サンダーボルト
Thunderbolt and Lightfoot
1974年
アメリカ
マイケル・チミノ監督・脚本
ポール・ウィリアムズ主題曲 "Where Do I Go from Here"
クリント・イーストウッド、、、サンダーボルト
ジェフ・ブリッジス、、、ライトフット
ジョージ・ケネディ、、、レッド
ジェフリー・ルイス、、、エディ
はみ出しもの同士の非常に素敵な出逢いと別れとが描かれている。
何とはない湖畔の情景に溶け込むような互いの自然な気持ちの触れ合いから、深い友情が芽生えてゆく。
この映画は、恐らくそんな微細な機微、雰囲気の生成に力点を置いていることが分かる。
ここにはリリカルな詩情が基調としてある。
その上を様々な猥雑で暴力的な出来事が続いてゆく。
物語は長閑に広がる黄金色の畑と青空のコントラストも美しいアイダホの田舎に連射する銃声が響き渡り唐突に始まる。
そこにまた忽然と侵入してきたライトフットの車が運命的な走破を見せる。
(ここで後に彼らと運命を共にするギャングのひとりダンロップはひき殺される)。
銃弾に追われ逃げてきたジョンとライトフットとの邂逅の接点であった。
(なかなか異色な朝鮮戦争の元兵士とベトナム戦争世代の若者との出逢いである)。
それから二人してジョンに引き寄せられてくるギャング(元仕事仲間)からの逃走。
そして彼らとの合流と、またもやライトフットによる金を巡る計略に他の3人が合意することで協力関係へと発展する。
物語を動かす起点は常にライトフットにある。
彼の笑顔がとても愛くるしい。それに返すジョンの渋い微笑みも暖かい。
ちなみにライトフットの希みは、「白いゴージャスなキャデラックを現ナマで買ってみてえ」である。
ここでも例のごとく、強奪した車が次々に乗り継がれて只管逃走してゆく。
パトカーとのカーチェイスもお約束。
車というものは、ことごとく車体を軋ませながらフルスピードで逃走してゆくものだ。
そして夜の市街に横転したり仰向けになってスクラップになる。
所謂、ステレオタイプのピンナップガールたちがアメリカらしさ、その殺伐とした風景を効果的に演出していた。
綿密に立てられた銀行の金庫襲撃計画。
まずは、襲撃資金を集めるため4人とも堅気の仕事について懸命に働く。
ユーモラスなところであるが、そのまま地道に働いて金を貯めようという方向転換はまず生まれない。
今回もジョンがサンダーボルトと異名をもつ所以である20ミリ機関砲で金庫に風穴を開ける。
実は、以前同じ銀行から50万ドル強奪してほとぼりを覚ましていたのだが、、、金を隠した場所が既になくなっていたのだ。
同様に手はずは上々に進み、銀行強盗が成功したかに見えたが、運の悪い方向に転がっていってしまう。
ライトフットの女装の甲斐もなく、、、。
仲間が一人死に、二人死んでゆき、ついには金を独り占めにしようとしたレッドの暴行を受けライトフットも、、、。
レッドは彼にはずっと害意を抱きつ続けており、伏線が最後に収斂し爆発する。
この映画、悲劇の一歩手前に、飛んでもない幸運が挟まれる。
以前強奪した金隠し場所であった小学校の校舎が歴史的文化記念物として州によってそのまま移転して展示されていたのだ。
そしてクラスの黒板の裏には、手付かずの金が当時のままに眠っていたのだった。
その金は警察が捜査を諦め、メンツのため見つかったと公表してしまった金なのである。
当然、彼らは白いキャデラックを買い、意気揚々と繰り出すはずであった、、、。
が、ライトフットの体調がひどく悪いのだ、、、。
助手席シートに突然崩れ落ち、彼は事切れる。
呆然としてことばを失うサンダーボルト。
「真夜中のカーボーイ」に通じる幕引きとなる。
ハイウェイに余韻を残し、ふたりを乗せた白いキャデラックが静かに消えてゆく。
道が分かれば 帰りたい
でも村が変わりすぎて 迷子になった
名前も顔も今はもう おぼろげ
焼け落ちた橋の向こうは 見知らぬ国
どこへ行けばいいのか 教えてほしい
昔話は誰も聞いてくれない
失われた物をどこへ 探しに行けばいい
最後のシーンに流れる曲である。
いみじくもクリント・イーストウッドが身を隠す為に教会の牧師になっていたのだが、この時期アメリカの信仰の喪失による迷い、それに替わる新たな秩序の見出されない状況の寄る辺なさが滲み出ている、、、。