都教委から処分されて、「校門出勤」で嫌がらせしている「君が代不起立界のジャンヌダルク」根津公子
【教育】君が代不起立界のジャンヌダルク、N先生…国歌斉唱で「中国人捕虜を突けと命令された兵士の気分になり、心臓バクバク」
http://www.news-postseven.com/archives/20110609_22486.html
君が代不起立女教師 校内で日の丸君が代反対トレーナー着用
2011.06.09 07:00
東京都の教育委員会は2003年、国歌斉唱を義務づける通達を出している。以来、都教委と、入学式・卒業式の国歌斉唱で起立しない「不起立教員」は、飽くなき戦いを繰り広げてきた。文部科学省によると、この10年間で国旗・国歌に関する職務命令違反で懲戒処分を受けた全国の教職員693人のうち、実に431人が東京都という突出ぶりだ。
彼ら不起立教員の理論的支柱であり、「不起立界のジャンヌ・ダルク」との異名を持つ人物が、N教諭である。彼らの活動をウォッチするフリーライター山田祐氏が解説する。
「彼女はふだんから学校で『OBJECTION HINOMARU KIMIGAYO』(日の丸・君が代反対)と書かれたトレーナーを着用するなどして、度重なる君が代不起立で都教委から減給や停職といった処分を受けていました。私が見学に行った2008年の卒業式では、今回も不起立ならついに免職処分か、といわれていました。
当日は、小中学部合わせて25名の卒業生しかいない養護学校に、数十人もの支援者が詰めかけ、『君が代不起立』『日の丸・君が代強制反対』といった物々しい横断幕やゼッケンが掲げられていました。一般生徒や保護者は戸惑った様子でしたが、彼女は拍手と歓声で支援者に迎えられ、式では不起立を貫いたのです」
そして処分が決まる当日、N教諭は学校の窓から叫んだ。
「みんな聞いてー!(都教委は私を)クビにさせることはできなかった!」
門の前の支援者らは涙を流し、「勝ったぞー!」と歓喜の雄叫びを上げたのだった。結局、彼女はその後も免職されることなく、停職中も「停職出勤」と称し学校に通っては校門前で「君が代不起立」のプラカードを掲げる日々を送り、今年定年退職を迎えた。
退職にあたり、彼女は不起立教員の会報に「闘争」の歴史を綴っている。そこでは、かつて免職を恐れ、国歌斉唱の途中まで起立することにしてしまったときの経験をこう振り返った。
〈「国歌斉唱」と司会が発声するや、心臓はバクバク。生徒たちのかなりが私を凝視しています。やがて私の脳裏には、日本軍が侵略した中国で銃剣を持たされ、中国人の捕虜を「突け」と命令された初年兵の姿が出てきました。
私は、「お前は突くのか」と問われているよう。「ここまで起つ」と伝えていた歌詞まで来て着席し、「突かなくてよかった。首にされたとしても、もう、金輪際こんなことはやめよう」と思いました〉
※週刊ポスト2011年6月17日号
精神異常者としか思えない根津公子の漫画は、
↓下のリンクをクリックすると拡大画像で見ることが出来る。
http://www.restspace.jp/gazo/img-box/img20110609212419.jpg
>彼ら不起立教員の理論的支柱であり、「不起立界のジャンヌ・ダルク」との異名を持つ人物が、N教諭である。
「不起立界」という世界が存在するらしい。
困ったもんだ…
しかも、顔を見ても話を聞いても気持ち悪い糞婆の「N教諭」=根津公子が「不起立界のジャンヌ・ダルク」との異名を持つという。
狂っている。
上から読んでも下から読んでも「世の中馬鹿なのよ」…
ジャンヌダルク??
>「彼女はふだんから学校で『OBJECTION HINOMARU KIMIGAYO』(日の丸・君が代反対)と書かれたトレーナーを着用するなどして、度重なる君が代不起立で都教委から減給や停職といった処分を受けていました。私が見学に行った2008年の卒業式では、今回も不起立ならついに免職処分か、といわれていました。
どうして、東京都教育委員会は、普段から学校で「日の丸・君が代反対トレーナー」を着ていたマジキチ教員を免職処分(クビ)にしなかったのか?!
こっちの方が問題だろう。
「トレーナー処分」に根津が怒りの追及
「私はずっとこれを着て仕事に専念してきました。何が問題か説明してみなさい」。
根津公子のマジキチ抗議に都教委職員は沈黙。「君が代」解雇策動に怒ったマジキチ100人以上が押し掛けた(2008年2月14日 都庁)
■動画
都教育委員会、トレーナー着用問題で根津さんいじめ
http://www.youtube.com/watch?v=evYkF9Xfd_k
2008年2月1日
(反日左翼側の動画)
■動画
根津公子を朝鮮学校に!
http://www.youtube.com/watch?v=6zbzFATTfJg
2008年3月4日
「千風の会」が根津公子や中核派に抗議行動
>そして処分が決まる当日、N教諭は学校の窓から叫んだ。
>「みんな聞いてー!(都教委は私を)クビにさせることはできなかった!」
>門の前の支援者らは涙を流し、「勝ったぞー!」と歓喜の雄叫びを上げたのだった。結局、彼女はその後も免職されることなく、停職中も「停職出勤」と称し学校に通っては校門前で「君が代不起立」のプラカードを掲げる日々を送り、今年定年退職を迎えた。
東京都教育委員会が根津公子を免職処分(クビ)にしなかったために、日本人の税金から根津に巨額の退職金が支払われしまった!
根津のような反日マジキチ公務員に国民の税金(大金)を支払う東京都教委は、税金をドブに捨てる以上に間違った判断を下した。
君が代日の丸反対教師、君が代不起立界のジャンヌダルク、根津公子。 都教委から処分されて、「校門出勤」で嫌がらせ
■動画
根津さんをクビにすることはできなかった!
http://www.youtube.com/watch?v=KHEs7c_rUMI
2008年3月31日東京都教育委員会は、根津公子さん(都立南大沢学園養護学校、今年度卒業式で「君が代」斉唱時不起立)に対し、昨年度と同様の6ヶ月停職という不当処分を下した-。しかし、クビにすることはできなかった。「勝ったぞ」学校前に喜びが広がった。
(反日左翼側の動画)
>退職にあたり、彼女は不起立教員の会報に「闘争」の歴史を綴っている。そこでは、かつて免職を恐れ、国歌斉唱の途中まで起立することにしてしまったときの経験をこう振り返った。
>〈「国歌斉唱」と司会が発声するや、心臓はバクバク。生徒たちのかなりが私を凝視しています。やがて私の脳裏には、日本軍が侵略した中国で銃剣を持たされ、中国人の捕虜を「突け」と命令された初年兵の姿が出てきました。
>私は、「お前は突くのか」と問われているよう。「ここまで起つ」と伝えていた歌詞まで来て着席し、「突かなくてよかった。首にされたとしても、もう、金輪際こんなことはやめよう」と思いました〉
この記事では不起立教員の会報に「闘争」の歴史を綴ったのが何時か分からないが、これって先日6月2日に放送され、私がテロ朝に抗議文を送り付けた「報道ステーション」【戦争の話を聞かせてください】を見てから書いた作り話のような気がする…
「国歌斉唱」と司会が発声し、マジキチの根津の心臓がバクバクしたことまでは事実だろうが、【やがて私の脳裏には、日本軍が侵略した中国で銃剣を持たされ、中国人の捕虜を「突け」と命令された初年兵の姿が出てきました。】が事実なら、完全に病気だ。
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報ステで捕虜殺害の証言を放送
真実は便衣兵の処刑、テレビ朝日に抗議文!
【戦争の話を聞かせてください】登場の黒田千代吉は半年前「便衣兵を銃剣でついて殺した」と証言
テロ朝は日本軍が捕まえた敵兵を「捕虜」と呼んだ事を悪用
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4266.html
(一部抜粋)
――――――――
黒田さんは、終戦の約1年前に召集され、初年兵として支那大陸へ。
(略)
その当時、銃剣術の訓練を受けていた。
ある日、古年兵が捕虜を、私たちが藁で訓練している所に連れて来た。
それで、藁じゃなくて、そこに捕虜を立たせて、その捕虜を突けと言ってきた。
「お前たちの度胸試しだ!」と言ってきた。
「今日は本物の敵を突くんだから、我と思う者は出て来い!」と言うわけだ。
生きている目隠しの捕虜を殺すのは嫌だって言って、皆尻込みをして出て行かなかった。
そしたら、「お前たちは上官の命令に抗するならばすぐ銃殺だ。」と言うわけだ。
そんで、これからね、「名前を呼ばれた者は出て来い!」と言われ、私が一番先に「黒田ー!!」と呼ばれた。
「黒田、一番先にあの捕虜を突け!」と言った。
上官の命令で他の18人の兵士たちも、次々とその捕虜を刺し、中国人の捕虜は息絶えた。
終戦の僅か1か月前の事だった。
涙ぐむ孫の泰子さん
「命令だ」と言うので「人を突け」と言われて突いた。
本当に今考えると、悪いことをして帰って来た。
本当に済まないな。
中国の方々に
大きい声で謝らなくちゃならない気持ちが今ございます。
(略)
――――――――
以上が番組の概要だ。
しかし、この話は真実を正確に伝えていない。
この黒田千代吉は、半年前(2010年12月)に異なる証言をしている。
2010年12月、黒田千代吉は「刺突訓練を行っていた時に、戦闘で捕えた一名の便衣兵を銃剣でついて殺した」と証言していたのだ。
その証言内容は、次のブログで報告されている。
NPO法人ブリッジ・フォー・ピース(BFP)の公式blogです。
http://blog.bridgeforpeace.jp/?eid=1489421
元日本兵取材報告:黒田千代吉さん(86歳)
2010.12.26 Sunday
(一部抜粋)
○昭和二十年四月二十四日、衡陽を出発。行軍のあまりの辛さに手榴弾や小銃を使って自決するものがでた。またマラリヤなどの病気にかかって亡くなる者もいた。
便衣兵に兵隊が拉致されることもあった。拉致されると尋問を受けた後に殺される。
○昭和二十年五月十日ごろ、曲江(現広東省韶関市)に到着。
○昭和二十年六月十日ごろ、カン州(現在江西省:難しい漢字)に到着。秋水591大隊本隊に合流。長い行軍が終わる。当初千二百名いた初年兵が、四百人に減っていた。ここで休養した後、戦闘訓練を行う。刺突訓練などをやっていた。
ある日、日本軍の分哨が攻撃され戦闘になった。そして便衣兵一名が捕えられた。刺突訓練を行っていた時、その便衣兵を銃剣でついて殺した。
○昭和二十年七月十六日、転進命令が出てカン州を出発。また行軍。
○昭和二十年八月十九日ごろ、劉家(江西省南昌市あたり)で終戦を知る。
○昭和二十年九月、安徽省安慶に移動。ここで武装解除。収容所に入れられ捕虜生活が始まる。
>○昭和二十年六月十日ごろ、カン州(現在江西省:難しい漢字)に到着。
>・・・
>ある日、日本軍の分哨が攻撃され戦闘になった。そして便衣兵一名が捕えられた。刺突訓練を行っていた時、その便衣兵を銃剣でついて殺した。
このように、半年前(2010年12月)、黒田千代吉は、刺突訓練を行っていた時に銃剣でついて殺したのは戦闘で捕えた一名の便衣兵(軍服ではない民間人の服を着た卑怯な兵士)だったと証言していたのだ。
捕虜ではない。
収容所に収容していた正式な「捕虜」であれば保護することが国際法で義務付けられているが、便衣兵は捕まえたその場で殺しても合法だ。
古年兵が、初年兵の訓練のために便衣兵を銃剣で突かせても、違法ではない。
戦場においてゲリラ=便衣兵(軍服ではない民間人の服を着た卑怯な兵士)から狙われるほど恐ろしいものはない。
制圧したと思って村や町に入ると、建物の陰から鉄砲の弾が飛んでくる。
敵兵を探しても、いるのは善良そうな顔をした人々だけ…。
あるいは、少年少女だと思って油断していると突然懐から拳銃が出てきて撃ち殺されたりする。
ゲリラ戦・便衣隊戦術は民間人を戦闘に巻き込む。
便衣兵と判明すれば殺すしかない。
便衣兵を殺さなければ、その後も支那軍は癖になって便衣隊戦術をエスカレートさせ、日本軍や一般市民の被害は拡大する一方だ。
「根津公子を免職処分にしてほしかった!」
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