自国愛(自己愛)
第二次世界大戦が終わった1945年に20歳の兵士だった人は、96歳になる。すべての兵士が誰かの友人であり、父・夫・兄弟・息子のどれかでもあったわけだが、今ではその人たちのほとんども存命ではない。
ここロンドンで数年前、「僕の叔父は戦争中に日本兵に酷い目に遭った」と私を責める人がいた。同じ合唱団にいた“友人”だ。私よりかなり年配、おそらく70歳前後の男性。その人の叔父といえば、まさに兵士の世代だったろう。しかし当人にとって日本軍の残虐行為は聞いた話で、直接体験したことではない。さらに、戦争が終わってずいぶん経った頃に生まれ、兵役にとられた親族を一人ももたない私にすれば、責められても何とも言いようがない。
国家間のいがみ合いを見ていていつも思う。自国愛つまりは自己愛が、他の誰かを悪く思うことで鼓舞しなければ成り立たないほど脆弱ならば、捨ててしまえばいいのに。
好みの問題は別として、だ。そりゃ私だって好きな国と嫌いな国はある。だからって、嫌いな国が日本より劣ってるとか好きな国が優れているとかは思わない。
日本軍の残虐さが歴史に残るものであるのと同様に、七つの海を制覇し植民地化したヨーロッパ諸国の罪はアジア・アフリカに取り返しがつかない爪痕を残した。そしてアメリカや中国やロシアは現役で全世界を蹂躙している。力がありながら良心を保った国家なんて、未だかつて存在したことがないのだ。なぜって、人間とは醜い獣だからだ。
なぜ、あんたと同じぐらい私も醜い、一緒に落ち込みましょうとはならず、あんたの方が私より醜いという殴り合いになるの?