昭和35年10月1日
厚岸町湾月1丁目5(国泰寺境内)
江戸時代後期、鎖国政策をとっていた幕府は、ロシア人が交易を求めて蝦夷地近海にしばしば現れていたことから、寛政10年(1798)近藤重蔵や最上徳内らに蝦夷地と北方諸島の探索を命じました。
一行はエトロフ島に「大日本恵登呂府」の標柱を建て、千島における日本最初の領土宣言を行いました。
近藤重蔵は、色丹島からこの松を持ち帰り、創建以前の国泰寺境内の地を選んで植えたといわれています。
この木は、ダフリカカラマツといい、シベリア・サハリンなどに多く自生する落葉針葉樹で、成長が遅く寿命が長いのが特徴です。現在高さ約12m、幹周約2m、枝を縦横に張りめぐらせている樹齢200年を越える古木で、当時の様子を偲ばせています。
厚岸駅よりバスにて国泰寺前下車、徒歩1分
車の場合、厚岸駅より約4km
境内には最上徳内が創建し、近藤重蔵が修復した神明宮(厚岸神社の前身)跡があります。