デヴィッド・リンチ:アートライフ
David Lynch: The Art Life
2018年
アメリカ
ジョン・グエン、リック・バーンズ、オリヴィア・ニーアガート=ホルム監督
昨日で、”ツイン・ピークス The Return ”を取り敢えず見終えたところでもあり、、、
まだ混乱したままではあるが、引き続き監督デヴィッド・リンチその人の映画を見ることにした。
彼の幼年期からあの傑作”いレイザーヘッド”を製作するというところまでの大変イメージ豊かな変遷を監督自らが(一人称で)語る形式である。
興味深い内容で、じっくり咀嚼してからでないと何を書くにも難しいところだが、偉大な巨匠の為になるメッセージとか貴重な作品の制作風景が見られて勉強になるとかいう次元ではなく、また作品の謎解きのヒントを探るとかいうことより、彼そのものを感じる機会となりとても見応えがあった。
これは(わたしにとって)まだ何度も見なければならない記録(ドキュメント)となる。
まずわたしとは大変異なり、幼少年期はまさに愛に包まれた幸せ一杯の日々を満喫していたことが語られる。
使われているスナップ写真やヴィデオからも推察できる。
(すでに子供の頃の顔~表情に今の彼の顔の面影がありありと窺えるところは面白かった)。
まさに彼の言う通りの生活であっただろう。
家だけでなく周囲の環境的にも光と輝きに充ちた場所であったようだ。
(多分に精神的な反映によるところはあろうが)。
ここで彼の述懐する、「小さな世界の中に全てがあった」というのがその後の彼の創作スタイル~環境にも反映されていくことが分かる。幼少年期の遊びとその時の環境の重要さは多くの場で指摘されている通り。
そして今でもはっきり思い出せるほどの名状しがたい奇妙な体験もこの時期にしている。
(当然、ツイン・ピークスにも反映されていよう。というより基調となっていると言える)。
基調と謂えば、限りなく重要なことが、ここで語られる親子の関係である。
母はレイシズムには反対で、温かく善良な人柄だがそれをひけらかさず、信仰心はあるが決して押し付けない愛情深い人であったという。父親は何事に対しても公明正大で正直で信頼に足る人柄であり、何をかするときには必ず半分を一緒にやってくれ、自分で目的を遂げる自信を付けさせてくれた人であるという。また我が道を行く姿を自らの行動で教えてくれた存在でもあった。母も「塗り絵」は創造性を阻害する恐れから彼に与えなかったそうだ。
お陰で彼ら子供たちは、誰からも圧力を受けず自由そのもので、愛情を感じながらそれぞれの道に進むことが出来た。
そして両親の言い争いをついに一度も聴いたことがなかったという。
この基盤はこどもの成育にとって大変重要であり、どれ程強調しても足りないと思う。
勿論、監督にも色々と大変なこともあり、その困難を乗り越えて来ている訳ではあるが、この時期に固めた基盤があったからこそ自分を信じ決して妥協することなく力強く進んで来れたはずである。
自分に何の心配なく外に出て行ける素地はこの時期に作られたものだ。
この監督は英語の学習に使えるほど明瞭な英語でゆったりと語るのでとても聴き易い。
次回は字幕なしでもいけるのではないかと思える。
この喋り方~身体性は人を惹き付けるだろうなと感じるものだ。
その後、(父の昇進で)転校した地バージニアは昼でも夜のように暗い(イメージ?)であったそうだ。
この時期に悪友が出来、たばこを吹かしマリファナを吸い遊びまくって勉強をさぼったり、授業体制に疑問を抱いたり(これは分かる)大分親を困らせたようだ。自分でも制御不能となったと騙る。これも後々重要な世界描写に繋がる一要素となったはず。
その反動もあってか、創作に日夜没頭し燃焼しつくして何かを掴む必要性を感じるようになる。
そして友人の父である画家にお世話になり、本格的に画家^アーティストの道をまっしぐらに歩むようになる。
”アートライフ”とは、「コーヒーを飲みタバコを吸い絵を描く」それだけ、という境地となる。
(友人の画家のお父さんから貰った本に大変触発されたそうだ)。
彼は悪友(ピーターウルフとルームメイトしていた)にも芸術家の友人にも恵まれている。
また、生活を三重に捉える傾向があり、「友と遊ぶ人生」、「自分の基本となる人生(家族生活)」、「アトリエの人生」である。
これらをそれぞれ自立して交わらないように気を付けて生活を送るようにしているとか。
確かにその事の評価はその文脈の中で決まり、とても純度の高い事柄を扱っている時はそれを異なる文脈上に軽々しく披露する危険性は、ある。これは彼が経験上学んだ生活の知恵であろうか。
基本的に、長じて映画を作るようになってからも、部屋に籠りその中だけでほとんどのものを作ってしまったりが好きで、「部屋の中が僕の全世界」と言ってしまっている。(この点は、わたしも大いに共感可能な部分ではある)。
あの、部屋が余剰次元に接続し途轍もない拡がりを見せるデヴィッド・リンチ・ワールドである。
確かに”ツイン・ピークス”はそこから生まれてくるだろう。
(しかしこの映画では、「アルファベット」、「グランドマザー」、「イレイザーヘッド」の製作までを覗くことが出来るだけだ)。
ボストンでの大学のつまらなさやフィラデルフィアの恐怖と病の感覚の垂れこめる様子など場所に対する豊かな感受性も興味深いものであり、彼の映画に出て来る場所感覚に大いに通じるものがあった。
外の世界の質感やディテールをありありと想像することで生まれるイメージである。
”ツイン・ピークス”はそれに溢れている。
自然に彼の作った映画が思い起こされてしまう事は当然ではあるが、これを見て何か分かったというものでは決してない。
謎は謎のままだが、彼の人となりには少しばかり触れ得た気がする。
うんと若い(幼い)娘さんと仲良く制作をしているところが微笑ましい。
と言うより何かが起こる前兆のような不穏な明るさを感じさせる。
ふたりの制作姿勢がやけに似ているところも怖い。
日常の光景もリンチの映画世界に異化されてゆくのが分かる、、、。
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