マリー・アントワネットに別れを告げて
Les Adieux à la reine
2012年
フランス・スペイン
ブノワ・ジャコ監督・脚本
シャンタル・トマ『王妃に別れをつげて』原作
レア・セドゥ、、、 シドニー・ラボルド(王妃の朗読係、刺繍が得意)
ダイアン・クルーガー、、、マリー・アントワネット(フランス王妃)
ヴィルジニー・ルドワイヤン、、、ポリニャック夫人(王妃の同性の愛人)
グザヴィエ・ボーヴォワ、、、ルイ16世
ノエミ・ルボフスキー、、、カンパン夫人(王妃の身の回りの世話係)
ミシェル・ロバン、、、ジャコブ=ニコラ・モロー(王室の記録係)
「そしてわたしは誰でもない女になった、、、」
誰でもなくなることにより、目になる。観察者となる。
丁度、宮廷内でのモロー氏のように。
きっとこの後、シドニー(でも何でもない女)は、フランス革命時の市民や貴族の様子を冷めた目で観察するだろう。
生きている間は。
(ものごとを、特にアントワネットを、鋭く見つめる彼女の眼差しが強く印象に残る、、、そう眼差しの女だ)。
自分の立場~階級を絶対視していた彼らは、斬首刑リストを見て卒倒する。
民を人としては見てこなかった。
とりあえず、パンでも与えておけば済むと高を括っていた。
しかし、パンも手に入らなくなれば、力が発動し、不意に逆襲される。
彼らにこの必然など頭の片隅にもなかったことであろう。
フランス王朝が永遠不滅であると本当に信じていたのか、、、?
この映画、視点がとても良い。
シドニー・ラボルドという王妃の朗読係が宮殿内から自分の目で確かめられる範囲の世界を描いている。
謂わば宮中の中での平民~労働者の日常である。
厨房の女たちや衛兵、衣装係、王妃専用小間使い、侍従たちに老公爵、酒とスィーツとダンスに明け暮れる司教、役者崩れの船頭、、、多くの者でごった返す地味で薄暗い空間。
豪華絢爛な広間で華麗なダンスを繰り広げるような場所は一切出てこない。
ついでに蜂起・戦闘シーンなどの派手な場面も一切ない。
宮廷内の光景も彼女の見ることの出来る範囲であるため、自分の質素な部屋など思いの他、殺風景で全体に薄暗く、場所によってはかなり薄汚い。(衛生面で、見ていてかなり心配になる環境だ)。
蝋燭を手にして歩き回るその回廊(混雑していてどんな廊下か判然としない)は出口のない悪夢の迷路を想わせる。
近くを流れる運河の不潔さ、ドブネズミも浮かんでくる。
彼女の部屋で唯一不釣り合いに豪華なものは、目覚まし時計であり、王妃の部屋に朗読に行く時間を守るため貸し与えられた物である。
革命前夜まで、宮中の人間はパリの民衆の生活の状況や彼らの蜂起についてもほとんど把握していなかったというのも驚きであった。
貴族たちは、それぞれ気のままに盗める宝飾類をあらゆるところから剥ぎ取り、オロオロと夜逃げのように汚い服に変装をして宮殿から立ち去って行く。
その救いがたい俗物振り。
マリー・アントワネットのイメージ~設定もかなり違った。
ヴィジェ=ルブランによる肖像画から言っても、もう少し豊かさと気品あふれる女優がやるべき。俗っぽい王妃であったが、寧ろそこを表すつもりであったか、、、。そんな感じである。
ちなみに「パンがなければ、ケーキ(お菓子)を食べればよい」という発言は彼女を妬む者の中傷であることは、はっきり判明しておりパリ民衆だけでなく貴族たちから作られた虚像が、かなり醜く膨らんでいたようだ。(例のお菓子の噂の元は、あることないこと刺激的に書くルソーから広まったという話もある、、、)彼女は寧ろ、意味のない贅沢な慣例を廃止していった側であった。それで反感を買っていたところがある。
彼女は母親としては実にしっかりとした子育てをしており、子供に贅沢をさせず情操教育に力を入れ、そこで切り詰めたお金を寄付に回していた事実も確認されている。
大衆の熱狂とは恐ろしいものだ。盲目的な暴力の波は止まらない。
ここで描かれる宮廷の人間は、、、
皆既成の権力を絶対視し疑うことのない者たちで構成されている。
そして俗物振りとその醜態がどんどん露わになってゆく。
ここでは、マリーもその例外ではなく、ポリニャック夫人のことばかりにうつつをぬかしており、周囲は全く見えていない。
勿論、シドニー・ラボルドが自分に心酔していようがいまいが、知ったことではない。
気まぐれで、シドニーの蚊に刺された跡に高級ハーブ油を塗ってあげたり、貴方を見捨てないわとか言ってみたりはするが、単なる気まぐれレベルである。
シドニーにすれば、少しでも敬愛する王妃の傍にいたい。
朗読係になったのも、得意な刺繍係だと王妃の傍にはいれないという理由からだ。
しかしアントワネットにしてみれば本を読み聞かせてくれれば、それでよい。基本的に彼女を人扱いはしていない。
だから逃亡を図る際、民衆に憎まれ身の危険が心配されるポリニャック夫人の身代わりになれと事も無げに彼女に命令できる。
流石にこれには、シドニーも驚き深く傷つくが、毅然とその役を引き受ける。
代わりに本を読んで聞かせる立場からギロチンの身代わりになる決意を固めたのだ。
しかもアントワネットの恋の相手の、代わりに、、、!
(、、、マリー・アントワネットはかなりの悪役だ(苦)。
ここからが彼女シドニーの見せ場であるが、ポリニャックのグリーンのドレスを身に纏った姿の何とも凛とした佇まい。
美しさでは、もはや彼女のその姿に敵う者などどこにもいない、毅然とした圧倒的なオーラを放つ。
気品とはこういうものなのだ!
1789年7月14日から17日までの4日間の物語であり、特に騒乱場面もなく、淡々とリアルに綴られてゆくだけ。
シドニーの暗い宮殿内を走り回る息遣いばかりが印象に残る。
光と影の扱いが極めて絵画的で、どの場面も絵として切り取れるような画質となっていた。
柔らかな闇の深さが功を奏している。
当時の再現をかなり綿密に行ったという服装や立ち振る舞いなど、キメ細かい演出も絵の醸す自然さに充分寄与していた。
エンディングは特に素晴らしかった。
やはりフランス映画!という感じである。
シドニー(もはや何者でもない女)は、恐らく生き延びてこのベルサイユの断末魔から脱走劇の顛末を回想するに違いない。
もしかしたらこの物語がその前半にあたるか。
こんな時期ではなく、王朝安定期であったなら王妃の朗読係なんて、とっても魅惑的な仕事に想える。
わたしもルイ16世の朗読係、是非やりたい。この時代に生まれていたなら、、、。
(こんな良い仕事は、はっきり言って、ない!ベルサイユの蔵書を片っ端読めるではないか)。
レア・セドゥの存在がひたすら際立つ映画であった。
今度「美女と野獣」を娘たちと観に行くことになっている。CMだけですでに盛り上がっている(笑。
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