正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現 2006年12月08日
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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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12月7日(8日)は開戦記念日3 我らが祖先の偉大な功績

大東亜戦争
祖先の目指したもの
彼らの功績
http://www.geocities.jp/baud_2005/japan.html





私達の先人は大東亜戦争を戦ったのです
http://www.geocities.co.jp/Bookend/9304/daitoua.htm

(一部抜粋)

H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」


アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)
  第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。


ククリックド・プラモード (タイ国元首相 )
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。・・・」


バ・モウ (ビルマ元首相 独立宣言より)
「・・・ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。・・・ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・」


ハミルトン・フィッシュ(政治家「悲劇的欺瞞」(TragicDeception1983))
 ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って遂に米国を日本との戦争に巻き込むことに成功した。そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させるという彼の最終的な目的を達成させた。


ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授)
大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。


ジョージ・S・カナヘレ(アメリカ、ハワイ日本経済協議会事務局長・政治学博士)
 日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事である。


ラダ・ビノード・パール(インド、極東国際軍事裁判判事・法学博士)
  要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の一七年間(昭和3~20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。・・・・私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えなければ
ならない。(昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演)


グラバイ・デサイ(インド、インド弁護士会会長・法学博士)
 ・・・インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド四億の国民は深くこれを銘記している。 インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。


アリフィン・ベイ(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)
・・・日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。





日本への感謝を綴った「日本人よありがとう」という書物の序文に書かれた一編の詩
マレーシア元上院議員 ラジャー・ダト・ノンチック

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/6646/vol4.html







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南京虐殺は嘘35 スマイス調査はインチキ調査2 スマイス報告は排日宣伝文書

当時、支那のことをよく知っていた人物のスマイス報告(調査)に対する認識を示す資料がある。



興亜院政務部 昭和15年7月調査報告会速記録内 吉田三郎「支那に於ける第三国人の文化施設」
『「南京事件」の探求』P176より引用
「これ(スマイス報告)はその時にもらった資料でありまして、南京地方に於ける戦争によるフィールド・リサーチ以下各種の統計的研究であります。こういうものを世界中に配って基金を集めているのです。その中には南京地方に於ける農産物の調査、南京地方の人口調査等、所謂科学的調査を標榜しつつ、そのことによって日本が飛んでもないひどいことをやっているような印象を世界中に統計を通して与えている、しかしよく見ると科学的な研究という面を被った排日宣伝文書であります」
「たとえばこういうことをやっている。南京地方に於ける損害の統計を作る場合に、戦争の直接の被害、火災によるもの、日本の軍隊の掠奪によるものというような項目が挙がっており、火災の場合についていえば、支那軍が逃げるときに放火したために焼けたものまで皆その中に一緒に入れてある。数字としては極めて確かだけども、これで見ると皆日本軍がやったことのように見えるのです。斯様に巧妙なる科学戦争というものが世界中に、この機関を通してまかれている事実を見たのであります。ベーツ教授は私がミリカンの友達というので直ぐこういうものを出して呉れたわけであります」



つまり、南京の状況をよく知っていた当時の人の認識によれば、スマイス報告は【科学的な研究という面を被った排日宣伝文書】と断言できるものだった。

ただし、この資料を見ると、吉田三郎氏も、実はベイツこそが宣伝工作員の中心人物だったことまでは見抜いていなかったようだ。








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対等の関係…「核の選択」は合理的:阿部純一

【私はこうみる 核問題】霞山会主席研究員・阿部純一
2006/12/07, 産経新聞

 ■対等の関係…「核の選択」は合理的

 日本は核など持たない方がよい。持とうとするだけで周辺諸国はもとより、同盟国の米国さえ強烈に反対するだろう。国内はもっと大変なことになる。現行憲法で核保有は可能とされていても、いざ持つとなればそれに反対する世論のまえに国内政治は大混乱をきたすだろう。さらに、核を持ったとしても、安全に運用するためのコストは大きい。原潜にミサイルの形で保有し、敵の攻撃の届かない聖域(瀬戸内海?)に忍ばせておくのがベストだろうが、そうするまでにかかる経費は半端ではないし、相応の期間を要する。

 北朝鮮の核実験は、核を持たない日本にとって安全保障を確保するために何をなすべきかを改めて問いかける契機となった。私はどうしたら日本が核を持たずに済むかを念頭に、10月本紙に寄稿し日米共同の「核の傘」を提案した。そして非核3原則のうち、「持ち込ませず」は柔軟に解釈し、米軍の核保有艦船の寄港を認めるよう主張した。それが現在の日本にとって合理的な選択だと考えたからである。

 しかし、政治的・経済的コストを捨象し、純粋に安全保障という観点から見たとき、日本にとって核保有が合理的な選択になりうる。ヒロシマ・ナガサキの悲劇以降、核は途方もなく拡散した。原爆の威力をはるかに凌駕する水爆が核兵器の中心となり、米ソ両国の核軍拡(タテの拡散)、核保有国の増加(米露英仏中に印パ、イスラエルそして北朝鮮=ヨコの拡散)が続いてきた。その間、キューバ危機のような核戦争の瀬戸際さえ経験した。しかし、人類はかろうじて「核との共存」に成功してきた。

 60年以上、核が実戦で使用されることがなかったのは、核が使われたらどういう結果をもたらすかがわかっているからに他ならない。これを「水晶球効果」と呼ぶ。それが核兵器の抑止効果なのであり、核兵器を保有する国は自らを厳しく律することを余儀なくされる。では、抑止効果しかないともいえる核兵器を保有する意義はどこにあるのだろうか。

 日本では特に顕著だが、「核廃絶」を理想とする人は多い。しかし、本当にそれが実現したらどうなるだろうか。間違いなく指摘できることは、軍事力が発動される敷居が低くなるだけでなく、米国の軍事力がますます他国を引き離し、圧倒的な存在になるということだ。逆説的に言えば、核兵器の存在が、軍事力行使の敷居を高めるとともに米国のパワーを相対化させている。

 だから米国は、核兵器とその運搬手段となる弾道ミサイルの拡散を恐れている。北朝鮮やイランの核開発に米国が強く反対するのはそのためであり、逆に核とミサイルを持つ国は、軍備が弱体であっても米国の軍事力行使をためらわせることが可能となる。

 つまり、核を保有することによって、核保有国間で戦略的に「対等」の関係が生まれるのだ。さらに、核を持たない国に対しては、絶対的な戦略的「優位」に立つ。

 北朝鮮の核実験によって、わが国周辺の核保有国は中露とあわせて3カ国となった。これらの国は、核を持たない日本に対して戦略的にも心理的にも「優位」に立つ。その「優位」を相殺するために日本は米国の「核の傘」を利用してきたわけだが、それは必然的に日本が米国に戦略的に従属することを意味する。米国が日本の核保有を望まないのは、この従属関係を維持したいからである。

 日本人は、意外なほど中国の核やロシアの核を意に介さない。米国の「核の傘」を信頼するゆえんというよりも「鈍感」といったほうが当たっている。それが中国、ロシアにとっては幸いしている。中国、ロシアが日本に対して戦略的「優位」を誇示すれば、日本が「対等」の立場を求めることは容易に予想がつくからである。

 しかし、北朝鮮の核実験によって、日本人の「鈍感」さが反省されつつある。日本が核保有国に取り囲まれ、それらの国と「対等」の関係を持とうとする意識が国民のコンセンサスになれば、「核の選択」は日本にとって合理的な判断となる。



【プロフィル】阿部純一
 あべ・じゅんいち 1952年浦和市(現さいたま市)生まれ。78年上智大学大学院国際関係論専攻博士前期課程修了。国際学修士。シカゴ大学、北京大学留学。現在、アジアに関する調査研究を行う霞山会主席研究員、事務局次長。専門は中国軍事・外交、東アジア安全保障。



まー、比較的マトモな意見だと思う。

現実を直視すれば、核廃絶は有り得ない話だし日本の危険度は極めて高いために日本の核武装は緊急を要することなのだが、やはり日本人は鈍感なのだろう。

冷静に分析すれば、「核の選択」は日本にとって合理的に決まっている。

12月7日(8日)は開戦記念日2 「絶対的排日移民法」から「経済封鎖(石油禁輸)」まで、米国の対日嫌がらせの歴史と日本人が生きるための開戦・アイルランドとポーランドは戦争するより犠牲者数が多かった

米国は、欧州からは毎年何十万人もの移民を入れていた時、日本人移民を一人も入れない法律を作った。

●1790年、帰化法が成立。奴隷解放後はアフリカ人にも適用。
●1882年、支那人の帰化を認めない法律が成立。
●1922年、米国最高裁が「黄色人種(日本人)の帰化権はない」と判決。すでに帰化した日本人の権利まで剥奪できるとした。
●1924年、「絶対的排日移民法」が成立





「実に石油の輸入禁止は日本を窮地に追い込んだものである。かくなった以上は万一の僥倖に期しても、戦った方が良いという考えが決定的になったのは自然の理と云わねばならぬ」
「(大東亜戦争の)原因を尋ねれば、遠く第一次大戦后の平和条約の内容に伏在している。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。」
『昭和天皇独白録』文藝春秋



1928年、不戦条約について批准の是非を審議した米連邦議会の議事録
『…その審議の進行中、ケロッグ長官は「国家が攻撃されるのではなくて、経済封鎖を受けるとしたら?」という質問を受けました。ケロッグ長官は「戦争しないで封鎖などということはありません」と答えました。その時一上院議員が「そういう事は戦争行為です」と云いますと、ケロッグ長官は「断然戦争行為です」と云ってこれに同意しました』
『東京裁判 日本の弁明』小堀桂一郎編



これに関してルーズベルトは、もし、我々(米英蘭)が日本に石油を売らなければ、彼らは蘭領インド諸島に南下して、武力奪取するだろう。そうなれば「戦争になるだろう」。だから我々は日本に石油を売り続けなければならない、と説明している。
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著



我々は十年一日の如く…日本に嫌がらせをした。
『アメリカ外交50年』ジョージ・ケナン著





大東亜戦争聖戦論
http://s2.kcn-tv.ne.jp/users/seigasai/daitouai.htm
(一部抜粋)
米国(英蘭も共謀)による「石油全面禁輸」こそ、日本政府首脳をして対米戦争へと踏み込ませる「最終兵器」だったといえよう。
しかし、この挑発に対しても、日本は冷静に対応し、平和を模索し続けた。
ルーズベルトの挑発に対し、直ちに乗るほど日本は、短気ではなかったのである。

日本海軍の軍令部長永野修身は、開戦の時、次のように述べている。
「政府の陳述によれば、米国の主張に屈すれば亡国は必至とのことだが、戦うもまた亡国であるかも知れぬ。だが、戦わずしての亡国は、魂を喪失する民族永遠の亡国である。たとえいったん亡国となるも、最後の一兵まで戦い抜けば、われらの児孫はこの精神を受け継いで、必ず再起三起するであろう。」
この言葉は、昭和十六年当時の日本国民の心情をよく表していたと考えられる。





●1939年
3月、米国は、支那が軍用機や発動機を購入のために1500万ドルを借款
6月13日、ソ連が支那に1億5千万ドルの借款

7月26日、米国が日米通商航海条約を破棄
●1940年
1月4日、米国が錫、屑鉄の対日輸出額を前年度の半分にすると通告 
6月5日、米国が工作機械の対日輸出を禁止
7月31日、米国が航空機用ガソリンの東半球への輸出を禁止
9月26日、米国が屑鉄の輸出を全面禁止

9月25日、米国が重慶政権に2500万ドルの借款
9月27日、日独伊三国同盟成立
11月3日、米大統領が重慶政権に更に5000万ドルの追加借款
12月2日、米国が蒋介石の重慶政府に一億ドルの借款供与
12月10日、英国が重慶政府に100万ポンドの借款供与
●1941年
3月31日、ルーズベルト大統領が提出した武器貸与法案が成立。米海軍が護衛する輸送船団により連合国へ武器供与を開始

7月23日、ルーズベルト大統領など米国首脳がフライング・タイガーによる日本本土爆撃計画に署名
7月25日、在米日本資産を凍結
8月1日、米国が対日石油輸出を全面禁止
11月26日、ハルノート提示
12月7日、真珠湾攻撃
Ω Ω
●1947年
5月3日、日本国憲法施行
7月13日、マッカーサーが「すでに政策目標の基本的で最も重要な事項の大部分、すなわち武装解除と非武装化は完璧に達成された。日本は外部から制御しなくても、今後100年間、近代戦に備えるような再軍備はできないだろう。」と報告

●1951年5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会でマッカーサーは、「日本が戦争に飛び込んでいった動機の大半が安全保障のためであった。」と証言





大東亜戦争は日本が生きるために行なった戦争だった。
日本は何も悪いことをしていなかったにもかかわらず、石油の輸入が出来なくなってしまった。
米英蘭の3カ国が日本に「石油を売らない」と言うことは、日本に「死ね」と言うのと同じことだった。
ハル・ノートを呑んで、支那や満州から撤退したら、失業者が溢れ、夥しい数の日本人が餓死などで死んだだろう。

更に、当時は国家生存の条件とされていた大国の地位を失い、小国に転落すれば、いつソ連や米国の植民地にされてもおかしくなかったし、ましてやアジア諸国の独立なんて何十年・何百年後に実現したか分からない。

英国に植民地にされたアイルランドの人口は、1841年の820万人が1911年には444万人と約半分になった。

1939年9月に始まったドイツとポーランドの戦争でポーランド人が失った命は人口の0.4%にあたる約13万人だった。
ところが、1941年、ドイツとソ連の戦争が始まり、ポーランドで独ソ両軍が死闘を繰り広げたら、ポーランドは人口の20%が死ぬという悲劇に見舞われた。
つまり、ポーランドでは、戦争で抵抗をして死んだのは人口の0.4%だったが、戦争などの抵抗も出来ない状況において死んだのは人口の20%となったのだ。

アイルランドやポーランドの例でも分かるように、戦争をするより小国に転落する方が碌な事にはならないのだ。

当時の日本じゃなくても、座して死を待つくらいなら、力尽くでも石油を確保しようとするのが当然だ。


――――――
 (1941年11月)二十七日、ハル・ノートに接した我が国政府軍部首脳は直ちに連絡会議を開いたが、出席者全員がアメリカ政府の強硬な態度に衝撃を受け、落胆し、和平交渉の前途に絶望した。
東京裁判において東郷は、
 「ハル・ノートは日本に、支那・仏印からの撤兵を要求していた。さらに三国同盟を死文化する条項も含んでおり、日本が之を受諾すれば、三国同盟を日本から破棄する事になり、国際信義の問題となる。この問題を除外しても、日本がハル・ノートを受諾して撤兵し、警察官までも即時引揚げる事になれば、中・南支でも日本がそれまでした事はすべて水泡に帰し、日本の企業は全部遂行できない事になる。
 また、南京政府に対する日本の信義は地に墜ち、地方での排日・侮日感情は強くなり、日本人はこの地方から退去しなければならなくなる。
 さらにハル・ノートは満洲方面についても同じ事を要求しており、従って日本は満洲からも引揚げなければならなくなり、その政治的影響は自ずから朝鮮にも及び、日本は朝鮮からも引揚げなくてはならない事になる。換言すれば、日本の対外情勢は満洲事変前の状況よりも悪くなり、ハル・ノートは日本が日露戦争以前の状態になるような要求である。これがすなわち東亜における大国としての日本の自殺である。
 ハル・ノートは日本に対し全面的屈服か戦争か、を迫るものと解釈された。もしハル・ノートを受諾すれば、日本は東亜における大国の地位を保持できなくなるのみならず、三流国以下に転落してしまうのが、ハル・ノートを知る者全員の一致した意見であった。
従って、日本は自衛上戦争する外ないとの意見に一致した。」
――――――







(参考)


連合艦隊司令長官山本五十六大将
「負けるに決まった戦争するバカがいるか」 「日米戦争は世界の一大凶事にして帝国としては聖戦(注:日支事変の事)数年ののち更に強敵を新たに得る事は誠に国家の危機なり、、、日米正面衝突を回避する為、、、帝国としては絶対に日独同盟を締結すべからざるものなり」 「アメリカと戦争するという事はほとんど全世界を相手にするつもりにならなければ駄目だ、、、東京あたりは三度くらい丸焼けにされて、非常なみじめな目に合うだろう」 「大勢に押されて立ち上がらざるを得ずとすれば、艦隊担当者としては到底尋常一様の作戦にては見込み立たず、結局桶狭間とひよどり越と川中島とを併せ行うのやむを得ざる羽目に追い込まれる次第に、、、」

哲学者 西田幾多郎
「日本の文化レベルで欧米の国と本当に戦争が出来ると思うのかね」

海軍大臣 米内光政大将
「勝てる見込みはありません。 大体日本の海軍は米英を向こうに回して戦争するようには建造されておりません。独伊の海軍に至っては問題になりません」

海軍航空本部長 井上成美少将(のち大将)
「帝国はその国力において英米とあくまで建艦競争を行わんとすればついに彼に屈服するのほかなきは残念ながら明瞭なる事実、、、(米国は)日本国全土の占領も可能、首都の占領も可能、作戦軍の殲滅も可能」








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南京虐殺は嘘34 スマイス調査はインチキ調査1 集計の悪質な摩り替え・改竄

「スマイス調査」からは、日本軍の犯罪は何一つ判らない。
スマイス調査の戦争被害調査の死亡原因は、都市部集計の場合
『事故』と『戦争』の2通りしかない。
また、農村部集計の場合、『暴行』と『病死』のみである。
いずれも、加害者が日本兵なのか支那兵や不逞支那人なのか全く不明であり、全て支那兵や不逞支那人の犯行だったと考えられる。



スマイスの戦争被害調査の都市部集計における死因区分は、『事故』と、『冲突(戦争)』の二種類だけであり、調査の段階では、『事故』、『戦争』という死因区分が、集計の段階では『軍事行動』と『日本兵の暴行』という死因区分に見事に摩り替わってしまったのである。

もう少し分かり易く説明する。
スマイスの戦争被害調査の都市部集計において使用された調査票には、死亡状況の原因が、『事故』と、『冲突』の二種類になっている。

『事故』=『軍事行動』=『砲撃、爆撃、戦場における銃撃』○である。

『冲突』=『砲撃や爆撃などの軍事行動以外の【戦争】』○である。

『冲突(戦争)』=『日本兵による暴行』×では、決してないのだ。
したがって、集計の段階において『戦争』=『日本軍による暴行』×に摩り替えたのは、極めて悪質な改竄である。
支那事変全般に目を向けても、支那人犠牲者の大半が支那軍によって殺されているのに、死亡原因の『戦争』を、『日本兵による暴行』とするのは、あまりにも強引で悪質な改竄・歪曲である。

日支両軍が衝突した12月12日の夜には、市民の全員がすでに安全区に避難していたのだから、日本兵による暴行で死んだ者などいなかった。

南京における支那人犠牲者の主な死亡原因の真相は、
?支那軍徴兵後の戦死
?支那軍または不逞支那人による殺害
?軍事行動に伴う事故
?病死
などである。

それなのに、スマイスの「戦争被害調査・市部」では、死亡原因の最終結果を、 『軍事行動(事故)』 と 『日本軍による暴行(戦争)』 の2通りに限定しているのだから論外だ。
聞き取り調査の段階で「?支那軍徴兵後の戦死」や「?支那軍または不逞支那人による殺害」などを以って『戦争』と回答された死亡原因を、集計の段階で全て『日本軍による暴行』と摩り替えたのだ。


また、農村部集計における死因区分は『暴行』と『病死』のみである。
暴行の加害者が日本兵であるという注記はないので、野盗化した支那兵などの加害行為等が『暴行』に含まれ、日本軍による虐殺にカウントする出鱈目ぶりだ。
支那軍は、日本軍が利用できる物を何も与えないようにするために、食料などを奪い、民家などを焼き払う「清野作戦」(焦土戦術)を行った。
南京においては、南京城壁の周囲1~2キロにある居住区全域と南京城から半径16キロ以内にある道路沿いの村落と民家を強制的に焼き払った。
日本軍が到着する前に、支那軍に食糧を奪われて家を焼かれた農村の住民達がその場に留まって日本軍に虐殺されたということは有り得ないし、「清野作戦」(焦土戦術)の対象とされなかった農村部の住民も支那軍や支那人盗賊によって襲撃されたのであって、日本軍によって虐殺された具体的な証拠など何もない。


ちなみに、国民党国際宣伝処長だった曾虚白の自伝には、スマイスはティンパリーと同じく国民党国際宣伝処からカネを受け取って日本軍の犯罪を宣伝したと述べられている。



(参考HP)
スマイス調査の疑惑
http://nankinrein.hp.infoseek.co.jp/page010.html







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