桐島、部活やめるってよ - YAMDAS現更新履歴

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桐島、部活やめるってよ

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原作はインパクトあるタイトルゆえに興味を持っていたものの未読で、今回の映画化も元々は観るつもりはなかったのだが、観測範囲内で評判が良かったので、スクールカーストについての映画という事前知識だけに留め、ブログなどに書かれた評は一切読まないようにして観に行き、この文章を書いている。

正直、最初何かヤナ感じでこれはどうなるかと思ったら、「同じ場面を別の登場人物の視点から」という例の手法が反復され、そのたびにワタシも前のめりになっていった。何のことはない、最初スクールカーストの上の人たちの視点だったのが、徐々に下のほうのそれに移っていくんですね。

本作の登場人物たちは「桐島」の不在に振り回され、そして「桐島」は彼らに対峙することはない。この構図から『ゴドーを待ちながら』を連想する人は多いだろう。『ゴドー』はワタシも社会人になってから本で読んで、正直よく分からんかったのでアレだけど少し違うように思う。

本作のある登場人物は、ある日課となっていた行動をそもそも何でやっていたか自問し、それが「桐島」の存在に規定されていたことに気づく。つまり、本作は確かにいたその人がいなくなってからの、それがスクールカースト的に上だった連中にとって存在意義を脅かす話である。「桐島」という名前からしてキリストが意識されているはずだが、ワタシはその方面に詳しくないので深追いはしないでおく(と書くとお前はカトリックだろがと怒られそうだが)。

冒頭の手法に見られるように、同じ時間同じ場所にいても見ているもの感じていることはまったく違うというのは、文章にしてみればそんなの当たり前の話なのだが、登場人物の未熟さゆえの残酷さが過不足なく描けていたと思う。登場人物が、自分よりもカースト的に少しでも「下」に見ている人間が気に食わない行動をとったときの「はぁ!?」だけで済ます感じとか。

あと映画館を出て神木隆之介橋本愛(彼女のことは好きだし、本作でもよい感じだが、どうしてこの人はいつもヘルメットみたいな髪型なんだろう)がゲーセンで話をする場面など、ワタシなど神木隆之介の思考が手に取るように分かって、「それ『遊星からの物体X』だろ! 早く言えや」とワタシまで考えながらニヤニヤしてしまった。神木隆之介率いる映画部がやりたかったのがゾンビ映画なのは必然だし(つまり自分たちの存在が学園においてそうだという自覚がある)、きちんとそのことを言葉にしていてよかった。

映画が終わったと分かった瞬間、ここで終わりにしてしまうのかと小さく叫びそうになったのは『別離』以来だが、あのときと少し意味合いが違う。『別離』は物語が終わることは分かっていて、その結末(略)ゆえに叫びそうになったのだが、本作の場合、その作品世界の展開をまだ観たいぞという意味で、そういう意味で時間を忘れて楽しむことができた映画だが、最後のシーケンスがちょっとピンとこなかったというか、要はワタシにはイケメンの気持ちなど分からんというだけかもしれない。

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