水の中のナイフ
Nóż w wodzie
1962年
ポーランド
ロマン・ポランスキー監督・脚本
レオン・ニェムチック、、、アンジェ(スポーツ記者)
ヨランタ・ウメッカ、、、クリスチーネ(アンジェの妻)
ジグムント・マラノウッツ、、、学生(ヒッチハイクの青年)
アメリカに行ってからの「ローズマリーの赤ちゃん」、「袋小路」もかなり見応えがあったが、このポーランド時代の作品の純度は高い。
登場人物が3人。
倦怠感漂う夫婦と出遭ったばかりの青年。
海のなかに漂う小さなヨットという閉鎖空間。
ここで当然、虚栄心、自己顕示欲からの権力関係ができ、夫婦間の現状が鮮明になり浮気心も芽生え、反発と不信と憧れの綯交ぜになった感情が沸き起こる。
非常に単純に起こるべきことは起こるが、青年がオヤジの嫌がらせに近い指図や命令に、不平は漏らすがかなり素直に従ってしまっており、権力関係はほとんど安定してしまっている。あまり波風が吹かない。実際の天気に似て。
題名からは、怒りから青年がナイフでオヤジを刺し殺して、若妻と素知らぬ顔で逃避行なんていうシーンを想像してしまったのだが、基本的には何も起こらず終わってしまう。
勿論、心理描写は細やかだ。
それらを凪や座礁そしてメガネやナイフの水没、エンジンを吹かしたまま止まる車等々、、、で表す演出も素晴らしい。
とは言えこの映画、何が起こるというものではなく、エントロピーが増大して相転換する手前までの冗長性が描かれてゆく。
そんな感じの映画だ。
そして、その方がリアルである。
子バカにされいい様にあしらわれたとしても、それがすぐに殺意に結びつくものでもないのが普通である。
大事にしているナイフをオヤジに海に落とされた瞬間は、さすがに見ているこちらも身構えたが(笑。
第三項排除などを持ち出さなくとも、当然ひとりが貶められものだが、ここではオヤジが適宜、虐げるばかりでなくアニキ的な抱擁力も発揮している。人生訓やヨットの操り方を教えたりなどで、、ほとんどが取るに足らない噺ではあるが。
また、若妻も適当なタイミングでオヤジの権力~暴力を解消する助け舟を出している。
さらに身体性からいってもこの女性が、直接的な暴力のぶつかり合いの発動を抑える存在として機能してゆく。
しかし終盤、夫が青年を探しに海に泳ぎ出して見えなくなってから、異常に程落ち着きはらい何と青年と浮気をしてしまう妻が、ある意味この映画では一番怖いものであった。
青年が溺れてもう絶望的と思った時、彼女は混乱して夫に当たり散らし罵倒して、夫が海に飛び込んで探しに行かざる負えないように仕向けている。
そして、すすり泣いていた。
これはある意味、自分はもう終わりかも、という悲嘆でもあろうが、青年を失ったショックによるところが大きいはず。
ナイフの落下が、思わぬ波紋を広げてゆく。
青年としては、ナイフの件での怒りからブイの下に身を隠し、ちょっとした復讐をした訳だが。
取り敢えず、青年がヨットに生還した直後、妻は遠くの夫に戻るように声を何度かかけてみる。
思わぬ事態に気まずくなったか、青年も律儀に一緒に声をかけているところは笑える。
(彼にヨットから海に落とされたにも関わらず)。
「海にあっては、ナイフなど何の役にも立たない」と嘯いていた夫だが、、、。
水の中のナイフは彼にかなり深く刺さってくる。
夫婦の関係~解体が顕になってゆく。
カメラワークがお洒落で、どこを切り取ってもポストカードになる絵であった。
セリフ音を落としてバックグランドヴィデオで部屋の一角に流してもよいかも知れない。
ジャズがまたカッコ良い。
とびきりのミュージックビデオとして鑑賞できる部分もある。
青年は途中で岸に降ろし、桟橋には泳ぎ切った夫が待っていた。
当然彼は、青年が溺死したと信じている。
若妻が、青年は泳いで船に戻ったと説明しても彼は気休めを言うなと耳を貸さない。
彼はわたしを抱いたのよと告白すると、何でそこまで見え透いた嘘をつく、と取り合わない。
そして、妻もあっさり前言を撤回する。
(つまり、話を終わらせるということは、夫を殺人で警察に行かせてしまうことにしたのか?)
やがて、2人の車はポリスステーションのある分かれ路まで差し掛かる。
車はエンジンをかけたまま、方向を決められず、そこに留まる。
この後、2人はどうするのか、、、何やら青年の不在を巡る共犯関係―秘密の共有によって仲が戻るようにも想われるところであるが。
もはや肝の座っている妻に対し、夫はこれまた詰まらない、はぐらかす様な噺をしつつ、、、。
妻の尖った三角メガネが強烈な印象を残す。
(何れにせよこの先の運命は、妻次第であることは確か)。
分かれ道に止まる車が余韻たっぷりに映されて、フェイドアウト、、、。
お洒落な映画である。
モノで心理や意識の動きを表す映画らしい映画だと思った。
(映画のエクリチュールが充分に活きている)。
特にこの妻の蠱惑的で不敵な表情が、とんがりメガネで殊の他強調されていた。
(ヨットでは基本的にメガネをせず髪を下ろして、ほとんど従順な妻という感じでヒトー女の両極性を表している?)
素直で幼く感覚的な青年がとても不思議な存在で、夫婦の間に宿命的に飛び込んできた「他者」(稀人)であった。
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家でもインフルエンザが流行りだし、子供の世話がかなり大変になってきた。
ブログを書く暇がとれるかどうか(つまりぼんやり映画を観る時間の確保であるが)、厳しい状況である。
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