人生には、一生に残るような、そんな記録すべき日が何度かある。
2023年8月26日もそんな日だった。
この年の7月、自分の父親が亡くなった。亡くなる前に、ガンで余命は数カ月という話を聞いて、生まれ故郷の青森県に何度も行くことになるだろうと思った。
そして、それを機会に青森100個所撮影を開始することとした。
第1回目の撮影は2023年6月25日、母親の実家が三沢市の海の近くにあり、母親の実家の近くの海で撮影した。
太平洋の波が押し寄せる浜辺での撮影。
しかし、ちょうど一か月後の2023年7月25日、父親が思いの他早く亡くなってしまった。
そして葬式やお盆、法事など、その年の夏は何度か青森に帰省することとなった。
8月25日金曜日の午後、自動車でさいたま市を出発、青森へと向かった。
8月25日22時40分、岩手県の紫波サービスエリアで休憩。
その後、盛岡あたりで東北自動車道を降りて、国道4号線を北上した。
深夜に青森県に入った理由は、日の出前の夏泊半島に行き、そこで撮影をすることだった。
青森100個所撮影、三沢の海の後は、楽曲「夏泊半島」の舞台である夏泊半島で撮影したいと考えていた。
浅虫温泉など、夕日が沈む光景はこれまで何度か撮影していたため、今度は太陽が昇る瞬間を体験したい、そう思っていた。
水平線から太陽が昇る瞬間を体験できる絶景スポットは、夏泊半島の東側、椿山海岸をおいて他にない。
深夜、国道4号線を北上し、実家のある町も通過してさらに北上した。
夜明けまでまだ数時間があった。
道の駅七戸で仮眠をとることにしたが、暑くてあまり眠れなかった。
そして、夜明け前、さらに北上し、夏泊半島先端へと向かった。
途中、野辺地あたりで夜が明けていく光景が見えた。
太陽が昇る前に椿山海岸へ行かねば・・・・
ゆっくりと車を運転するつもりだったが、明るくなる時間帯が思いの他早かったのと、夏泊半島に入ったあと、後ろからトラックがかなりのスピードで追いかけてきたこともあり、スピードを上げた。
トラックに道を譲ってもよかったが、適当な場所がなかったため、スピードを上げ続け、椿山海岸へと向かった。
夜明け前に椿山海岸の駐車場へ到着することができた。
車を降りて、海へと向かった。
・・・信じられないような光景だった。
この世界にこんな美しい場所があるのだろうかというような・・・
太平洋の荒波が押し寄せる三沢の海とはまったく違う、波のない、穏やかな海だった。
漁の漁船が沖へと向かっていた。漁は夜明け間からスタートするのか・・・
潮風を受けながら、水平線から太陽が昇っていくを目の当たりにした。
こんな絶景、ありえない・・・。
そして、撮影に入った。
青森100個所撮影 002 夏泊半島 椿山海岸 曲「夏泊半島」
この日の早朝に見た光景は、一生に残る光景だった。
2016年に「夏泊半島」という曲を作り、2023年、父親が亡くなり、その1カ月後に体験した夏泊半島の夜明け。
1年近くたってようやく動画を編集できた。
これもすべて天が与えた命運だと思う。
すべてはつながっている、そう思えて仕方がない。
そして2024年7月、「夏泊半島」ピアノインストを演奏してくれたピアニスト浅沼美和子さんが亡くなった。
そして父親の一周忌
生まれ故郷である青森県、その100個所撮影は本格的にスタートした。