郡上藩江戸蔵屋敷

郡上藩WEB蔵屋敷 Vol.5-2

2021.03.03


紐解く「蔵開きのテーマ」


山から生まれる精神文化とは?
-猟師という生き方から紐解く-

ゲスト 安田大介
   松川哲也

WEB蔵vol.5は、若手猟師の安田大介さんと松川哲也さんという、猟師になったきっかけも生き方もまるで違う二人に話を聞いた。この世界や動物たちを、どんなふうに見ているのかを尋ね続けた1時間は、不思議な吸引力をもっている。それは山が人を惹きつける魅力なのか、それとも二人から発せられる引力なのか。はたまた、二人が尊敬する先輩猟師たちから届いてきたものなのか。ぜひあなたの目で確かめてほしい。そして、私たちが生き物を食べ、生きるということをともに問いなおす時間としてみたい。

■日時 2021年3月14日(日)19:00〜(1時間)
■主催 郡上市市長公室政策推進課

郡上藩江戸蔵屋敷展 2020-2021も同時開催中です。
NATIVE MIND
-町・里・山をめぐる精神文化の伝承-.

■会場 郡上八幡町屋敷 越前屋■会期 2021年2月27日(土)〜3月21日(日)*木曜休館■開館時間 9:00〜17:00■主催 郡上市市長公室政策推進課■公式サイト:https://edokura.net



案内人:井上博斗の想い

一つは、二人の若手猟師に、猟へ、それも山で泊り込みの狩猟野営に連れて行ってもらったこと。もう一つは、vol.4の六ノ里地区でのロケ中に、その猟師から裏山の川筋で鹿を仕留めたという連絡があり、現場へ急行したことが本企画のきっかけになっている。私たちは、動物を殺して肉にすることを簡単に山の恵みと言っているが、その現場に横たわる人の気持ちの在りようや変容についてあらためて聞き、考えてみたかった。人が営んできた猟の楽しみとその後ろめたさもまた、山から生まれる精神文化なのではないかと思い始めていたからである。

 今回のvol.5は、安田大介さんと松川哲也さんという猟師になったきっかけも生き方もまるで違う二人に話を聞いた。この世界や動物たちを、どんなふうに見ているのかを尋ね続けた1時間は、不思議な吸引力をもっている。それは山が人を惹きつける魅力なのか、それとも二人から発せられる引力なのか。はたまた、二人が尊敬する先輩猟師たちから届いてきたものなのか。ぜひあなたの目で確かめてほしい。そして、私たちが食べ、生きるということをともに問いなおす時間としてみたい。



2021.3.14 Vol.5-2 本編配信URL(プレミアム公開)


紡ぐ「蔵開きを振り返って」

猟師たちの葛藤–山から生まれるものって一体なんだったのか–

かつて狩猟は、その動物の肉を食べるためのものであり、その毛皮や内臓は大地を生きるための衣や薬となった。その希少性や効果の大きさなどが認められると、換金物にもなったが、それはやはり猟師が生活するためのものであった。だが、現在の私たちは狩猟行為がなくとも、食べることができ、防寒や防雨に困ることも、動物に襲われることもない。それでもなお私が狩猟という営みに惹かれ、圧倒的な減少の一途を辿っている猟師という生き方を選んだ二人に惹かれているのはなぜなんだろうか。この対談を通して見えてきたことは、二人の猟師が問いかけているのは、郡上というこの土地ならではの生き方の模索であり、そしてその問いは、他者に対してただちに投げかけられているのではなく、まず誰よりも自らに深く突き刺してある問いだということである。

松川さんは、先輩猟師から、猟期はもちろん、獣害駆除対象として仕留められた動物を全て持ち帰り肉にする難行を選んだ。それは人間の都合で生き物の命を奪う、ということをどのように受け止めるか、という問いに対する一つの態度である。どれだけ猟の腕が上がり、獲物が換金されて暮らしが成り立ち、多くの人に精肉として美味しく食べられ、里山が獣害から守られることを達成できたとしても、命を奪うということへの良心の呵責は目に見えないかたちで存在する。

また、安田さんは、動物をどのように狩り、毛皮をなめし、どんな道具を使うのか、といった狩猟にまつわる営みを、どんなふうに都市生活者や郡上以外の人々に伝えるか、それも楽しさとして感じられるか、ということに苦心する。それは悶々と何かに縛られて生きていたかつての自分が、動物を狩り食べると同時に、動物を追いかけ、その美しさを愛でることが一つになったことや、狩猟行為だけでなく働き方が半猟半Xであるからこそ、自らが生き生きとし、救われているという心象の変化を起こしたことに起因している。ゆえに、かつて都市に住みサラリーマンとして働いていた10年前の自分に置き換えることで、里山や生き物から切断されたイベント受講者、受け手にどのように響くか、ということに力点が置かれている。

ゆえに、二人には明快な答えがあるわけではなく、常に人やそれ以外の生き物との関わりからなる自らの生き方への自問自答を繰り返す。そして、他者に伝える際には、その葛藤を隠さない。おそらく里山に生きる先人にそうした迷いが見えにくく、1960年代以降に生まれた私たちの息苦しさが際立つとすれば、今人間が与える自然環境への影響が余りに過大になり、多くの生き物の棲みかを奪っているにも関わらず、わたしたちが他の生き物の命を食べることでしか生きられない、命の実感を得られないからではないだろうか。

私たちは、だからこそこの猟師たちのいる葛藤の場所を共有することができるだろう。どのように現代を生きる良心が存在するのか、どのような生き方、どのような命の関係性だと心地良く、苦しいのか。今、そうした問いへの試みが、山には凝縮している。町であれ里であれ、生き物にとっての恵み、命の源が「山」にある、「山」とつながっている、と言われた時代、文化があった。それは郡上では「白山信仰」と呼ばれたものだろう。だが、白山信仰をただひもとくのでは、歴史ロマンにならざるを得ないかもしれない。

私たちが、こうした猟師の葛藤や挑戦から再び山を見つめ直すこと、山から何が生まれているのかをとらえなおすことは、これからの郡上藩江戸蔵屋敷で追いかけていくテーマとなるだけでなく、これからの生き方を見出していく道標となるに違いない。Vol.5の配信動画は、そのことをほのかに指し示している。

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