東北 宮沢賢治記念館 [観光スポット(東北)]
旅行中に見かけたシュウカイドウの花
東北では、松尾芭蕉が訪れて俳句にしているところも、いくつか回りました。
このシュウカイドウでも、詠んだ句があります。
「秋海棠 西瓜の色に 咲きにけり」 松尾芭蕉
東北の旅の続きです。
岩手県花巻市にある「宮沢賢治記念館」です。
猫ちゃんが出迎えてくれます。
緑の木々たちを周辺に見ることができます。
四季折々の花も楽しめそうです。
イーハトーブ館の案内もあります。
理想郷として名づけたイーハトーブ
宮沢賢治の童話は、ファンタジーの世界でもありますね。
1896年に生まれた宮沢賢治、今年は生誕120年の年にあたるようです。
生涯独身で、1933年の37歳という若さで亡くなっています。
記念館の中は写真は撮れませんが、
宮沢賢治ワールドの豊かな感性にあふれた作品たちを、いっぱい目にすることができます。
詩、童話、教育、農業、科学など、多彩な活動した賢治の世界を知ることができます。
才能豊かな賢治を改めて実感する思いです。
グスコーブドリの伝記、銀河鉄道の夜、注文の多い料理店、雨ニモマケズなどなど
賢治の作品を読んだりしていたので、
思い出したりし、なんだか懐かしいような気持ちになります。
身近な自然や動物たちを題材として書かれた童話たち。
その中には、自然との共存、人生をいかに生きるべきかの、賢治の深い思いも感じることができます。
ここで、買った宮沢賢治が描いた絵のポストカードと一筆箋です。
尊敬するベートーベンの姿を真似た写真や、賢治が描いた素晴らしい絵たち
敷地内には、注文の多い料理店「山猫軒」という名のレストランもありました。
また次回に続きます。
東北 中尊寺 [観光スポット(東北)]
リビングの出窓にある、観葉植物のピンクのアンスリウムです。
ハート型の苞が、鮮やかに印象的で、花は、中央の棒状の形のものです。
東北の続きです。岩手県の平泉です。
奥州藤原氏が、浄土思想に基づき100年近くにわたって築いた仏教土です。
今回の旅で、一番といっていいほど注目していた世界遺産にもなっている中尊寺です。
東日本大震災のあった2011年の6月に世界遺産に登録され、
震災で胸がとても痛んでいたところの朗報、とても印象に残った世界遺産地です。
一条の光のようにも感じられ、東北の地に、すこしでも励みになる出来事ではと思ったりもしました。
その世界遺産登録からの5周年になるときに訪れることができました。
金色堂
平安末期、東北の政治、文化の中心として栄えた平泉
初代藤原清衡は、戦乱の世に生まれ、この世の地獄を見るような体験をします。
戦乱のない世を築こうと決意し、仏教に帰依し、仏国土を創ろうとしました。
金色堂などの完成を祝う法要で
「戦乱で亡くなったすべての命を、敵味方の区別なく慰め、極楽浄土へ導きたい」
という趣旨の願文を読みあげたそうです。
その思いは、2代目基衡、3代目秀衡へと引き継がれていきます。
金色堂内は、写真は撮れませんが、
約5、5メートル四方の阿弥陀堂の内外は、すべて金箔が押されています。
柱や仏壇など、螺鈿細工と漆の蒔絵などで飾られています。
壇上には、金色の阿弥陀三尊、四天王など、32体の仏像があり、
仏壇の中には、初代清衡、2代基衡、3代秀衡の柩が納められています。
工芸、建築技術、仏教美術、いずれをとっても当時の最高水準を誇っています。
芭蕉が、金色堂で詠んだ句
「五月雨の 降残してや 光堂」
(あたりは雨で朽ちているが、この金色堂だけは光輝いている。
あたかも五月雨がここだけには降らなかったかのように。)
敷地内は広く、雨がしとしと降る中での参拝でしたが、
どの建造物も素晴らしく、歴史を感じさせてくれます。
経堂
金色堂旧覆堂
以前はこのお堂が金色堂を覆って,風雪などから守っていました。
紅葉の頃は、色鮮やかな美しい景観が楽しめそうです。
本堂
まるで、龍のような木にも遭遇しました。
弁慶堂
堂内には、立ち往生の武蔵坊弁慶の等身大の木像と、義経の木像が安置してあります。
参道からは、北上川とその周辺が見渡せます。
北上川の近くには、「高館義経堂」があります。
堂内には、この地で悲運の死を遂げた源義経の木像が安置されているようです。
源頼朝からの依頼で平家滅亡に追い込んだ義経。
ところが、その頼朝から、突然勘当された義経。
義経は、3代目秀衡を頼ってこの東北に来ますが、病に秀衡が倒れてしまいます。
4代目泰衡は、父秀衡の遺言に背き、義経主従を急襲してしまいます。
そして、義経は高館義経堂の地で自害することになりました。
結局は、頼朝の奥州征伐に合い、4代目泰衡のときに、奥州藤原氏は滅びることになります。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
平泉を訪れたときの芭蕉の句です。
高館の丘陵に上り、眼下に広がる風景を眺めて、奥州藤原氏の栄華の跡、義経主従ら武人に
思いをはせた句です。
(人けのないところに、今は夏草だけが生い茂るばかりだ。
かつて、義経主従や藤原一族のものたちが、功名、栄華を夢みたところ
すべてが、一炊の夢と消えた哀れさに心が誘われる)
敷地内には、大きなモミの木もありました。
時代の流れを感じさせてくれる大きなモミの木です。
中尊寺でいただいた、美しい御朱印です。
東北 松島 [観光スポット(東北)]
数日前に、生駒高原にコスモスを見にいってきました。
秋風に揺れるコスモスたち
また後日、記事にできたらと思います。
東北の旅、宮城県の松島です。
京都の天橋立、広島の宮島とともに、日本三景に選ばれているところです。
この日は、雨模様で、海の色もグレイ色でしたが、それでも島々の美しさが眼前にあります。
遊覧船などの船も見えます。
回るコースの看板もあります。
晴天の日の、青い空、青い海、浮かぶ島々の素晴らしい光景
それを想像することでした。
松島の絶景は、芭蕉も、感動のあまり句をつくることができなかったと言われています。
「松島や ああ松島や 松島 や」の句は芭蕉が詠んだと思われていますが
実際は違って、江戸 時代後期の狂歌師・田原坊の作のようです。
松島は、自然美の極意ともいえるかもしれませんね。
瑞巌寺五大堂
この橋は、すかし橋といい、下が見えます。
五大堂への参詣は、身も心も乱れがないよう、脚下をよく見て、気を引き締めさせるための配慮のようです。
伊達政宗が建立した建物で、東北地方最古の桃山建築と言われているようです。
すぐ海が面しており、景勝地に建てられています。
観瀾(カンラン)亭へ向かいます。
このお茶室は、伏見城にあった茶室で、豊臣秀吉からもらい受けた伊達政宗が江戸に移し
2代目藩主忠宗が、ここに移築しました。
床の間の貼付絵や襖絵が、とても見事な美しさです。
受付の方に聞いたら、お写真はいいですよと言ってくださったので、撮らせてもらいました。
お抹茶も飲むことができます。
お抹茶を飲みながら、海の景色を眺める時間も優雅なひとときですね。
藩主の納涼、観月の亭として「月見御殿」とも呼ばれたようです。
お月見にも素晴らしいところですね。
東北の旅、次回に続きます。
山寺 立石寺 [観光スポット(東北)]
立石寺の敷地内のピンクのシュウメイギク
松の木の近くに咲いていました。
東北の旅の続きです。
山形県の立石寺に来ました。
松尾芭蕉が、旅の途中で立ち寄った山寺です。
本堂の根本中堂
正面に布袋様がいます。
体を手でさすると御利益があるそうです。
やさしく丁寧に撫でさせてもらうことでした。
いよいよ山門の登山口に入っていきます。
1000段以上もある階段です。
白いシュウメイギクも清楚に出迎えてくれます。
杉林のなかの石段を一段一段、登っていきます。
姥堂が見えてきます。
この姥堂は、地獄と極楽の境目に立つお堂とのこと。
屋根には、野草などで覆われています。
石仏などもあり、お顔を眺めると気持ちも和みます。
芭蕉が、ここで詠んだ句
「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」 のせみ塚のところです。
この山中に入ると、本当に静かで、下界の喧騒を忘れさせてくれます。
芭蕉の歌に、自分の気持ちも入りこむかのようです。
実は、私は前日の夜中から、急に胃腸の具合が悪くなり、体調を崩していました。
寝不足もあったりで、疲れもあったのかもしれません。今まで、旅中ではあまりないことでした。
元気でしたら、ぜひ一番上まで行きたかったのですが、同行の皆さんに迷惑をかけてはと
用心して、このせみ塚から降りることにしました。
これから上の様子は、主人の撮った写真を載せますね。
性相院
伊達政宗の母の位牌が安置されているようです。
写真を見ながら、絶景だったのだろうなと思うことでした。
上から見下ろす光景も素晴らしかったでしょうね。
またいつか、この地を訪れることができたら、その時は一番上の奥の院まで登ってみたいです^^
早めに降りた私は、山門近くの売店、休憩所で、主人たちを待つことにしました。
そこにいたかわいい猫ちゃんです。
次回は、松島の記事になります。
東北へ (猪苗代湖 野口英世記念館) [観光スポット(東北)]
ココアヒマワリです。球根なので、毎年夏から秋にかけて咲いてくれます。
背も高いです。
先日の台風の来る前に、茎が折れやすく、花も傷むので
たくさん切って、玄関に飾りました。
名前の通り、花に顔を寄せて嗅ぐと、ほんのりココアの香りがします^^
東北のツアーに行く機会に恵まれ、行ってきました。
羽田まで飛行機で行き、東京駅から東北新幹線「やまびこ」で郡山まで行きます。
郡山駅のふれあい科学館の22階展望ロビーからの眺めです。
青い空に、郡山市内の大パノラマが楽しめます。
くっきりと窓越しに見ることができます。
磐梯山も、遠くに小さく薄めですが、見ることができました。
郡山駅から、大型バスに乗って、猪苗代湖にまず向かいました。
野口英世のふるさと、猪苗代、磐梯です。
猪苗代湖です。
水面がきらきらと美しいです。
頂上には雲がかかっていますが、湖の向こうの磐梯山です。
冬には、ここ猪苗代湖には、シベリアから白鳥が飛来してきます。
今は、その様子が信じられないくらいの景色です。
この地は、福島県のほぼ中央にあり、豪雪地帯とのこと。
凍てつく寒い積雪の頃の白鳥の見られる様子は、また一変した光景になるのでしょうね。
猪苗代湖から、「野口記念館」に到着です。
館内には、いくつかの野口英世像が設置してあります。
ステンドグラスの美しい額です。
英世が明治9年に生を受け上京するまでの19年間を過ごした生家です。
時代を感じる生活必需品が、そのままの状態で保たれています。
2歳の時に、囲炉裏に落ちて大やけどを負ったところも
この大火傷で、家業の農業することができなくなり、家は貧しいでしたが
勉学に励み、医者への道を志し、医師の資格を取った野口英世。
その意思は固く、実家の床柱に小刀で刻み付けた言葉があります。
伝染病の研究者としての偉大な道を歩むことになります。
中国、アメリカ、ヨーロッパ、中南米、アフリカに渡り、医学研究に生涯をかけました。
世界の野口英世
そのはじまりの地でもあります。
記念館の玄関の像の向こうに、英世が毎日見ていたであろう磐梯山の雄々しい姿も見えます。
雲間も晴れて、頂上までの全景を見ることができました。
改めて、野口英世の大きな功績を感じることができました。
ただびっくりしたのは、館内に野口英世の実物大の像があったのですが、
身長が153cm、足のサイズが23cmで、とても小柄な人だったのだということです。
東北の旅、また次回に続きます。