エレクトリック・ドリームズ よそ者を殺せ
Kill All Others
2018
イギリス、アメリカ
ディー・リース監督・脚本
フィリップ・K・ディック原作
メル・ロドリゲス、、、フィルバート(品質管理者)
ヴェラ・ファーミガ、、、候補者
サラ・ベイカー、、、マギー(妻)
ジェイソン・ミッチェル、、、レニー(同僚)
グレン・モーシャワー、、、エド(同僚)
ルイス・ハーサム、、、主任
デュション・モニーク・ブラウン、、、精神科医
Season1最後の作品。第10話。
候補者が一人しか出ない、3D広告の鬱陶しいメガ国家の日常でどんどん浮いて行くフィルバートが描かれる。
太った気の良い真面目で正義感もあるおじさん。但し要領は悪い。
彼が何故追い込まれてゆき、最終的にあのような姿で終わるのか。それ以上に周囲は何故それに対し無感覚なのか、示唆的な作品に思える(サブリミナル効果など飽くまでも補助的な小細工)。
少し落ち込んでいる様子を心配され、同僚に買い物を勧められる。
何かを買ってキッチンのルータを付けると3D広告の美女がが出てきて気晴らしになるぞと言われ。
フィルはチーズを買ってやってはみたが、全く馴染めない。
確かに面白くも何ともないのだ。
その夜、リビングのTVで候補者が政策の演説の中で「余所者を殺す事」とサラっと語る。
発言に驚くフィル。何と飛んでもないことを発現するのか。
弾劾されるはずと期待していたが、その後誰も何も言わない。どのメディアからも声が出ないことに不信感を募らせる。
同僚に訴え相談するが、そんなこと聞き流せと諭されるばかり。
一種のエンターテイメントだと思えと(コメディ番組を観ていたわけではないのだが)。
そして朝の通勤途上、電車の窓からド派手に”KILL ALL OTHERS”と赤で書かれている電子看板を見て驚愕する。
どうなってるのかと写真を撮りまくり、危険を感じ電車を緊急停止させてしまう。
その結果、精神科医のカウンセラーを受けさせられる。
こうして政府に対する危機感を抱く彼は、徐々に周囲から浮いて行く。
(しかし自分をまだ信じている分、救われている。これでカウンセラー通いになったら厳しい。それは適応を目指すという事に他ならない)。
お陰で電車ではなく自動運転の車に乗ることになる(わたしはこっちの方が良い(笑)。
わたしも早く自動運転の車に乗りたい。
トラブル続きでイライラしながら妻と噺をして乗っている時に、またもや事件に巻き込まれてしまう。
(彼だから巻き込まれると謂えるが)。
女性が寄ってたかって暴力を受けている現場を目の当たりにするのだ。
黙っていられない彼は直ぐに車を停めて、女性を助けようとする。
すると彼ら暴徒~自警団が口々に言うのは、こいつは余所者だ!である。だから殺してよいという論理だ。
必死に集団で暴力を働くなんてもってのほかと謂って止めるが、これがまた厄介なことに。
警察沙汰となる。
この調子で彼はどんどん生き辛くなってゆく。
職場の親友たちも距離を置き始める。
主任からは強制的にアップルウォッチみたいなガジェットを付けさせられる。
飽くまでも彼の健康状態をモニタリングする装置だと謂うが、もっとずっと踏み込んだ管理ガジェットであった。
自由に管理体制側が薬物を血液注入出来きる身体コントロールが効くものなのだ。
まさに危険なガジェットを装着されてしまった(ここで言う主任の言葉が象徴的。最初はチクッとするが全く気にならなくなる)。
終盤、TV番組に対し変装して偽名で抗議するが、実名がバレバレで政治活動禁止の会社の方針にも背いてしまった。
ここがペーソスもあって笑ってしまうがとてもほろ苦い。
そしてフィルバートの力説する余所者だろうが誰であろうがそれを選別し排除すること自体がおかしいということに耳を貸す者がいないのだ。
親友でさえお前は余所者ではないというだけであり、余所者かどうかという選別の思考形態しかない。
しかもこの余所者、極めて狭い政治的な意味での移民とかいうレベルのものでもない。
候補者は直観に従えという。それからあなた自身が余所者でないのなら心配無用だと。敢えて言語化せずに内省的に判断させようともってゆくとは。これは危険だ。
何れにせよ当局から余所者と断定された時点で死刑なのだ。
彼は追い詰められて被害妄想も酷くなる。
パニックとなり看板に登って吊るされた死体にしがみつき抗議をするが、自らがその場所に吊るされてしまうことに。
TVで先程までその様子を見ていた職場の親友たちは、候補者の解説を聴いた後、直ぐに彼の事は忘れてビリヤードに興じている。
彼女の説話の中でサブリミナル効果が使われていたのは事実だが、、、
ノーマルな人間がある次元に置いて全く無感覚であることの警鐘になるこういった作品は必要。
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