これまでに述べてきたように、国民党国際宣伝処からカネを受け取っていたティンパレーや国民政府の顧問だったベイツなどが、南京虐殺のデマ宣伝をしたのは当然だろう。
しかし、ベイツ以外の安全区国際委員会メンバーも、出鱈目な報告や抗議によって日本軍の犯罪をデマ宣伝していた。
何故か。
南京の「安全区」だが、もともと、外国人(白人)と支那人の富裕層が住む地区だった。
「安全区」は、白人の会社・大学・病院・教会などの資産やその住居、そして富裕支那人や支那官僚・高級軍人の住居が集中した地区だった。
しかし、南京戦が近づくと、白人と金持ち支那人たちは、その地区を離れ、上海などに脱出した。
替わりに、「安全区」(南京の高級住宅地街)に流入して来たのは、南京を脱出することも出来ない超貧乏支那人と脱走支那兵(盗賊)だった。
主(あるじ)が居ない「安全区」(南京の高級住宅地街)の白人や金持ち支那人の資産は、たちまち貧乏支那人や脱走支那兵(盗賊)によって破壊・掠奪されまくった。
「安全区」を発案・管理していたラーベやベイツら安全区国際委員会のメンバーの責任は重大であった。
しかし、15人の安全区国際委員会が、支那人達の掠奪を抑えられる筈がない。
安全区で、南京を脱出できなかった貧乏支那人避難民や脱走支那兵(盗賊)どもが、南京を脱出した金持ちの資産を略奪しまくっている事実を目の当たりにして安全区国際委員会のメンバー達は、青ざめて頭を抱えていた。
彼らにしてみれば、白人や金持ち支那人の資産を掠奪した犯人が、「安全区」に避難して来た支那人たちでは非常にマズイ。
何とかして、この事実を隠匿しなければならない。
それには、全てを日本軍の仕業に転嫁するのが一番だった。
日本軍が入城する何日も前から起こっていた貧乏支那人と脱走支那兵(盗賊)による掠奪などの犯罪だったが、日本軍が入城すると、安全区委員会は日本軍の犯罪だとして一斉に外部に発信した。
全ての掠奪を日本軍の仕業に転嫁する以上、混乱の中で生じた強姦や殺害も全て日本軍の仕業にしなければ不自然だ。
安全区国際委員会としては、とにかく、日本軍入城後、日本軍が安全区などで、ありとあらゆる極悪非道を行ったことにして、自分たちが責任を免れなければならなかった。
だから、日本軍入城後、ベイツはダーディンなどの新聞記者にメモ(レポート)を渡したり、他のメンバーたちも自国領事館に書簡で報告したり、日本大使館に抗議文書を送って、安全区における日本軍の大規模犯罪のデマ宣伝をしまくった。
日本軍関係者は、安全区委員会から発信される報告や抗議文書により、掠奪などの大規模な犯罪の発生を知り、懸命に犯人を探すが、なかなか判らない。
判らないのは当然である。
以上が、いわゆる「南京事件」の真相であり、これで全ての辻褄が合う。
(参考)
民国26年、南京のバテレン
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa03/nank4.htm
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2月末に至るまでに奉天、吉林、黒龍江及特別区は既に夫々宣言を発し、蒙古旗族も亦特別自治区を形成し地方蒙古族の権利を保障し得ること或は可能ならしむること判明したるを以て其の忠誠を新国家に対し誓うに至れり。回教徒は奉天における2月15日の会合に於いて既に彼等の忠誠を誓いたり。其他未だ帰属せざる少数の満州人の大部分は新国家の執政として多分前皇帝が推挙せらるべしとのことを知るや新国家を歓迎したり。
各省区が新国家建設計画に対し正式の賛同を與えたる後自治指導部は2月卅9日、奉天に全満州大会を召集したり。右大会には各省並びに奉天省及蒙古地方の各郡等より正式代表其他多数参列し、又吉林及特別区の朝鮮人並蒙古の青年同盟支部等諸種の団体の代表者会合し其の総数7百名以上に達したり。
諸種の演説為され、満場一致を以て宣言及決議可決せられたるが前者は旧制度を攻撃し、後者は新国家を歓迎したり。又新国家の臨時的元首として前皇帝の宣統帝(帝はヘンリー溥儀氏として知らる)を推挙するの第2決議も採択せられたり。
東北行政執行委員会は直ちに緊急会議を開き6名の代表者を選び之を旅順に派遣し去年11月、天津出発以来同地に滞在中の前皇帝を招ぜしめたり。溥儀氏は最初之を拒絶したるも3月4日、第2回目の29名より成る代表者は遂に僅か1年を期限として氏の承諾を取り付け得たり。於此前記執行委員会は陸軍中将張景恵を委員長とし他に9名の委員を選出して歓迎委員会を組織したるが右委員会は3月5日、旅順に赴き謁見を賜りたり。前皇帝は委員の懇請を容れて3月6日、旅順を出発し湯崗子に至りたるが2日の後、即ち3月8日には既に満州国の執政としての礼遇を受けたり。
3月9日、新都長春に於いて就任式行われたり。溥儀氏は執政として新国家の政策は「道義、仁慈、愛撫」を基礎とすべきことを約する旨の宣言を発したり。10日には新政府の幹部即ち内閣の閣僚、立法院長監察院長、参議院総裁及副総裁、各省庁及特別区長、各省防備司令其他の高官の任命を見たり。満州国建設に関する通告は3月12日諸外国に発せられたるが、右通告の目的は諸外国に対し満州国建設の根本目的、対外政策の主義を通告し、新国家としての承認を要求するにありとせられたり。
『リットン報告書』
いよいよ12月7日がせまって参りました。この度は新風20代の会主催の初イベント「兵頭二十八氏福岡講演会」に多数のお申し込みをいただきまことにありがとうございます。福岡はもとより、九州一円の方々から熱いメッセージとともに参加お申し込みをいただいております。
参加希望者の皆様には詳細のご案内をメールにて差し上げておりますが、万が一届いていないという方がおられましたら再度メールフォームよりご連絡ください。
尚、まだ若干の余裕がございますので、お申し込みがまだの方は是非お早めにご連絡くださいますようお願い致します。
日本核武装非公開セミナー
■演題「核戦争に備えよ ―あなたは愛する人を守れますか?―」
■講師:兵頭二十八氏(軍学者)
■場所:福岡市中央区天神(詳細は参加者にのみ通知)
■日時:平成18年12月7日19時より
■主催:新風20代の会(http://shimpu20.jugem.jp)
※入場無料
参加希望者は下記メールフォームよりお申し込みください。定員に達し次第募集を打ち切ります。
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P85823830
posted by 発起人・朱斑羽 [ 12月イベント ]