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前回記事、前々回記事と、コメントいろいろありがとうございました。みなさまのコメントを拝見しながら、なぜだか思わず泣いちゃいました。多分、石田三成に対する同情心からだと思います。現代の人のそんな評価を見たならば、石田三成の霊もきっと浮かばれるんではないでしょうか。
以下、続き。
小早川秀秋・・・1602年没、享年21歳。死因には諸説あり。徳川政権初の無嗣改易となり、小早川家は断絶。
加藤清正・・・1611年没、享年49歳。家康と豊臣秀頼との会見に立会い、帰国途中の船内で発病。徳川による毒殺説あり。1632年、跡継ぎは幕府の命により改易。
浅野幸長・・・1613年没、享年37歳。清正と同様の死因。毒殺説あり。
豊臣秀頼、淀殿・・・1615年、大阪城落城により自害。豊臣家滅亡。
福島正則・・・1619年、幕府の命により安芸・備後50万石を没収。1624年、信州にて没。享年64歳。福島家は改易。
上にあげたように、1600年の関ヶ原合戦において石田三成と対立し、徳川側についた豊臣恩顧の大名の多くは、その後、不審な死や改易など、不幸な道をだどった者が多い。なりふり構わず豊臣の力を削いでいった徳川の方針の結果といっていいだろう。
徳川による、1615年の豊臣家滅亡、そして自家の改易がわかっていたなら、秀吉亡き後、彼らが率先して徳川側に立つなどありえなかった。しかし彼らは結果的に徳川に騙され、利用され、潰されていった。
豊臣恩顧の大名でありながら、関ヶ原の戦いにおいて、徳川側第一の手柄をあげた福島正則など、一体どのような思いで死を迎えていったことだろう。
彼らのように、家康にまんまと乗せられて、自ら率先して豊臣家滅亡に貢献してしまった者もいれば、時流を読んで徳川についた者、また、力で恫喝され、しぶしぶ従わざるえなかった者などさまざまであった。そんな中、正面から家康と闘ったのが石田三成 ・・・。
自分は石田三成にシンパシーを覚え、その無念を同様に無念と感じているからこそ、このような文を書いているのだと思う。
石田三成がそうであったように、自分も筋の通っていないことにはのれないし、できうるなら「義」は守りたい。小早川秀秋、福島正則や加藤清正のように、まんまと騙されて取り返しのつかないような末路を歩みたくもなければ、徳川家康が豊臣政権をぶんどった際にみせたブラックなやり方にもうんざり。
・・・そんなふうに思うのは、内面の基準というべき、自己の真理があるからこそ。守るべきもの、譲れないもの、人にとってそれが一体なんであるのか、石田三成の生き様が示唆を与えてくれるように思う。
自己の信念に従い、正しいと思うものに従い、三成は動いた。結果は無残な敗北であったが、ひとつ状況が変わっていれば勝利の可能性も充分にあった行動だった。
<ボーカル革命・N郎♪出演ライブ日程>
8月09日(日) 四谷 コタン アコースティックN郎♪
8月26日(水) 秋葉原 秋田犬
9月11日(月) 四谷 コタン アコースティックN郎♪
9月14日(月) 秋葉原 秋田犬
10月17日(土) 西川口 Hearts アウフヘーベン
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