夢職の日々202305 - 夢職ひきこもりの日々
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夢職ひきこもりの日々

40歳で鬱で職を失いました。2014年1月~2018年10月までトレードで生活費を稼いでいましたが、稼げなくなり完全に夢職なりました。酒場巡りをライフワークとするアル中予備軍。無業期間が長くなりすぎ再就職はあきらめました。

お酒の話 その4(最終回)  


仕事を辞めて10年以上経ちます。
そのためか、昔の職場の記憶が徐々に薄れているような気がします。

同じ職場の同僚に2歳年下のOがいました。
彼とは良く2人で飲みにいきました。
焼鳥屋、すし屋、居酒屋で飲んだ後、カラオケに行くのが常でした。

カラオケ店は飲み屋街から少し離れていた場所にあったので、
私の自転車で2人乗りして行きました。
30歳を超えたいい大人が2人乗りをしていて、
何度か警察官に呼び止められました。

カラオケに行く前は、コンビニエンスストアへ寄り
600~700円ぐらいの赤ワインをいつも買っていきました。
カラオケ店は持ち込み禁止でしたが、
サラリーマンでお金がなかったので、こっそりと持ち込みました。
2人でボトルを空ける頃にお開きになりました。

翌日は2人とも二日酔いに苦しんいました。
仕事を辞めてからは、二日酔いになるような飲み方はしなくなりました。
会社員時代の飲み会は楽しかったです。



30代前半の頃、株のオフ会で上野の専業さんと知り合いました。
彼は私より20歳上の独身でした。
一人で下町にお酒を飲みに行くのが趣味だと言っていて、
私も色々なお店に連れて行ってくれました。
上野、立石、北千住、南千住、綾瀬、王子、赤羽、
日暮里、巣鴨、平井、大山
常磐線、総武線、京成線沿線が多かったです。

その影響もあって、私も下町に一人で飲みに行くようになりました。
一人飲みの良さは、自分の好きなお店に行って、
好きな食べ物を食べて、自分のペースで飲めることです。
時々、となりあった人と友達になることもありました。



仕事を辞め、再就職活動に失敗し、一時期株で生計を立てていた時がありました。
ずっと仕事も見つからず、やっと株で利益を上げられようになったある日、
妻は仕事へ、子供たちは学校へ行っていて家には私一人でした。
昼にスーパーで寿司を買ってきて、家で昼からビールを飲んでいました。
とても幸せな気持ちでした。

そこに妻が帰ってきて、昼から飲んでいる私を見て烈火の如く怒りました。
元々妻は、私が株で生計を立てていくことを良く思っておらず、
その上、昼から私が家で飲んでいたので頭にきたのでしょう。

「子供が学校から帰ってきて、父親が昼から家でお酒を飲んでいたらどう思う?」
そう言われ、妻が怒るのも最もなことだと思いました。
それ以降、平日の昼に外で飲むことはあっても、家で飲むことはしませんでした。



会社員時代、仕事が忙しくて家で飲むことはほどんどありませんでした。
しかし無職になってからは、お酒に誘ってくれる同僚もいなくなり、
外にも行かなくなったので、一人で家で飲むことが多くなりました。

我が家の夕飯は19時からなので、その時間から飲みはじめ、
大体寝る直前まで飲んでいました。

当初は飲みたいだけ飲んでいましたが、
だんだん酒量が増えてきたので、飲んだ量が分かるように
焼酎やウイスキーは計量カップで測ってから飲みました。

飲酒量は週に4~5日飲んで、
缶ビールを(350ml)飲んだ後、25度の焼酎を300mlといった量でした。
時々、飲み足りなくて焼酎をもう100ml追加することもありました。
こんなペースで40代の後半ぐらいまで飲んでいました。



40代後半ぐらいになってから、代謝が落ちてきたのか
お酒を飲んだ翌日に残るようになりました。
朝起きれなかったり、気分が悪かったり、体がだるかったり。

そんこともあって、お酒の量を減らすことしました。
私は飲むとお酒を途中でやめられなくなるので、
お酒の量を減らすのではなく、お酒を飲む日を減らしました。
その後は、自然とお酒の量も減っていきました。

今は平均で週2~3日、
量は缶ビール(350ml)、25度の焼酎100ml程度です。
飲む日数も、量も半分以下になりました。



コロナ禍になってからは、外に一人で飲みに行くこともなくなりました。
一人飲みは、どこかに泊まりにいったついでで、
わざわざ飲みに出掛けることは全く無くなりました。

お酒を飲むことは楽しいことでしたが、
飲まなければそれはそれで良いかなと思っています。

ここ最近は抑うつ状態で、お酒を欲することは全く無くなりました。
でもこの週末は、妻と2人で外で飲んで、
久し振りにあった友人と3人で外で飲みました。
それでも一人で飲みたいという気持ちは全くありません。


私のとってのお酒をとは、人生に彩を加えるものです。
あればあったで楽しく華やかになるけれど、
無ければ無いで生きていけるのかなと思っています。


終わり

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お酒の話 その3  


社会人になってからは、毎日仕事が忙しくて、
お酒を飲む機会も減ってしまいました。

地方の工場で働いていた時は、山の中にある寮に住んでいたので、
車に乗って行かないと飲みには行けませんでした。
だから、たまにみんなで飲みに行くときは、1台の車に乗り合わせてお店まで行き、
帰りは代行を使って帰りました。

年に1度、職場の忘年会があり、その時はホテルの宴会場で忘年会をしました。
そして、そのままホテルに宿泊して翌日帰るという感じでした。
忘年会のための積立てあがって、給料から天引きされていました。

休日、寮の同期たちはスキーなどに出掛けてしまい、
一人になってしまうと暇で、寮の狭い部屋でTVを見ながらお酒を飲んで
時間を潰すことが多かったです。
350mlの缶ビールを6本買ってきて、それが無くなると終わりといった感じでした。



東京の職場に戻ってきてからは、
会社帰りに同僚と飲むことが多かったです。

私は16年間同じ会社に勤めていましたが、
その間の人間関係にはとても恵まれていて、
嫌だと思ったり、苦手だと感じる人がほどんどいませんでした。

良い同僚に恵まれ、元々お酒も好きだったので、
彼らと飲みに行くのが楽しかったです。

月に数回、仕事があまり忙しくない時に、焼き鳥屋や居酒屋へ
4人ぐらいで行っていたような記憶があります。

一方で、学生時代の友人など、仕事以外の人と会って
お酒を飲むことはほどんどありませんでした。



これから出かけるので続きます

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お酒について  

今日も昨日に続いて、精神面はそこそこ良いです。
朝の憂鬱感がありません。
しかし左の鼻の奥が痛み、顔の半分が痛いです。
抗生剤を飲み始めて4日目になりますが、なかなか良くならないです。

littleXさん、コメントありがとうございます。
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お酒最後に飲んだのは3年以上前ですね。
もともと嫌いなので、仕事の付き合いでしか飲んでいませんでしたが、
コロナ禍になり飲み会もなくなり。
その後転職しましたが、付き合いで嫌いな酒を飲むのも馬鹿馬鹿しいと思い、
今の会社ではお酒飲めないことにして、仕事の飲み会でも飲まなくなりました。
ずいぶん楽になりました。
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お酒とは何ですかね。
私の友人で、アルコール依存症と思われる人が3人います。
そのうちの一人、私より5歳年上のOさんから、
先日、数年ぶりに電話がかかってきました。
昼の13時を過ぎたころなのに、妙に陽気で、呂律がまわらず
お酒を飲んで既に出来上がっている。
お酒は飲み方によっては命を縮めることもあります。

上手く付き合えば、気持ちを切り替えたり、ストレスを発散できますが、
毒であることは間違いないと思っています。

私の人生を振り返りつつ、お酒に関する思い出を書いてみます。



初めてお酒を飲んだのは、小学校6年の頃でした。
同級生の親せきが酒屋を営んでいて、彼がその酒屋からお酒をくすねてきて、
彼の家で飲みました。
興味本位で飲んで、とてもいい気分になったのを覚えています。



中学生になってからは、年に数回、定期的な飲み会がありました。
クラスの同級生10人ぐらいで、都営アパートの屋上で酒盛りしていました。
ある時、アパートの住民から、屋上で騒いでいる子供がうるさいと連絡があったのか、
突然、警察官が現れ、みんなで一斉に逃げました。
みんな逃げ切りましたが、捕まったら大問題になっていたと思います。



高校に入ると、更に飲む頻度が増えました。
運送屋で日雇いのアルバイトを始め、そこで一緒に働ていた、
伏見さんという40代ぐらいの男性がいました。
運送屋でのアルバイトは、現地集合、現地解散であることが多く、
伏見さんは現場の仕事が終わると、ビールの自動販売機に直行し、
缶ビールを購入するや、それを一気に飲み干しました。
その飲みっぷりは見事で、伏見飲みと呼ばれていました。
当時の私は、ビールは苦く美味しく感じることはありませんでした。
そのためコンビニで日本酒の180mlパックを買い、彼らと一緒にお酒を飲みながら帰りました。



高校の時は、大学受験のため予備校に通っていました。
Yと仲が良かったです。
彼も数学が得意で、理系の大学を受験するとらしく
私と同じ授業であることが多かったです。
同じ授業の時は、お茶の水からYの自宅のある神田まで二人で歩いて帰りました。
時々、神田駅のJRガード下にある養老の滝で2人でサワーを飲みました。

43歳の時、高校を卒業して25年になった機会に、高校の同学年全体の同窓会をしました。
その時、Yが亡くなっていることを知りました。

その数年前、うつを患っていて死にたいと思っていた私が生きていて、
まだ、生きていたかったであろうYがこの世にいなくなっている。
何とも言えない切ない気持ちになりました。
Yと高校時代、楽しい時間を過ごすことができたのは、お酒のおかげだと思っています。



人付き合いがあまり得意でない私が、クラスのみんなと話せるようになったのも
お酒の力が大きかったです。
高校の文化祭が終わると打ち上げのため、クラスのみんなで渋谷に飲みに行きました。
クラスで一番背の高いIが予約を取り、入店時には彼が先頭に立っていきました。
当時はおおらかだったのか、高校生だけでも居酒屋に入って飲むことができました。
2次会はHUBという英国風パブで飲むのが常でした。
このお店はチェーン店で今でもあります。
異性と接することが苦手だった私が、異性と話をできるようになったもの
お酒の力のおかげだと思っています。



大学生になってからは普通に飲んでいました。
ファーストフード店や喫茶店でアルバイトをしていて、
そのバイト仲間と飲むのが楽しかったです。

五反田駅前にあったファーストフード店でアルバイトをしていた時に知り合った、
2歳年下のNとはとても仲が良かったです。
23時にアルバイトが終わってから、つけ麺大王へ行ったり、魚民に行ったり、
24時間営業で2階に大きな座敷のある赤のれんに行ったりしました。

Nは岐阜県出身で一人暮らしをしていました。
一人暮らしをしていて家庭料理を食べることがないせいか、
冬になると、西五反田の目黒川のほとりにある赤のれんに行き
瓶ビールの大瓶を飲みながら、2人で良く鍋を食べました。

その後、Nは芸能プロダクションを興しました。
羽振りが良さそうで、20代前半の頃には家賃50万円の
渋谷宇田川町にある賃貸マンションに住んでいました。
私が就職して地元を離れてからは、彼と会う機会は無くなりました。

今、彼はどこで何をしているのかは分かりません。
ネットで調べても、彼の名前は出てきません。

彼が岐阜の高校を中退し、東京に出てきたばかり頃は、
おじさんの家に居候し、お互いお金がなかったので
公園で朝までコンビニで買った缶ビールを飲んでいたことが
今となっては懐かしい思いです。


その2に続く

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5/20(土)~5/24(水) 近況  

■5/20(土)
10:00起床。
昨日、一昨日と朝の調子は良かったが、
それが一転して酷く調子が悪くなった。憂鬱感がとても大きい。
顔の左頬が痛む。

食欲も再び無くなった。
いつもは私が洗濯物を干すが、それもできそうになくて妻にお願いした。

12:00頃から布団に再び入り2時間ほど寝た。
昼寝から目を覚ますと何とも言えない苦しい気持ちだった。
夕方も17時過ぎから1時間ほど寝てしまった。
調子が悪く寝てばかりだった。

夜は自宅で子供たちと共に妻の誕生日祝いをした。
私と同じ歳の妻は、一足早く52歳になった。
お酒など、とてもではないが飲む気分でなかったが、
折角のお祝いなので飲むことにした。

GWに八ヶ岳に行ったとき飲んで以来
全くお酒は飲んでいなかった。
お酒を飲まない生活に慣れてしまった。
缶ビール(350ml)を1本飲む前に酔ってしまった。
その後は家族の飲んでいるレモンサワーを分けてもらった。
お酒を飲んだら気持ちが少し楽になった。


■5/21(日)
11:00布団を出た。
起きると酷く重く憂鬱な気持ちで苦しかった。
午後は妻とスーパーへ買い物へ。
帰宅してからは庭に朝顔のネットを張った。
ひまわりも芽が出て大きくなってきた。

夜、左の鼻から黄色い鼻水が流れてきた。
顔半分が痛かったのは、副鼻腔炎のせいかもしれない。


■5/22(月)
朝の憂鬱感はいつもより小さい。
左の頬から耳にかけて痛かった。

午後から耳鼻科の診察を受けた。
鼻の内視鏡をして、CT検査をした結果、副鼻腔炎だった。
ラスビック錠(75mg)という抗生剤と、
カルボシステイン錠という、副鼻腔炎で膿を出しやすくする薬、
痛み止めのカロナールが処方された。

顔が痛かった原因が分かってほっとしたのか、お腹が空いて、
病院の帰りに海鮮丼を食べて帰った。

帰宅すると疲れがどっと出た。
夕方、18時から30分昼寝をした。


■5/23(火)
朝の憂鬱感は小さい。
顔の痛みも以前より良くなったような気がする。

今日は1日将棋のTV対局を見て過ごした。
うつ状態になってから、しばらく将棋を見ることがなかったが、
少し気力が出てきた。

日中、ラジオも久し振りに聞いた。
精神的に調子が悪かった時は、ラジオを聴く気にもなれなかった。
少しずつ回復しているような気がする。

夜になり、再び顔の左半分が痛くなり、鼻から膿が出てきた。
熱っぽくて体もだるく辛かった。
カロナールを飲んで、0時前に布団に入った。


■5/24(水)
朝の憂鬱感はない。
体のだるさ、熱っぽさはなくなったが、鼻の奥が痛く、左頬が痛んだ。
副鼻腔炎はまだ残っているようだった。

午後から妻と、スーパー、ドラッグスアへ買い物へ。
夜は久し振りにブログの更新をした。

昨日と同様、夜になると左の頬が痛くなる。
肺炎を患った時、夜になると熱が出てきて辛くなったことを思い出す。
それと同じかもしれない。

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5/15(月)~5/19(金) 近況  

精神的に不安定な状態がずっと続いていますが、
週に1~2日、気力のある日があります。
そういった時にブログを更新するようにしているものの
先週はずっと調子が悪くできませんでした。

今日(5/24(水)は少し調子が良いので、ブログを更新しています。
先週からの出来事をまとめて書いてみます。


■5/15(月)
雨が降っていて1日どこへも行かず。
洗濯物も妻が仕事に行く前に室内に干してくれた。

ぴよ将棋という無料のAI対戦型将棋ゲームアプリを見つけ
1日中ネットで対局をしていた。
家事も手伝わず、ずっとパソコンの前にいたので
とても虚しい気持ちになった。


■5/16(火)
昨日に続いて、1日中ずっと家にいた。
食欲も無く、朝、昼は食べず夜だけだった。

今日もぴよ将棋をずっとしてしまった。
酷く虚しい気持ちになり、ただでさえ不安定な精神状態が更に悪化しそうだった。
インターネットの拡張機能を使って、ぴよ将棋にアクセスできないようにした。


■5/17(水)
日中はどこへも行かず。
ぴよ将棋は止めることができたが、部屋にひきこもってずっとネットをしていた。

夜は子供たちがいなかったので、妻と2人で回転寿司を食べに行った。
昨日に続いて食欲が無く、夜しか食べなかった。


■5/18(木)
いつもより少し調子が良い。
朝食を食べる気にもなり、サンドイッチとアイスコーヒーで食べた。

この日の東京の最高気温は34℃と、5月なのに異様な暑さだった。
午前は扇風機の羽根とエアコンのフィルターの掃除をした。
少し体が動くようでうれしかった。

夜も食欲はあって、自宅でカツカレーを食べた。
眠れそうになかったので、寝る前に瞑想をした。


■5/19(金)
朝の憂鬱感はあまりない。
この日は株主優待券を売るため、ゆうパックで金券ショップに発送した。
これまでは、都内の金券ショップに直接持ち込んでいたが、
調子が悪く外出することが困難になってしまったので、ここ最近は郵送にしている。

午後になると顔の左頬のあたりが痛み始め憂鬱な気持ちになった。
体の調子が悪いと精神的にも不安定になる。
何とも言えない苦しい気持ちだ。

0:30
珍しく眠気が来て布団に入ったら、直ぐに眠れた。


ここで一旦切ります。
続く

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コメントへの返信  

コメント下さった方、ありがとうございます。

最近は精神的に調子が悪く、自分の醜い姿をブログでさらしているので、
そのコメントを見るのが怖くてコメント欄を見ることができませんでした。
なぜわざわざブログにそんなことを書くのか?
書くことで自分の気持ちを整理しているのだと思います。

少しだけですが、気持ちに余裕のある時間もできてきたので
コメントを読み始めました。

5/5(金) 近況 のコメントより
littleXさん、コメントありがとうございます。
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ゴールデンウィークは9連休組でしたが、明日からの仕事がとても憂鬱です。
今日は雨が降っていますが、晴れているよりも心が落ち着くので良いです。
いつもは天気が悪いと気分が落ち込みますが、今日はなぜか違います。
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私も仕事をしているときは同じ気持ちでした。
仕事を辞めたら悩みの無い人生を送れると思っていましたが
どうやらそうではなさそうです。

生きている中では、大きさの大小はありますが悩みはつきません。
一つ悩みが無くなったと思えば、また新たな悩みができてくる。
こんな感じでずっと悩みながら生きていくのだろうか。
そう考えるとやりきれない気持ちになり、時々生きているのが嫌になります。

こういった悲観的な考え方を改め、
前向きな気持ちにならなくてはと思うのですが、なかなか難しいです。
でも、何とかしたいという気持ちはあります。


私は雨の日や曇りの日が大好きです。
仕事をしていた時は、雨だと外に出るのが嫌でしたが、
今は殆どの時間を家で過ごすので雨でも平気です。

山や川を歩くときは写真を撮り、晴れた日の方がきれいに撮れるので
晴れの日が良いです。

暑いよりも寒い季節の方が好きです。
寒さには耐えられますが、暑いのは苦しく感じます。



通りすがりさん、コメントありがとうございます。
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中央道を通っていつも気になるのが道が途中で分岐するところです。
どっちを通っても、同じ場所に行くことになるのですが、初見の人はびっくりすることでしょう。
まあ、旧の上りと下りに対して新しい道路を通して、上り線用にしたのだから、
当たり前といえば当たり前なのですが、いつも興味深く思います。
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中央道下り線の談合坂SAを過ぎたところの分離は、
以前は分離は無く2車線でした。

渋滞緩和のため新たに上りの3車線を作ったため、
旧い上り2車線は下り車線となり、あのような分岐ができました。
初めての人は確かに迷いますね。

私は車の運転が苦手なので、だいたい妻や子供の運転してもらいます。
ですから私にはあまり影響はありません。


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左に行く人生と右に行く人生で何か変化はあるのか?
バタフライエフェクトのように、右に行った人生ではいい人に出会えたり
するのではないかと思ってしまいます。
まあ、そんなこと考えて事故するよりも、最近では、すべて左の通行車線を
進むのが正解だと考えるようになりました。

すごくくだらないこと書いてすみません、
どうもあの分岐が私にとっては人生の分岐に思えてしまって、
瞬間的に判断した結果としての現在に何か意味があるのかなと考えてしまうのです。
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なかなか面白い考えだと思います。
これから中央道を通る時は、毎回このコメントを思い出すことになりそうです。

少し話は逸れてしまうかもしれませんが、
最近読んだ本の中に(何の本かは忘れてしまった)
人生上手いく前提で生きているから辛くなる。

生きていて上手くいかない方が圧倒的に多いので、
上手くいかなくて当然と思って生きて行った方が良いのでは
と書いてあってなるほどなと思いました。
トラブルや失敗があって当然と思う方が、楽に生きる事ができると。


私は本を読むのが好きです。
より良く生きたい、より楽しく生きたいと考えていて
そのヒントを本に求めています。

でも、そう上手くはいきません。
色々な本を読み知識を蓄えると、理想的な生き方というのが頭のなかで膨らんでいき、
現実と理想のギャップに苦しむことが多くなります。

そう考えると、あれこれ深く考えて生きるよりも
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すべて左の通行車線を進むのが正解だと考えるようになりました。
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このように考えて生きる方が良いような気がします。
人生はなるようにしかならなりません。

バタフライエフェクトという言葉は、はじめてしりました。
バタフライ効果 Wikipediaより


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どうもあの分岐が私にとっては人生の分岐に思えてしまって、
瞬間的に判断した結果としての現在に何か意味があるのかなと考えてしまうのです。
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人生の難しいところは後戻りできないことです。

ある瞬間において、Aという選択肢とBという選択肢の2つがあったとしても、
選択できるのは一つだけです。

そして後戻りできないことで、AとBを選択した場合の結果を比較することは不可能です。
Aも一つの人生であり、Bもまた一つの人生である。
どっちを選んでも正解、不正解かは永遠に分かりません。

であるならば、判断して選択した結果には意味はないような気がします。
意味があるとすれば、選択するという過程において、
自分で納得した上で判断を下し、選ぶという行為にあるのではないでしょうか。

私は自分で頭で考えて生きるということを、
少なくとも仕事を辞める40歳までしてきませんでした。
そのことは後悔しています。


すみません、道の分岐をどちらに行くかという話で、
そんな大層な話ではないですよね。
もしかしたら見えない何かに導かれていて
何かしらの意味があるのかもしれません。

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5/12(金) 近況   

相変わらず調子は悪いです。
ずっと低空飛行を維持している感じです。
4月末頃、一時調子が上向きになったように感じましたが
やはりダメです。


お酒はGW中家族に付き合って2度飲みましたが、
その後は全く飲んでいません。
お酒を飲もうという気持ちになれません。

10年前にうつになった時も同じでした。
あの頃は2年近くほとんどお酒を飲みませんでした。
調子が悪いうちはお酒を飲むことはないと思います。



一人では外出ができません。
妻と一緒なら、出掛けても良いかなと思えるのですが、
それ以外は外に行く気にはなれません。

元気だった頃は、一人でランチにも行っていましたが、
今はほとんど行かなくなりました。
そもそも食欲がないので、昼食を食べに行きたいと思うことがありません。

山や川へ歩きに行ったりする気にもなりません。
洗濯物を干すため、ベランダに出るととても気持ちが良くて
外に出ないのは勿体ないと思いますが、
外出するのがとてつもなく億劫に感じます。

使わない株主優待券を都内の金券ショップに売りにいくのも億劫で
今は郵送買い取りにしています。

郵送事故が心配だったり、振り込みが遅い金券ショップもあると聞いていたので、
直接店頭に持参していましたが、
郵送の方が時間や手間、交通費も省けるので、意外と便利かもしれないと感じました。



一昨日、妻とホームセンターに買い物に行きました。
庭で家庭菜園をするための肥料などを買ってきました。

庭の土を耕すことも億劫で何もできませんでした。
例年なら4月上旬に土作りをして、4月末頃までに野菜苗を植えますが、
今年は何もしていませんでした。

何もできないことに罪悪感を感じ、それでまた胸が苦しくなります。
一昨日、昨日と庭の土を耕しました。
ついでに伸びた植栽を剪定しました。
土いじりをしたり、剪定をしているときは、幾分気持ちが楽になります。



マインドフルネス瞑想をはじめました。
そういったものがあることは知っていて、やってみたいと思っていましたが
腰が重くてできませんでした。

このブログの読者の方にも勧められた覚えがあります。
昨年カウンセリングを受けていた時、先生にも良いですよと言われ
興味を持ちましたが、なかなか手に付きませんでした。

しかし今回精神的な調子を崩し、何か救いは無いかと考え
マインドフルネス瞑想のことを思い出しました。

インターネットで動画を見ながらやってみましたが、
気持ちが落ち着くような感じがして、私には合っているような気がしました。
本当は毎日した方が良いようですが、気が向いた時(苦しくて仕方がない時)だけしています。

あわせてヨガもはじめました。
心の緊張からか体も緊張しているのか、首や肩、腰が痛むので
動画を見ながら見よう見まねやっています。
ヨガをした直後はとても体が楽になります。
これも毎日ではなく、気が向いた時だけやっています。
毎日しなくてはならないという義務感からすることに抵抗があります。



近況はこんな感じで、あまり調子は良くありません。
毎日、毎日、生きる気力が無く、
誤魔化しながら生きている感じです。

楽しいことは全くありません。
生きる希望も今はありません。
それでも夜になり、今日も1日生きていることができたと思うと
ホッとした気持ちになります。


今日はこれから一人でホームセンターへ野菜苗を買いに行きます。
週末、庭に植えたいです。

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5/5(金) 近況  

調子が良いのか悪いのか良く分かりませんが、
まだいつもの調子ではないようです。
それでも世間はGWで、妻は仕事が休み、子供も学校が休みなので
家族サービスのため3泊4日で八ヶ岳に来ています。

■5/2(火)
19:30
妻の仕事が終わり、買いの物をして車に乗って八ヶ岳へ。

途中、談合坂で夕飯を食べました。
夜遅くだとあまり混んでいないのですが、この日は凄い人でおどろきました。
今年のGWはコロナ禍による移動制限もないので、例年に比べると人が多いようです。

笹子トンネル手前で事故渋滞があり、いつもより時間がかかり、
23:15八ヶ岳の家に到着。

父が水抜きの手順を間違えていたようで、
外の水道の元栓を開けると、家中の水道管から勢いよく流れ出し、
洗濯機のある洗面台前が水浸しになり放心状態に。
私は何もできず。
妻と息子が水を拭いてくれました。

普段なら何ともないことでも、
心が弱っているせいかトラブルとがあると胸が苦しくなります。
その後は体が動かなくなり、
いつもは私がするお風呂掃除や、布団の準備は妻がしてくれました。

2:10就寝。
色々と疲れていたのか直ぐに眠れました。


■5/3(水)
11:20起床
朝の憂鬱感はとても大きかったです。
いつもとは違う慣れない場所に来るのは大きなストレスになっているようです。

14:10-17:00
近くのスーパーへ買い物へ行き、ビールなどの飲み物を買いました。

夜は家でバーベキューをしました。
調子が悪くお酒を飲む気は全くしませんでしたが、
家族がみんな飲んでいたので少しビールを飲みました。

1ヵ月以上お酒を飲んでいなかったせいか、
酔うと体がだるく起きていることができず。
22:00就寝


■5/4(木)
9:50起床
今朝も憂鬱感は大きかったです。

この時期どこへ行っても混んでいることが予想されるので
特に外出することなく家にいました。

13:20
スーパーやドラッグストアに買い物に行きました。
外出はそれだけ。

夜は昨晩のバーベキューの残りのお肉を
ホットプレートで焼いて食べました。
家族はお酒を飲んでいたけど、私は飲む気になれず飲みませんでした。

しかし、お風呂上りにサワーを分けて貰って飲みました。
お酒を飲み、普段は話すことのない子供達と少し話をしました。

妻は子供達とは仲が良いです。
私は子供達と話すことは殆どありません。
子供達との付き合い方が良く分かりません。

私の父が過干渉だったので、それを反面教師として
子供達とは距離をおいているのだと思います。
私は良かれと思ってそうしていますが、そのことで、
将来子供達に恨まれることになるかもしれません。

3:00ラジオを聴きながら寝ましたが眠れませんでした。


■5/5(金)
9:50起床
今朝も憂鬱感は大きかったです。
また1日が始まると思うと酷く重たい気分になりました。
そして、今日はこれから渋滞のなか東京の自宅に帰らなくてはならず、
そのことも憂鬱でした。

外にいると色々なことの見通しが立たず苦しい気持ちになります。
自宅にいると守られている気持ちになりますが、
それはそれで退屈です。

昼過ぎから部屋の片づけをして
14:40八ヶ岳の家を出ました。

渋滞を避けるため、途中ショッピングモールに寄り買い物をしています。
夜はどこか温泉に行って、夕飯を食べてから帰るようです。



自宅に帰ってからのことを考えると、これといった理由はありませんが、
漠然とした不安な気持ちになります。

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