオ。
ドゥルセの前に刃物を手に持つ老人が現れる。この老人によって全ての謎が解かれる。
何と彼は2071年から来たレオだという。
そしてこともあろうに、自分を殺そうとしている30年前のホセ~義父を殺してくれと頼むのだ。
1981年の医学では助からぬ先天性の心臓病(実の父と同じ病)が、2011年の医学では治癒できるから助けてほしいと言う。
彼女はレオを今にも刺し殺そうと襲い掛かったホセを逆に刺し殺す。
そしてレオをその姿のまま2011年に連れ去る。
その時代に彼女の境遇で到底、レオを養育することなど出来ない。
ドゥルセは、司祭にレオの将来を託す。
彼はそれを快く引き受ける。
白昼堂々と警察官にも真実を述べ自分の営む孤児院にレオと向かう司祭。
手を差し伸べた司祭と握手をし、レオは全てを悟る。彼こそ成長した親友マリオであった。
レオは弟に会いたいというと「最後の審判の時にきっと会える」とマリオは答える。
そして通りかかったマリオの友人である女性にレオを紹介する。
彼女はムーンストーンを持っていた。彼女こそ大人になったサライであった。ふたりとも同時に相手を認識する。
成長した親友と恋人に彼は発病前の子供の姿で出逢ったのだ。
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あらすじめいたことを書こうとして見事に失敗している。
これでは書かない方が良かった(笑。
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