日本「産み育てやすい」52%に 欧米とは大差、内閣府調査
2011/05/19 19:16 【共同通信】より引用
内閣府が19日に発表した「少子化社会に関する国際意識調査」によると、自国について「子どもを産み育てやすい」と回答したのは日本で52・6%と、前回2005年調査の47・6%から5ポイント上昇した。
ただスウェーデンは97・1%、米国75・5%、フランス72・0%で、欧米とは大きく差がついた。
韓国は16・2%だった。
【引用終了】
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【山崎ジャーナル:冤罪被災者のきもち-7】
■ 日本での子育てあきらめた海外脱出組-ニューヨーク編
女の本音では、日本で仕事はやりづらい。
セクハラ、パワハラが露骨にまかり通って、それが白眼視されにくい男社会で会社システムが成立しているからだ。
閉鎖的ギルド社会のオキテの中で、社員・労働者はがんじがらめ。自由度が低い社会で、働きにくい。
勤務を終えて帰宅すると、もうヘトヘト。
夜のお勤めどころじゃない。
え?妊娠、出産、子育て?それ、ご冗談でしょう。
「私、ホントに疲れているのよ」。
料理や掃除、子育てなど、「女がやるもの」と教育されて価値観が固定化した男性が多いためか、家事全般をあまり手伝わない夫が圧倒的。で、女はますます疲れて、徒労感をつのらせる。
自分のための趣味の時間、休息や心の回復の時間、コミュニティー活動など、リフレッシュできる時間が欲しくても、それはパートナーの協力しだい。家庭での、夫の献身なくして、子育てに喜びを感じるのは難しい。
男がこんな調子だから、いわんや、男がルールを形成し支配するこの社会やコミュニティー内で、支援してもらうのはほとんど不可能な現状だ。
で、女はどう考え、行動するか?
子育てはあきらめ、子供は作らないか、または未婚シングルを選ぶ。
かといってキャリアだけでは人生、寂しい。
そこで海外避難するキャリア女性は増えるいっぽう。
そういう彼女らをニューヨークで、20年近く支援してきたのが私の無償活動の1つ。
雇用したり、身元照会人になったり、取引先への推薦(就職支援)、悩み相談から、困窮したときに生活支援に至るまで、「ニューヨークの肝っ玉母さん」的な役どころを、ささやかに担ってきた。
彼女らのポピュラーな価値観は、「現地白人の高給取り=ユダヤ系の医者や弁護士、トレーダーを捕まえられたら“勝ち組”」。
彼らをボーイフレンドにできても、結婚できない、あるいは子どもができなかったら”負け組”。
現地で日本男性なんかと結婚しようものなら、論外。
「それでは、何のために苦労して留学、至難の就職を突破して、ニューヨーク移住をかなえたのかわからない。アメリカまで来て、日本人と結婚するなんて愚の骨頂」と、考えている。
白人富裕男性、とりわけNYでの成功が保障されているユダヤ系との結婚は、現地キャリアウーマンのコミュニティーでは、幸福への鍵。女の人生の総決算として、一目瞭然のわかりやすい“成功”を証明する、必要最低条件なのです。
実際、彼女らにとって“出産”は、アメリカ永住権や市民権を取得する最短のアクセスとなるため、単身、就職のため渡米し、夜間大学に通学しながら苦労して自分で永住権を取得して、その後、日本で失業し(精神を病んで)田舎の実家で療養する夫を呼び寄せ、夫を養うために3つの仕事を掛け持ちして一心不乱に働き続ける私が選んだ人生を、憐れみと侮蔑に満ちたまなざしで、「お気の毒に」と嘲笑する….。
1985年、ニューヨークの国際観光振興会に勤務する私は、ジャーナリストビザ(Iビザ)を取得するために東京へ一時帰宅した。そのとき、田舎に引きこもって療養中だった夫を東京に呼び寄せ、彼を伴って赤坂の米国大使館へ赴き、扶養家族ビザを申請した。
ビザ担当者は、緊張で顔を引きつらせる夫をマジマジと睨みつけ、私にこう言った。
「こちらを、あなたが扶養するのですか?だいいち、英語が話せるのですか?あなたの駐在に伴って、ニューヨークへ連れて帰りたいのですね。ジャーナリスト・ヴィザには、家族用の被扶養ビザは存在しないのですよ。….本当に、困ったものねえ…」。
私のジャーナリスト・ビザは問題なく発給されたものの、夫を扶養家族として、ニューヨークへ連れ帰るのは不可能に近く、大使館で私は立ち往生してしまった。
妻が、病気で働けない夫を養うために、駐在に伴って渡米して扶養する…という発想が、1985年当時の米国大使館では、容易に理解してもらえないことに、私はとまどいを隠せななかった。
このまま夫を田舎に戻して、いつまでも実家まかせにするわけにはいかないし、かといって家族には扶養義務があるわけだし…ああ私は無職の夫を抱えて、これからどう生きたらいいのか…。
25歳の私は、失業中の夫を抱え、途方に暮れた。
ニューヨークへ戻る出張期限が、すでに2日後に迫っていた。
(この続きは、また次回)