マッドボンバー
The Mad Bomber
1972年
アメリカ
バート・I・ゴードン監督・脚本・製作・撮影
ミシェル・メンション音楽
チャック・コナーズ、、、ウィリアム・ドーン(爆弾魔)
ヴィンセント・エドワーズ、、、ジェロニモ・ミネリ(刑事)
ネヴィル・ブランド、、、ジョージ・フロムリー(レイプ魔)
年代物映画の好いところと困ったところが両方ある。
効果音・BGMがまず凄い。
耳障りで何の音だか分からない。
ペラペラ音だけが絵から自立してやけに気になる。
緊張感を高める演出としてはかなりきつい。
(「ウルトラQ」とか「怪奇大作戦」に近い乗りではあるが、それらの方が上手かった)。
反面、テープレコーダーが度々出てきて懐かしい。
そして何より(巨大)コンピュータである。
もうたまらないデカさ(大型冷蔵庫以上)と大まかなスウィッチ・ランプそしてデータテープの回転である。
モニタも小さいブラウン管でコマンドライン入力、プリンタからのテープ出力も何とも慎ましい。
爆弾犯人は被害妄想の偏執狂で金は関係なく社会に対する個人的な恨みを元に犯罪を繰り返していると分析結果が出る。
別に言われなくとも誰もがそんなところだろうとは想像している(笑。
犯人の特定に結びつくような特別な犯人像というものではない。
また何と謂っても当時マンガに出てきたようなダイナマイトと丸い目覚まし時計みたいな物との組み合わせの時限爆弾である。
この辺の物~ガジェット類がとてもコミカルな要素となっていてフェティッシュな愉しみが生じてしまう。
(何と謂うか物語の無意識部分に当たるか)。
そう、ファッションも見事に70年代でありその雰囲気に酔える。
堕落した社会が報復を受けるのは当然の話しだ、と言って犯人は次々に公共施設を爆破して行く。
ともかく、背が高い。2mくらいある。
如何にも頭が固そうな規範に厳しく受容性に乏しい他罰主義男である。
レイプ魔はここでは病院での犯行時に爆弾犯を目撃している可能性が高いことから物語に絡んで来る。
このレイプ魔も非常に悪質であるが自分はさておき、世直し爆弾魔を飛んでもない奴呼ばわりしている。
ほとんどこの男も罪悪感を持っていないことが分かる。
この二人は共に非常に残酷な犯罪を犯しているが、爆弾犯は正義の立場からの制裁という形で人を殺しているのに対しレイプ魔の動機は単なる個人的な欲望の実現以外の何ものでもないのだが、悪びれていない点で同等である。
どちらも身体性において他者との距離がとても離れている。
他者は大変貧しい記号的存在となっている点で両者は似ている。
片や愚かで不道徳な大衆という記号と片や単なる欲望を実現させるだけの性的記号である。
そして彼らは外にしか意識が向いていない。
内省というものが微塵も感じられない為、自己対象化の余地もない。
この物語は刑事も含め、かなり極端な単純化されたキャラで構成されている。
(とは言え、役者の怪演はかなりのものなのだが)。
刑事については、ハードボイルドな一匹狼タイプの先駈け的な存在か。
そのキャラたちの乗る平板な流れが独特な雰囲気を作っている。
何と謂うかこの時期のTVのクライムドラマに質的に近い。
絵の色が実に日常的で映画的ではないところからも。
お金もさほど掛かっていないことは分かる。
何れにせよ原理主義者によるテロや利己的で無意識的な犯罪の多発はすでに現状である。
更にこの爆弾犯のような内省や洞察を欠く他罰主義者が跋扈している点では、潜在的には遥かに恐ろしい状況となっている。
ともあれ古いで片付けられない映画である。
出て来る人物への共感とかは、その人物像の薄っぺらさから無理はあるが、ではつまらない映画かと言われると、そうではない。
爆破で殺された無残な死体などの描写や性的表現も少なからず斬新さがあり、カメラワークも上下(俯瞰)の動きなどに工夫が感じられる。
終盤、犯人が赤いワゴン車にロスの多くの人間を道連れに出来るダイナマイトを積み込み、彼らしく街の決まったコースを信号を守りながらゆっくりと巡回し、爆破のタイミングを計るシーンがあるが、ここなど派手なカーチェイスよりテンションを高められる部分であったと思う。
特に爆弾犯の壮絶な最期などちょっとびっくりした(カメラワークも併せて)。
こうしたタイプの映画の初期形を観る愉しさは確かにある。
そして今思ったのだが、本作が毎晩少しずつ見ているデヴィッド・リンチの「ツインピークス」に収束してくる流れの一本にも感じられてくるのだ。
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