楽曲 「鎌北湖は埼玉の金閣寺」 を作った関係で、昨年末から鎌北湖のある埼玉県の毛呂山町に何回か訪問し、観光協会さんにも登録させていただきました。
その毛呂山町について、みなさまにモロモロご紹介したいと思います。
毛呂山町は埼玉県の南西部に位置し、JR八高線を挟んで、東側は関東平野エリア、西側は外秩父の山なみが続く里山エリアとなっています。東側の平野部には昨年イオンタウン毛呂山がオープン、市街地が続いています。西側の里山エリアには、桂木ゆずで有名な桂木観音や鎌北湖が位置し、埼玉医科大学も所在しています。
人口は 3万2千人、町長さんは井上健次さん。株式会社井上農場を経営され、FC2ブログに毎日町政に関する記事を書かれている、とても熱心な町長さんです。
井上けんじ町長さんブログ あなたが主役の毛呂山づくり
毛呂山町の北側には、梅林や黒山三滝で有名な越生町、南側には高麗神社や曼珠沙華で有名な巾着田のある日高市が位置し、この付近は埼玉県の中でも特に観光資源に恵まれたエリアと言っていいでしょう。
では、毛呂山町の特色についてみていきましょう。
桂木ゆず
毛呂山町の特産物はゆず。奈良時代から生産され、江戸時代には既にブランド名となっていた 「桂木ゆず」。
香りが強く、味が濃く、高品質のゆずとして、その名が全国に知られています。
こちら、桂木ゆずの収穫風景(JAいるま野)
桂木ゆずの加工品も、毛呂山町の特産品です。
こちらは毛呂山町農産物加工センターで製造された桂木ゆずジャム。
こちらは 「桂木ゆず」 を使用した ゆず100%のゆずワイン。ふるさと納税の返礼品としても人気です。
エリザベス・フェノー・アプタン先生
先ほどご紹介した桂木ゆずジャムには 「エリザベス・F・アプタン先生直伝」 と記載されています。
「エリザベス・F・アプタン先生」ってどんな人なんだろう? そう思って、毛呂山町の歴史民俗資料館に行ったり、地元さいたま市の図書館で本を借りたりして、調べてみました。
森 清一著 「みどりの舟」 毎日新聞社より
アプタン先生は米国メーン州生まれ。欧州で学んだあと、キリスト教伝道のため、明治41年に28歳の若さで日本の埼玉に移住してきました。川越の初雁幼稚園の初代園長を務めたり、埼玉県に16もの幼稚園を設立するなど、驚くべき業績を残した方です。
昭和9年、アプタン先生は、ご家族の療養のために毛呂山に移住しました。
戦前の毛呂山の農村の人々と交流し、生活に困った人々を支援し、幼稚園や教会を設立したりして、戦後にその功績が認められて勲五等、瑞宝章を賜りました。さらには大宮市(現さいたま市)の名誉市民、そして毛呂山町の名誉町民ともなったのです。
戦争により米国に帰国を余儀なくされた時期もありましたが、その苦しい時期を乗り越え、昭和22年、アプタン先生は毛呂山に戻ってきたのです。そして昭和41年、この地で生涯を終えました。
ハイスクール時代のミス・アプタン(森 清一著 「みどりの舟」 毎日新聞社より)
埼玉ゆかりの偉人として、県のホームページにも掲載されているアプタン先生。
異国から戦前の日本社会に入り、困難なことも計り知れないほどあったであろう中、数多くの業績を残し、並はずれた信念と行動力の持ち主であったのだろうと想像するとともに、たくさんの人たちに慕われ、信頼されてきたことを考えるにつけ、人間の力というのは凄い・・・ そう思わざるおえません。
アプタン先生の名前は、「エリザベス・フローラ・アプタン」 と紹介されていることが多いですが、正確には 「エリザベス・フェノー・アプタン」 が正しいとのこと。
詳細は 埼玉県在住で、多くの本を書かれている八木谷涼子さんのブログ記事をご参照下さい。
埼玉の幼児教育の母・アプタン先生の名前の由来
毛呂山町オートキャンプ場
近年、コロナの影響もあって、キャンプブームが続いていますが、毛呂山町オートキャンプ場はとても整備され、評価高く、大人気のオートキャンプ場となっています。
先日、1年で一番寒い時期の1月下旬に行った際にも、寒さにかかわらず、東京や埼玉各地のナンバーの車で賑わっていて、たくさんの方々が焚火を囲んだしてキャンプを楽しんでいました ・・・びっくり。
毛呂山町観光協会さんも毛呂山町オートキャンプ場内にあります。
毛呂山町観光協会ホームページ
桂木観音、桂木観音展望台
毛呂山町オートキャンプ場へ行く道から分岐して、さらに奥に進むと桂木ゆずで有名な桂木地区があります。
毛呂山町と越生町にまたがる桂木山は、「桂木寺略縁起」 によると、奈良時代の高僧・行基(668~749)が訪れた地として伝わっています。行基により堂宇と仏像が作られ、評判となり、多くの信仰者から寄進があって、観音堂を含めた七堂伽藍が建立されたと伝わっています。
付近はゆずの栽培が盛んであり、桂木ゆずの名称もここからきています。
そして桂木観音の手前にある桂木観音展望台、これがまた素晴らしい絶景スポット。
東京スカイツリーや新宿の超高層ビル街もはっきりと見渡せます。
車でもアクセスがしやすく、トイレも整備されていて、首都圏が一望できる展望台として稀有な場所です。
ここから見える埼玉&東京の夜景も絶景とのこと。
歴史民俗資料館~鎌倉街道上道
毛呂山町の鎌倉街道上道は 2022年、国の指定史跡となりました。
鎌倉街道とは、鎌倉時代から室町時代にかけて整備された、鎌倉と関東諸国を経て各地を結んだ主要街道の総称のことです。
その中で、鎌倉から武蔵国・上野国を経て信濃国・越後国へ向かう街道を 「上道 (かみつみち)」 と呼びました。国の史跡として指定された毛呂山町の史跡もその一部となっています。
こちらは歴史民俗資料館の流鏑馬像。
出雲伊波比神社の流鏑馬も有名です。出雲伊波比神社にはまだ訪問しておらず、次回、是非訪問したいと思います。
そして鎌北湖 ・・・
そしてなんといっても、「鎌北湖は埼玉の金閣寺」 ・・・ この用水管理棟が非常にユニークで目をひく鎌北湖は、埼玉県屈指の桜&紅葉の名所であり、多くの人に愛されているスポットです。
さらに鎌北湖は、毛呂山町のみならず、外秩父エリアを訪問する多くの人たちの思い出が詰まった場所でもあるのです。
楽曲 「鎌北湖は埼玉の金閣寺」 を作ってから、鎌北湖がいかに多くの人に愛されているかを実感しました。
自転車で奥武蔵、外秩父の峠道を走る方々
バイクで埼玉や奥多摩、群馬、長野の山々を駆け巡る方々
SNSで埼玉の名所を撮影し、紹介している方々
子供のころ、ガールスカウトで鎌北湖のユースホステルに泊まり、ドハマりした方
学生時代に合同ハイキングで鎌北湖に来られた方
・・・・
たくさんの方々が、鎌北湖に思い出があり、大好きなことがわかりました。
自分も2018年の2月、県道沿いの看板にひかれて初めて鎌北湖を訪問した時に、ここは春には桜のトンネルとなって凄いだろうな〰と想像し、実際にその年の桜の季節に行ってみて、その素晴らしき光景に感動しました。
しかし残念なことに、この2〰3十年で、鎌北湖周辺の宿泊施設やお店はその多くが廃業し、かつての面影を残すばかり ・・・。
でも、黄色い用水管理棟の壁の汚れを洗浄したり、塗り直したりすれば、かつての観光地としての盛況には戻らないにしても、SNS全盛の時代にマッチし、埼玉の人気スポットとして再び大きな脚光を浴びるであろうことは間違いないと確信しています。
鎌北湖のみならず、近くの毛呂山総合公園や里山の桜は、ここは日本人のこころのふるさとではないかと・・・
さらに八高線沿いには、越生町、ときがわ町など、日本昔話に出てくるような美しき日本の原風景が広がっています。
そんな外秩父エリアの魅力を、多くの人に知ってもらいたい、鎌北湖にも、外秩父エリアにも、埼玉全体にも、凄いポテンシャルが秘められていると思って作った歌が、この歌なんです。
「鎌北湖は埼玉の金閣寺」、是非お聴き下さい。
その毛呂山町について、みなさまにモロモロご紹介したいと思います。
毛呂山町は埼玉県の南西部に位置し、JR八高線を挟んで、東側は関東平野エリア、西側は外秩父の山なみが続く里山エリアとなっています。東側の平野部には昨年イオンタウン毛呂山がオープン、市街地が続いています。西側の里山エリアには、桂木ゆずで有名な桂木観音や鎌北湖が位置し、埼玉医科大学も所在しています。
人口は 3万2千人、町長さんは井上健次さん。株式会社井上農場を経営され、FC2ブログに毎日町政に関する記事を書かれている、とても熱心な町長さんです。
井上けんじ町長さんブログ あなたが主役の毛呂山づくり
毛呂山町の北側には、梅林や黒山三滝で有名な越生町、南側には高麗神社や曼珠沙華で有名な巾着田のある日高市が位置し、この付近は埼玉県の中でも特に観光資源に恵まれたエリアと言っていいでしょう。
では、毛呂山町の特色についてみていきましょう。
桂木ゆず
毛呂山町の特産物はゆず。奈良時代から生産され、江戸時代には既にブランド名となっていた 「桂木ゆず」。
香りが強く、味が濃く、高品質のゆずとして、その名が全国に知られています。
こちら、桂木ゆずの収穫風景(JAいるま野)
桂木ゆずの加工品も、毛呂山町の特産品です。
こちらは毛呂山町農産物加工センターで製造された桂木ゆずジャム。
こちらは 「桂木ゆず」 を使用した ゆず100%のゆずワイン。ふるさと納税の返礼品としても人気です。
エリザベス・フェノー・アプタン先生
先ほどご紹介した桂木ゆずジャムには 「エリザベス・F・アプタン先生直伝」 と記載されています。
「エリザベス・F・アプタン先生」ってどんな人なんだろう? そう思って、毛呂山町の歴史民俗資料館に行ったり、地元さいたま市の図書館で本を借りたりして、調べてみました。
森 清一著 「みどりの舟」 毎日新聞社より
アプタン先生は米国メーン州生まれ。欧州で学んだあと、キリスト教伝道のため、明治41年に28歳の若さで日本の埼玉に移住してきました。川越の初雁幼稚園の初代園長を務めたり、埼玉県に16もの幼稚園を設立するなど、驚くべき業績を残した方です。
昭和9年、アプタン先生は、ご家族の療養のために毛呂山に移住しました。
戦前の毛呂山の農村の人々と交流し、生活に困った人々を支援し、幼稚園や教会を設立したりして、戦後にその功績が認められて勲五等、瑞宝章を賜りました。さらには大宮市(現さいたま市)の名誉市民、そして毛呂山町の名誉町民ともなったのです。
戦争により米国に帰国を余儀なくされた時期もありましたが、その苦しい時期を乗り越え、昭和22年、アプタン先生は毛呂山に戻ってきたのです。そして昭和41年、この地で生涯を終えました。
ハイスクール時代のミス・アプタン(森 清一著 「みどりの舟」 毎日新聞社より)
埼玉ゆかりの偉人として、県のホームページにも掲載されているアプタン先生。
異国から戦前の日本社会に入り、困難なことも計り知れないほどあったであろう中、数多くの業績を残し、並はずれた信念と行動力の持ち主であったのだろうと想像するとともに、たくさんの人たちに慕われ、信頼されてきたことを考えるにつけ、人間の力というのは凄い・・・ そう思わざるおえません。
アプタン先生の名前は、「エリザベス・フローラ・アプタン」 と紹介されていることが多いですが、正確には 「エリザベス・フェノー・アプタン」 が正しいとのこと。
詳細は 埼玉県在住で、多くの本を書かれている八木谷涼子さんのブログ記事をご参照下さい。
埼玉の幼児教育の母・アプタン先生の名前の由来
毛呂山町オートキャンプ場
近年、コロナの影響もあって、キャンプブームが続いていますが、毛呂山町オートキャンプ場はとても整備され、評価高く、大人気のオートキャンプ場となっています。
先日、1年で一番寒い時期の1月下旬に行った際にも、寒さにかかわらず、東京や埼玉各地のナンバーの車で賑わっていて、たくさんの方々が焚火を囲んだしてキャンプを楽しんでいました ・・・びっくり。
毛呂山町観光協会さんも毛呂山町オートキャンプ場内にあります。
毛呂山町観光協会ホームページ
桂木観音、桂木観音展望台
毛呂山町オートキャンプ場へ行く道から分岐して、さらに奥に進むと桂木ゆずで有名な桂木地区があります。
毛呂山町と越生町にまたがる桂木山は、「桂木寺略縁起」 によると、奈良時代の高僧・行基(668~749)が訪れた地として伝わっています。行基により堂宇と仏像が作られ、評判となり、多くの信仰者から寄進があって、観音堂を含めた七堂伽藍が建立されたと伝わっています。
付近はゆずの栽培が盛んであり、桂木ゆずの名称もここからきています。
そして桂木観音の手前にある桂木観音展望台、これがまた素晴らしい絶景スポット。
東京スカイツリーや新宿の超高層ビル街もはっきりと見渡せます。
車でもアクセスがしやすく、トイレも整備されていて、首都圏が一望できる展望台として稀有な場所です。
ここから見える埼玉&東京の夜景も絶景とのこと。
歴史民俗資料館~鎌倉街道上道
毛呂山町の鎌倉街道上道は 2022年、国の指定史跡となりました。
鎌倉街道とは、鎌倉時代から室町時代にかけて整備された、鎌倉と関東諸国を経て各地を結んだ主要街道の総称のことです。
その中で、鎌倉から武蔵国・上野国を経て信濃国・越後国へ向かう街道を 「上道 (かみつみち)」 と呼びました。国の史跡として指定された毛呂山町の史跡もその一部となっています。
こちらは歴史民俗資料館の流鏑馬像。
出雲伊波比神社の流鏑馬も有名です。出雲伊波比神社にはまだ訪問しておらず、次回、是非訪問したいと思います。
そして鎌北湖 ・・・
そしてなんといっても、「鎌北湖は埼玉の金閣寺」 ・・・ この用水管理棟が非常にユニークで目をひく鎌北湖は、埼玉県屈指の桜&紅葉の名所であり、多くの人に愛されているスポットです。
さらに鎌北湖は、毛呂山町のみならず、外秩父エリアを訪問する多くの人たちの思い出が詰まった場所でもあるのです。
楽曲 「鎌北湖は埼玉の金閣寺」 を作ってから、鎌北湖がいかに多くの人に愛されているかを実感しました。
自転車で奥武蔵、外秩父の峠道を走る方々
バイクで埼玉や奥多摩、群馬、長野の山々を駆け巡る方々
SNSで埼玉の名所を撮影し、紹介している方々
子供のころ、ガールスカウトで鎌北湖のユースホステルに泊まり、ドハマりした方
学生時代に合同ハイキングで鎌北湖に来られた方
・・・・
たくさんの方々が、鎌北湖に思い出があり、大好きなことがわかりました。
自分も2018年の2月、県道沿いの看板にひかれて初めて鎌北湖を訪問した時に、ここは春には桜のトンネルとなって凄いだろうな〰と想像し、実際にその年の桜の季節に行ってみて、その素晴らしき光景に感動しました。
しかし残念なことに、この2〰3十年で、鎌北湖周辺の宿泊施設やお店はその多くが廃業し、かつての面影を残すばかり ・・・。
でも、黄色い用水管理棟の壁の汚れを洗浄したり、塗り直したりすれば、かつての観光地としての盛況には戻らないにしても、SNS全盛の時代にマッチし、埼玉の人気スポットとして再び大きな脚光を浴びるであろうことは間違いないと確信しています。
鎌北湖のみならず、近くの毛呂山総合公園や里山の桜は、ここは日本人のこころのふるさとではないかと・・・
さらに八高線沿いには、越生町、ときがわ町など、日本昔話に出てくるような美しき日本の原風景が広がっています。
そんな外秩父エリアの魅力を、多くの人に知ってもらいたい、鎌北湖にも、外秩父エリアにも、埼玉全体にも、凄いポテンシャルが秘められていると思って作った歌が、この歌なんです。
「鎌北湖は埼玉の金閣寺」、是非お聴き下さい。