とあるお葬式の話
ただいま、お葬式を企画中。
過去の喪失や悲しみや怒りを一つづつ折り紙人形にして名前をつけ、棺の中に並べる。そして悲嘆の内容を弔辞として読み上げる。例えば、父に似せた折り紙には「これは、パパに望まれず愛されなかった私の嘆き」、私を退学に追い込んだ教師の折り紙には「学歴のなさに生涯苦しんだ私の憤り」という具合に。生まれてこなかった私の子供も弔う。もちろん、自分で奏楽して葬式の形式に整える。なんせ元プロの葬式オルガニストだからね。全部の弔辞を読み終わったら、棺の蓋を閉じ、明るい讃美歌を弾いてから、棺を庭で燃やす。
過去に向き合うこと、弔うこと、葬り去ること。そして未来へと歩き始めること。コンマリ式に、ちゃんと儀式をして、捨てる。「それ、すごい考えかも。写真撮って見せてね」とセラピストも興奮していた。
名づけることには意味がある。診断の力というやつだ。なんとなく具合が悪い時、人はものすごく不安になる。「私は病気」状態になる。診断が下ると、はじめて病気を対象化できる。悪いのは「私」ではなくその疾患、だから疾患を叩けばよい。闘うことが可能になる。ハリポタでもしきりに強調されていた、「悪魔をその名で呼ぶこと」は、克服への第一歩なのだ。
スピ系ではないよ。ただ宗教家の家に育って内面にばかり目を向けがちな私には、カタチの力を借りてみるのもいい方法かもしれないと思うのだ。
今は時々オルガンを練習しながら、せっせと折り紙の雛形をつくっている。