郡上藩江戸蔵屋敷

郡上おどりと盆踊り

郡上藩江戸蔵屋敷 vol.7 レポート


■ダイジェスト■
郡上おどりは「日本三大盆踊り」と言われるように、盆踊りのひとつとして数えられています。それでは何故、お盆だけでなくその他31 夜にもわたり開催されることになったのでしょうか?そして、そもそも郡上おどりはどのように始まったのでしょうか?そんな、郡上おどりのルーツを辿り本来の価値を感じ取れたなら、きっとその人の踊りは美しく、カッコよくなるはず。そんな思いで、踊り助平3名による座談会を開催しました。

< 踊りのルーツを辿る。「呪能」から「芸能」へ >

「今回のテーマは、『ルーツを知れば踊りが変わる』です。ルーツ、ということでまずは、踊りってなんだろうこんな一風変わった座談会によって、参加者の踊りは変化したのでしょうか?、ということを考えたいと思います。人はなんで歌ったり踊ったりするのでしょうか?」

郡上の民謡から郡上踊りの歴史まで幅広く伝承されている井上博斗さん

講師の一人である井上さんの問いかけから、この座談会がスタートしました。会場からも「楽しみのため」「祈りの一種」「コミュニケーションの方法」など、いろんな意見が出ました。それでは、起源はどこにあるのでしょうか?

井上さんは縄文時代に言及し、人が唄い踊るのは本来、死者や神仏といった異界と出会うための「呪能」であったと伝えます。郡上には白山という霊山があり、その麓には1万年以上も前から人が住み着いていたとされています。狩猟採取生活をする人にとって、山は恵みそのもの。山を崇める心を持つことはごく自然なことだったと推測されます。その人たちの中の一部が特別な能力を持ち、唄って雨を降らせるなどといった「呪能」を用いてきたのです。

今でこそ、レジャーの対象として見られるようになった山という存在になりましたが、中世の頃は修行の場であり、霊的なものを身体に分けてもらいに行く場所だったのです。神秘体験を通じて身体に受け取ったものを、里の人々に伝える手段として用いられたのが「念仏」でした。

「念仏には親しみがないと思われているかもしれませんが、郡上おどりをはじめとする盆踊りは、念仏踊りにルーツがあるとされています」

そうして唄や踊りは、マジカルな方法としての「呪能」から、人に娯楽を提供する「芸能」の意味合いを含むものへと変容していきます。その貴重な現象を捉えた祭事が、郡上白鳥の白山長瀧神社に伝わっています。毎年1月6日に催される「長滝の延年」です。

神職による神事がおこなわる「呪能」の場と、「延年の舞」という「芸能」の奉納。そして、そんな洗練された光景を尻目に、拝殿の土間から吊るされる花に群がる荒々しい大衆。

「呪能」から「芸能」へ移ったのではなく、今も入り乱れ、共存しながら続いているのです。

< 郡上おどりの源流、場所踊り >

「呪能」によって拝殿に降ろされる白山神を、普段生活している場に降ろしてきたい。そう思った人々は、集落の神社に拝殿を作り、キリコ灯籠をもうけて、拝殿の中で踊るようになります。これが、郡上おどりファンの中でも知る人ぞ知ると言われる、場所踊りや拝殿おどりといわれるものです。今でも郡上の各地の拝殿で、地元住民が踊っています。

拝殿に吊り下げられたキリコ灯籠

「場所踊りは、山伏の動きです」井上さんは、突如唄いだし、場所おどりを披露します。会場の雰囲気が一気にしまり、会場に吊るされたキリコ燈籠が一層の存在感を放っていました。

「山に入る時の動きですので、まずは樹霊を鎮めるために6歩踏みます。この動きは、ヘンバイと呼ばれています。手は後ろに組み、いわゆる死者、祖霊や人間の先祖をおぶっているんです。では、踊ってみましょう」

唄に合わせて、足の動きを真似する参加者。中には「場所踊りを踊ることが憧れだった」と話す参加者もいらっしゃいました。

輪になってバショウを踊ることで、拝殿に白山神をおろしてくるんです。その場所で盆踊りを始める、というのが郡上八幡以北の拝殿踊りとして今まで残っています。そんなルーツを、みなさんに身体で体験してもらいました。

時代は近代。明治期に入ってから、郡上おどりを取り巻く環境は荒々しく変化します。国策によって、神仏との繋がりが否定され、旧来の能や歌舞伎は廃絶の方向に仕向けられたのです。もちろん、民間芸能も例外ではありません。

「廃絶すると言われたって、郡上の人たちは踊りが好きすぎるんですね。そんな時にも関わらず、七大縁日には郡上おどりが続けられていました」

とはいえ、国策により否定されていたので、元の形はどんどん失われていく。そこに危機感を覚えた郡上の人たちは大正デモクラシーの最中、自分たちの芸能の復興のために郡上踊り保存会を設立しました。

それから郡上おどりは、どんどん陽の目を浴びるようになったのだといいます。戦後直後の全国民謡大会では郡上節が優勝をおさめ、1973 年には、古調かわさきが選択無形民族文化財に選出、1996 年には郡上おどりが国の重要無形民俗文化財に選出されました。今では年間40万人に来てもらえる踊りに発展しました。その風を受け、2004 年には拝殿踊りまで、重要無形民俗文化財に認定されました。明治で否定されてきたことを、巻き戻すように、郡上おどりの価値が国に認められてきているのです。

「僕たちが普段踊っている踊りは、そんな歴史の層が積み重なってできてきたものなのです。そういうことを
感じながら踊ってもらえたら幸いです」