2023年04月 - 夢職ひきこもりの日々
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夢職ひきこもりの日々

40歳で鬱で職を失いました。2014年1月~2018年10月までトレードで生活費を稼いでいましたが、稼げなくなり完全に夢職なりました。酒場巡りをライフワークとするアル中予備軍。無業期間が長くなりすぎ再就職はあきらめました。

4/28(金) 近況   

調子は少しずつ戻っているようです。

今朝は妻が仕事に出掛ける8:30に起きました。
それから家の前の掃き掃除をして、ゴミ出しをして、洗濯物を干して
喫茶店へと出掛けました。


食欲も少し戻ってきて、朝は調子が悪く食べる気にはなれないものの、
昼と夜は食べれるようになりました。

お酒はまだ飲みたいと思いません。
お酒を飲んで楽しい気持ちになることが想像できません。
飲もうと思えば飲めそうですが、そういうことを拒否しているような気もします。
お酒を飲まないと体が楽なので、このままずっと飲まなくても良いかなとさえ思っています。


睡眠はここ最近寝付くまで1時間ほどかかります。
睡眠時間は4~5時間ぐらい。
朝、目を覚ましてからは布団の中で2~3時間ぐらいウトウト、ゴロゴロしている感じです。


無気力なのは相変わらず。
何もしたくありません。
元気だった頃、時間があるときは山や川に歩きに行くのが好きでしたが、
そういうことが無くなりました。

これは、もしかしたら両親への反発があるのかもしれません。
私が実家でうつ状態で苦しんでいる時、
父親は家で寝てばかりいないで、外に歩きに行けと言いました。

1ヵ月ほど前、母親から電話があり、うつ状態で調子が悪いと話をすると、
家にばかりいないで、外に歩きに行くのが良いと言われました。

あーしろ、こーしろと指示を出してくる両親に対し、無意識のなかで反発して、
外に歩きに行くことを拒否しているような気がしますが
それは分かりません。



こんな感じで、徐々には回復しているように思えますが、
根本的なものは何も変わっていなくて、
ずっと生きることに対して虚しさを感じたままです。

一方、生きる事に対し、どこかあきらめなようなものも感じ始めています。
人生を充実させたいとずっと思っていました。

本を読んで色々な世界を知りたい。
旅行へ行って色々な外の世界を目にしたい。
自然の中を歩いて癒されたい。
お酒を飲んで楽しい気持ちになりたい。
音楽を聴いて感動したい。

生きるということは、色々なことを楽しむことだと思っていました。
これは学生時代、会社員時代と自由の無い生活を送ってい、
その失った時間を取り戻したいという思いが強かったからだと思います。


でも人生を充実させなくても良いのではないか。
ただ生きているだけ良い。
生きていて辛くなければ良い。
毎日無為に生き、生きる屍となっても良い。

理想とする生き方をしなくてはならないという強迫観念が
少し薄れてきたような気がします。



もう一つの気持ちの変化は、もう一度社会に出たいと思い始めました。
仕事をすることは無理があるような気がしますが、
何かしらの形(例えば趣味の世界とか)で、
外の世界に出た方が良いのかなと思ってます。

なぜ、そう考えているかというと、
ずっと家にひきもこり、気持ちが自分の内に向かい続けることは
心に良くないと思ったからです。



そんな感じで、この先は今までの生き方を変えるべく
色々と試行錯誤していこうと思っています。

category: 夢職の日々202304

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4/24(月) 近況  


4月は何もしないまま終わりそうです。
この季節は例年山に歩きに行きますが、全く出掛けていません。
桜の咲く頃は川に一人で歩きに行きますが、それも今年はできませんでした。
仕方がありません。



精神的な不安定さは徐々に良くなっているように感じていますが、
まだまだのようです。

妻曰く、見ていてまだ調子が悪そうだと。
「何で?」と聞くと、「口数が少ないから」だと。
調子が悪く、人と接することを自然と避けているような気がします。

他にも、お酒を全く飲む気がしなくなりました。
1ヵ月近く全く飲んでいません。
体がアルコールを欲しないようです。
抑うつ状態で楽しい気持ちではないので当然のことかもしれません。

食欲もまだありません。
基本は1日1食です。夕飯だけを食べます。
夕方までお腹が全く減りません。
妻と買い物なので外出した時には食べることもあります。
食べようと思えば食べられますが、食べたいという欲求がありません。

お酒も飲まないし、食欲もないので体重が減りました。
少し太っていた時は72kgでしたが、1ヵ月で4kg減り68kgになりました。

睡眠はあまり問題はありません。
睡眠薬を飲まなくても眠れるようになりました。
2時頃寝て、7時頃目を覚まし、
ダメな時は10時頃まで布団の中でゴロゴロしています。
朝はとても調子が悪いです。



外出は必要な時以外は全く出掛けなくなりました。
妻に連れられて買い物に行くぐらいです。

自宅では何もしていません。
将棋の対局も見ていません。
音楽も全く聴く気にはなれないし、ラジオも聴かなくなりました。
ダラダラとインターネットをしていることが多いです。

本は読んでいます。
自分の状態が知りたくて、精神科関連の本を読んでいますが、
それ以外は全く読む気にはなれません。



今日は比較的調子が良いので、
ブログを更新する気になれました。

最近読んだ本を元に、私の事をまた少し書いてみようと思います。

category: 夢職の日々202304

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何もない私について その3 最終回  

■4/17

精神面は少し落ち着いてきました。

それでも元の生活には程遠いです。
一人でランチに食べに行くこともないし、
お酒も飲む気はしません。
3週間以上全く飲んでいません。
こんなに飲まないのは10年ぐらいないかな。

食欲もあまりなく1日1~2食のことが多いです。
今日は夕方の1食だけ。
朝も目は覚めますが、布団を出るのは10時ぐらいです。
今日は洗濯や台所の洗い物などの家事はできました。



今かかっている精神科医の先生に
私の精神的な不安定な状態は、
両親との関係が心の傷になっているのかもしれないと言われました。
そして、それは一生涯続く可能性があると。

一方で、昨年受けていたカウンセリングの先生には、
両親との関係だけでなく、元々持っている性質も影響していると言われました。

いずれにせよ、今回のことに限らず、精神面の不安定さは、
両親との関係が影響していそうです。



母が言うには、私も妹も思春期に訪れると言われる反抗期が無く
とても育てやすい子供だったそうです。

それは当然のことです。
父親は力で子供たちを押さえつけ、自分の思うままに支配してきました。
そして母親は、私たちを全く助けてくれませんでした。
反抗できる環境になかったのです。

私がそのおかしさに気が付いたのは40代前半の時でした。
だから今、反抗期が遅れてきているのかもしれません。

ブログには、過去の両親に対する恨みつらみを全て書くつもりでした。
でも書いてはみたのの、自分の恥部をさらすようで
はずかしいのでやめました。
記事は保存はしていあるので、いずれまた怒りの感情が爆発したら
再編集して公開するかもしれません。



自分は空っぽだと思います。
ずっとそうでした。
生きてることが虚しい。
楽しいと思える状況でも空虚感に襲われる。
夕方になると無性に悲しい感情があふれ出てくる。

親に支配されて、自分を殺して生きてきたからなのかもしれません。
父の支配は今でも続いています。
父はそれを悪いこととは思わず、改める気配はありません。

うつ病で実家で療養しているとき、
寝てばかりいないで図書館に行ったり散歩に行けと。

うつ病が良くなってからは、
早く新しい仕事を見つて働けと。

息子が不登校になり、中学校に行けなくなった時、
勉強はどうなっているんだ、塾に行かせろと。

お酒を飲めば、お酒は飲みすぎるなと。
日常生活の細部まで口を出してきます。

子供の頃からずっとそうでした。それは50年以上続ています。
父は自分の思うままに、家族を支配したのです。



こう書くと、私の両親が全て悪いように思われるかもしれませんが、
親に反発することなく生きてきた自分にも責任はあります。
そのことは反省すべきだと思っています。

今は両親とは必要以上に会わないようにしています。
もう一緒にいることのできる時間も長くはないだろうし、
親不孝をしているようで罪悪感を感じる時があります。

でも今の私と両親の関係は、
そのように子供をそのように育ててきた結果です。



私の生き方は、親の顔色をうかがって常に生きてきて
自分の意志はほとんどない、からっぽの人生です。

そして常に無理をして生きてきました。
親から良く思われたい、他人に良く思われたい、
充実した人生を送りたい、幸せになりたい、より良く生きたい。

私が精神を病んでいるのは、
ずっと無理をした生き方をしているからだと思っています。

前の大きなうつ病の時は、
仕事を辞め、社会から離れて生きて行く決断をしました。
今回もまた、何かしら生き方を変えなといけないような気がしています。

病気になるというのは、自分のことを考え直す
良い機会のような気がします。

category: 精神病院/鬱/発達障害

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何もない私について その2  

■4/7(金)

7:00に起きましたが、朝から憂鬱感が強かったです。
しばらく布団でゴロゴロしていました。
9:50にワイパックスを飲んで、再び布団に入って寝ました。

寝ていて時々目を覚ましますが、何とも言えない嫌な気持ちに支配され
苦しくて仕方がありません。
ワイパックスを飲んでいる時は比較的調子が良いのですが、
薬が全然効いていないようでパニックに陥りそうでした。

13:20に布団を出たら、少し気持ちが落ち着きました。
図書館から本の返却の催促のメールが来ていたので、
図書館に本を返しに行きました。
その後は、比較的気分は安定していました。
朝方、あんなに調子が悪かったのに、
こうも急にいつもと同じ気分に戻り驚きました。

うつ病なら、ずっと苦しい気持ちが続くはずです。
私の今の状態は何なのか?全く分からず混乱しそうでした。
その後、ブログを書きました。


■何もない私について その2

生きていていつも虚しさを感じている。
生きていて苦しい。だけど死にたいとは思わない。

何のために生きているのか分からない。
無理をして、幸せな人生を歩もうとしている。
幸せな振りを世間に見せいようとしている。

しかし中身は何もない自分がいる。
51年生きてきたけど、自分には何もない。
ただ存在しているだけ。そのことが堪らなく虚しい。



火曜日の診察で、精神科医に境界性パーソナル障害かもしれないと言われました。
言葉では聞いたことはあるけれど、
それがどんな障害かは全く分かりませんでした。

自宅に帰って調べると、
境界性パーソナリティ障害の特徴のいくつかが当てはまりました。

●気分や感情がめまぐるしく変わり、周囲の人々がついてこられない。
●感情のブレーキが効かず、ちょっとしたことで癇癪(かんしゃく)を起こしたり、
 激しく怒り、傷つきやすい。
●いつも空虚な気持ちを抱き、幸せを感じにくい。
●生きることに対して辛さや違和感を持ち、自分が何者であるかわからない感覚を抱いている。

更に、境界性パーソナリティ障害が発症する原因として、
以下のような記述がありました。
-----------------------------------------------------------------
幼い時期は母親との愛情関係を築くのに重要な時期であることは言うまで
もありませんが、仮に安定的な関係が築けない場合、その後の自己の確立
や感情のコントロールに大きく影響を及ぼし、人格形成に関わることが解明
されてきています。
子どもが成長してもなお、母親離れ・子離れがうまくできず、親子ともに依存
している状態(共依存)にある人や、成長の課程で親が子供を褒めたり認め
たりせず、欠点ばかり指摘して子供を否定し続け、子どもが親の価値観に
合わせ過ぎた「真面目な優等生」で育ってしまった場合など、本人の自己否
定感が強くなり、幸せを感じることができにくくなっている人も発症しやすいでしょう。
-----------------------------------------------------------------

これまでの人生を振り返ると、
私は親の価値観に合わせ過ぎた「真面目な優等生」だったように感じます。
母親曰く、私には反抗期が無く育てやすい子供だったそうです。
私の両親は、私が親に反抗すること許さなかったように思えます。

幼少期の頃~大学生までの、
私と両親との関係について少し書いてみることにしました。


【幼少期】

バイオリン、水泳、幼児教室に通わされていました。
これらは全て母の意向だったと思います。

これは想像ですが、母は自分の生き方にコンプレックスが
あったのだと思われます。
その傷を埋めるために、子供を世間で優秀と思われるような
人間に育てたかった。
だから、ずっと子供の教育に力を入れいていました。


バイオリンは幼児期から小学校6年まで通っていました。
集団のレッスンや個人レッスンなど、
教室は途中で何回か変わりました。

発表会とかもあって、私は人前に出るのが苦手で
それは苦痛以外の何物でもありませんでした。
親戚の結婚式でバイオンリン弾けと言われたこともあり
それは全力で拒否してやりませんでした。

そもそも私はバイオリンに興味がないどころか、
音楽自体にも興味がなかった。
好きでも無いことを無理矢理母にされていた。

だから幼少期から小学校6年まで10年近くバイオリンを
習ったにも関わらず、どんな曲を弾いたかは一切覚えていないし、
苦しい思い出しか残っていません。



水泳教室にも幼児期に通わされていました。
はじめに通ったのは初級コース。
5回通えば修了証がもらえたようです。

私は水が怖く、プールでずっと泣いていたことを覚えています。
幼少期に水泳なんかしたくありませんでした。

教室にはバスで通っていました。
3回目の教室の日、バス停の前で行きたくないと大泣きしました。

すると母は、「5回すべて通わないと終了証は貰えないのよ!」と激昂しました。
その時の記憶ははきりと残っています。


母親とは子供を守ってくれる存在だと思っていました。
しかし、私の母は守るということはないように思えました。
自分の体裁を整えることが大事だったのでしょう。
優秀な子供に育て上げたかったのでしょう。
彼女にとっての子育ては「自分の作品を作り上げる」といったもののように思えます。


幼児教室では、算数の足し算や引き算を習った記憶があります。
バイオリンも、水泳も、幼児教室も
幼児期からそんなことをする必要があったのか?
私は今でも疑問に思っています。

category: 精神病院/鬱/発達障害

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何もない私について その1  


昨日から処方されたワイパックスを
3錠/日飲み始めました。
あと寝る前に睡眠薬としてルネスタを飲んでいます。
ルネスタは効きません。


ワイパックスは抗不安薬で、マイナートランキライザーを言われ
向精神薬の中では軽い方です。
こんな薬でも、10年振りに内服として飲むようになると
眠くなって寝てしまいます。
今日も夕方17:00-19:45まで3時間弱寝てしまいました。

薬が効いて寝てしまうのか、
ずっと張りつめていた気持ちが緩んで寝てしまうのか。
昼寝から起きると強烈な憂鬱感が襲ってきて、再びワイパックスを飲みました。
その後、お風呂に入ると、頭の中が「ボカーン」といった感じになりました。
悪い気分ではありません。


10年以上前、酷いうつ病を患い、
希死念慮があり精神病院に入院する前の処方は
・抗精神薬(メジャートランキライザー)
 ジプレキサ錠5mg(夜1錠)
・抗うつ薬(SSRI)
 ルボックス錠50mg(朝2錠、夜1錠)
・抗不安薬
 ソラナックス0.4mg(頓用1錠)
・睡眠薬
 メイラックス(寝る前1錠)
・漢方
 抑肝散(朝、昼、晩1包)
とそうそうたる顔ぶれでしたが、
飲んでいても効果が全く感じられず、入院することになりました。




と、前置きはここまでにして、
今回は、私が生きてきた過去について、
どんな生き方をしてきて、どんなことを感じたのか
ということを書いてみたくなりました。

それは、私が今置かれている状況というのは、
過去の延長のような気がしたからです。

長くなりそうなので、何回かに分けて書くつもりでいますが、
途中で打ち切ってしまうかもしれません。
そのあたりはご理解下さい。



今回、精神的なバランスを崩して
また精神科のお世話になることになりました。
仕事を辞めストレス要因がなくなったら、
二度と精神科にはかかることはないだろう思っていたので
少し残念な気持ちはあります。

一方で、本当の私は、敏感で、不安定で、脆い存在で、
いつも寂しい気持ち、不安な気持ちを抱えていて
生きることに虚しさを抱えている。

いつ精神のバランスが大きく崩れてもおかしくない
つなわたりをしているような精神状態が続いていたように思えます。
そして、今回は大きくバランスを崩してしまいました。

このブログでも、精神面の調子が悪いとよく書いていました。
でも、ずっと調子が悪いということはなく、
時々突然、過活動になったりして、週に何度も山に行ったり、
毎日喫茶店に通ったり、
自分で自分についていけない時が時々ありました。


自分では、精神状況が悪くなっても、
大丈夫、何とかなるとと常に鼓舞して生きてきました。
そしてその都度、誤魔化しながら乗り切ってきました。


最近、ここ10年の私の状態について、
妻に聞いたところ、仕事をしていた昔ほどは酷くないにせよ、
精神的に不安定でかなり苦しそうだったり、
イライラして家族に当たったり、
急に食事を食べられなくなったり、
病院に掛かった方がいいんじゃないかなと
ずっと思っていたと言われました。


私自身が感じていたことと、家族が感じていたことには
大きな差があったようです。

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4/4(火) 近況  精神科へ その2  

昼前に自宅を出てクリニックへ。

クリニックに行く前は調子も良くて、診察が終わってから
帰りにどこかで昼食を食べていこうと妻と話していました。



クリニックはいつよもりも混んでいるように感じました。
予約時間を10分ほど遅れ診察がはじまりました。

・12月中旬から、無気力、不安感・憂鬱感が強く感情が不安定
・いつもなら春前には良くなるが、今年はもとに戻らない。
・歯の治療をはじめ、痛みが取れなくて不安感が強くなり
 より一層精神的に不安定になった。

などといった経過を話し、先生に「いつも不安感を強く感じる方なのでしょう」
といわれたら涙腺が崩壊して、あとは私から話はできませんでした。
涙の意味は、私のことを分かってくれる人がいるという安心感、
診察してもらい、薬が処方されるという安堵感からだと思います。


その後は、妻と先生で、私の家での様子について話していました。
(私は話せる状態ではなかったので、妻に付いてきてもらってよかったです)
状態が酷ければ入院と言っていたのが聞こえました。



初診の時、先生には私と両親との関係が悪いという話もしていました。
そのことで心理的に何か今の状況(不安感が強い)につながっているのかもしれないと。
親との関係の傷は生涯癒えることがなく、この先も不安定な状態は続くかもしれないと
いったような話が聞こえてきました。
この話を聞いて、さらに涙腺が崩壊しました。

パーソナル障害も疑っていたようで、
場合によっては気分安定剤が有効かもしれないと言われました。
私は自分が躁うつ病を疑っていた時もあって、
一度気分安定剤を飲んでみたいと思っていたことはありましたが、
パーソナル障害と言われたのは初めてで驚きました。
妻が言うには、愛着障害(親との愛着が形成されなかった)を含んだ障害だと言っていました。



診察は30分ほどで、泣き疲れてぐったりとしました。
先生は辛そうな私を見て、一週間後に再度診察に来るように言いました。
薬はワイパックス(抗不安薬)を1日3回、ルネスタ(睡眠薬)を処方されました。
これまで頓服用の薬を少しずつ使っていたので、きっちりと薬が処方され安心しました。

ここにしばらく通えば、精神の不安定さ、感情のコントロールが
良くなるかもしれないといった希望もわずかに見えてきました。
もしかしたら、この先ずっと薬を飲んで感情をコントロールしていかなくては
ならないのかもしれません。

診察後はぐったりと疲れ、昼食を食べる気には全くなりませんでした。

夕方、疲れて布団に入って昼寝をしました。
いつも、昼寝は1時間前後ですが、
昨日は17:00-19:30まで2時間半も寝てしまいました。
ここ数日は沢山寝てしまいます。調子が悪いのか、薬のせいなのか。



夜はパーソナリティ障害について調べました。
パーソナリティ障害にはいろいろありますが、
おそらく私は境界性パーソナリティ障害を疑われているようです。

一部を抜粋すると
-----------------------------------------------------------------
【境界性パーソナリティ障害】

境界性パーソナリティ障害の診断を下すには,患者に以下が認められる必要がある:
●不安定な対人関係,自己像,感情(すなわち,感情の調節不全),
  および顕著な衝動性の持続的なパターン

この持続的パターンは以下のうちの5つ以上により示される:
●見捨てられること(実際のものまたは想像上のもの)を避けるため必死で努力する
●不安定で激しい人間関係をもち,相手の理想化と低評価との間を揺れ動く
●不安定な自己像または自己感覚
●気分の急激な変化(通常は数時間しか続かず,数日以上続くことはまれ)
●持続的な空虚感
●不適切な強い怒りまたは怒りのコントロールに関する問題
症状は成人期早期までに始まっている必要があるが,青年期に生じることもある。
-----------------------------------------------------------------

不安定な感情、常に感じている生きることに対する虚しさ、
夕方になると寂しく不安な気持ちになる、親子関係・友人関係の不安定さ

これらは全て自閉症スペクトラム障害によるものかなと思っていましたが、
もしかしたら境界性パーソナリティ障害によるものなのかもしれません。

実際、私が自閉症スぺことラム障害を否定する医師もいました。
これまでの仕事において人間関係でトラブルがなかったこと
今の妻と恋愛を経て結婚し、ずっと婚姻関係が続いていること、
コミュニケーションにおける大きな障害が無いように見えると言われました。


それでも、私の場合は、
色々な精神障害が入り組んでいて、不安定な精神状態が続いているのだと思います。



私には妹がいます。
妹も最近、両親との関係が悪いです。

父は独裁的な人でした。
家族を自分の思うよにコントロールしようしてきました。
私も頭を殴られながら勉強を強いられてきました。
そのことは今でも恨んでいますし、数年前、直接父に抗議しました。
しかし、父は自分のしてきたことを悪いとは思っていないようでした。

妹曰く、
「父は自分の人生を幸せするために、家族である母や私たち子どもを
 駒を動かすように扱ってきた。」と。
「小遣いなどを渡すことで金銭で釣っていた」とも言っていて
なかなか的を得ていると思いました。


長くなりましたので、ここで終わりにします。
私が今まで生きることに対して感じてきたことを少し書きたいと思っています。

category: 夢職の日々202304

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4/4(火) 近況  精神科へ  

今日は精神科にかかってきました。
いつもは一人で行くのですが、今回は精神的にかなり不安定で、
妻に付いてきてもらいました。



精神科にかかるにあたって、少し悩みました。
昨年の3月からかっているAクリニックは、
抗不安薬と睡眠薬を頓服という形で処方してもらっています。

しかし、ここの先生は「薬にあまり頼らない方が良い」と言われていて
今回の酷い状況でも、薬をあまり出してもらえないかもしれないと心配でした。

また、このクリニックは家から少し遠いので、
今のように体調が悪いと通うのが大変に感じられます。



もう一つの候補のBクリニックは、
10年前にうつを患い、最後にかかったクリニックです。

Bクリニックでは先生に
「あなたはうつ病歴が長いから、予防的な意味もあり、
 この先もずっと維持のために抗うつ薬を服用した方が良い」と言われていました。

しかし、私は仕事を辞めうつも良くなってきたので、薬を止めたい気持ちがありました。
先生の方針を押し切って、自分で勝手に減薬、断薬を実行し、
その後クリニックにかかることは無くなりました。
だから、Bクリニックの先生には負い目がありました。

でも10年前のことですし、家から近いといった利点が大きいので
Bクリニックにかかることにしました。



一昨日の月曜日にBクリニックに診察予約の電話をしました。
すると、Bクリニックはずっとかかっていなかったので初診扱いになり、
初診枠での予約が必要であると。
そして、初診枠の予約は7月まで一杯だと言われました。

これから3ヶ月も待つのはどう考えても無理なのであきらめることにしました。
世の中には、精神的に病んでいる人が沢山いるのだなと改めて思いました。


そこで、今までかかっているAクリニックに電話をし、
明後日の水曜日に空きがあると言われ
すぐに予約を取ることができました。

category: 精神病院/鬱/発達障害

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抗不安薬の話  

今日はソラナックスを飲んだせいか、夕方3時間ほど寝てしまい、
全く眠くないのでブログを書くことにしました。


抗不安薬について書きます。


一番最初に精神科にかかったのは
まだ会社に勤めていたころで、30歳の時だっと思います。
仕事をしていて不安感が強く、夜も眠れないという話をしたら
ドグマチールとデパスを処方されました。

寝る前にデパス0.5mgを飲むように言われ、
薬を飲んだらものの5分もしないうちに意識が無くなりました。
気が付いた時には朝になっていて、
こんなに良く眠れる薬があるのだと感動したことを覚えています。

しかし、そのデパスも耐性が付いてしまい、
1mgに増量されても眠れることは無くなりました。



主治医が変わってからは抗不安薬としてデパスが処方されることは無くなりました。
ある時期、デパスは多幸感が得られるとのことで、
乱用による依存の問題が出てきたからだと思われます。
代わりにソラナックスが処方されるようになりました。

仕事の無い休日の昼、ソラナックスを飲んでリビングで少し横になったら
気が付いたら夕方になっていたことがありました。

普通昼寝をするときは、横になっていると眠気が来て、
このまま眠ってしまいそうだという意識があり
その後眠るというステップがありますが、
その時は横になったらいきなり寝てしまったようです。

抗不安薬には催眠作用もあります。
不安が抑制され、安心して眠れるというのあるかもしれません。



今日は歯科に行く前にソラナックスを飲みました。
歯科から帰宅して、夕方(多分18時ごろ)横になってTVでニュースを見ていたら、
気が付いたら20:40でした。

3時間弱ぐっすりと寝てしまいした。
寝ていたというか、意識が飛んでしまったような感じです。
普段の昼寝は30分~1時間で、それだけねると頭がすっきりしますが、
今日はこのまま朝まで寝ていたい気分でした。



ここ何日か酷い抑うつ状態で、
昔、うつだった頃の事を思い出しました。

昨年あたりから生活の質を上げるため、
抗不安薬や睡眠薬を積極的に使っていますが、
せいぜい月に4~5回といったところで、
今回のように連日使うことはありませんでした。

薬を使うととても楽です。
でもあまり薬に頼りすぎると、耐性が付いてしまい効かなくなります。

それと、調子が元に戻ったら、減薬したり、
服用を止めることになるかもしれませんが、
その時は離脱症状がきつかったりするので少し心配です。
それでも今は緊急事態なので連用しています。



今は自己判断でため込んだ抗不安薬を
その時に精神状況に合わせて使っています。

・レキソタン(強い、中期間)
 飲み始めの効きが強い感じ。効果が切れるのは早い。
・ワイパックス(強い、長期間)
 レキソタンよりやや弱いけど効きは長持ちする感じ。
・ソラナックス(やや強い、中期間)
 即効性あり。催眠作用もあり眠れる。
・セルシン(中ぐらい、中期間)
 昔は良く効いたきがするのだけど、今は効果が弱い感じ。
・メイラックス(弱い、長期間)
 即効性はないけど持続性あり。寝る前に飲むと眠れる。

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これは私の感じ方で、上の表の評価とは少し違います。
人によって感じ方が違うのかもしれません。

セルシンなどはデパスと同じぐらい催眠作用は強いようですが、
私はこれを飲んでも全く眠気はきません。
メイラックスは催眠作用は弱いと書かれていますが、私は寝る前に飲むと良く眠れます。
セルシンの筋弛緩作用は強ですが、私は全く感じられません。

作用期間(半減期)も表では、
レキソタン>ソラナックス>ワイパックスですが
私の感覚では、ワイパックス>レキソタン=ソラナックスです。


明日は精神科に行くので、どんな薬が出るかが楽しみです。

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4/4(火) 近況  

今朝はいつもより調子は良かったです。
8:40に布団を出ることができました。

午前はなにもせず。
午後から歯科があるので、不安で何も手につきませんでした。



1年ほど前、左奥歯が痛くなり、
今まで掛かっていて歯科に行き痛いと訴えましたが、
全く痛くない違う歯を治療されました。

次に掛かった歯科では、痛いと言った歯は治療してもらえましたが、
治療後に更に痛みが悪化し、それを訴えると混んでいるので
次の予約まで待って欲しいと1週間ほど痛みを我慢させられたりしました。
(本来なら出るはずの痛み止めも出ていなかった)

そのため、そこの歯科での治療は止めることにして、
今日から新しい歯科にかかることになりました。
歯科不信に陥っていて、歯科に行くのが怖いです。



歯科に行く前にソラナックスを飲みました。

今日はこれまでの経緯だけ話をしただけで治療は行われず、
次回から治療してもらえることになりました。
それまで2週間待たなくてはなりません。

痛み止めはありますか?と聞かれ、ありませんと言うと、
前の歯科で出してもらえなかったのですか?
と不思議そうに言われました。

そんなこともあって、再度前の歯科に対して怒りがわいてきました。
良い歯科を見つけるのは難しいです。



今日は歯の痛みはいつもと比べると幾分ましなような気がします。
でも痛いです。
鎮痛剤もあるし、何とかなるなかと。

ソラナックスが効いているのか、気分的には落ちていて
ブログを更新する気になりました。
でも、基本的には無気力で何もする気が起こりません。

これが結構辛いです。
何もしないで時間を過ごすというのは、とても退屈です。

だからといって、本を読む気力もないし、将棋も見たくないし、
外に歩きに行きたくないし、全てのことに対して興味が喪失しているようです。
ネットもヤフーニュース見て、ツイッター見たら、他に見るものはありません。
時間が経つのが遅いです。

精神病院に入院していた時も、毎日することがなくて
その時のことを思い出します。

今日も食欲は無し。
朝から何も食べていないど、不思議とお腹が減りません。


明日は精神科を受診します。

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4/3(月) 近況 その2  

今日は朝10:00に起きて、朝から具合が悪かったので
起きてからレキソタンを飲みました。
薬を飲んだら比較的気持ちが落ち着いて
ブログを書いたり、郵便物の整理をすることができました。
でも、夜になると再びダメになり、21:00に追加でメイラックスを飲みました。

明後日診察があり、そこで薬を処方してもらうので、
気持ちを安定させることを優先で行きます。




【うつの症状】

自分の状態はどんな感じなのか?
というのは自分では良く分かりません。

自分ではまだ平気だろうと思っていましたが、
一週間ほど前に、妻に「私はどんな感じに見える?」と聞いたら、
だいぶまずそうだから精神科に行った方が良いと言われました。

その時は、そろそろ行く覚悟をしなくてならないかなと思ったぐらいで
余裕がありました。
しかし、先週の金曜日ぐらいから抑うつ状態は急に悪くなりました。


■症状1
涙が出てくる。

会社員時代、抑うつ状態の時は泣きながら仕事をしていたことを思い出します。
周りに同僚がいるときはトイレの個室で泣いていました。
飲み会の席でも、アルコールが回ってくると涙が出てきました。

感情のコントロールができなくなるようです。
何故、涙が出てくるのかわかりません。
寂しい気持ち、自分が情けない気持ちからくるような気がします。

日曜日の朝、起きて妻の顔を見たら涙が出てきました。
10年前にうつ病を患った時、妻に心配をかけてしまったという負い目があります。
仕事を辞め、大きなストレスも無くなり、もう二度とうつ病にはならないだろう。
そして、妻にはもう心配はかけないと思っていたのに、またこんな状態になってしまった。
凄い罪悪感がありました。

夕飯の時、リビングに行くとみそ汁を作る出汁の匂いを嗅いで
また涙が急に溢れてきました。
昨年の秋、家族で石和温泉に旅行へ行ったとき
夕飯を食べる会場の匂いと重なって、その時のことを思い出しました。
あの時は楽しかったのに、なぜ、今の自分はこんなに状態になってしまったのだろうかと。

健康体でありたいのに、それができない。
そういった悔しさ、もどかしさもあるのかもしれません。
元気な時の自分と比較してしまい、今の自分が不甲斐なく泣けてきてしまいます。


■症状2
食欲がなくなります。
食事は1日1食。
朝も、昼も、憂鬱な気持ちで胸が一杯で食欲がわきません。
できれば食べたくないです。
でも不思議と、夕方頃になるとお腹が減ってきて、夜はそこそこ食べれます。

夕飯を食べた後は、おやつなども食べれます。
食べるまでなかなか辿り着けないような感じです。

家に居る時間が長く、運動もしていなくて太り気味なので
食べなくても減量になって良いかなと思っています。


■症状3
睡眠が不安定になります。
夜はそれなりに寝付けますが、中途覚醒があります。
朝の3時~4時ごろに目が覚め、起きると憂鬱な気分がどっと襲ってきて
しばらく眠れなくなります。

朝は8時頃に目が覚めますが、布団から出ることができません。
しばらく布団で横になっています。
ラジオを聴く気にもなれず、何もしないでじっとしています。
10時~11時ごろになり布団から出ますが、とてつもなく苦しいです。
体が辛いというよりも、精神的に憂鬱感や不安感が強くて苦しいといった感じです。
最近は起きると抗不安薬を飲むようにしています。


■症状4
無気力で何もする気が起こりません。
折角、桜が咲く良い時期で、いつもなら川歩きをして
桜の写真を撮るのですが、今年はどこにも行けませんでした。

辛うじて、家族で近くの公園や川に行きましたが、
30分~1時間ほど歩いただけです。

将棋のTV対局も見れず、お酒も飲む気になれず、
本は何とか読むことができますが、病気に関する本のみです。

今、手元にあるのは
・よくわかる社会性不安障害
・社会性不安障害のすべてがわかる本
・自閉症スペクトラム障害 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体
です。




うつ病で精神病院に入院した10年前に比べれば、
そこまで酷くはありませんが、ここ10年では一番酷い状態です。
期間的にも長いような気がします。

放っておけば、まだまだ落ちて行きそうなので、
明後日、精神科にかかることにしました。

ずっと抗不安薬で誤魔化してきましたが、
抗うつ薬を飲むことになるかもしれません。
精神状態が安定するならば、それもやむなしです。

category: 精神病院/鬱/発達障害

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4/3(月) 近況  

ブログの更新は3/20以来になります。
前回のブログで、「うつ病はあります!」といったことを書いていましたが、
私は今、抑うつ状態が酷く辛い状況です。
ブログの更新どころではありませんでした。


ここ連日、抗不安薬を飲んでいましたが、
それではもう持ちこたえそうにないので、、
明後日精神科にかかることになりました。
診察の予約が取れて、わずかばかり気持ちが落ち着きました。

今はレキソタンを飲んでいて、薬が効いているせいかいつもよりは穏やかな気持ちです。
その間に今の抑うつ状態の経緯や症状などを書いてみます。


【経緯】


昨年の12月中旬ごろから、なんとなく普段の自分ではないような気がしていました。
憂鬱な気持ちになる時間が長かったり、不安感が強かったり、
無気力で何もする気がしなかったり。

でも、そういうことは日常ではよくあることなのかなと。
気分の浮き沈みは誰にでもあり、私の場合、他の人よりも敏感で、
感情の振れが大きいのでしばらくはじっと耐えるしかないと思っていました。



例年12月~3月頃にかけて、精神的なバランスを崩すことが多いと感じており
季節性感情障害(冬季うつ病)かなと思っていました。

しかし、2月の下旬になってもよくならず、3月に入っても調子が悪いまま。
これといった大きなストレス要因も無く不思議に思っていました。
そうなると季節性感情障害ではなく、持続性抑うつ障害(気分変調症)なのかなと、
考えているうちに、みるみる精神状態は悪くなっていきました。



うつが悪化した要因にいくつか心当たりがあります。

一つは膝の痛み。
1月末に多摩丘陵を歩いたときに両膝を痛め、
しばらくは歩いたり、床に座ったりすることができなくなりました。
長時間歩くと膝に鈍い痛みがあり外に歩きに行けなくなりました。
私の自宅の部屋は和室で、パソコンをするとき床に座らなくはならず、
そのためパソコンをする時間も減りました。
好きなことをできないというのはストレスになります。



もう一つは歯の痛み。
歯が痛くて、いつもかかっている歯科に行くと、レントゲンではわからないけど、
もしかしたらこの歯かもしれないと言われ、痛くもない歯の治療をされました。

当然、痛みは治まらず、違う歯科に通いましたが、
ここが酷いところで、治療が終わったと言われたものの、
治療前より痛みは酷くなりました。

まだ歯が痛いので、できるだけ早めに見て欲しいと言っても、
混んでいるので次回の予約まで待つように言われました。
そんなこともあり、ここの歯科には不信感しかありません。

歯の痛みはきついです。痛みは常時あるわけではありませんが、
夜中に突然痛くなり目が覚めたり、日中も痛みが強くなると気になって何もできなくなったり。
食事も怖くてできません。



12月頃から調子がずーっと悪くて、3月の歯の痛みでトドメを刺された感じで、
ここ1週間ぐらいはずっと憂鬱な気持ちで、
抗不安薬を飲んで誤魔化していたのですが、
先週の金曜日ぐらいから、抑うつ状態がかなり酷くなりました。

酷い抑うつ状態だった10年前のことを思い出しました。

category: 夢職の日々202304

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