レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う
Leningrad Cowboys Meet Moses
フィンランド
1994年
アキ・カウリスマキ監督・脚本
マッティ・ペロンパー、、、、(悪徳マネージャー、モーゼ)
ザ・レニングラード・カウボーイズ
サカリ・クオスマネン
「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」の続編である。
メンバーが老けている。
キーボードの人がヒゲを蓄え大人顔になってしまったのが残念。
彼らに届いた署名なき演奏依頼とは、、、。
何と彼らの前に姿を消していた例のマネージャーが、わたしはモーゼだと名乗り現れた。
それからモーゼのいいように彼らは翻弄される。
本当に従順でお人好しな人たちだ。
(いや、お人好しというレベルではない。「モーゼ」について行ってしまうこと自体が尋常ではなかろうに)。
そして今回も、「人を救うのはキリストであり、モーセは商売をやる」である。
絶対に関わってはいけない人だろう?
バンドもかなり名も売れてきて軌道に乗ってきたのに、これから故郷に帰るのだ、、、と。
何故かと問うと、故郷に奇跡が起き、処女生殖光線が射し乱反射の末、牛に当たり初の子牛が誕生したからだと、、、。
(さっぱりわからん!)
アメリカに恋人ができたメンバーもいるが、流石に彼はおれはアメリカ人になるといい、断った。
それは理由があって良かったが、、、。
前作には全く出てこなかった、聖書や階級闘争に関する言葉が語られる。
モーセの兄のアロンのことまで出てきた。
更に怪しい男と化している。
メンバーもこの男に従ってはいるが非常に懐疑的になってきている。
(金をちょろまかすのは以前から知ってはいるが)。
ある意味、ウラジミールの時よりモーゼの方が独裁的になっている。
アメリカから非常に心もとないボートでフランスまで辿り着き、チェコからライプチヒ、ドレスデン、ポーランドそして北欧へ、、、
軽々と彼らは渡っていってしまう。
そして結局、故郷に戻る。
ステージはアクションも含めもう様々な音楽要素が入り混じり、シュールなレヴェルにまで達している。
また、メンバーの醸す哀愁も、ただならぬ雰囲気だ。
そうただならぬ、というのが話の流れ自体がただならぬズレをきたす。
いや、こういうのをオフビートと言わなければならぬか?
いつの間にか、新メンバーが何人も入っている。
何で自由の女神の鼻を故郷へのお土産にするのか、、、
そんな事を問いだしたらキリがない。
実際にどうやって鼻を削ぎ落としたのかも定かではない。
唖の男が非常にタイミングよく彼らが収監されたのを地元ドイツ人に伝えて脱獄させたかもどうも判らない。
彼がやたらとカメラで写真を撮っているが、それは単にそれだけのことであった。
基本、伏線も何もない。
CIAが鼻を組織的に探すというのでもなく、一人の男が単独で動くが余りに手緩く、結局モーセと行動を共にし始める。
彼モーゼはプールの水面を本当に歩いて渡ってゆく。
等々、、、。
シュールで荒唐無稽な話(シーン)が続いてゆく。
もはや変わった感覚ではあってもペーソスがあり流れの分かる前作とは次元の異なる作品となっていることに気づかされる。
こりゃ、一体どういう話だ、、、。
巡礼の旅などと、言われては困る。
「ル・アーヴルの靴みがき」は、大好きな作品であり、「愛しのタチアナ」も何とも言えぬ風情があって印象深い作品であったが、、、
これは、何ともかんとも、である。
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