Youtube 「N郎♪ ありがとう2020~埼玉100箇所撮影、幸運な水曜日」
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「ありがとう2020」収録、埼玉100箇所撮影の中で特筆すべきスポットを紹介していくシリーズ
今回は椋神社(秩父市下吉田)
明治17年(1884年)11月1日、この地で秩父困民党の決起集会が行われました。
世に言う秩父事件
1881年(明治14年)松方財政の影響によりデフレスパイラルが発生
1882年(明治15年)リヨン生糸取引所における生糸価格の大暴落
1883年(明治16年)生糸の国内価格の大暴落
秩父地方の養蚕農家の多くは毎年の生糸の売上げをあてにし金を借り、食料の米麦その他の生活物資等を外部から購入していました。
しかし生糸市場の暴落と増税が重なると、たちまち困窮の度を深め、そして窮状につけこんだ銀行や高利貸等が彼らの生活をより悲惨なものにしていきました。
1884年(明治17年)
11月1日、この椋神社で秩父困民党の決起集会が行われました。
蜂起の目的は、暴力行為を行わず、高利貸や役所の帳簿を滅失し、租税の軽減等を政府に請願することでした。
11月2日には秩父郡内を制圧して、高利貸や役所の書類を破棄しました。
しかし困窮した農民の蜂起をいち早く察した明治政府は、警察隊・憲兵隊を送り込み、最終的には東京鎮台の鎮台兵を送り郡境を抑え、11月5日に秩父困民党指導部は事実上崩壊、鎮圧されました。
「圧制を変じて良政に改め、自由の世界として人民を安楽ならしむべし」
140年近く前の埼玉・秩父、困民党の人たちの魂の叫びは、再び困窮に向かう現代日本のすべての庶民に、大きなメッセージを残しているんじゃないかと思います。
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